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<インタビュー>名無し之太郎がメジャーデビュー、「我儘」で表現する“名前のない私”

インタビューバナー

Interview & Text:上野三樹
Photo:筒浦奨太


 北海道出身のギターレス4ピースバンド、名無し之太郎。高校時代に撮影された演奏動画が話題を集め、昨年10月に「融界」をプレデビュー配信、2月21日に3か月連続デジタルリリース第1弾となる「我儘」をリリースし、メジャーデビューを果たした。ジャズやフュージョンをルーツに持つ二瓶(Dr.)が作る楽曲とアレンジ、幼い頃から童謡を学んできたという林(Vo.)の歌と歌詞による化学反応を、高橋(Key.)と中野(Ba.)が加わったバンドサウンドで華やかにスリリングに仕立てていく。今回のインタビューではバンドの成り立ちやそれぞれの音楽経歴、曲作りについても語ってもらった。

 左から:中野(Ba.)、林(Vo.)、二瓶(Dr.)、高橋(Key.)

名無し之太郎を結成するまで

――名無し之太郎、というユニークなバンド名ですが。これはどなたのアイデアだったんですか。

中野:僕たちが軽音部でバンドを結成した高校2年生のときに、バンド名を何にしようかと話していたんですね。その当時、僕のあだ名が「太郎」だったんですよ。この「太郎」には特に深い理由はないんですけど、それを入れたいねという話になって。

高橋:ちょうどその頃、2ちゃんねるのまとめみたいなネット記事を見ていたら「風吹けば名無し」みたいな感じで「名無し」という言葉が繰り返し出てきて。「名無し」と「太郎」2つの言葉が奇跡的に合致して「名無し之太郎」って面白いんじゃないかと思ってグループLINEに送ったら、そのままバンド名になりました。


――皆さん、音楽ルーツはバラバラだということですが、この名無し之太郎を結成するまでの、それぞれの音楽経歴を教えてください。

高橋:母親がピアノの先生で、自分も小さい頃からクラシックピアノをやっていました。でもひとりで弾くのが好きじゃないなと感じて小学生くらいでやめて。中学の頃は合唱の伴奏や、楽器が弾ける友達と一緒に演奏したりしながら音楽は続けて、高校でバンドがやりたいなと思って軽音部に入りました。小学校の高学年くらいの頃にSEKAI NO OWARIを聴いて、それまでピアノ=クラシックというイメージしかなかったから、バンドの中でこんなふうにピアノを弾くことができるんだっていう新しいイメージが沸きました。

:私も母親がピアノの先生で、父は仕事をしながらシンガーソングライター的なこともやっていたので、小さい頃から音楽はずっとそばにありました。2歳くらいからリトミックやピアノ曲室に通っていたんですけど、ピアノがちょっと苦手で。先生に「コンクールに出ない?」って言われたときにピアノじゃなくて歌で出たいと言って、童謡のコンクールに出ました。そこから歌の先生にもついて、小学校3年生から6年生まで童謡でいろんな大会にでて、舞台で独唱をしていました。なので私のルーツは童謡です。ずっと歌が好きだったので高校になったら軽音部に入ろうって決めていて、バンドで歌うことは私にとって新しい世界への挑戦でした。

中野:僕は他の3人とは違って音楽経験がほとんどなくて。小学校でリコーダーが得意だったり、中学で太鼓の達人にはまったりしたくらいだったんですけど。高校で友人に軽音部に誘われて、流れでバンドを組むことになって、たまたまベースになったという感じです。でもベースを弾いてみたら楽しくて、幼少期から音楽経験のあるメンバーについていくのに必死でしたけど、人にも教わったりしてスキルアップを重ねています。

二瓶:僕は小学3年生の頃にヤマハの音楽教室でドラムを習い始めたのが最初です。それまでいろんな習い事をやっても続かなかったんですけど、ドラムは珍しく続きました。中学校では吹奏楽部に入り、担当はパーカッションだったんですけど、指揮もやるようになってからはスコアに触れたり、吹奏楽の理論の本とか読んだりして独学で勉強しました。家ではギターやベースといった弦楽器も弾くようになり、高校では吹奏楽部と軽音楽部の両方に入っていて、このバンドでオリジナル曲をやることになったので特に知識もないまま作曲を始めました。



――そんな4人が軽音楽部でバンドを組んだのはどんな流れだったんですか。

高橋:もともと僕と中野が別のバンドを組んでいたんですけど、コロナ禍の影響で解散してしまって。それでも音楽活動がやりたかったので二瓶に「一緒にやろう」って声をかけました。

二瓶:僕と林は1年生の頃からバンドを組む相手がいなかったのでアコースティックでやっていたんですけど。そこに高橋と中野の2人が入って、4人でバンドを組むことになりました。北海道は「全道高等学校軽音楽新人大会」っていうのがあるんですけど、まずはそこに出場することを目標に活動を始め、オリジナル曲を作りました。

:ライブハウスで活動したいねっていうよりも、とにかくその大会で賞が獲りたいねってことで組んだバンドなんです。私たちが在学中に2回出場できたんですけど、一応どっちも全道大会で賞をもらって全国大会に出ました。

二瓶:全道大会はZepp Sapporoで演奏できる予定だったんですけど、コロナ禍で映像審査になって。その動画が2時間近くあるんですけど、たくさんの方に観てもらうことができました。

高橋:地元にいる時はコロナ禍でライブ活動がほとんどできなかったので、その動画を通じて声をかけていただいて今がある感じです。


――林さんが作詞、二瓶さんが作曲・編曲を担当されているということですが、いつもどんなふうに曲を作っているんですか。

二瓶:もともと林が歌詞を書きだめしてくれているので、それをもとに作曲していくんですけど。林とは家が遠いので電話をしながら1日で8時間くらいかけて1曲作ります。

:だいたい前日とかに「曲作らん?」って連絡がきて、昼の12時から夜8時とか9時位まで電話繋ぎっぱなしで作っていきます。



――大変そうですけど、歌詞が先にあるのに林さんを作曲につき合わせる必要あるんですか?

二瓶:林がいるとはかどるんですよ(笑)。

:監視の目ですかね(笑)。途中で「ここはどう?」みたいな感じで聞かれて「もうちょっとこういうメロディ展開にして欲しい」みたいなことを言ったり。

二瓶:楽譜に起こすんじゃなくて、思いついたいろんなメロディーを聞かせて直しての繰り返しです。

:私が書いた歌詞に予想外のメロディがついたりすることもあるんですけど、それも楽しみのひとつというか、私たちの楽曲の醍醐味のひとつだと思っています。

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  1. 「言葉を探している時間はすごく楽しい」
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「言葉を探している時間はすごく楽しい」


――昨年10月にプレデビュー配信された「融界」が高校生時代に作った1曲目ということですが、名無し之太郎のどこかミステリアスだけど聴き心地の良い豊かな音楽世界が伝わってくる楽曲です。かなりの手応えがあったんじゃないですか。

二瓶:大会の本番前のギリギリに作ったので、曲ができた喜びを感じるような余裕もなかったですね(笑)。

:「もう間に合わない! これでいいよね!」って。

高橋:安堵に近い感情というか。

中野:宿題を提出するような感覚で(笑)。


――そうだったんですね。「融界」は<僕は誰?><名前なんていらない>なんてフレーズが歌詞にあるように「誰でもない自分」というテーマを感じます。ここに込めた想いはどういうものでしたか。

:名無し之太郎として初めて作る曲だったので、バンド名に合わせた内容にしたいなと思って。私としても初めての作詞で勝手がわからないので、名前のない私、というのはどういうことかを考えながら書いていきました。結果的には、私たちの最初の一歩としてふさわしい曲になったんじゃないかなと思っています。



「融界」リリック・ビデオ


――2月21日にはメジャーデビュー曲「我儘」をリリースされます。この曲もエモーショナルな熱量に満ちたアレンジとサウンドが特徴的ですが、どんな制作でしたか。

二瓶:1曲目の「融界」の半年後くらいに作ったんですけど、1曲目を踏まえた改善ができた、僕の中では結構満足のいく作品になりました。フュージョンやジャズの要素も取り入れられたし、<らいらいらいらい>のところがそうなんですけど、林にこういう歌詞がほしいって頼んでた部分も入っていて、全てが思い通りに出来上がったんです。だから今作っている曲も、「我儘」から派生しているというか。この曲が常に根底にあります。


――「我儘」は鍵盤の音色も曲の途中で変化したり、ギターレスバンドだからこそ鍵盤の静と動で作れるドラマがあるなと感じました。

高橋:最初は全部エレピで弾く予定だったんですけど、アレンジの段階でピアノの音を使ったほうがカッコよくなるかも? ってなったんです。

二瓶:めちゃくちゃ難しいんですよ、ギターレスバンドでアレンジを組んでいくのって。でも逆に僕はもうこれしかできなくて、一生ギターレスの曲を作り続けるんだなと思っているくらいです。さっき「静と動」と言ってくださったように、ピアノは喋る楽器って言われるくらい感情豊かな楽器なので、それを前面に出してる曲を作り続けるうちに、まさにこれが名無し之太郎っぽさだなと思うようになりました。僕自身はピアノが弾けないのでマウスで1音1音打ち込んでアレンジを作っていくのは大変なんですけど、最近ようやく人間が弾けるように修正することができるようになってきました。


――というのは高橋さんが「これはちょっと弾くの厳しいな」っていうアレンジになってるときもあるってことですか。

高橋:そうですね、そういう場合は自分が弾けるフレーズにこっそり変えるんですけど(笑)。でも僕も以前は、完全に打ち込みで作られたアーティストの曲をピアノでコピーしたりしていましたから、鍛えられた部分はあるというか。それに比べたら人道的な配慮はあります(笑)。



「我儘」


――そして林さんの書く歌詞は生きづらさや閉塞感のようなものが背伸びすることなく等身大の感性で綴られているなと思います。もっと言うと音楽の中でメッセージをしているというより、SOSを出しているようにも感じました。

:私自身は他人に何かを求めるような意図はなく書いていたんですけど。でも今、そういう考え方もあるんだ面白いなって気づかせてもらえました。私の主張に感じる方もいらっしゃると思いますし、風刺的に捉えられることもあります。


――林さんが歌詞を書くことは自分と向き合うような作業ですか、それとも作家として楽しんでいる部分もありますか。

:言葉選びが好きなので、言葉を探している時間はすごく楽しいですし、パッと思いついたことを書いたりして、1時間で出来上がる歌詞もあります。その時々で自分が考えていることを、歌詞を通して整理して、それを楽しみながら文字に起こしていく作業が私の中での作詞です。だからメンバーに「こういう言葉が欲しい」とか言われると更にアイデアが浮かんで、新しい視点でのアウトプットができます。



――これからも色んなタイプの曲を聴かせていただくのが楽しみです。いよいよメジャーデビューして、3か月連続リリースなどもありますが、今後のバンド活動への意気込みや楽しみにしていることを教えて下さい。

高橋:とにかく1人でも多くの方に僕たちの音楽を聴いていただきたいなという思いが強いので、楽しみなことは、ミュージック・ビデオなどの再生回数の数字が伸びてくれればいいなって(笑)思っています。

中野:僕たちのバンドってボーカルを聴かせるバンドだと思うんですけど、ボーカルを際立たせつつ光るベースのフレーズを常に考えていて。名無し之太郎の活動を通じて、リスナーの方たちがベースという楽器をもっとカッコいいと思ってもらえるようなプレイをしたいし、そこに挑戦していきたいです。

二瓶:僕は夢想家なので、将来的に名無し之太郎の音楽がひとつのジャンルになればいいなと思っています。例えばどういう曲を作ろう?ってなったときに、槇原敬之さんみたいなとか、宇多田ヒカルさんっぽい曲とか、今でいうレジェンドたちの名前が挙がるじゃないですか。そういうときに僕らの名前が挙がるようなバンドになりたいし、新しいジャンルを作っていきたいです。

:私の個人の目標としては、バンドのうち誰かひとりが知られているのではなく、高橋、二瓶、中野、林のそれぞれの名前とパートを皆さんに覚えていただきたいっていう思いが強くて。そういうバンドにしたいという願いがあります。私たちは今、ライブを重ねるごとに変化していっているので、これからも変わっていくことを純粋に楽しんでいけたらと思っています。


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