FMfanのアーカイヴであの時代にタイムスリップ!タイムマシーン特集
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クラッシュがジョーンズを追い出す
「ジョーンズは、クラッシュ創設時の理念から遊離してしまった」
No.3
Photo: Getty Images
クラッシュのジョー・ストラマーとポール・シムノンがこのほど、ギタリストのミック・ジョーンズをクラッシュから追い出してしまった。
この突然の仲間割れについて、クラッシュ側の声明は「ジョーンズは、クラッシュ創設時の理念から遊離してしまった。この措置により、今後ジョーとポールはクラッシュ本来の仕事を追及することが可能となった」とだけ述べている。
ジョーンズはクラッシュ創設以来のメンバーで、友人によるとクラッシュから追い出されたことについて「非常に驚いている」と同時に「傷つき、怒っている」という。ジョーンズが今後どうするのかはまだ決まっていないといわれるが、ロンドンではスピア・オブ・デスティニーに加わるか、元クラッシュのドラマー、トッパー・ヘドンと一緒に仕事をするのではないかとうわさされている。
(共同)
カーペンターズのカレンが死去
病院側は直接の死因を心臓マヒと発表
No.6
Photo: WireImage
兄妹コンビのボーカル・グループとして70年代に活躍したカーペンターズのカレンが2月4日、ロサンゼルスのダウニー病院で心臓マヒのため死亡した。32歳。
カレンは、ロサンゼルスの自宅のクロゼットの中で意識不明で倒れているのを同居している母が発見、病院へ運び込まれたが、約30分後に死亡した。病院側は直接の死因を心臓マヒと発表しているが、ロサンゼルスの検視管事務所は検視結果の分析を急いでいる。
カーペンターズのスポークスマンによると、カレンはこの1年半ほど、精神性の食欲減退症の治療を受けていた。この病気は、太りたくないという女優らがかかりやすいことからスター病として知られている。ロサンゼルス検視管事務所によると、死亡時のカレンは慎重160cm、体重48kgだったが、カーペンターズのスポークスマンは、カレンの食欲減退症は治ったものと思っていた、と語った。
カレンの兄のリチャードによるカーペンターズは、これまでに3,000万枚以上のレコードを売り上げ、そのうち100万枚以上売れたゴールド・ディスクが17枚もある。この1年間は活動を停止していたが、カムバックを計画していた矢先の休止だった。
(共同)
ボブ・ディランが勝訴
ヒットソング「ハリケーン」が自分を侮辱しているとして、1人の女性が訴えていた件
No.5
Photo: Redferns
75年のボブ・ディランのヒットソング「ハリケーン」が自分を侮辱しているとして、1人の女性が訴えていた件で、2月中旬第11回米巡回控訴院は下級審判決を支持、控訴を棄却した。この歌は67年のルーベン“ハリケーン”カーターの殺人事件に伴う裁判を描いたもので、原告のパトリシア・アン・バレンタインさんは証人の1人だった。訴えは、彼女が他の証人2人とカーターの有罪判決のために共謀したように歌われていると主張していた。しかし、控訴院は「歌詞全体を検討すると、そのような解釈は成り立たない」とし、また彼女のプライバシーも侵害していないと判断した。
(共同)
ジョニ・ミッチェル来日
独特の味わいのある“ミッチェル節”をたっぷり2時間
No.8
Photo: Redferns
持ちに待った、という言葉がピッタリくるジョニ・ミッチェルの初来ロ公演が実現した。育ての親ともいうべき、デヴィッド・ケフィンのゲフィン・レコードへ移籍、ベーシストのラリー・クラインとの結婚…と、心機一転気分も上々、グッド・タイミングな来日といえるかもしれない。
ステージは、15分間の休けいをはさんでの2部構成。前半は、おなじみのレパートリー、後半はニュー・アルバム「恋を駈ける女」を中心として、ジックリ、タップリと2時間”ジョニ・ミッチェル”の世界を披露した。
デビュー・アルバム「ジョニ・ミッチェル」から傑作「コート・アンド・スパ-ク」へ、そして話題作「ミンガス」と、ジョニ・ミッチェルは、アルバムごとに大胆な挑戦と変化をとげてきた。そうした今までの作品をバラバラに解体し、再構成した前半のステージ演奏を聴いて感じるのは、ジョニ・ミッチェル節ともいうべき、独特で、クセのあるボーカルとメロデイである(これは、ポップになった、「コート・アンド・スパーク」に近いともいわれているアルバム「恋を駈ける女」をフィーチュアした後半でも感じた)。
また、「チャイニーズ・カフェ」に、オールド・タイミーな「アンチェインド・メロディ」のフレーズを採り入れたように、今回のステージでは、マーヴイン・ゲイのヒット曲「悲しいうわさ」をさりげなく加えコンサートに彩りを添えていた。
全体的に、静かに聴きいっていたが、静かな中にも盛りあがりを見せたのが、前半最後の「ビッグ・イエロー・タクシー」を含む4曲。ジョニ・ミッチェルがピアノ、ギター、ダルシマーなど、楽器を持ち変えてのソロ。
そして、後半最後は、「恋を駈ける女」から「アンダーニース・ザ・ストリートライト」をはさんで「青春の光と影」と「ウッドストック」。
アメリカの音楽ジャーナリストの間では、ウッドストックが開かれている時期に、あなたはどこにいたか、というのが一種のあいさつ代わりになっているように、「ウッドストック」は、アメリカのポピュラー界に残る名曲の一つであると同時に、ジョニ・ミッチェルの14年の軌跡を見事に凝縮して見せてくれたコンサートだった。
(共同)
ボウイがリンカーン役に
ロサンゼルス・オリンピックを記念して行われる創作オペラ公演
No.9
ロック歌手のデヴィッド・ボウイが、84年6月にロサンゼルス・オリンピックを記念して行われる創作オペラ公演でリンカーン大統領役を演じることになった。
このオペラは米国の演出家ロバート・ウィリアム氏が計画しているもので、題名は「内戦―大木は倒れた時にその大きさが分かる」という長い副題を伴っている。
同氏は日本の歌舞伎と、南北戦争の写真集を見てこのオペラを思いついたとしており、内容は人類の歴史をくまなく扱ったものになるという。
公演形式も変わっており、同氏によるとこのオペラは全体が6つの部分に分かれ、それぞれが2時間から3時間の長さ。83年~84年のシーズンに各部分を、まずロッテルダム、ケルン、東京、ローマ、ミネアポリスなどの都市で公演し、84年6月のロサンゼルス・オリンピックの際に6つの部分を合わせて12時間のオペラとし、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで3回公演する計画。
それぞれの部分の作曲家としては、フィリップ・グラス、デヴィッド・バーン、ジョー・コンドー、ニコラス・エコノモウらの名前が挙がっているという。
(共同)
MILES DAVIS IN JAPAN
見せつけたマイルス・マジック/青木和富
No.14
Photo: Getty Images
ニュー・ディスク「スター・ピープル」の興奮のさ中、マイルスが2年ぶりに日本の土を踏んだ。しかもギル・エヴァンス・オーケストラとのダブルビル・コンサートとなれば、ファンの興奮はもはや頂点に達したというべきだろう。
マイルスは、2年前の来日コンサートと比べると見違えるような元気さであった。車椅子がまったく無用になったわけではないが、少なくともステージの上のマイルスは、少しの不安も感じさせることなく、ファンに手をふって歓声に応えるなど、余裕たっぷりといった感じだ。
音楽的にもトランペット、シンセサイザーを自在に使って、マイルス・マジックのすごさを見せつけた。とりわけクロージング・テーマの「ジャン・ピエール」の絶妙な展開は、ニュー・マイルスの真骨頂というべきだろう。とはいえ、こうしたマイルスの好調さにいく分見おとりしたのが、サイドメンのプレイだ。新加入のジョン・スコフィールドをはじめとして、期待のサックス、ピル・エヴァンスらは、ソロも短く、しかもほとんど自己を主張することもなく終わってしまった。マイルスが好調なだけに、これは奇妙な印象をもたらしたが、もしかすると近々バンド・カラーの一新が行われるかもしれないという予感を抱かせた。
一方、ギル・エヴァンス・オーケストラは予想にたがわず現在最高のジャズ・オーケストラを聴かせてくれた。デヴィッド・サンポーンが来られなかったのは残念だが、そのかわりブルース・フイーリングたっぷりな過激なサックス、ジョージ・アダムスが実にエキサイティングなソロを聴かせ聴衆を圧倒。しかしそれ以上に素晴らしかったのがこのバンドの重鎮ルー・ソロフ(Tp)であり、ピリー・コブハム(Ds)、ピート・レヴィン(Syn)らのエヴァンス・バンドの秘蔵っ子たちの活躍だ。どこまでも自在なエヴァンスのオーケストラ・マジックは、実に彼らの柔軟な感覚があってこそ実現可能なのであった。まさに奇跡的なジャズ・オーケストラの世界であった。
(青木和富)