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<完全版インタビュー Part.2>時代、そして自分自身と向き合いながら。ポップミュージックの最前線を更新し続ける、2020年代の宇多田ヒカル
2021年6月2日に公開した「今」の宇多田ヒカルに迫ったインタビュー(https://www.billboard-japan.com/special/detail/3186)。今回、そのインタビューの完全版が、ビルボードジャパンに到着した。Part.1、Part.2の二部に分けて、公開する。
Part.1 インタビュー:https://www.billboard-japan.com/special/detail/3241
普遍性とは「人間みんな同じ」ということ。
人間であること自体で、そこに共通言語がある。
ーー(その時代に熱を帯びている音楽の)まねっこはつまらないですが、そこからどのくらい離れるかという、絶妙な距離感のバランスにセンスが反映されますよね。
宇多田ヒカル:凄く簡単に言うと、はっきりと一貫している私の趣味が、ちょっとだけ変なものが好きなんですよね。服とかもベーシックなものを基本的には着るんですけど、「この柄すごく変!何このソックス!」と思って気に入って履いてると友達の家に行ったときに「それすごいヒカルっぽい」って言われたりとか。自分が作った音楽にもそういう意味でまずは愛着を感じないと(嫌だし)、私が感じる愛着とか魅力っていうのはプリントとか絵でも何かちょっといびつで変な感じ、(例えば)子どもが書いた絵をどうにかしたんじゃないかみたいな、不思議なものが好きですね。それが単に音楽にも出てるんじゃないですかね。でも、一方で私の中の普遍的なものへのアンテナも変わらない。ちなみに私が思う普遍性とは、「人間みんな同じ」ということです。みんな自分の感情が特別なものって思っているけど。運動したら汗をかくみたいなもので、どういうインプットに反応するかというのはそれぞれ違うかもしれないんだけど、どういう時に嬉しいか悲しいかという気持ち自体は地球上のどこで生まれどういう環境で育とうがみんな同じ。そもそも誰かに愛されないと生存できない、赤ちゃんの時から一人では生きられないという人類の共通したものがあるわけで、私が思う普遍性はそこですね。人間であること自体で、そこに共通言語がある。で、そこに私の個性が音楽に色濃く出ているのが、「ちょっと変」としか説明のしようがないものなんですけど(笑)。ちょっとかわいそうな感じとかちょっといびつな感じとか、違和感を起こすような変てこりんなものが好き。
ーー「人間みんな同じ」というのは、ポップミュージックを歌ってきた宇多田さんの言葉としては非常に重みがありますね。
宇多田ヒカル:やってきたからそう思うっていうのもあるし…15、6歳で有名になって、色んな、全く知らない人たちからたくさんのリアクションを一斉に受ける側になったわけじゃないですか。今は掲示板とかSNSとか、みんなが「本当に見られているという」実感のない状態でそういうのを吐露する。パーソナルな発信というのは昔よりも他人の目に見えるところでされるようになっているとは思うんですけど、なぜか他の人の気持ちを思いやる感覚…何て言うんだろう…共感性?は高まっている気がしないんですよね。見ていて、そこは不思議なんですけど。私は昔、色んな人のファンメールを、それこそ「お前なんて死ね」みたいなのも含めて、常に見てたんですよね。デビューしたちょっと後ぐらい。で、その時に思ったのは、「これは私に宛てられてはいるけれど、私じゃなくてもいいなと。私じゃなくても誰かにこういうのを届けたかったんだろうな」っていう…その時私はメディアの露出もいっぱいあったし目立ってたから。もちろん音楽を聴いて感情移入してくれたり、何かを受け取ってくれた人がリアクションしてくれてるっていうのもいっぱいあるんですけど。でも顔も見えない状態でそういうものを見てると、「こういう曲を書いたらこういう人たちが共感するだろう」じゃなくて、私が凄く凄く正直に出したものに対してこれだけ大勢の共感してくれてる人がいる、こんなにリアクションしてくれる、ことを大事に捉えようと。でもそれって当然のことじゃないですか。私は自分の苦しみもみんなと同じ苦しみと思うことでやってこれたと思っているので。それは子どもの頃から大事にしている感覚です。
ーーそれは、もしかしたら皆がたどり着ける境地ではないのかもしれないですけど…うん…なかなか…重いものがありますね…。
宇多田ヒカル:想いですからね(笑)。偶然じゃないですよ絶対!重いと想いは同じ。
ーー(笑)。 普遍性と違和感のバランスについて、音楽を例に具体的に聞かせてください。宇多田さんは楽曲において、普遍性を追求しつつもどこかに違和感をこっそり仕掛けられますよね。ちょっと変で引っ掛かる部分をほんの少しだけいれないと気がすまないような(笑)。確実に意図されているであろうリズムの微妙なズレ、遅れてくるドラム、一向に入らないと思っていたら焦らして焦らして一番気持ち良いところで入ってくるスネア。その普遍性と違和感のバランスというのは、センスであって言語化できるものではないかもしれないですが、どうお考えでしょうか。
宇多田ヒカル:荒唐無稽な、どうやってバランスとるんだろうって思われることかもしれないけれど、実は音楽は凄く物理的なもので。波形にできるし、周波数で考えたり質感で考えたり物量感で考えたりもできる。私は凄く球体を目指したがる人なんですけど。粘土で形を作っていてそれが倒れないものにしたいのかとか、真ん丸で浮いてる球体にしたいのか、綺麗なベルベットみたいな質感の布が上に載っているような感じなのかとか、そういう目指すところの球体のバランス感があるんですが、そういうのって片足で立つみたいなのとあまり変わらないイメージですかね。あらゆる要素の配分に気をつけていれば、全体的に自然と目指すバランス感のものになっていくと思うんですね。予測できる部分とできない部分、「曲の中で一回だけあってもなんか狙った感じになるしなぁ」とか、どのくらいの頻度とか配分で違和感を混ぜていくかというのを各要素で考えていって、要素同士の関係も配分で考えていくことをしています。例えば、『Time』なんかは違和感が目立つ曲ですよね。従来四拍目に入るはずのスネアがちょっと遅れて入る。そこになんか難解な…アシッドジャズみたいなコード展開とかが乗ると、(スネアのズレもコード展開も)どっちも予測できない。今度は違和感が危機感になってきちゃって不快になる。私のバランス感覚の指針は「気持ちよさ」ですね。気持ち良いと思えるのが、私にとってはちょっと違和感がある(状態)。なさすぎると、単調で気持ちよくない。もしくは一瞬気持ちよくても薄れちゃう。言葉もその一つの要素で、凄く聴きいらないと分からない歌詞にいっぱい違和感がある音楽を合わせても訳が分からないし、音楽って一歩間違えるとカオスになる。逆に振りきれちゃうとつまらない。その間にスイートスポットがあって、そこが私が思う「ちょうど良い違和感」ですかね。
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