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【特集】不安な日々に安らぎを――“現代最高のチェリスト”ヨーヨー・マ 最新作『ソングス・オブ・コンフォート・アンド・ホープ』



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 “現代最高のチェリスト”ヨーヨー・マが盟友キャサリン・ストットと完成させた最新アルバム『ソングス・オブ・コンフォート・アンド・ホープ』が国内リリースを迎えた。これまで2人は【グラミー賞】で<最優秀クラシカル・クロスオーバー・アルバム賞>を受賞した『ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ』や『オブリガード・ブラジル』といった数多くのアルバムを発表しているが、今作の目的はただひとつ、先の見えない不安と孤立感にさいなまれる世界中の人々に安らぎと希望をもたらすことだ。今年11月にヨーヨー・マにオンライン取材をしたニューヨーク在住の音楽ライター、小林伸太郎氏に、最新インタビューも交えながら、このアルバムの魅力を語ってもらった。

 1955年パリで生まれ、米国で育ったヨーヨー・マは、おそらく現在、世界で最も人気が高く有名なチェリストだと思う。いわゆるクラシック音楽のレパートリーはもちろんのこと、タンゴからブラジル音楽、アメリカのブルーグラス、古代シルクロード交易路に沿った国々の演奏家との交流など、ジャンルを超えた幅広い活動を展開している。いずれも高い評価と人気を得ており、これまでリリースした100を超えるアルバムに対し、19の【グラミー賞】を受賞している。

 そんなヨーヨー・マが、長年の盟友であるピアニストのキャサリン・ストットと共に『ソングス・オブ・コンフォート・アンド・ホープ』と題するアルバムを、この12月にワールドワイドにリリースした。よく知られたクラシック曲から、『オズの魔法使』の「虹のかなたに」のようなポピュラーな曲、伝承曲まで、ジャンルにとらわれない実に幅広いレパートリーも魅力のアルバムだ。リリースを前にした11月、ヨーヨー・マにZoomを通じて話を伺うことができた。

 ヨーヨー・マは、音楽ホールを含む米国の様々な施設がドミノ倒しのように閉鎖された翌日の3月13日から、#SongsOfComfortというハッシュタグを付けて「不安な日々にコンフォート(慰め、安らぎ)を与えてくれる音楽」をシェアするために、ボストンの自宅から配信を開始した。アルバムにも収録されたドヴォルザーク「家路」の演奏は1,800万回視聴されたというが、今回のアルバムはそんなパンデミックの日々から生まれたものだ。ストットとプログラムの構想を語り出したのが7月で、10月に録音して12月にリリースと、業界異例の速さでプロジェクトは進行した。米タイム誌が発表する「最も影響力のある100人」2020年度版アーティスト部門に選ばれ、クラシックファンでなくともその名を知る人の多い、ヨーヨー・マの存在があってこそのリリースとも言えるかもしれない。

 英国在住のストットがボストンでヨーヨー・マと一緒に録音するためには、事前の自主隔離が必要であったなど、様々な困難があったという。それでも2人は、年内のリリースにこだわった。その理由は、このアルバムが人々にコンフォートとホープ(希望)を与えるためには、来年ではなく今リリースしなくてはならないと強く思ったからだという。音楽には人と人を結びつけ、ひとつにする力があることを信条とするというヨーヨー・マは、例えば昨年4月にメキシコと米国の国境地帯でバッハの無伴奏組曲の一部を演奏し、「文化は壁ではなく橋を構築する」と発言するなど、音楽を通じた社会的活動を厭わないアーティストでもある。パンデミックに加えて米国大統領選も重なった今年は、SNSを通じて投票を呼びかけるなど、様々な分野における精力的な活動が目立った。そんな忙しさもあって、アルバムの選曲はストットにほぼ全てを任せたという。

「私たちは42年前に、まず友人となりました。35年前から共演するようになり、様々な冒険を一緒にしてきました。私たちの音楽的関係は、完全なる信頼関係の上に成り立っています。彼女は全てについて、誠実な人です。」

 最初に収録された「アメイジング・グレイス」は、聴き手にはチェロのサウンドよりも先に、激しい嵐の音が聞こえる。ヨーヨー・マが録音に特殊効果音を使ったのはこれが初めてだというが、これもストットのアイディアだった。パンデミックという嵐を、我々は共に通り抜けなくてはならないというのが、その意味するところだという。

「信頼するというのは、アイディアを聞いた時にたとえ理解できなくても、彼女には何か考えがあることがわかっているということです。だから私は、直ちにやってみよう、と言いました。結果的にこれはとても良いアイディアでした。これをノイズと感じる方もいるかもしれませんが、私たちはこのアルバムでストーリーを伝えようとしているのです。これらの曲がただ美しいだけでなく、私たちが共に乗る船にどのように乗っているかを、伝えたいのです。深く見つめれば、その裏には意味があると言いたかったのです。」

 確かにそのひとつひとつをよく眺めてみると、実に様々な想いが込められていることがわかる。例えば「アメイジング・グレイス」の歌詞を書いたジョン・ニュートンは、18世紀に大西洋奴隷貿易に関わり、のちに聖職者および奴隷制度廃止論者となったことで知られる人物だ。次に演奏される「オール・マン・リヴァー」は、アフリカ系アメリカ人の苦難の歴史を背景にした曲だ。これらの曲から、パンデミック中に世界的な運動となったブラック・ライヴズ・マター(BLM)を感じることは、難しいことではない。


▲「オール・マン・リヴァー」

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