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熊木杏里×中国公演コーディネイト横澤氏インタビュー
人生を蒼い炎で燃やした歌で聴き手の心を震わせ続けている、唯一無二の女性シンガーソングライター熊木杏里。ヤマハに移籍して初のツアー【熊木杏里 LIVE TOUR 2016“飾りのない明日”】で、初の中国公演を3ヶ所で開催し、いずれも集客1000人超を記録するという想定外の体験をした。今、何故に熊木杏里が中国で愛されているのか? 今回の中国ツアーをコーディネイトした横澤氏と共に語ってもらった。
中国で人気急上昇中「音楽の純粋な魅力だけで浸透していく土壌がある」
--まず横澤さんとの関係性を熊木さんのほうから説明してもらえますか?
「飾りのない明日」/ 熊木杏里(Promotion Video)【公式】
--ざっくり!
一同:(笑) 担当スタッフ:以前から「中国で公演できないか」という話はいろんなところから来てたんですよ。でもやったことないから「大丈夫かな? 怪しくないかな?」って思っちゃっていたんです。でもその中で横澤さんだけは、ウチの会長経由の話だったんで「さすがに信頼できるだろう」ということで実際にミーティングをさせてもらって、今回のツアーにおける中国公演のコーディネイトをお願いしたんです。 横澤氏:会長と食事したときに「ウチのアーティストで誰か中国で公演できない? やってよ」って言われて、そのとき僕の頭の中には実は熊木さんが浮かんでいて。それで「熊木杏里さんでやらせてくださいよ」とお願いしたら「え、出来んの?」って話になって、そこから関係ある方たちとのミーティングでお話していく中で「では、やりましょう」ということになったんですよね。なので、僕の中で熊木さんは中国公演を元々やってみたいアーティストだったんです。それは中国でいろいろ動いている中で、熊木杏里の名前が業界の人たちからもファンの中からも出てくるし、ビジネス的に言ったらプロモーターの中からも出てくるし。で、熊木さんのチームとお話してみたら、実はいろんなところから話が来ているということだったんですけど、その中で信用頂いてウチでやらせていただくことになったんです。--中国の音楽業界やリスナーの方々は、熊木杏里のどんなところに魅力を感じて「中国に来てほしい」と思ったんでしょうか?
横澤氏:日本の女性シンガーでバズが立ってるというか、今「キテるぞ!」っていうアーティストさんが何人かいらっしゃるんですけど、その方々はタイアップとか日本的な認知のされ方とは全く違っていて、声とかメロディーとか音楽というものの純粋な魅力だけで浸透していく土壌がまだ中国にはあって、いわゆるインターネットの世界、SNSの世界を通じて「こんな良い曲があるよ」って伝わっていく状況があるんですよね。熊木さんもそれで注目を集めている。 熊木杏里:15年かけてじわじわ浸透していったのかも? という印象はありますね。最近の曲はそんなに知らない感じなんですけど、過去のアルバムから「あの曲が好き」「この曲が良い」って言ってくれていて、すごく知ってくれているんですよね。だから実際に中国へ行くことになって「10年待った!」っていう人もいて、「そんなに待っててくれたんだ?」って純粋に驚きました。もっと早く行けば良かったなって思うけど、そんな状況になっているとは知らなかったので。 担当スタッフ:なんで急に去年だったんだろうね? 去年になって急に中国からのオファーが一気に増えたんですよ。 横澤氏:私設のファンクラブがポコポコと元々出来ていて、そういったものが増えたのが去年からだったんですよね。--なんでそのタイミングだったんでしょうね?
熊木杏里:「熊木杏里を忘れないようにしよう」って(笑)。 担当スタッフ:急に(笑)?--中国も日本のようにファンクラブがしっかりあるんですね。
横澤氏:私設のファンクラブが多いですね。年会費を集めて運営するオフィシャルなファンクラブを持ってるアーティストはほとんどいないんです。同じ嗜好を持った人たちが集まるということを中国政府としては嫌う訳で、ましてやお金を集めてということになると更に警戒されてしまうので、香港や台湾の大きなアーティストでさえ有料のファンクラブというのは出来てないんですよ。なので、私設のファンクラブがあの広い土地の中でリンクしてネットワークを作っているんです。--その広がりの中でブレイクしていった日本のアーティストは?
横澤氏:僕が関わっている中で言うと、中孝介。彼は上海とか北京とか広州とか大きな都市でどんどんファンクラブが出来ていって、それがリンクして大きくなっていったパターンですね。今年もちょうど熊木さんのツアーの前に8ヶ所やって、9月に3ヶ所やるんですけど、フェスとかも出ますね。あと、中孝介は台湾の映画に本人役として出てるんですけど、それが台湾の映画史上『タイタニック』の次にヒットした。それが中国にまで飛び火したんです。--熊木杏里に中国からオファーが相次いでいる話を聞いたとき、中孝介さんが頭に浮かんだんですよ。彼も強みは歌声とメロディーじゃないですか。あと、ノスタルジーであることも中国で好まれる条件としてあるのかなと思って。
熊木杏里:たしかにピュアを感じた。私の人気がある曲もメロディーが愛されてるんだと思うし、ノスタルジーを感じるものが多いんですよね。スッと素直に聴いてくれてるんだなって思いました。日本ではわりかしシーンとして聴かれることが多いんですけど、中国でそういう曲を歌うとワッ!ってなったんですよね。バンドメンバーと「凄いね」って驚いたぐらいで。 横澤氏:コンサートへの慣れ不慣れはそれぞれあるんですけど、自分の目の前で起きていることにすごく素直に反応するのが中国のオーディエンスなんで、知っている曲のイントロが流れたときに「これだよ、聴きたかったのは!」っていう感じでうわぁー!ってなるところはあります。そういう意味で中国のオーディエンスというのはストレートです。- 中国のファンとの邂逅「ちゃんと私のファンとして待っていてくれた」
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Interviewer:平賀哲雄
中国のファンとの邂逅「ちゃんと私のファンとして待っていてくれた」
--そうしたオーディエンスの前で実際にライブをして手応えはあった?
熊木杏里:手応えはすごくありましたよ。人がいるんだもん。「こんなに人がいてくれるんだもん!」っていう。1000人規模でしたよね? 横澤氏:そうですね。広州は1200~1300人、上海が1100人ぐらいですかね。それでソールドアウト。結果的に北京も1500人ぐらい集まりました。 熊木杏里:なので、今、それがまたひとつの支えにはなってる。「日本以外にもこんなに待ってくれている人、聴いてくれている人がいたんだ」っていうのは励みになるし、ノスタルジーは熊木杏里の音楽の特徴のひとつだし、それが良いと思ってくれているのであれば、別に媚びる訳ではないけれども、そういう曲をもっと作っていこうかなとも思うし、日本と中国で歌うものはちょっと違っていてもいいのかなって思う。--これまで中国を意識して作った曲はない訳ですからね。
熊木杏里:そう。でもこれからそういう曲が出てきてもいいのかなって。「この曲は、中国の皆さんに向けて作りました」っていう。 横澤氏:これから先、中国とどう接していくかというのは考え方次第なので、今仰ったように「中国のファンが励みになってるんだよ」という中でちょっと歩み寄ったスタンスもあってくれたら良いかなとは思います。--誰もがそれを出来るチャンスに恵まれる訳でもないですし、面白い機会ではありますよね。
熊木杏里:そうですよね。聴いてくれるようになった要因が「これ!」って言い切れる訳ではないんですけど、中国の人たちに向けて聴いてもらいたい曲を作ってみてもいいのかなって。 担当スタッフ:ウチの会長は「可愛いからだよ」って言ってたよ。一同:(笑)
--熊木杏里が中国で愛された理由、可愛いから。
熊木杏里:そうなのかな(笑)?--中国のファンと通訳付きでファンミーティングやったらどうですか? 「私のどこが好きなの?」って。
熊木杏里:えぇー! 担当スタッフ:でも広州で学生の人たちを10人ぐらい連れてきて頂いたんですけど、なんとなく雰囲気は分かったよね? 熊木杏里:そうですね。 担当スタッフ:10代後半ぐらいですよね? 横澤氏:大学生ぐらいですね。すごくコアなファンたちというのは僕らにコンタクトを取ってくるんですよ。で、僕らも彼らのことをキャッチしておくと、そこから何かが広がったりする部分もあるんで、付かず離れずの関係性を保ってる若者たちなんです。で、彼らは「風の記憶」という「一番好きだ」と言っている曲の歌詞を日本語、そして中国語と日本語ヨミのアルファベットに訳して、「みんなで歌えるように」って持ってきていたんですよ。チケットをね、記念品として差し込める形にして「みんなに配っていいですか?」って。自分たちのコストで作ってね。--日本のファンも手作りのものを熊木さんによくプレゼントしてますけど、中国にもそこまでやってくれるファンがいらっしゃるんですね。
熊木杏里:実際に中国に行く前は、アニメの挿入歌をうたっていたので「アニメの影響で呼ばれたんじゃないか」って話していたんですけど、全然そんなことなくて。もちろんその曲を知っている方はいたんですけど、ちゃんと私のファンとして待っていてくれた。--横澤さん的に、熊木杏里は中国に向けて今後どんなアプローチをしていったら面白いと思いますか?
横澤氏:最初のツアーが終わった現段階で思うのは、これからもっと回る場所を広げながらも、今のままの感じを続けていくことが大事かなって思います。その次の展開として若干向こうに合わせていくような試みとして、MCを中国語で頑張ってみるとか、熊木さん流でいいんですけど、特徴のある声でみんなの知ってる中国語の歌をうたってみるとか、もしくは熊木さんの持ち曲を中国語にして歌ってみるとか、ちょっとした中国向けのアプローチをしていくのもアリかなと思います。--中国語で歌ってみたい?
熊木杏里:そういうことは全然やってみたい。 担当スタッフ:でも日本に海外アーティストが来たとき、やたら流暢な日本語を喋られたりとか「SUKIYAKI」カバーされたりとかすると、なんか抵抗ないですか(笑)?--ありますね。こっちが照れちゃう感じ。
担当スタッフ:そこは大丈夫なのかな? 横澤氏:ビートルズが来日したときに「日本語で歌わなかった」みたいな文句を言う人もいたんですけど、彼らが日本語で歌ったらおかしかったと思うんですよ。でも現代の中国というマーケットに関しては、中国語で歌ったり、そういうアプローチで入っていくことが多いのは事実なんですね。ただ、「絶対そういう形で入ってこいよ」という感じではなくて「そういうところも必要かな?」ぐらいな感じ。そればっかりやっている人もいるんですけど、そうなると「そこまで合わせてこなくていいよ」ってなるので(笑)。リリース情報
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中国ツアーの思い出「最終日に向けて怒涛のストーリーがありました」
--今回の熊木杏里のケースは、海外仕様に着替えて受け入れられたのではなく、ありのままの格好で評価された訳じゃないですか。今後何をするにしてもそこは忘れちゃいけないポイントですよね。
熊木杏里:だから私は全力で熊木杏里であり続ける。その上であれば、中国のリスナーと寄り添う歌ややり方があってもいいのかなって思ってます。--ライブに限らず、中国ツアーはどんな思い出になってます?
熊木杏里:最終日が一番印象に残ってます。飛行機が飛ばなくて、新幹線で急遽移動することを決断したんですけど、6時間ぐらいかかるんですよ。到着は開演1時間前。それだけ余裕がない中で歌うとなると不安になるじゃないですか。「パフォーマンス的に大丈夫かな?」って。でも「みんなでここまで頑張ってきた」みたいな感覚があって、みんなで乗り越えてきたサバイバル感みたいなものもあったんです。常に一緒に行動しているし、「自由行動は控えよう」みたいな。でも私がちょろちょろしてて怒られたり(笑)。そういうのって日本のツアーではなかなか体験できない。そこで生まれる一体感みたいなもので最後の公演まで乗り越えられたツアーでしたね。 横澤氏:空港着いてみたら、楽器がまだ着いてないとかね。 熊木杏里:ありましたね(笑)。 横澤氏:そういういろんなことがあっちゃったんで。それでもみんなで乗り越えてやりきったというのは、楽しかったんじゃないかなと思います。 熊木杏里:最終日に向けて怒涛のストーリーがありました。広州も上海も北京も三者三様で会場のロケーションも雰囲気も違ったし、楽しかったです。--マネージメント的にも今後も熊木杏里を海外に打ち出していきたい想いは強い?
担当スタッフ:中国って仕込もうとしてもなかなか上手く出来ないというか、難しいんですよ。どんなにこっちでビッグネームだったとしても受け入れられないのがほとんどなので、それを自然と呼んでいただいて、実際に行ったら応援して下さる方々がいる。これって物凄く有り難いレアなパターンなので、そこはちゃんと突き詰めていきたいし、ワーナーのアーティストの中でも中国で唯一評価されているアーティストだと思うので、ちゃんと形にしていきたいなと思ってます。 横澤氏:もっと中国で大きくなってもらいたいなというか、そのお手伝いをこれからもさせて頂きたいなと思ってますね。--今回の中国ツアーでそれだけの可能性が見えたということですよね?
横澤氏:そうですね。予想以上の反響だったというか、評価が高い。そういった意味ではどんどんどんどん繋いでいって、これを点で終わらせないで、面にして、円にしてというところまで持っていきたいなって思ってます。 熊木杏里:ここまで諦めないでもらってよかった。 一同:(笑) 担当スタッフ:諦めたことなんてないよ(笑)。 熊木杏里:まぁでも世知辛い世の中ですから、ひとつのところに長く居られるというのは凄いことじゃないですか。ワーナーに居れてよかったなって思います。--ちなみに、過去、中国で最も愛された日本人アーティストって誰なんでしょう?
横澤氏:知られてるという意味では多岐に渡っちゃうんですけど、ひとつの目安としては向こうでカバーされているかされていないか。だから80年代後半~90年代前半ぐらいにカバーされた人たちっていうのは、香港、台湾が中心なんですけど、そこから派生して中国に広がっていく。そういった意味では、中島みゆきさんもそうだし、サザンもそうだし、安全地帯の玉置浩二さんも人気がありますね。秀逸なバラードを持っている方たちが多いです。中国のアーティストがカバーしたくなるキレイなメロディーのバラード。そういった曲を持っている人たちが「自分がオリジナルを歌っているんだよ」ということで、90年代後半~00年代にかけて中国で公演を行うようになったんです。でもそれと今回の熊木さんの事象はまた違いますね。 担当スタッフ:日本のアーティストってアジアツアーを組んでもそこに中国が入っていることって少ないんですよね。だから中国で人気ある人は本当に凄いと思うし、熊木杏里はその難しい中国に一番最初に行けてるから。--本当にレアなケースですよね。
担当スタッフ:次はインドかな? 一同:(笑)--インドではどの曲がうけるんですかね?
熊木杏里:ハハハ!--そんな中国でも人気の熊木さん。ツアーも終えて、今後はどんな展開を考えていたりするんでしょう?
熊木杏里:今はすごく曲を作るモードなので、中国での経験も含め、どんどん形にしていきたいなって思ってます。それでまた来年アルバムを発表して、それを引っ提げてのツアーがやりたい。ずっと同じこと言ってますけど、やっぱりそれを続けていきたいです。Interviewer:平賀哲雄
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