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NIKIIE 『*(NOTES)』インタビュー
NIKIIEの1stアルバム『*(NOTES)』が良い。想像以上に良い。只者ではない予感はしていたが、それは今作で確信に。また、アルバム収録曲たちの生い立ちを知って、今作に確かなエモーションと意志が根付いている理由を理解した。保育園時代から抱えていたトラウマとも、他人を信じられなかった日々とも、被災した故郷や家族とも向き合い、ここに発信されることになった『*(NOTES)』について。NIKIIEは真っ直ぐな目で語ってくれた。
文中にある“*”の実際の位置は上側
価値がないと思われる怖さより何より、届けたい
--4月20日に今回のアルバムにも収録されている『紫陽花』を無料リリースしました。その経緯と理由を改めて聞かせてください。
NIKIIE:元々『紫陽花』は3rdシングルとしてリリースしたいと思っていたんです。それは「しっかりと想いを伝えられる人になりたいな」っていう気持ちが込められた、私にとって芯になっている曲だったからで。だから1st、2ndで“私”という人を知ってもらってから投げ掛けたいなと思っていたんです。でも3月11日に大震災があって、実家が茨城県北部にあるので、家族と連絡が取れなくなる時期もあったんです。そんな状況では音楽のことを考えられなくなったというのが正直なところで、その後に「音楽は今必要なものなのかな?」「私の歌う意味ってあるのかな?」って悩み出しちゃったんですよね。
--そうなりますよね。
NIKIIE:でも、余震が酷かったからマメにお母さんと連絡を取っていたら「みんな精神的に疲れてる。だけど、こういうときだからこそ、あなたは歌いなさいね」って言われて。それで『紫陽花』をリリースしたいと改めて思えたんです。ただ、地元のCD屋さんも開いていなかったし、今でも地域によってはCD屋さんが開いていない状態だと思うんです。『紫陽花』という曲は特別な日のことを歌っている訳じゃなくて、本当に些細なことを歌っているので、温かい気持ちになるきっかけになってほしい願いがあったので、携帯電話の充電が出来て、電波さえ入れば、この曲を受け取ることが出来る無料配信という形を取ったんです。でも形に残したかったから、当初のリリース日だった5月25日からCDも無料配布もすることにしました。
--自分にとって大切な曲を無料で出してしまうことに抵抗はなかったんでしょうか?
NIKIIE:最初はありました。“無料”という言葉が付くことによって、価値がないものだと思われるのが怖かったというか。1stシングル『春夏秋冬』のレコーディングが始まった去年の今頃から『紫陽花』の制作も始まっていたし、とにかく時間をかけて「どうやったらこの歌詞が一番響くだろうか」ってアレンジを考えたりとか、みんなで育ててきた気持ちもすごく強かったので。でも価値がないものだと思われる怖さより何より、この曲を被災地にいる方にも届けたいという想いが強かったんですよね。
--結果、1か月で15万ダウンロードを突破。その報せを受けてどんなことを思いましたか?
NIKIIE:何かを強く感じたりはしませんでしたね。数じゃなかったので、自分が望んでいたものは。でも結果としてそういう数字になったのは嬉しく思います。
--その『紫陽花』も披露した初めてのワンマンツアーは、自身にとってどんなことを感じさせる体験となりましたか?
NIKIIE:4月頭からのツアーだったので、まず「ライブをやれるのか」というところから始まって。でも「心の中に少しでもやりたい気持ちがあるなら、やるべきだ」と思って。すごく勇気が入ることだったけど、その日を楽しみにしてくれていた人もいる訳だから。ただ、環境が1日1日変わりすぎていた時期じゃないですか。だから正直何を伝えていいか分からなかったし、自分も受け止めきれていない部分もあったから、本当に不安でいっぱいでした。でもステージに立って、来てくれた人の顔を見たら、それだけで良かったというか。歌っているのは私だけど、みんなに背中を押されている感じがしましたね。
--現在の心境はいかがですか?
NIKIIE:まだ音楽というものに向き合えない人もいるかも知れないけど、私はこの3ヶ月の間に歌の力や音楽の力を知ったし、本当に人それぞれ価値観が違うことも分かったし。「なんでそうなの?」って怒りを覚えることもたくさんあったし、逆に自分の意見に対して怒りを覚えられていたことも多分あったと思うんです。でもそういう混乱の中でも根っこの部分を繋いでいけるのは「音楽なんだな」ってすごく感じたんです。音楽は理論じゃなく想いの部分で繋げていけるって。だから今は「歌っていこう」と思っています。
--個人的には、今、どう過ごしていくべきだと思いますか?
NIKIIE:それぞれがそれぞれの環境で、後ろめたさを感じないで生きていくべきだなって思います。自分も最初は後ろめたさが凄かったというか、こんな狭い日本だけど物凄い温度差があったから戸惑ったし、そこで普通にしている自分にもすごく戸惑ったし。だけどその温度差も受け入れて、自分の今目の前にあることだったり、今出来ることをやっていくことが、被災地の方々にとっても必要なモノや場所になっていくと思う。それを今俯きながら生きることで無くしてしまってはいけないなって。
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
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