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<インタビュー>“今の時代、人を動かすものは何なのか”――『イン・ザ・メガチャーチ』を通じて朝井リョウが問う、人間にとっての推進力とは【WITH BOOKS】

Interview & Text:柴那典
Billboard JAPANが展開するインタビュー企画「WITH BOOKS」に、小説家の朝井リョウが登場。
2025年9月に刊行された最新長編小説『イン・ザ・メガチャーチ』は、ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側という世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす「物語」の功罪を炙り出す一作。
その執筆の背景にあるファンダムやオーディション番組への関心、作品のキーワードである「視野」について、そして宇多田ヒカル「Deep River」に打ち抜かれた原体験から、米津玄師「IRIS OUT」との偶然のリンク、出版業界のプロモーション戦略についてなど、さまざまな話題についてじっくりと語ってもらった。
“オーディション番組”『ASAYAN』をきっかけに、「人の魅力とは何か」を考えていた
――『イン・ザ・メガチャーチ』、とても面白かったです。主人公の一人の久保田というキャラクターが音楽業界に務める会社員であるということも含めて、アイドルグループやファンダムカルチャーにまつわるディテールが非常にリアルだと感じました。執筆するにあたって、そのあたりのリサーチや主人公の人物像はどのようにして掘り下げていったんでしょうか?
朝井リョウ:今回は最初から【ファンダム経済を舞台に、“今の時代、人を動かすものは何なのか”を書く】と決めていたので、そのテーマありきで考えていきました。私にとって語り手とは、書きたいことを照らし出す照明みたいな役割なんですね。なので、その照明をどこに設置すれば今回のテーマを最も立体的に書けるかを考えました。やはり、ひとりは音楽業界の中の人、その中でも中枢に近い仕事を任され得る年齢層の語り手が必要だと思ったので、そこから久保田の輪郭が決まっていきました。
ちなみに今回は、音楽業界の方に取材をしていないんです。取材によっていろんな正解を知ると、むしろ書きづらくなってしまうことも多くて。ただ、メインの語り手3人の経済状況を具体的に書きたかったので、そこに関しては日経の担当者さんに情報を集めていただきました。特に久保田の仕事については勝手に自分で想像して書いているので反応が未知数でしたが、大間違いではないというリアクションをいただくことが多く、安心しています。
――朝井さんがファンダムやアイドルカルチャーに興味を持った経緯について聞かせてください。『ASAYAN』がきっかけだということをよく仰っていますが、どういうところが大きかったんでしょうか?
朝井:『ASAYAN』は私が触れた初めてのオーディション番組で、当時はただテレビの中に映し出されているものを無邪気に楽しんでいました。私が観ていた中では、つんく♂さんのプロデュースワークや、小室哲哉さんがシンガーを選ぶオーディション、CHEMISTRYがデビューする過程が特に印象に残っていますね。不思議と、どのオーディションでも歌が一番上手い人は選ばれなくて、そうじゃない人が選抜されるところが魅力的でした。その瞬間は「なんで?」と思っても、時間が経つと「やっぱりこの人だったのかもしれない」みたいになる。そこから「人の魅力って何なんだろう」というようなことは昔から考えていたと思います。
それ以降も、主にハロー!プロジェクトとあらゆるオーディション番組を追っていたのですが、2016年ごろから韓国で『PRODUCE 101』シリーズが始まり、大きな変化を感じるようになりました。それまで視聴者はテレビの中で行われることをただ眺めるしかできない受信者でしたが、視聴者投票の導入によって立派な発信者にもなった。私の身の回りでも、たとえば自分の勤め先の会社にデビューさせたい練習生のポスターを貼ったり、投票を促す動画配信を毎日実施したりと、「昨日まではやらなかったことを今日からやり始める人」が増えました。私はどちらかというと昨日までの自分で居続けるタイプで、それは人間としての大きな弱点でもあると感じていますが、そうではない身の回りの人々を見て、輝きと昏がり、その両方を感じていました。そのあたりから、自分の興味関心が、テレビの中にあるものからテレビの外で起きていることに移行していったんです。つまり、誰がデビューするかということよりも、視聴者側の行動の変遷に目が向くようになった。
時代によって移り変わっていった“オーディション番組”を通して見えたもの
――今おっしゃったここ最近の視聴者投票型のオーディション番組から、どういう時代性、どういう力学を感じ取ったんでしょうか?
朝井:最初は単純に「今っぽいな」と思っていたんです。けれど、いろいろな番組を見るうち、視聴者の行動の変遷にもパターンがあることが見えてきて、結局は歴史上で繰り返されてきた様々な出来事と同じなのでは、と思うようになりました。つまり、「今っぽい」んじゃなくて、「太古から繰り返されてきたことが“オーディション番組”という舞台で再生産されているだけ」と思うようになったんですよね。オーディション番組におけるファンダムって、言葉を変えて言うと、何かを達成したい、誰かを勝たせたいと強く願っている人間の集団なんです。本当に果たしたいことのある人間が集団になって動くと、有力な共同体同士が同盟を組んで戦況を有利に持っていったり、嘘やデマによる情報操作が始まったりする。これまで世界史で学んできたような、選挙や戦争における情報戦や団体戦の原型に当てはまりうる動きが令和の視聴者間で発生しているんです。そう考えたとき、ファンダムを土台に人間の行動力について深堀れば、今っぽくて読みやすい入口を構えながらも、人間社会や集団心理の深層を描写できるかもしれないと思いました。
――作中にはアイドルグループの仕掛け人として国見というキャラクターが登場します。彼は、ファンダムにおいて人が動く原理を自分の言葉で明確に喋ることができる存在として物語上にいると思うんです。「人がどう動くか」という原動力のようなものについて、朝井さんご自身が考えたことを、ストレートに、具象的に語ることができるキャラクターである。そういう意味で物語の軸になっているんじゃないかと思ったんですが、このキャラクターに関してはどんな考えがありましたか?
朝井:まず、今、「彼」とおっしゃったんですけど、国見が「彼」かどうかは分からないんです。これは結構重要なことで。
――そうですね。言い間違えました。すごく重要なことだと思います。
朝井:私はキャラクターを書く時に、その人の身体と世界の関係性から詳細を決めていくことが多いんです。190cmの人と150cmの人だったら夜道を歩く時の感覚が全然違うように、どういう身体の持ち主なのかというところで同じ情報でも受け取り方が全く変わってくる。そこがズレると読者も一気に「あれ?」となる気がしています。なんとなく、今はこの目線が作者の存在にも及んでいる気がしているのですが、私は「作者がこういう身体の持ち主だからこういう話なんだ」みたいな因果関係の結び方があまり好みではないので、そこからは遠ざかりたい気持ちがあるんですね。今回、なんとなく国見を作者と重ねて読む人が多いのかなと予想していて、もちろんそれだけが理由ではありませんが、国見がどんな身体の持ち主なのかということは明記していないんです。
――今、朝井さんが「彼」かどうか分からないとおっしゃったのは、本当に重要なことだと僕も思います。というのも、これは批評的な読みではあるんですが、朝井さんのこれまでの作品、特に『正欲』や『生殖記』で書いていたテーマと、国見というキャラクターのあり方に関して、どこか根底的なところで繋がり合っているような感覚があるんです。
朝井:ありがとうございます。個人的には、その前の2冊、『どうしても生きてる』や『死にがいを求めて生きているの』から、近しいテーマを書き続けている感覚があります。手を変え品を変え、どういうふうにアプローチすればそのテーマに迫れるのか、みたいなことを続けているというか。そういう意味では、今回はすごくエンタメ的なアプローチをしていますね。
――朝井さんの考えとして、『正欲』や『生殖記』と『イン・ザ・メガチャーチ』で重なり合う部分っていうのはどういったところにあると言えますでしょうか?
朝井:『どうしても生きてる』、『死にがいを求めて生きているの』も含めて、特にここ数年はずっと、人間にとっての推進力というものをテーマにし続けていると思います。
――推進力。
朝井:そうですね。生きる推進力、といいますか。
- 「衝撃を受けた宇多田ヒカルへの想い、創作活動の変化とは」
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衝撃を受けた宇多田ヒカルへの想い、創作活動の変化とは
――わかりました。ここから少し音楽の話について聞かせてください。朝井さんは宇多田ヒカルさんに思い入れがある、と。
朝井:はい。大好きです。
――以前にSpotifyでやった「宇多田ヒカル:ArtistCHRONICLE」という番組にもコメントを寄せていただいたと思うんですが、実はあの番組、ジェーン・スーさんと僕がパーソナリティをつとめさせていただいたんです。
朝井:そうでしたね! その節はありがとうございました。初めてSpotifyの本社に行けて楽しかったです。
――その時にも「Deep River」がとても好きな曲だったということをおっしゃっていましたが、改めて、宇多田さんとの出会いやその衝撃はどんなものでしたか?
朝井:「Deep River」を聴いた時は13歳で、中学1年生でした。『DEEP RIVER』が発売された時期に、CDショップの試聴機で聴いたんです。サビの「いくつもの河を流れ わけも聞かずに 与えられた名前とともに」というところに差し掛かった時、ずっと自分が抱いてたものに言葉が当てはまったような感覚があって、試聴機の前で動けないくらいびっくりしてしまって。「何、この曲!?」と。もちろんそれまでにも宇多田ヒカルさんの曲は聴いていたけれど、その感覚は初めてで、今でも忘れられません。宇多田ヒカルさんの歌詞とか、あるいは私が好んで読む小説もそうなんですけど――私は悩みが解決する話とか、痛みを乗り越える話みたいなものがあんまりしっくり来ないんですね。それは私にとって推進力が強すぎるんだと思います。まさに、「わけも聞かずに 与えられた名前とともに」、「いくつもの河を」ただ流させられているという感覚に強い共鳴を抱くんですね。宇多田さんの楽曲を聴いていると、自分にある大きな欠落を何かで埋めようとはしないで、その欠落がある景色を自分の人生だと受け入れるというイメージが湧くんです。「山あり谷あり」の「谷」をそのまま谷として見つめられる静かな逞しさって、特に当時の私にとって初めての感覚だったんですよね。そういう歌にはその後も多くは出会えていなくて、ずっと宇多田さんの曲を聴き続けています。
――その感覚について、ご自身の執筆に何らかの影響があったということは感じますか?
朝井:感じます。ただ、デビューしてからしばらくは、読者をちゃんとおもてなししようという思いがとても強かったです。まず読者を獲得しないと、とか、痛みを乗り越えるくらいの推進力を持つ話じゃないとわざわざ時間とお金をかけて読んでもらえないのでは、とか、いろいろ考えていました。芥川賞と直木賞でいうならば直木賞側の賞でデビューしたこともあり、ちゃんと起承転結ある、いわゆるエンタメ小説、大衆小説と呼べるものを書かなきゃっていう気持ちが強かったです。でも、年齢を重ねていったり、宇多田さんが作られる音楽をずっと聴き続けたりすることで、少しずつ変わっていった。痛みを乗り越えるのではなく、むしろ痛みがある状態が細やかに描かれている創作物に自分がこんなにも救済を感じるのならば、そういうテイストのものでも意外と人は読んでくれるのではないかと思うようになりました。「こんなの書いて誰が面白いと思うんだろう」と思うものに対して、だからこそ形にしてみようと思えるようになっていきました。
――それが先ほどおっしゃった『どうしても生きてる』、『死にがいを求めて生きているの』からの変化である。
朝井:そうです、それ以降くらいからだと思います。
「目に見える大衆性」と「目に見えない大衆性」
――おっしゃるように、以前の朝井さんはそこに大衆性がないという直感や考えがあったのではないかと思います。でも、そうではなく、むしろここに大衆性があると気付いた瞬間もあったのではないかと思います。そのあたりはどうでしょうか。
朝井:その通りで、昔は目に見えるものやはっきり言語化して打ち出せるもの、起承転結がきっちりあって企画書やあらすじで説明しやすい要素が大衆性だと思っていました。でも今は、そういう「目に見える大衆性」と同様に、「目に見えない大衆性」もあると思うようになりました。絶対に誰にも言えないこと、死ぬまで誰にも知らせてたまるかと心に決めていること。そういうことって、目には見えないし高々と掲げられないけれど、実は多くの人が抱えていますよね。私が宇多田さんの曲を聴いている時も、自分の中のそういう部分と楽曲の何かが響き合ってるような気持ちになるんです。
――この話を踏まえて、『イン・ザ・メガチャーチ』は、今おっしゃった「目に見えない大衆性」と、ファンダム経済がテーマであるという時代性においての「目に見える大衆性」が、両方ある作品だと思いました。
朝井:それを目指していたので、すごく嬉しいです。前作『生殖記』は、さすがに小説として読みづらすぎたのではないか、という反省があったんですね。その後にすぐ『イン・ザ・メガチャーチ』の連載が始まったんですけど、反動もあって、もうちょっと小説として面白がっていただけるものを書きたい気持ちがありました。『イン・ザ・メガチャーチ』は、わかりやすいあらすじや掲げやすいテーマもあるけれど、同時に「目に見えない大衆性」を捉えることも意識していました。

――音楽の話に紐づけるならば、『ASAYAN』でオーディション番組に夢中になった子供の頃の朝井さんと、宇多田ヒカルの「Deep River」に撃ち抜かれた朝井さんの両方が、1つの作品の中にいるというような、そんな感じを読んで受けました。
朝井:そうですね。一見ポップでカラフルなんだけど、よく見たら1個ずつは変な色だったみたいな。そういう作品を目指しました。
予想外に反響があった「視野」というキーワード
――作品の中でのキーワードでもある「視野」についても聞かせてください。「視野の狭さをあえて選び取る」っていうのが、すごく現代的なテーマだなと思ったんですが、ここに関しては、本を出した後の反響も含めてどんな風に感じていらっしゃいますか?
朝井:書き始めたのが2022年ということもあって、執筆中は発売付近の社会の状況を想像できていなくて。なので、今「視野」というキーワードに多くの反響をいただいているのが意外な気持ちもあります。この本を出版した後に宗教学者の柳澤田実さんと対談する機会をいただいたのですが、柳澤さんはアメリカのメガチャーチを研究されていて、そこでも「実際に行動を起こしている」という点で宗教右派に若者の注目が集まっているというお話をうかがいました。プラスかマイナスかは一旦置いておいて、何かしら行動はしているという、絶対値が0から数字が離れているということ自体が重視される感覚に国境は関係ないのかもしれないと、その時に感じました。
――これも批評的な読みではあるんですが、僕は米津玄師さんの最新曲の「IRIS OUT」についてのインタビューをさせていただいていて。あの曲は『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌ですが、米津さんはそれと同時に、推しという文化について考えることがあって書いたと仰っていた。「IRIS OUT」というのはまさに「視野狭窄」という意味が込められているタイトルなので、実は『イン・ザ・メガチャーチ』と「IRIS OUT」は、どちらも視野の狭さを書いた作品という風に結びつけることができる。偶然の一致かもしれないですが、推しやファンダムカルチャーに向き合うと、モチーフとして掴み取るものが共通するのではないかとも思いました。
朝井:そのインタビュー、私も拝読しました。性愛的な要素を脱臭した結果としてできた言葉が「推し」なのでは、みたいに話されていたものですよね。たしかに何かをウォッシュするという目的で新しい言葉が生み出されることは多いと思いますし、『イン・ザ・メガチャーチ』では異性のアイドルを応援する異性愛者の語り手が出てきますが、その語り手が対象を「推し」と定める理由として、恋愛感情を意識的に排除しているんです。なので、すごく共感するインタビューでした。あと、何かしらの文化について考えることがあって書いた、という語りも興味深いです。今の社会を覆う文化や現象そのものに注目すると、今、自分たちは何の上に立っているのかっていうことを要素分解していくことになる。フィクションって、その文化や現象の上で何かを果たしたり達成したりする人の道程を描くものではあると思うのですが、私は今、土台の要素分解のほうにロマンを感じてしまっているんですよね。「でもそれだと誰かの背中を押すような物語にはならないんだよな」とか思うんですけど、そのような作り手は意外と多いのかもしれないですね。
――「IRIS OUT」の歌詞には「蕩尽」という言葉があるんです。「使い切る」とか「すっからかんになる」という意味の言葉で、これも実は『イン・ザ・メガチャーチ』で国見というキャラクターが言っていた「皆、自分を余らせたくないんです」という言葉と不思議とリンクしている。そういうところの共通点もあるように思います。
朝井:確かにそうですね。調べてみたら、発売日もほぼ同時期なんですね。10年くらい前、『何者』という作品が映画になった時に、米津さんに主題歌の「NANIMONO(feat. 米津玄師)」を担当いただいて。米津さんの中でそれがどれくらいの記憶として残っているかは全くわからないですが、私は、小説の内容に共感する部分が多かったというコメントも含めて、当時のことをよく覚えています。それから約10年を経てキーワード的に重なる部分があるというのは、私はなんだか励まされます。同時多発的に全然違うジャンルで、「これってこういうことなのかな」と気になっていたことがテーマになっている作品が出てくると、勝手に嬉しい気持ちになるんです。
出版業界では異例の、コンテンツスケジュールを出した結果は?
――『イン・ザ・メガチャーチ』の発売近辺のプロモーション戦略についても非常に興味深く見ておりました。コンテンツスケジュールをしっかりと設定して、露出を設計する。ここには出版業界ではなくK-POPやアイドルカルチャーの作法を参照してるような印象があったんですが、ここについてはどうでしょうか?
朝井:私は出版業界とは全く異なる業界での社会人経験があるんですけど、そのとき、こっちではこんなに前宣伝をするんだ、と思ったんですよね。出版業界にいると、「いい作品は口コミで広がります」っていう、他の業界では最後の望みみたいになっている部分が1手目に来ちゃったりする場面も目にします。本に関する前宣伝について、もう少しやれることがあるんじゃないかとは常々思っていました。でも、作家がたくさん表に出ること、本文以外の情報がたくさん世に出ることで削がれるものも確実にあるとは思っているので、何とも言えなかったりもする。ただ、今回は『イン・ザ・メガチャーチ』というタイトルでこういう内容なんだから、コンテンツスケジュールを出すということも含めて面白がってもらえる予感がありました。
アイドルの世界って、いつしか鑑賞者にとっての福利厚生がものすごく整ったんです。例えば新曲が出るとなったら、まずティザーが出て、MVが出て、その後パフォーマンスビデオが出て、ダンスプラクティスが出て、リリックビデオまで出たりする。メイキングやビハインド、多言語字幕は当然、みたいな。でも小説の世界って、出版社ごとの公式アカウントはあるにせよ、自分から情報を取りに行かないと何の情報にも触れられないことも多いんですね。アイドルの世界の福利厚生を少しでも小説に搭載してみたいと思って、多くの方々の協力のもと、チャレンジしてみました。
――手応えはいかがでしたか?
朝井:正直、コンテンツスケジュールを出した時にもうちょっと出版業界の外に情報が拡がってくれるかなと期待していたんですけど、その時点ではあんまり、でした。でも、「なんか変なことやってるな」みたいな反響は徐々に増えていって、最終的に金髪にしたことで「え?」「何?」という目線を多少は集められたと感じました。だからアイドルってカムバックのたびに髪色やスタイルを変えるんだな、と勉強になりましたね。アイドルの運営やファンダムって、大衆のインプレッションを集めることに関して、本当に最先端にいると思います。様々な背景を持つ人々とこれまでの歴史による集合知なんです。今回は、若干文化の盗用のようなことをしてしまいましたが、本もこれくらい前宣伝に力を入れてみてもいいんじゃないかな、と思いました。

――こういう質問をさせていただいたのは、ビルボードに掲載されるインタビューでもあるからなんです。ビルボードジャパンではブックチャートを始めましたが、それは本という分野が音楽と同じポップカルチャーであるという認識が広まるきっかけになるのではないかと思います。朝井さんとしては、ブックチャートをご覧になっての所感はいかがでしょうか?
朝井:そもそも私は「チャート」というものが大好きで。特に昨今のビルボードの、フィギュアスケートぐらいルールを変えながら、それこそ「文化」を反映したチャートを保とうと奮闘する様子をずっと追っています。そんな中、小説の世界とか文芸の世界って、今「購入者が商品を1つ買う」という計算式が成り立つかなり珍しい世界なんじゃないかと思っていて。そのうえで、図書館の貸し出し数等も含めたチャートになっているという話なので、私は一人のチャート好きとして嬉しく、そして興味深く思っています。ただ、単行本と文庫だけは別のチャートに分けて欲しい! 価格帯が全然違いますし、出版業界の人間は単行本と文庫をかなり別物と捉えている気がするので、そこだけ注文しておきたいです。
――なるほど。
朝井:あと「Heisei Books」とか「Reiwa Books」というカテゴリは、今までなかったですよね。有吉佐和子さんの昨年のブームについても、いわゆるベストセラーのランキングに乗っているすごさももちろんあるんですけど、やっぱりそれだけだとどういう文脈なのかわからない。それが「Heisei Books」として一覧で分かるって画期的ですよね。芥川賞や直木賞がある一方で本屋大賞もあるみたいな感じで、別の価値基準が生まれると業界が活性化されるじゃないですか。そういう意味でも、ビルボード文芸チャートというものが生まれた意義を大切に受け止めています。
――わかりました。最後にライトな質問をさせてください。朝井さんは新しい音楽、気になるアーティストに、どんな風に出会ってますか?
朝井:今は、音楽好きの友達同士で互いのおすすめを教え合う、というのが一番の情報源ですね。本当に、学生時代ってどうしてあんなにも何もしてなくても新曲の情報を手に入れられていたんだろうって思います。今よりもヒットチャートを注視していたし、今みたいに能動的にならなくてもガンガン新曲をチェックしていました。今は、自分が昔聴いていた曲ばっかり聴いちゃって嫌になります。結局自分も、子供の頃に訝しんでいたような、歌番組を観るたびに「誰?」って言ってるような大人だったんだっていうショックに見舞われています。


























