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熊木杏里 『はなよりほかに』 インタビュー
実際に張り裂けそうでしたから―――。熊木杏里は恋をした。『ひとヒナタ』の頃からまた2倍も3倍も人を好きになる気持ちを知った。それ故に『君の名前』はあんなにも切なかったし、ニューアルバム『はなよりほかに』からは泣いたり笑ったり、心を揺さぶられっぱなしの人の"生きる"姿を如実に感じ取ることができる。実際、彼女はどんな恋愛をして、こんなにも生き生きした歌たちを生み出したのか。人生初のラブソングアルバムについて語ってもらった。
すごく人間としても好きな人だったんです
--なんで『君の名前』はあんなに切ない曲に仕上がったんだろう?
熊木杏里:切ない曲ですよね。自分でも泣いてしまいましたからね、切なすぎて。それは実体験だからでしょうけど。初めて感情っぽいメロディになったんですよね。「運命なら~♪」って叫んでる感じ。あそこのフレーズは心の底から思ったことがメロディと同時に出てきたんです。だからそのときの私のテンションがちょっとでも違ったら、こういう熱さのある曲にはなってなかったと思う。立ち姿的にも絶妙なときにできたんですよ。
--人を深く愛せたんだろうなって。その結果としての、今にも胸が張り裂けてしまいそうな声なのかなって。
熊木杏里:実際に張り裂けそうでしたから。すごく人間としても好きな人だったんですよね。だからこそ「背負うことは何もない 君は羽を持っているよ」って、私なんかでも励まさずにいられないぐらいの気持ちになってる。この気持ちはすごく自分が出てるんですよ。失恋しているのに「顔をあげて笑ってよ」って相手に向かって思ってる自分が本当にいたんです。それぐらい大事な人だった。まさかこういう曲が出来ると思いませんでしたからね。望んでも出来ない曲だから。正に「歌だな」って思いました。溢れ出てくるものがあったから出来た曲。
--大概の別れの歌って「君がいないと私が切ない。でも私、前を向いて生きていく」みたいな"私のこと"に終始していて。でもこの曲は「涙になったら君を責めることと同じ」と歌う。自分のことより相手のことを思いやる、すごく愛の歌だなって。
熊木杏里:そうなんですよね。ちょっと上手く語れないぐらいの気持ちなんですけど。でも「行き過ぎた未来には まだ少し無理があったんだ」とか、27才の自分だなと思う。その"未来"というのは、結婚とかだと思うんですけど、そういうことを考えるのは"行き過ぎた"想像だったなって思ったし。すごく27才らしい経験だなって。本当にいろいろ学びましたよ。男の人って背負うもんなんだなって考えちゃったし。それを何とかしてあげたいなぁって勝手に思ったり。自分のことよりもその人についていろんなことを考えた。だから『君の名前』のフレーズはどれも自然に出てきましたね。
--「君の名前は 私にとって やさしさと 同じ」と歌いつつ、2コーラス目では「君の名前に 息が詰まる 私を忘れたい」とも歌うじゃないですか。掛け替えのない絆って、互いを心の拠りどころにして生きていくって、そういうことなんだよね。片方だけじゃない。だから熊木杏里がこの曲を生み出せたのは、それだけ深く人と付き合った結果なんだよね。
熊木杏里:ほんと、そうです。こういうことを"人付き合い"っていうんだなって思いました。本当に人と向き合う時期だったなぁって。自分のこともよく分かりましたしね。
--ちなみに、今はこの曲を自分で歌ったり聴いたりしててどんな気持ちになりますか?
熊木杏里:気持ち的には過去のモノに自分の中ではなってるんですけど、瞬時に思い出したとき、幸せな気持ちにはなりますね。悲しさはあまりない。言葉が責めていないから、とても愛がないと歌えないフレーズばかりだから、歌う度にやさしい気持ちになります。
--では、その『君の名前』で始まる最新アルバム『はなよりほかに』について話を伺っていきたいんですけど、まず自身では仕上がりにどんな印象や感想を?
熊木杏里:すごく何回も聴いてます。それぐらい、目的が達成できたアルバムです。手を伸ばしたくなる雰囲気がアルバム全体にあるから、何かしながら聴いても心地良いんですよね。それは声の純度が高いから。あとラブソングであることが大きいですね。ラブソングって聴いてて夢のある瞬間にも成り得る。あのときのちょっとした気持ちを思い出したり。
--アルバムのタイトルを『はなよりほかに』にしようと思ったのは?
熊木杏里:「ラブソングを歌いたい」って思ったときに、いっぱい女の人の本とか読んで、最終的に百人一首に辿り着いたんです。なんとなく古風な女性像の佇まいをマネしたいなと思っていたので。仕草とか行動とか。それですごく好きな一句を見つけて。今回のアルバムはラブソングアルバムなんですけど、好きな人に伝えたい訳ではなく自分だけの気持ちを綴っていて、それを言い表している句の中に「はなよりほかに」という言葉があったんです。孤独感もある言葉なんですけど、その感じを持っている者同士で繋がれたらいいなと思って。
--今日の話を聞いてると、すごく今回のアルバムはコンセプチュアルな作品であることが分かるんだけど、そこに突き進めた今の熊木杏里を見ていると、前アルバム『ひとヒナタ』はひとつの集大成だったのかなって。
熊木杏里:そうですね。『ひとヒナタ』を経てなかったら『はなよりほかに』の気持ちにはなっていなかったかもしれない。
Interviewer:平賀哲雄
その浮き沈みさえも愛おしんでいる
--まず自分が変わって、変われた喜びの中で得たモノを歌って、更にはこうやって生きた方が正しいんだっていう確信のもとメッセージもするようになって。その集大成として、前作に収録されていた『モウイチド』や『雨が空から離れたら』や『my present』が生まれた。さらにあのアルバムでは『はなよりほかに』的な曲もすでにいくつかあって。それが『こと』と『やっぱり』だったと思うんですけど。
熊木杏里:そうですね。『こと』と『やっぱり』の想いがあって、その後に起きた事件が『君の名前』なので。私の中ではその3曲は3大事件ぐらいの感じ(笑)。あと『ひとヒナタ』の『my present』とかで博愛的なメッセージソングはもう作れたので、今回は答えがないモノに手を伸ばしたくなったんですよね。それが恋愛の端々だった。答えがないモノってラクというか、いつ歌ってもいい感じなんです。それが嬉しい。『雨が空から離れたら』とかはまず"励まそう"っていう縛りがあるんですけど、恋愛の歌だとそこの縛りがない上に、いろんなことに気付かされるんですよ。恋愛観から滲み出るものが一番等身大である気もするし。
--だから、今作はこれまでにも増して、今あなたの生活で繰り広げられているあれこれを綴ったらこうなった感がすごい。
熊木杏里:繰り広げてましたよ(笑)。身動きすらしないんだけど、頭の中では世界一周してるぐらい繰り広げてました。そんな時期に生まれてきたあれこれをギュッと捕らえて詰め込みたかったんですよ。その雰囲気も含め。醸し出るものがあるといいなぁと思って。
--その結果、今の熊木杏里が今の熊木杏里を歌ってるアルバムになりましたよね。近年のアルバムは今の熊木杏里がなりたい熊木杏里だったり、そこを目指していく熊木杏里を多く歌っていたけど、このアルバムはもっと今そこにある瞬間を歌ってる気がする。
熊木杏里:しますよね。まずこれだけの数の恋愛の歌が集まってるアルバムが1枚もありませんでしたからね。だからちょっと前の自分からしたら、ビックリするアルバムだと思います。あと、今回みたいな作品の作り方をすると「自分ってこういう人なんだな」っていうのがよりハッキリする。むしろ『私は私をあとにして』とかよりも物凄く"素"な感じがします。
--『今日という日の真ん中』の「進むことだけが全てじゃない」とか、『センチメンタル』の「会えない時はどうしたらいい?」とか、"素"だからこそ心がいろんな方向を見てるし、いろんな場所を見てる。その瞬間瞬間のありのままだから、いろんな感情が共存しちゃってるんだよね。でもそれがいいっていう。
熊木杏里:ああ言ったりこう言ったりしてますもんね。それがとても良いなと思って。今思えばですけど、今回のアルバムでは「人ってずっと同じことを考えてる訳じゃないんだなぁ」って気付いてるんですよ。それは、私が誰かのことを好きになっている故に、反自分っていうモノがすごく如実に出てるからだと思うんです。自分のことだけ考えてるときはそんなに気持ちの浮き沈みってないけど、相手がいるからこそ、振り回されてみたり、いろんなことを想ってみたり、そういう毎日がある訳で。で、その浮き沈みさえも愛おしんでいる感じがあったんですよね。それこそ「中学生ぶり?」って思うぐらい。
--今作は本当に愛に満ちてます。『未来写真』なんてもう愛のカタマリじゃないですか。ちょっと照れちゃうぐらいですよ。
熊木杏里:ハッハッハ! それは私が歌ってるから照れるんじゃないですか?「昔はあんなこと言ってたくせに」的な感じで(笑)。
--そんなことないよ(笑)。
熊木杏里:でもこの曲は出来たとき、本当に幸せな気持ちでしたね。自分も幸せになってました。言霊を感じてますね、すごく。それもあるし「未来写真 撮ってあげる」っていう言葉にすごく自分の愛の形が出てると思います。さっきの取材でも話していたんですけど「愛って何だろう?」みたいな話になって。平賀さん、あります? それの答え。
--……。
熊木杏里:後ろに引くの、やめてください。
--俺の持論はいいよ。話を続けてください。
熊木杏里:(笑)。私は「こういう未来写真を撮ってあげるよ。だから不安にならなくてもいいよ。何をしててもいいよ」ぐらいの感じ。で、相手が音信不通になったとしても、落ち込むようなことを言ってきたとしても、フラれそうな雰囲気があったとしても、そういう自分の想い、「でも私はこうなんだよ」っていうのをいつでも提示したいと思っていて。何か相手の言葉を掴んで「そんなこと私は思ってないのに、なんでそんなこと言うの!」って言いたくなるようなときにも、「でも私はこうなんだよ」ってずっと提示することが愛というか、安らぎだなぁって。それは自分にとっても安らぎになるし。その感じが『未来写真』には出てると思う。
--この曲の「トゲのある言葉を笑いに変えながら みんなの心の裏にまわっているけど」とか、すげぇ洞察力だよね。俺、こんなこと言われたら、泣いちゃうよ(笑)。
熊木杏里:洞察力というより、思いこみですけどね。ただ、好きだなって思っている人を見ているから出てくるモノ。
--要するにそれぐらい人を想ってる歌だよね。『ひとヒナタ』の頃からまた2倍も3倍も人を好きになる気持ちを知った人が書いた曲だなって感じる。知ったなって。
熊木杏里:知ったなっていう感じはあります。時間は掛かりながらも掴んでいった感じがあって。それが歌に重みを持たせてる。掴んで知ったことによって思い切って言えることがたくさんあるんですよね。
Interviewer:平賀哲雄
誰かの存在を感じながらも自分は自分でいる
--続いて『祈り』。この曲はどんな想いや背景から生まれたんでしょう?
熊木杏里:この曲はちょっと前に作った曲なので『こと』とかの感情がある。物凄く不安げ。祈っちゃってますからね(笑)。祈りたくなるぐらいの気持ちでしたね。だから物凄く振り回されちゃってるんですよ。怖くてしょうがない。今聴くと「どれだけ繊細だ?」って思う。でもこの気持ちもすごく印象的だったんですよ。で、敢えてそういう気持ちを今まで逃していたような気がしていたから、ちゃんとこれも掴んで書くことにしようって思って書いた曲です。
--そして、近年の熊木杏里にしては珍しいシリアスな曲調のナンバー『天使』。
熊木杏里:これはギターの感じで作ったんでテイストがいつもと違うし、ちょっと暗いんですけど、自分が男になったような目線で書いてるんですよ。よく分からなくなってる時期、すごく溺れている状況だったので、力強く歌いたかったんですよね。
--「選ぶ自由も楽じゃないんだな 君にはいっそ全てのものを差し出してしまったっていい」なんて、言うならばロック的な思想を持ったフレーズですよね。
熊木杏里:「選ぶって人生だな」って思うことがあり、そのひとつひとつを選ぶのは怖いなぁって。どっちが正解か分からないっていう。でも熱い気持ちでしたよ。それを「言ってしまおう!」みたいなテンションでもあったし。
--あと、今作のテーマを象徴するようなナンバー『一千一秒』。これはどんな想いから生まれてきた曲なんでしょう?
熊木杏里:このラブソングのアルバムを締め括る自分の気持ちでしたね。「独りというこの運命も ありのまま辿れるように」っていうフレーズが、今一番自分の中でもグッと来てる言葉で。「独りだな」って思うことは変わらないんだけど、それを悲しいと思うのではなく「誰かの存在を感じながらも自分は自分でいる」っていう告白です。だから自分の中でかなり特別な曲ですね。ライブではこの曲だけ弾き語りでやろうと思ってますし。
--そして今作のラストを飾ります、春ツアーでいち早く披露していた『バイバイ』。「海の夕焼けをボーッと見て、家に帰って作った曲」と言っていましたが、今自分の中ではどんな曲だと感じていますか?
熊木杏里:景色と自分の気持ちがとても合わさってできた、素晴らしく余分なものがない曲だなと思います。「バイバイ」っていうフレーズだけが聴いてて残るぐらいな。でもそれがすべてなんですよね。いろんなことを言ってない故に、聴いてていろんな気持ちになるのかなぁって。だから作ってるときにはいろんなことを言いたくなかっただけなんです。「バイバイの顔をしなくちゃ」っていうことだけで十分だった。
--それにしても、恋のアルバムなのに最初と最後が別れの歌っていう(笑)。
熊木杏里:よくぞ気が付きましたね。でもこれは結果的にこうなったっていう感じですね。
--でも『君の名前』は1曲目だし、『バイバイ』は最後しかないよね。
熊木杏里:ないんですよ。
--ちなみに熊木杏里の表現はこの先、どうなっていくんでしょう?
熊木杏里:『はなよりほかに』の感じの先があって。何気に今回は優しげなメロディが多かったと思うんですけど、もう少し鋭利になっていく感じ。瞬間瞬間をちょっと引いて表現するんじゃなくて、もっと前に出してしまいたいんです。メロディ的にもガッと前に出て行きたいので、そのための何かがこの先に得られればいいなと思ってます。
--さて、この『はなよりほかに』のリリース日には、秋のツアー【熊木杏里 Autumn Tour 2009 はなよりほかに】がスタートします。どんな内容にしたい?
熊木杏里:『はなよりほかに』からほとんど全部歌うぐらいの勢いでいます。どれもラブソングなので、個人的な想いが大きな気持ちをくれるかもしれないよ、っていうところを全体で表現したい。だから最後の曲とかすごく大事にしたいし、ちょっと誰かに優しくしたくなるようなライブにしたいですね。だからラブソングと言われる自分の中の曲をいっぱい並べようと思ってる。どちらかと言うと博愛的なモノではないところへ今回は突き進みたい。
--僕はもうとにかく泣いて笑ってたまらないライブになると、今から勝手ながらに思っていますんで、2度目の東京国際フォーラムは顔ぐしゃぐしゃにして楽屋挨拶に行くんで(笑)。
熊木杏里:ハハハ! 頑張ります!
--では、最後になるんですが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
熊木杏里:長らく熊木杏里を応援して聴いてくれている方には、本当に「こう来たか」っていうアルバムが出来たと思います。今回ラブソングとは言ってるんですけど、生きている感じの姿がすごく如実に出てるから、恋だけじゃない気持ちもきっといっぱい届けることができると思います。ぜひ独りで聴いてみてください。
Interviewer:平賀哲雄
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