Special
<コラム>時代は変わってもラブソングに求めるものは変わらない リスナーに寄り添うSoalaの楽曲の魅力

Text: 奈都樹
ティーンのカリスマと呼ばれる歌姫のラブソングには、精神的な自立を手にする前の不安定な女性たちの心情が描かれていた。女子高生だった私たちは、その時代の歌姫の曲に、共感を超えた精神的な深いつながりを感じながら、日々を乗り越えてきたところがある。
α世代の人生に寄り添うカリスマギャルシンガーと呼ばれるSoalaもまた、ラブソングを中心にティーンからの支持を集めているアーティストのひとりだ。失恋ソング「すれ違い」のショート動画は、瞬く間に拡散されSNS上で5,000万回再生 、コメントは1,600件以上寄せられている。〈“もう終わりにしよう”って 君からの言葉に 頷く事さえも出来ずに ただ黙るだけの私〉と恋人の喪失に混乱している主人公に自分を重ねてか、「最近恋人に振られたばかりで~」と自身の失恋話をコメントしている人も多い。Soalaの曲には聴き手の深部に入り込み、相手の話を引き出してしまうほどの不思議な力があるようだ。
曲作りは実体験に基づいているという。恋愛事情をリサーチしたり分析したりすることはしない。 だからこそそこから生み出される歌詞は生々しい。特筆すべきは、恋愛の裏切りをテーマにした「君が悪いのに」 。〈もう疲れたよそんな上辺だけの愛は〉〈心はすり減ってくばかり お願い、誰か、私を愛して〉〈もう疲れたの 誰かを愛するということ 私なんてどうせ 誰からも愛してもらえない〉。報われない恋によって自己否定的になっていく様子は、他者からの承認に揺さぶられやすい繊細な年頃ならではのリアルでもある。愛されるかどうかで自分の価値が決まってしまうそんな時期における恋愛の危うさを、Soalaはよく理解している。そうした曲を歌えるアーティストだからこそ、聴き手の心は開いていく。
Soalaのラブソングの多くには、漠とした不安感がある。そうした曲を描くのは、アーティストとしての覚悟が込められた曲「Bluem」にある〈1人悩んでた過去を 抱きしめ前に進もう〉という一節から見えてくるだろう。彼女の曲にある不安感や生々しさは、そうやって過去と向き合い苦しみながら、当時の心情を丁寧に整理していくような作業がなければ出せないものだ。だからこそ聴き手の深部に入り込むことだってできる。
Soalaはインタビューで「誰かの心を救いたい」と何度も口にする。学生時代に精神的な不調に苦しんでいた頃に音楽に救われたことから、今度は自分が救う側になりたいと考えるようになったという。ラブソングを作り続ける理由もそこにある。彼女はこう語っていた。
「恋愛ソングのイメージがつくことに悩んでいた時期もありました。だけど『自分の音楽で誰かを救いたい』というのが音楽をやっている一番の理由だと考えると、私の恋愛ソングで誰かを救えているのかもしれないと思うようになって。」
そんなSoalaの新曲「声の軌跡」は、TVアニメ『真夜中ハートチューン』のエンディングテーマとして制作されたもの。とはいえ、夢を追っていくなかですれ違う恋の脆さが描かれた同曲には、失恋ソングとしても、キャリアと恋愛の両立を維持する困難さとしても聴ける、彼女のソングライティングの広がりを感じさせる楽曲だ。<夢を追い続けることも 気持ち隠し続けるのも 全部君の為と思ってた なんて独りよがりだね>といった歌詞には、少ない言葉数のなかに気持ちの揺れ動きが垣間見える。これもまた彼女自身が夢を追い続けているからこそできる表現であるように思う。
@soala_official どうか届きますように。#オリジナル曲 #Soala #声の軌跡#新曲#真夜中ハートチューン ♬ 声の軌跡 - 1サビShort ver. - Soala
ラブソングの表現は成熟している一方で、Soalaの曲に一貫しているのは、誰かとともに生きていたいという願望である。彼女の曲には恋人との別れへの怯えがつきまとい、歌声には他者を求める痛切な響きがある。ひとりでたくましく生きようとする人間の美しさや痛快さというよりも、不完全さを抱えながら生きる人間のありのままを描くことに徹底している。
そうした表現はSoala自身が求めているものでもあるかもしれないが、もっといえば、自分の音楽を必要とする人たちが強く希求するものは前者よりも後者だと彼女自身が感じているからであるようにも思う。またそれは前述したような恋愛の危うさを抱えた繊細な年頃のリスナーたちにも強く響くことだろう。
他者からの愛情を得られなければ不安で仕方がなく、自分の価値を自分で決められるほどの強さをまだ持てていなかった頃、必要だったのはそんな自分を理解してくれる同じ境遇のなかにあるラブソングだった。Soalaの作品にふれて、かつてそうしたラブソングにすがるようにして繰り返し聴いていたことを思い出した。それはつまり彼女の曲には、あの頃の私のような人たちが居場所にしたくなるであろう魅力があるということ。こうした音楽が世代を超えて作られつづけていることがただ嬉しかった。


























