FMfanのアーカイヴであの時代にタイムスリップ!タイムマシーン特集
ポップスからクラシックまで幅広いジャンルを網羅した音楽情報とオーディオ関連の記事で人気を誇ったFM情報誌「FM fan」のアーカイヴを一挙公開。伝説のライヴリポートや秘蔵インタビューなど、ここでしか見ることのできない貴重なコンテンツ満載!
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THE CURE
安全なヒット・メイカーにはなりたくない
No.11
Photo: Getty Images
キュアーがロック・シーンに登場したのは、1979年のことで、パンク・ブームが一段落した後、ニューウェイブ~ネオ・サイケデリックなどと言われるバンドがドッと出てきたころのことだ。バウハウス、エコー&ザ・バニーメンといったバンドとともに、キュアーも『スリー・イマジナリー・ボーイズ』というアルバムでデビューした。それから13年、“ネオ・サイケデリック”という言葉が形骸化し、多くのバンドが姿を消した。そしてキュアーは今年4月、通算15枚目の新作『ウイッシュ』を発表、浮き沈みの激しいロック・シーンにあって見事に生き残ったわけだ。いや、それだけではない。パンク以降のイギリスのロック・シーンから世界へと、その活躍の場を広げるスター・バンドへと成長。
「一番大切なのは結局“音楽”そのものだということさ。僕らは常にファンとともに成長してきたと思う。自分が信じる音楽と、それを作り続けていく姿勢が重要なんだ。僕は、いつでも生き残る、勝ち残ると信じながらやってきたつもりだ。それにイギリスの聴衆は固定観念が強いと思われがちだが、僕らに関してはファンにも恵まれた。一度、最低のコンサートをやってしまったからといって、それで見放されることもなかったからね。要するに、ファンの信頼を勝ち取るに足る音楽だったということだろう」
真っ赤な口紅がトレードマークとなったロバート・スミスは静かだが、確信に満ちた口調で言った。質問に答えるのは彼の役目らしく他のメンバーは、ほとんど口をはさまない。
場所はオックスフォードのマナー・スタジオ。新作『ウィッシュ』の最終ミキシングの最中だった。
2月中旬、ヨーロッパを初めとする各国のプレスがこの街に集まり、キュアーの新作を試聴、その後記者会見が開かれた。85年の『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドア』の成功以来、前作『ディスインテグレーション』(89年)を経て、彼らはイギリスから、大きく世界へと踏み出した。日本には初期にきているだけで、その人気のスケールが正しく把握されていないふしもあるが、今回の会見には、各地から100人以上のプレスが詰め駆けた。
なにしろ例えばフランスでは軽く50万枚のセールスを記録し、アメリカ公演でもニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンをソールド・アウトにするというのだから参る。
「アメリカとイギリスの聴衆の反応は全然違っておもしろいね。アメリカじゃ、静かな曲をプレイしているときでも叫び声があがったりする。どっちが良いというつもりはないが、いずれにしても僕らのコンサートは余計なしゃべりもないし、ギミック抜きの音楽勝負だね。特に、ここ3~4年の僕らのファンは積極的な意図を持って、良質の音楽を求めるタイプの人たちだと思う」
確かにキュアーというバンドに対するファンの信頼は大きなものがある。
「新作も、その信頼にこたえる作品だと思う。タイトル通り、とても前向きな感覚をもっているんだ。前作は、曲によってはメランコリックで暗い印象だったけど、『ウイッシュ』は、よりバラエティを持たせたつもりだ。ウイッシュ(願い、望み)という言葉には積極的な意味があるだろ?世界中が大きな変革期を迎え、それぞれが違う環境の中で生きていく方法を模索している。方法こそ違え、夢を信じて進んで行く、そのことこそが大切だという思いを表現したつもりだ」
魅力的なメロディと、やや屈折した独特の感性。『ウイッシュ』は、安全なヒット・メイカーにはなりたくないという彼らの誇りがうかがえる新作だ。その奇抜なメイクのせいか、気難し屋だと思っていたロバートは、意外なほど話し好きで、ユーモアとウイットに富んでいる。いい加減にメイクをやめたらという意見もあるそうだが、断固として続けているんだそうだ。
「だって、これが僕なんだから……」と、チョッピリ皮肉っぽく笑った。
(インタビュー・文/東郷かおる子)
ジョージ・ハリスン 本格的な復帰も近い?旧友との余裕のステージ
1969年以来23年ぶりのソロ・フルレングス・ショー
No.12
Photo: WireImage
昨年の日本におけるエリック・クラプトンとの共演後、再び音楽活動に力を入れ始めていたジョージ・ハリスン。4月6日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、実に1969年以来23年ぶりのソロ・フルレングス・ショーを行った。このコンサートでは、ゲイリー・ムーア、ジョー・ウォルシュなどの大物も出演し大きく盛り上がったようだ。さらにこのステージではビッグ・サプライズがあった。それはリンゴ・スターの登場。アンコールでリンゴが飛び入りしたもので、この演出のインパクトは、日本でのクラプトンとの共演以上のものがあったとか。
ちなみにこの日のセット・リストは、昨年の日本公演に近いものだった。さらにうわさのあった『ライブ・イン・ジャパン』(タイトルはまだ未定)の正式リリースも6月と発表されている。リンゴとの共演という“オマケ”もあったが、いずれにしても帰ってきたジョージの今後が注目される。
(共同)
ボビー・ブラウン いま幸福の絶頂
ホイットニーとのサマー・ウエディングとニュー・アルバム発表
No.19
●600人を集めた内輪(?)の結婚式
去る7月18日、ニュージャージーはメンダムタウンシップにあるホイットニー・ヒューストンの広大な邸宅で行われた二人の結婚式は、ボビー自身が語っていたように、報道関係者を完全シャット・アウトして、心から祝福してくれる友人だけを迎えた、本当の意味でのプライベート・セレモニーだった。とは言っても、およそ600人に及ぶゲストの顔ぶれは、ホイットニーの母親シシ・ヒューストンや、従姉妹のディオンヌ・ワーウイックをはじめ、グロリア・エステファン、パティ・ラベル、ペブルス、ジョニー・ギル、ビービー・ワイナンズ、スティーヴィー・ワンダー、それに世界の富豪ドナルド・トランプほか、いわゆるVIPクラスばかり。とてもプライベートうんぬんではすまされない一大イベントになってしまったようだ。
従って、邸内はもちろん、その周辺を含めて総勢25人ものセキュリティを配し、空からの撮影に対しても、巨大な青いアドバルーンを飛ばして演出効果とうまくクロスさせながらガードするという念の入れよう。当然とはいうものの、関係者のマスコミ/ファン対策は、かなりの気の使いようだったらしい。何しろボビーとホイットニーは、この日のために3日間もリハーサルを重ねたのだ。
「内心では特別ビッグなセレモニーじゃないと思ってる。ただすべてスムーズにいくようにしたかったんだ…」
そう。何もかも、この記念すべき日にトラブルが起きないようにとの配慮なのである。
そんな二人の出会いは今から3年前、89年の「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」にまで遡る。同アワードで初めて言葉を交わしたのをきっかけに、この年のホイットニーの誕生日、つまり8月9日のバースデイ・パーティへボビーが招待されて以降、二人の仲は急速に進展したのだそうだ。だがご承知のように、その間ボビーにまつわるゴシップ、例えばすでに子供が4人いるとか(実際に認知しているのは2人だけ。彼の“MY SONS”という紹介が本当なら、前回の来日コンサートで可愛いダンス/ラップを披露してくれていたのがその2人ということになる)。
昨年11月にホイットニーへ贈った破格のダイヤモンドの指輪は、あくまでスター性を維持するためのカムフラージュだったというようなゴシップが絶えることはなかったし、ホイットニーはホイットニーで、ボビーの子供を流産してしまってツアーを断念などという、それこそタブロイド・ニュースに載りそうなうわさの犠牲になっていた。それでも、他人の干渉などモノともせずにディープ・ラブを結婚というゴールへと昇華させたのだから、二人の結びつきがいかに固いかが分かろうというものだ。
そういう意味では、今年7月18日にたどり着くまでの彼らの道のりは決して短くないウェディング・ロードだったことだろう。だがともかく、その日を境として、世界のミュージック・シーンにとって期待せずにはいられない一大ファミリーが誕生したことは間違いない。しかも、このビッグ・ファミリー誕生と時を同じくして、われわれ音楽ファンにとって、もう一つ祝福すべきうれしいニュースが届いたのである。
何か?
言うまでもない。ボビー・ブラウン待望のニュー・アルバム『BOBBY』の完成だ。
●豪華ゲストもかすむほどの表現力
プロデュースは、ボビー自身はもちろん、バーナード・ベルとともにマイケル・ジャクソンの『デンジャラス』をほぼ一手に引き受け、前作『ドント・ビー・クルエル』で、ボビーいわく「あの時、彼はビジネス的な事情で自分の名前をクレジットしたくなかった。それで当時のパートナーだったジーンの名前を使った(つまりジーン・グリフィン名義でプロデュースしていた)」というキング・オブ・ニュー・ジャック・スウィングことテディ・ライリー、同じく前作に引き続き登場のL.A.リード&ベイビーフェイスと、そのファミリーの一員でもあるダリル・シモンズ、それに結婚式ではどうやら1曲抜露してくれたらしいビービー・ワイナンズなどが担当。また参加アーティスト陣も、夫人のホイットニーのほか、近くデビュー予定の妹メアリー・ブラウン、すでにR&Bボーカリストとして高く評価されているオマー・チャンドラー、B.B.D.のリッキー・ベル、ワイナンズ・ファミリーのデブラ、シーシー、アンジー三姉妹などがバック・ボーカルもしくはデュエットで参加、ラップでは、この秋B・B・Bレーベル(トリプルB:ボビー・ブラウンが主宰する新レーベルで、本名ボビー・バラスフォード・ブラウンから名付けられた)第一弾としてデビューするスタイルズ、ほかにもギターのポール・ジャクソン・Jr.や、ベースのネイザン・イーストと、非常に豪華なラインアップになっている。
ただ、一度アルバムを聴いてしまえば、そうしたゲストたちの存在が、アーティスト“ボビー・ブラウン”の大きさの前に単なるフロックと化してしまっていることがお分かりになるかもしれない。ニュー・エディションを離れ、ソロとして活動を始めてからおよそ6年。事実、彼は確かな足取りでスターダムへの階段を登りつめてきた。無論、希代のボーカリスト、ホイットニーの影響は少なからずあっただろうが、アルバムに収録された各楽曲でそれぞれ微妙に違った顔をのぞかせる彼のボーカリストとしての成長ぶり、そしてその表現力は、まさにスターの名に恥じないものだと断言していいだろう。
ニューヨーク11thアベニュー25丁目のスタジオREBO。このダウンタウンに位置するスタジオで、インタビュー嫌いで有名なボビーに会えたのは、結婚式をわずか1週間後に控えた7月10日のことだった。ちょうど彼は、シングル「ハンピン・アラウンド」のビデオ・クリップの仕上げにかかっている最中だという。4日後の15日から式のリハーサルだというのに、相変わらずのハード・スケジュールをこなしているようだ。
ちなみにこのビデオ、なんとマディソン・スクエア・ガーデンを借り切って撮影されているらしく、一体どんな内容なのか大いに楽しみなのだが、そんな中で時間を割いてくれた彼に感謝しながら、気の早い僕がツアーのことに質問を向けると「ツアーの話はまだ具体的には進んでないんだ。ハネムーンから帰って来たら考えるつもりだよ」という。最近入手した極秘情報によると、どうやらハネムーンの行先はリビエラだったようだが、そこで二人の愛の結晶が芽生えたかどうかはともかく、コンサート来日は当分先になりそうだ。また、今後の活動内容に関しても、「映画の出演の話もたくさんきてるし、俳優業にも興味あるけど、まだやる気はないな。一度に全部はできないからね。今は何よりもまずこのアルバムのことが最優先」とのこと。しかも最後に、彼はこう付け加えた。
「ボビーは帰ってきた!」
そう。一回りも二回りも大きくなって。
(インタビュー・文/鈴木しょう治)
ビリー・レイ・サイラス 90年代のエルヴィス?
全米アルバム・チャートのトップを独走するニュー・ヒーロー
No.20
Photo: Getty Images
この、ナッシュビルのカントリー・シンガーは、おそらく今、自分自身をこの世でいちばんの幸せ者と信じてるに違いない。それは、ファースト・アルバム『So‐Gave All (邦題=エイキィ・ブレイキィ・ハート)』が、全米のカントリーとポップ・チャートの1位に輝き、デビュー・シングル「エイキィ・ブレイキィ・ハート」をポップ・チャートのトップ10入りさせた、ビリー・レイ・サイラスのことである。
初志貫徹といったらいいのだろうか。ビリー・レイもまた、ガース・ブルックスと同様に自分自身の才能を信じて、一途にアメリカン・ドリームを夢見て、ひたすら走り続けてきたケンタッキーのカントリー・ボーイなのである。
アメリカン・カントリーが、ホンキー・トンク・カントリー・スタイルによるストレート・カントリー、いわゆる正調カントリーの時代といわれて久しい。しかし、今年に入ってから80年代以来のそうした正調カントリー・ブームにかげりが見えてきた。
熱心なカントリー・ファンならご承知のことだと思われるが、ホンキー・トンク色の濃かったジョージ・ストレイトとランディ・トラヴィス、カントリー・ロックやブルー・グラスを取り込んだリッキー・スキャッグス、この3人が80年代のカントリー・シーンを牽引してきたが、湾岸戦争を機に様子が変わってきた。
それまでの英雄伝説的なヒーローではなく、家族の絆や社会との関わりの上での現実的なニュー・ヒーローとして、強国アメリカのイメージ・キャラクター的存在となったガース・ブルックスの登場と、カントリー・ミュージックの情報発信源となっているクラブ、ダンス・シーンの中から登場して、モンスター・ヒットをものにしたビリー・レイに顕著なように、どうやらノリが微妙に違ってきているのが感じられる。
つい最近まで、カントリー活性化の力ギとされていた正調カントリーだが、この数年の正調につぐ正調の登場で、状況は泥沼化してしまった。そもそもストレート・カントリーの発想は、ポップ化現象によって核を失い、倦怠期を迎えたカントリー界が、正調カントリーを復活させることによって、黄金時代のパッションを取り戻そうというものだった。ところが、結果は「昔は良かった」のオン・パレードになってしまった。「懐古」と「パロディ」の間を行ったり来たりしていたと言ってもよいだろう。
そして、カントリー再考が求められていたいま、新しいカントリーの担い手として認知されたのが、ガースとビリー・レイで、とりわけビリー・レイの存在は誰もが潮流に乗り遅れまいとして、無難な正調カントリーを歌い演じて見せている時、果敢にカントリーの中でロックン・ロールとポップに挑戦し、新たなるカントリー・シーンを構成しようとしているかのようだ。
70年代のウィリー・ネルソン、ケニー・ロジャース、80年代には前述のジョージ・ストレイト、ランディ・トラヴイス、リッキー・スキャッグスと、時代の変わり目には天才的ともいえるスーパー・スターが現れ、シーンを牽引してきたが、さしずめビリー・レイとガースが90年代のニュー・カントリーの担い手であることは間違いない。
「エイキィ・ブレイキィ・ハート」に代表される、2ステップのロックン・ロール・ダンスに、ロックン・ローラーとみまどういでたちのファッションとステージ・アクション。かつてマック・デイヴィスが言っていた「ロックン・ロールは、いまやカントリー音楽の中に息づいている」という言葉を思い出させる。事実、今年の6月9日「カントリー・ミュージック・ファン・フェア」で、ビリー・レイのエネルギーに人々は圧倒され感化されるのみという状況だった。
ビリー・レイ・サイラスの果敢な挑戦はまだ始まったばかりだが、『エイキィ・ブレイキィ・ハート』には、ポジティブな姿勢が充満している。
(文/島田耕)
SADE
この世界で一番ぜいたくなものは[愛]
No.21
Photo: WireImage
前作『プロミス』では、デビュー・アルバムの『ダイヤモンド・ライフ』を上回る評判を得て、もうほとんど世界の大スター、成熟した大人のマーケットを背おう90年代のリード・シンガー、といった声が高まっている時に、フッとかき消すようにシーンから消えてしまった女性シャーデー。
そして、彼女が消えた後の業界には、気難しい人だったとか、わがままだったとかいううわさばかりが残っていて、さあ、果たしてどんな女性なのか、その実体は……と出向いて行ったのだけれビ、人間は会ってみなければ分からないものですねえ。本当に目元が優しい、飾らない、素敵な人だった。ほっそりと、小柄で、本当にチャーミングな人だった。
4年半ぶりの新作『ラブ・デラックス』のジャケットは、なんとその人のブロンズ像のようなヌード。しかも髪をフェミニンに長くおろして。例えばプリンスなんかも、女性の中の「女性性」の重要さを強調しているけれど、何か意味があるジャケットですか? という質問から。
「いいえ。ただ何かとてもシンプルで、強い印象を持った、あまりしゃべりすぎないデザインを…と考えていたら、ああなったの」
4年半もの長い間、一番大切な時期に音さたがなかったのは、熱烈な恋をして、その恋人と一緒にスペインのマドリードで暮らしていたと聞いたんですけど。
「そんなこと、どうして知ってるの!?だれから聞いたの?(笑)。ええ、それは本当よ。でも、バンドの全員も、ちょうど悩んでいた時期で、仕事のローテーショの中に巻き込まれて、本当に作りたい歌も、心から歌いたい歌も見つからなくなってしまって。そういう意味では、とても充実した充電期間だったと思います。後悔しない、といったらうそになるかもしれないけど、一生を通して考えてみても、やっぱりあの時はああしただろうと思うわ。」
<深い爪痕や涙の後も見える>
リード・シンガーの彼女の名前はシャーデー・アデュ。ほかにメンバーのスチュワート(サックスとギター)、アンドリュー(キーボード)、ポール(ベース)の計4人で、SADEというグループ名なのだ。びっくりしてしまうのは、シャーデーが恋をしている間、ほかのSADEのメンバーたちはグループを解散することも、腹を立ててどこかに行ってしまうこともなく、再び一緒に仕事をする日をのんびりと信じて待っていたということだ。この日インタビューに同席していた、アンドリューがシャーデーに示す友情にあふれた態度からも、メンバー間の信頼が良く伝わってくる。
「そう、お互いに一緒に曲を作ったり、演奏したりするのがベストだと知っているから。もちろんケンカしたり、議論したりもしますよ」
それで休養中も連絡は取り合ってきたし、大きな意味では、その4年間が新しいアルバム作りのための準備期間だったということもできると思う、と笑いながら楽し気に語る。
それにしても今度の『ラブ・デラックス』は、まさしくシャーデーの声、SADEのサウンドでありながら、失業が続く状態を歌った「フィール・ノー・ペイン」や、戦争体験を歌った「ライク・ア・タトゥー」など、社会的な意味を持った歌が目につく。それに、明らかにシャーデーその人の恋が彼女につけたのだろう深い爪跡や、涙の跡も見える。
すごくファッショナブルな、ブランド製品のイメージが強く、おしゃれな音楽、気取った人たち…という私の先入観念が、アレ? という感じでとまどってしまう。
「でも私たちは、デビュー当時から変わっていないわ。私は祖父の影響で、社会の動きや、さまざまな問題に意識が向いてしまう人間だし…。そんなイメージはメディアがつけたもので、あえて反発するのも…ということで、乗っかった部分もあったけど(笑)」
母はイギリス人、父はナイジェリアという血の中に、時おりキラッと反骨の精神を見せるシャーデー・アデュの知性がファッション・モデルに近寄るように彼女に群がった人たちを誤解させてしまったのかもしれない。
ともあれ、ウエルカム・バック!強烈なジャケットだし、シングル曲「ノー・オーデイナリー・ラブ」も強力だから、時代は再びSADEのために動くことだろう。
(インタビュー・文/湯川れい子)
シンニード・オコナー ボブ・ディランのコンサートで大ブーイング
それを理由に引退へ
No.26
10月16日にNYのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された、ボブ・ディランのトリビュート・コンサートは、多数のビッグ・ネームが参加し、盛大なものとなったが、たったひとつ思わぬハプニングが起きた。シンニード・オコナーが舞台にあがったとき、観衆からいっせいに大ブーイングが巻き上がり、うろたえた彼女が例のTV番組同様「ウォー」を突然歌い始めてしまった。もちろん、客席からの攻撃は一層強まり、彼女は途中退場。予定されていた「アイ・ビリーブ・イン・ユー」のカバーは歌わなかった。
このコンサート後、彼女は記者会見で行動の説明をするはずだったが、直前にキャンセル。その後配布した声明文も、「おごっている」などと批判される始末。結局、「ウォー」がきっかけで、彼女は引退を宣言。最新ニュースによれば、彼女は人々とのコミュニケーションのために歌ってきたが、その目標も今では打ちくだかれたのだとか。
(共同)