2020/09/25
フランスのシンガーで女優のジュリエット・グレコが死去した。享年93歳だった。戦後フランスの実存主義哲学者たちのミューズとして知られ、ザ・ビートルズにも影響を与えた文化的アイコンだった。
グレコが南仏サントロペの近くのラマチュエルにある自宅で亡くなったと仏メディアが2020年9月23日に伝えた。
ギリシャ系の祖先から受け継いだ表情豊かな目と、長年の喫煙による深くしゃがれた声が特徴だった彼女は、約70年にわたるキャリアを通じて「パリの空の下/Soul le ciel de Paris」や「日曜日はきらい/Je hais les dimanches」など、フランスを代表する楽曲の数々を世に送り出した。
グレコは1927年2月7日に仏モンペリエで生まれた。父ジェラールは不在で、母ジュリエットからは愛されず、1986年のドキュメンタリーによると、「お前は私の娘じゃない」などと言われながら育ったと彼女は振り返っている。
1950年代後半にセルジュ・ゲンスブールと出会ったことで、彼女は芸術的に頭角を現した。当時まだ若いミュージシャンで、フランス歌謡に新たな活力を与える才能に長けていたゲンスブールは、1959年から5年にわたり彼女に楽曲を提供し、その内10曲がレコーディングされた。その一つ、「ラ・ジャヴァネーズ」(ジャワの女)は高い評価を得た。
ボブヘアとクレオパトラのようなアイライン、飾り気のない黒ずくめの衣装がトレードマークだった彼女は、1968年5月当時のフランスのファッション・アイコン的存在でもあった。自身も英国のスウィンギング・シックスティーズの象徴だったマリアンヌ・フェイスフルは、「誰かになりたいのだとしたら、私はジュリエット・グレコになりたい」と述べたことがある。ポール・マッカートニーは、ビートルズの1965年の名曲「ミッシェル」はグレコにインスパイアされたと2007年のインタビューで明かしている。
近年まで現役だったグレコは、ツアー中だった2016年3月に仏リヨンで脳卒中を患い、残りの公演をキャンセルした。また、この年に一人娘のローレンス=マリーをがんで亡くしている。
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