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<連続インタビュー:第1回>“オフコースを最も知る男”が語る、1982年6月30日の真実



 1982年6月30日、オフコースは前人未到の武道館10日間公演の最終日を迎えた。それから40年後の同じ日同じ場所で、同じ曲目がオーケストラと珠玉のシンガーたちにより甦る……

 2019年に制作されたアルバム『オフコース・クラシックス』の発売記念コンサートとしてスタートした【オフコース・クラシックス・コンサート】。2021年は東京/福岡/名古屋/大阪/横浜の5都市を巡るツアーとして開催され、各地で様々なアーティストが熱演を繰り広げた。そして2022年、伝説の地・武道館に舞台を移して集大成のコンサートとなる【オフコース・クラシックス・コンサート2022・6・30 -in Budokan-】の開催を前に、複数回にわたりオフコースにゆかりある方々に話を訊いていく。今回は長年オフコースを担当し、1982年の武道館公演にもスタッフとして立ち会っていた柿崎譲志にオフコースとの出会い、そして魅力を語ってもらった。

オフコースとの出会い

――まずは柿崎さんとオフコースの出会いから教えて下さい。

柿崎譲志:オフコースを最初に聴いたのは、学生時代にソニーミュージックでアルバイトしていて、その時先輩から「日比谷野音で色々なアーティストが出るコンサートがあるから手伝いに来い」と言われて行ったらオフコースも出演していて。「何これ!日本のグループでこんなにハイセンスで洒落た音楽をやるグループがいるんだ」ってビックリして、噂には聞いていましたが凄いと思いました。それが1976年で、翌年にフジパシフィック音楽出版(以下フジパ)に入社して、オフコースを担当することになります。

――フジパに入社してすぐにオフコースの担当になったのでしょうか。

柿崎:そうです。入社したら「うちの会社でオフコースの原盤とか色々やってるんだよ」って教えられました。「秋の気配」(1977年)をスタッフみんなで会議で聴いた時、「これ、売れるんじゃないか」みたいな話になって。特別派手な曲ではないのですが、何か不思議な魅力があって、二人ならではのハーモニーが美しくて個人的にも「すごくいい曲だな」と思いました。ある時、会社に小田さんが来ていて、僕は先輩から当時のオフコースの所属レコード会社の東芝EMIに届けものをして来いと言われて、ちょうど小田さんも東芝EMIに向かう予定だったみたいで、小田さんの車に乗せてもらったんです。車の中で、何か話さなければと思って、緊張しながらも「小田さん、最近ストリングスとかブラスのアレンジもご自分でやられているみたいですけど、どこかで勉強されたんですか?」って聞いたら「君の高校では音楽の授業、なかったの?」って言われて、「うわ、嫌な人だな~」て思っていたら、入社して3~4か月後に担当になりました(笑)。それからライブやレコーディング、あらゆる現場に行き特にベースの清水仁さんには仲良くしていただきました。

――少しずつオフコースの音楽が広がってきていた時ですね。

柿崎:当時田園調布に田園コロシアムという5~6000人入る野外テニスコートがあって、そこで色々なアーティストがコンサートをやっていて、オフコースも1979年8月にやったのですが、それを観に行って「愛を止めないで」(1979年)のイントロが流れた時に、満員のお客さんがワーッて沸いたんです。その時に一緒に観ていたフジパの先輩が「柿崎、売れたぞ」って涙を流していて、それが印象に残っています。

――2人から5人体制になるという大きな変革期があって、サウンドが変わってシングル「愛を止めないで」のジャケットは、5人のライブ写真使われていました。

柿崎:(大間)ジロー、松尾(一彦)、ヤッさん(鈴木康博)はロック志向で、特にヤッさんはボストンとか大好きでした。どんどん音がそっちの方向にいって、大きかったのは小田さんがボズ・スキャッグスの『Middle Man』(1980年)というAORの名盤を聴いて、その音に感銘を受けて「すげぇこのエンジニア、連絡とれないか」ってなったことでした。会社の上司を通じてビル・シュネー氏(『We are』『over』『I LOVE YOU』のエンジニア)にコンタクトをとりました。それで『We are』(1980年)につながって、当時のウエストコーストサウンド色が強くなっていきました。その『We are』のトラックダウンで僕も一緒にロスに行って、それでメンバーとより親密になれました。

――少しお話が前後しますが、1979年に発売した「さよなら」で大ブレイクして、ツアーの規模もどんどん大きくなっていきました。

柿崎:やっぱり最初からレコード、CDが売れる人と、ライブが魅力的で少しずつ動員を増やしていって、世間に広がっていくアーティストがいると思いますが、オフコースを後者ですよね。1973年頃からライブをはじめて、「オフコースの小さな部屋」(1975年)とか色々な企画ライブを重ねて、その音楽の良さがシングルやアルバムを出すたびに広がっていきました。今思えばアルバム『over』のあたりまで、本当に一緒になって走り抜けたような印象です。『over』のツアーで日本武道館10daysをやると聞いて「とうとう、ここまで来ちゃったな」と、感無量になったことを覚えています。

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