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特集:つねに新しい前進 ジャズ界の帝王、マイルス来日
佐藤秀樹
No.2
Photo: Getty Images
現在、発表されているメンバーは、マイルス以下、ソニー・フォーチュン(サックス)、レジー・ルーカス、ビート・コージー(ギター)、マイケル・ヘンダーソン(ベース)、アル・フォスター(ドラムス)、ムトウーメ(パーカッション)の七重奏団。いずれにしても、75年の幕開きが、マイルスやマッコイ・タイナーのコンサートではじまること自体、ファンにとってうれしい出来事である。
思えば、74年もずいぶん多くのジャズ・グループが来日したが、マイルスに対する期待は、これらをさらに上回る。それは現在の彼の演奏を認めるか、認めないか、の問題ではなく、マイルスの演奏を耳にしないでは、ジャズ・シーンの現況を完全には語れないことを意味している。
ジャズ界のピカソ
現在のマイルスは、トランペッターというよりも、一人の偉大なリーダーであり、ジャズの推進者でもある。彼は自分の音楽に早くも電化楽器を導入し、リズム面の革新を図るなど、70年代にふさわしい生命力溢れるサウンドを生み出している。こうした時代の先取りとも言える先見性は、過去の実績からも十分に評価出来る事柄だが、これから先のマイルスの動きを予想しても、決して裏切られることのない成果を約束してくれるだろう。
マイルスといえば、およそ彼ぐらい一カ所に停滞することを嫌う人間もいまい。それはこれまでの約30年間の音楽生活を振り返ってもわかることだが、驚くべきことに、どの時代においても、彼自身は、常に前進を続けており、新しいイディオムの提唱者となっている。「変化するだけのイマジネイションを持たなければ本物のミュージシャンではない」というマイルスにとって、音楽とは自分の作品を含め、既製のものを拒絶するところにはじめて成立し、強さを持つものと思われる。
このような要素からマイルスはしばしばジャズ界のピカソと呼ばれるが、両者の共通点を単に存在感の大きさとか、表現方法の変転さの面からだけ眺めるだけではなく、その基本点にある創造性に対する間断なきエネルギ一の発散と意欲を認めなければ、意味があるまい。マイルスの特色は、あくまでも演奏家としてと同時に、真のイノベイターの素質を持っていることだ。例えば、モダン・ジャズの発展段階の上で、これまでもいくつかの重要な転換期が数え上げられるが、その全てのイベントにマイルスが必ず関与し、示唆を与えているとはよく知られている。ことにそうした各イベントにおいても、彼はほかのミュージシャン達よりも絶えず一歩先を歩いており、次の時代をリードする先駆的作品を残している。
クールの誕生
具体的な例で言えば、49年から50年代にかけて吹き込まれた九重奏団による「クールの誕生」は、個々のミュージシャンの触発性に依存したパップに、グループ表現の必要性を導入し、次のクール時代を誘発、さらにウェスト・コースト・ジャズの音楽的規範ともなった。また50年代初期の「ディグ」は、当時の黒人ジャズメンの鬱積した意識を代弁し、続く「ワーキン」、「パグス・グループ」では彼らイースト・コースト・ジャズメンの優位性を示し、ウェスト・コースターたちからジャズの主導権を再び奪還させる契機を作った。こうしたマイルスの持つ重要性は60年代においても相変わらず続いている。ことにこの時代の最も主要なテーマであるくモード>手法の探求においても、彼の場合は、59年の「カインド・オブ・ブルー」で、すでになされており、また70年代ジャズにおいても同様、「イン・ア・サイレント・ウェイ」から「ビッチェズ・ブリュー」に到る演奏は、現在のジャズ界を特色づけているポリリズムの提示と電化楽器の大胆な使用による新しいサウンドの形成を完全になしとげている。
マイルスの偉大さについては、これだけでは十分でない。それはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、あるいは「ウェザー・リポート」のようなグループを含め、70年代を代表するミュージシャンたちが例外なく、かって「マイルス・スクール」の一員であったという事実を挙げるだけで十分であろう。それに加えて、今流行のブラック・ファンクの要素にしても、すでに、「ピッチェズ・ブリュー」から「オン・ザ・コーナー」といった作品でマイルスはちゃんと採用しているし、そこでは何よりも黒人の生活と意識に密着したサウンドを生み出している。
生命への限りない讃歌
マイルスの音楽--それは彼自身も言うように、決して「ジャズ」という言葉だけでとらえられるものではない。むしろそこにはわれわれ現代人の失った生命力への限りない欲求と讃歌があり、自然の中での人間性の復権を叫んでいるようだ。前回のコンサートでも感じたことだが、マイルスたちの生み出す、強烈さとやさしさに満ちた無限のリズムを聴いていると、自分の感覚がより根源的な世界へと逆流して行くような気持ちを覚える。それはわれわれ人間にとって、母親の胎内回帰への憧れを同時に抱かされるが、こうした受け取り方ははたして、疲れ果てた筆者個人の心情だけのものであろうか。
いずれにせよ、マイルスのステージに対するファンの期待は大きい。はたして今回の演奏は私たちをどのようなすばらしい魔力的サウンドの世界に誘い込んでくるであろうか。
75年も恐らくマイルス・デイビスの年になるだろう。
(佐藤秀樹)
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