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熊木杏里【熊木杏里アコースティックライブ~しんきろう~】
会場の入口で巻物を手渡された。それを開くと、彼女の歴史が時系列で、その時期その時期の心象記録が添えられた形で綴られている。と思ったら、これは本日のライブのセットリストのようだ。しかも配布されたのは、関係者だけではなく、すべてのお客さん。その日披露する楽曲のすべてを開演前に公開するなど、前代未聞である。何故に?それは、熊木杏里の並々ならない覚悟の表れであることを僕らはすぐに認識する。
2007.05.29(火) at 原宿アストロホール|セットリスト
窓絵~夢見の森~長い話~夏蝉~私をたどる物語
プロデューサーの吉俣良をはじめとしたおなじみのベテランミュージシャンが待つステージから『窓絵』のイントロダクションが聞こえると、熊木はそっとステージに現れ、あたたかい拍手にそっと頭を下げる。もうこの瞬間から彼女の様子はいつもと違った。真剣さというか、いや、いつだって彼女は真剣なのだが、もうその佇まいからして、自身のリアルな過去と現在と未来のすべてをさらけ出す覚悟みたいなモノがじわじわと溢れ出ていた。そしてまず彼女が今日行った行為は、きっと過去を受け入れること。世の中をすごく冷めた目で見ていた自分、そんな自分に悶々とする自分、閉鎖的だった自分、そんな自分が嫌いになった自分。心晴れない、自分すら肯定できなかった日々とこの瞬間、彼女は真っ正面から向き合っていた。
戦いの矛盾~囃子唄~しんきろう
例の巻物には「あまりの自分の情けなさ、無気力さに自己嫌悪。テロのニュースで心うたれ、自戒の意で作成。二十三歳。」と、心象記録が添えられていた『戦いの矛盾』。大袈裟ではなく、シリアスな題材を取り上げた自分に酔うこともなく、あまりにも非力で、声高らかに愛や平和を叫ぶことすらできない、そんな自分をしみじみと戒める彼女。そして「それでも私は、私にしかできないことがあると信じる」という意思表明。静かな音を立てながら心が動き出す。続けて聞こえてきた『囃子唄』。「いいこともわるいことも全て、この島にまかせたの?」もう何度も聞いてきたはずのこのフレーズが今日はやけに胸を震わせる。このときはそれがなぜか分からなかったけど、今は分かる。僕にもあるから。まかせたことが。まかせられたことが。そんな新たな気付きがこの日はたくさんあった。そしてその理由は『しんきろう』についての彼女の話の中にあった。歌は誰かに聴いてもらって、その人の中で何かが動いたとき、変わったときに意味を持つ。この気付きが今宵、顕著に彼女にも僕らにも大きな影響を与えていた。
明け方の操縦士~風の記憶~新しい私になって~幽霊船に乗って~春の風
少しはにかんでから息を吸い込み、「ま~いにち~♪」と歌い出す熊木杏里。めちゃくちゃ気持ち良い!“晴れ渡る心”ってこういうことなんだね!と、思わずテンションが上がる。「心の天気に晴れはない」と歌っていた人の曲とはとても思えない(笑)。でも今日のライブでも表現されている、これまでの歴史があってこその、この爽快さ。ということは、多くの人が分かっていたことだろう。そして開かれた心は、実にカラフルで優しい未来と自分をそこに生むということも僕らは知る。彼女の声や表情に今まではなかった色が加わった『新しい私になって』。そして「皆さん黙って聴いてらっしゃいますけど、何か物申すことがあれば、いつでもおっしゃってください(笑)」自覚的か無自覚か、彼女はここまでのライブの緊張感をこのタイミングで自ら解いた。まるで自身の人生のこの時期を表すかのように。やがて聞こえてきたモノは、眩しいほどの、でも柔らかな光と音と声、『春の風』。
最後の羅針盤~朝日の誓い
7月にリリースされるニューシングル『七月の友だち』、8月に行う初の全国ツアー【八月の友だち】の告知をそれぞれした後、彼女は新曲『最後の羅針盤』を歌い始めた。今の彼女の気持ちが一番表れている曲で、周囲からいろんな言葉が聞こえてくるけど、結局最後に決断するのは自分の意思。そんな力強い想いが僕らの心を確かに駆り立てていく。「誰にも見えない景色だろうと、でも自分だけは信じていきたい」。より明確になった熊木杏里の信念が僕らの体を高揚させる。
そしてアンコールに披露された『朝日の誓い』。それは、自然と僕たちという切っても離せない宿命についての歌。僕らにはまだまだ知らない世界、知っていかなければならない現実がたくさんあって、そこにもっともっと目を向けていきたい、向けていこう。そんな単純なようだけど決して容易じゃない、有意義なメッセージを彼女は今宵のおしまいに用意した。まだまだこれから先いくらでも広がっていく未来と可能性のために。
セットリスト
【熊木杏里アコースティックライブ~しんきろう~】
2007.05.29(火) at 原宿アストロホール
- 01.窓絵
- 02.夢見の森
- 03.長い話
- 04.夏蝉
- 05.私をたどる物語
- 06.戦いの矛盾
- 07.囃子唄
- 08.しんきろう
- 09.明け方の操縦士
- 10.風の記憶
- 11.新しい私になって
- 12.幽霊船に乗って
- 13.春の風
- 14.最後の羅針盤
- 15.朝日の誓い
Writer:平賀哲雄
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