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ティーンエイジアイドル図鑑
チャートをにぎわす女性アーティストたち/東ひさゆき
No.2
Photo: Getty Images
●1987年11月7日はアイドル記念日
「ふたりの世界」が1位になったから11月7日はアイドル記念日――まだブームと呼ぶには早すぎるかもしれないけども、昨今の10代の歌手の活躍を見ていると、この11月7日付のビルボード誌シングル・チャートでティファニーの歌うその歌がNo.1に輝いたことは象徴的な事件ではある。
事の発端をどこに定めるかは難しい。83年のニュー・エディションか、それとも86年のチャーリー・セクストンやジェッツか。いずれにしても、今年になって次々と10代の歌手が名乗りをあげてきたのは事実で、グレン・メデイロスを除くと女性歌手というのも気になるところである。ティファニーは16歳。デビー・ギブソンも16歳。シャニース・ウィルソンとANAにいたっては各々14歳、13歳で、エリサの18歳という若さがかすむほどである。
残念ながら、こうした10代の突然の台頭に関して、はっきりとした理由はわからない。ただ、一つにはポピュラー・ミュージックがあまりにも成熟してしまったことへの反動かもしれない。例えば若者の音楽といわれたロックでさえファンとともに成長し、今では大人が聴ける内容を持つ。逆の見方をすれば、ロックをもっとも支持する10代のファンにとって、時にはそれがかけ離れたものになりかねない。このところ60年代や70年代前半からのスターたちが全般的に下降気味なのも無関係ではないだろう。
もう一つあげるとすれば、MTVの影響も考えられる。ビデオ・クリップがアーティストに必要不可欠のものになれば、ビジュアル面が重視されてくるわけで、そうなるとますます若さが最大の武器となる。それでなくとも、若いということ、ファンと同年代であるということはいつでも刺激的で、新鮮な魅力にあふれているものである。
●67年にルル、77年にショーン・キャシディ、87年にはティファニーがNo.1
先にあげた5人の若手女性歌手の中ではティファニーの成功が注目に値する。なにしろ、10代の歌手が全米No.1になったのは77年7月にショーン・キャシディが「ダ・ドゥー・ロン・ロン」で記録して以来の快挙。女性歌手になると、67年10月の「いつも心に太陽を」のルルまでさかのぼる。ただし、ティファニー自身は「No.1ヒットを出したけれど、あまりピンとこないの。学校で友だちから言われて、初めて有名人になったのかなと思ったぐらいだもの」と初々しい感想を述べるにすぎない。
そもそも彼女がこの世界に入るきっかけとなったのは、14歳の時、あるショッピング・モールで買い物をしているところをスモーキー・ロビンソンやコモドアーズなどのプロデューサーとして知られるジョージ・トービンにスカウトされたという日本的なパターン。幸い彼女は「小さいころから歌手になることだけが夢で、毎日、ラジオを聴きながら、好きな歌手のマネばかりしていた」音楽少女で、アルバム『ティファニー』は「放課後や休日を利用して1年がかりで録音した約40曲の中からベストの10曲を選んで」完成させている。その中にはトミー・ジェイムス&ザ・ションデルスの「ふたりの世界」、ビートルズの「アイ・ソー・ヒム・スタンディング・ゼア」といったカバー・ソングもある。ともに「私が生まれる前のヒット曲で、ジョージ・ドービンが選んでくれた曲」だが「ふるい歌を歌っている抵抗がまったくなかった」という無心さがはつらつとした作品に仕上がった要因と言える。また、彼女のスタイルにはスティーヴィー・ニックスを意識した面があるとともに、カントリー系の女性歌手に通じる魅惑的な声と色気の持ち主でもあるので、スロ~ミディアム・テンポの曲となると、大人びた表情を見せるのも面白い。そのあたりは「まだまだ私には大きなステージは無理」と、小さな街のショッピング・モールを地道にツアーしてまわる冷静さにもつながるかもしれない。
PROFILE
●ティファニー
ロサンゼルス郊外ノーウォークの出身。本名はティファニー・ダーヴィッシュ。本文とは異なり14歳の時にあるスタジオでスモーキー・ロビンソンをプロデュース中のジョージ・トービンに見い出された説もあり、15歳でMCAから「ふたりの世界で」デビューしたところ。これが全米No.1に。現在は、「思い出に抱かれて」がヒット中。アルバム『ティファニー』もトップ5入り。
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●幼稚園の時から曲を書き始め、ストックは300曲
客観的に見ると、ここに紹介する5人の10代歌手の中で、その将来性がもっとも高く買えるのがデビー・ギブソンといえる。なにしろ、16歳の若さにもかかわらず、自ら作詞・作曲をし、キーボードをこなし、プロデュース、アレンジまで手掛ける多彩な面を既に披露する。
デビュー・アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』もそんな彼女の才気を感じさせる1枚だ。「80年代の音楽が好き」という言葉を証明するようなメロディメイカーぶりを現代的なポップ・センスとうまくミックスさせている。文句なくキャッチーであるし、その歌声も実にキュートである。
聞けば「4歳からピアノを独学で弾き始め、12歳の時には自宅にスタジオを作り、いろいろと実験していくなかでプロデュースの勉強をした」と言うから本格的だ。また、「幼稚園のころから曲を書き始め、ストックは300曲以上」になるのも、二人の姉をモデルにするなど、身のまわりのさまざまなことに敏感に反応する感受性をもっているからだろう。全米で大ヒットした「オンリー・イン・マイ・ドリームス」は13歳の時に作った曲だという。また、彼女の作品はすでにマイケル・J・フォックスやウーピー・ゴールドバーグの新作映画にも使われているというからたいしたものだ。
それだけに彼女の夢は限りなくある。「グラミー賞を取ること。ヒット曲を次々に発表すること。ビリー・ジョエルと共演すること。ホイットニー・ヒューストンや少年隊(!) など、他人に曲を書くこと。サントラ盤を手掛けること。子供のためのレコードを作ること……」。「年齢ではなく、あくまでも音楽的な面で評価してほしい」という彼女、このまま順調に成長すれば、こうした夢も意外に早く実現するかもしれない。
PROFILE
●デビー・ギブソン
ニューヨークのロングアイランド出身。12歳の時にアトランティック・レコードの目に止まり、16歳になった87年にプロ・デビューを果たす。「オンリー・イン・マイ・ドリームス」「シェイク・ユア・ラブ」はすでに連続でトップ10入り。アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』でもマルチ・タレントぶりを発揮する。
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●13歳でミュージカルでデビュー 15歳でブロードウェイに
ところで、アメリカには「スター・サーチ」という日本の「スター誕生」にあたるテレビ番組がある。最近ではサム・ハリス、ソーヤ・ブラウン、デュレル・コールマルがそこで認められてレコードデビューを果たしたが、同様にエリサ・フィオリロとシャニース・ウィルソンもこの番組のジュニア部門で優勝した経験を持つ。
その時、エリサは15歳。結局、それを機にクリサリスと契約を結ぶが、ご存じのようにデビューを飾ったのはジェリー・ビーンのアルバム『禁断のプラネット』と少々変則的。だた、それは「40本近いデモ・テープの中からその声の素晴らしさにひかれて選んだ」というジェリー・ビーンのお墨付きを得た訳で、そこから彼女の歌った「フー・ファウンド・フー」がシングル・ヒットする。
恐らくジェリー・ビーンも彼女がそんなに若いとは思わなかったはずで「フー・ファウンド・フー」を含む彼女にとって初のソロ・アルバム『エリサ』でも年齢に似合わぬ成熟した歌声を聴かせる。これはジェリー・ビーンはもとより、マドンナでおなじみのガードナー・コールやレジー・ルーカスらがプロデューサーとして協力したダンサブルで、モダンな1枚で、彼女自身、単に歌うだけでなく「私も3曲ほど共作している」。
とにかく「父親はホロヴィッツのもとで勉強し、今ではテンプル大学のピアノ教師。母親も昔は歌手だった」環境、毛並みの良さがある。「5歳から歌い始め、12歳の時にはプロとして地方のミュージカルに立った」経験があり、クリサリスと契約後もじっくりと時間をかけて歌から踊り、作曲のレッスンを積んできたというから半端じゃない。若いけれども、エリサにすれば満を持してのデビューだったわけだ。
PROFILE
●エリサ・フィオリオ
フィラデルフィア生まれ。10歳で地元のテレビ番組やコマーシャルに出演。12歳になるとプロとしてミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」「クリスマス・キャロル」、15歳の時にはブロードウェイに進出して「三銃士」の舞台に立つ。レコード・デビューは18歳の87年、ジェリー・ビーンの「禁断のプラネット」で果たす。また、そこから「フー・ファウンド・フー」がトップ20入り。
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●3歳でステージを経験、歌のうまさはピカ一
一方のシャニースは11歳で「スター・サーチ」に出演し、その年にはすでにA&Mと契約を交わしていたというから恐れ入る。彼女の場合も音楽的環境は申し分なく「父親はギタリスト、母親はおばと一緒にクリスタル・ペニーという名で歌っていた」。彼女は小さいころから母親についてまわり「3歳で初めてステージに立ち、8歳のころにはスタジオでバック・コーラスの仕事をしたこともある」。そうした経験が才能をさらに磨き上げたのか、ヒット曲「キャン・ユー・ダンス」を収めたデビュー・アルバム『ディスカバリー』を聴くと、とにかく歌のうまさには驚かされる。特に、バラードなんて14歳の歌とは思えない。「本当はずっと早くデビューできるはずだったけど、容姿や声がどんどん変わってしまったので、今まで待ったの」とか。
全体的にはジャネット・ジャクソンに通じるものがあるけれど「知りあいからは母親にそっくりと言われる」。したがって、まずは「自分だけのスタイルを持ちたい」と言う。ここでは「2曲ほど作詞の一部を手掛けたが、収録曲の作者は本人の希望で明らかにできない」そうで、もしかしたらジミー・ジャム&テリー・ルイスあたりが関係しているのかもしれない。
PROFILE
●シャニース・ウィルソン
ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。8歳の時にロサンゼルス周辺のミュージカルに出演するようになり、10歳の時にはケンタッキー・フライド・チキンのコマーシャルでエラ・フィッツジェラルドと共演する。今年、14歳で『ディスカバリー』を発表しており、そこから「キャン・ユー・ダンス」がチャート・イン。
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●マイケルから日本公演でデュエットの申し入れ
これまでの4人と比べると、まださしたる実績はないけれど、アナもこの機会に紹介しておきたい。実現はしなかったが、彼女はマイケル・ジャクソンから日本公演で「キャント・ストップ・ラビング・ユー」でのデュエットを要請された歌手でもある。
彼女もまた小さいころから音楽に興味を持ち、両親のすすめもあって9歳の時にビー・ジーズやマイケルのボイス・トレーナー、ジーナ・モレットのレッスンを始める。上達はかなり早かったようで、10歳になるころにはマイアミ・サウンド・マシーンのエミリオ・エステファンから共演を申し込まれたり、現在のパーク・レコードとの契約に成功する。なんでもこの会社は彼女のために設立されたものらしく、大手のCBSもその才能を買って販売契約を結んだほど。
デビュー作『シャイ・ボーイ』はビー・ジーズで有名なカール・リチャードソンとホイットニー・ヒューストンのフランク・リイルドホーンがプロデュース。もうひとり、彼女を認めたジェリー・ビーンがリミックスを買って出ている。安定した歌唱力は先の4人に劣らず、のびやかなボーカルと情熱的な説得力がニューヨーク・タイプのダンス・ナンバー、ホイットニーばりのバラードに見事に映える。これだけ歌えれば多くの人が認めるのもわかるし、レコード会社が2、3年後を目標にした育て方をしてるというのも楽しみだ。
PROFILE
●アナ
キューバ生まれのフロリダ育ち。本名はアナ・マリア・ロドリゲスという。10歳の時に現在のパーク・レコードと契約を結ぶが、学業の関係で13歳になる今年まで待って、デビュー・アルバム『シャイ・ボーイ』をリリースする。特にタイトル・ナンバーはニューヨーク、マイアミのクラブ・シーンで話題を呼び、12インチ・シングルではトップ10入りを決める。
(東ひさゆき)
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