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2018/10/22 19:30

アレクサンドル・タローのベートーヴェン 新たなる色彩と響きを求めて(Album Review)

 多士済々のフランスの中堅ピアニストたちのなかでも先頭を走る奏者のひとり、アレクサンドル・タロー。彼は、クープランやラモーといったフランス・バロック音楽の探求を通じ、洗練の粋を極めたとすら言っていい優雅で洒脱なタッチを誇りつつも、精妙なメカニック能力、そしてダイナミックな表現力をも兼ね備えたピアニストである。

 そんなタローが遂に取り組んだベートーヴェン盤で選んだのは、最後の3つのソナタ。このディスクを聴くにあたって、タローがインタヴューに答えたコメントが極めて示唆に富むものなので、その最も重要な一節をここに訳出しておく。

 「ベートーヴェンはこれら作品を決して聴くことなど出来なかった、ということを決して忘れるべきではありません。これらは鍵盤を使って作曲されましたが、既にこの時点で、彼の聴力は喪われていました。演奏者も聴き手も、このことを覚えておく必要があります。彼が頭のなかで何を聴いていたのかを知らないのに、音楽史上最も偉大な作曲家の一人の音楽を、一体どう演奏すればよいというのでしょうか。しかしこの音楽を演奏するということは、ベートーヴェンの広大な心のなかに踏みいる、ということです。およそ人智の枠組みを越え、新たなる色彩、高熱を出したときに耳にするような類の音、夢と悪夢との音を探り当てることなのです」。(本作ライナーノーツより筆者訳出)

 第30ソナタからして、今までの録音同様に、指の一本一本が独立して鳴る粒立ちのよいタローのタッチが、特に走句や装飾的パッセージをくまなく照らし出して、その威力を発揮している。第3楽章では、第2変奏に現れるディミヌエンドとクレッシェンドの交替はじめ、細かい指示を丹念に追いながら丹念に彫琢した陰翳を積み重ね、全曲を閉じる主題から、自然と高貴な薫りが立ちのぼる。

 第31ソナタの第1楽章では、内声部や左手の半音階下行、左手に現れる主題などを明瞭に聴き取れるように強調してくる。第2楽章は一気呵成の勢いで弾かれることが多いが、タローはそうしない。中間部の、階段を転げ落ちるような下行する音の全てを、混濁することなくクリアに響かせながら、ゆったりとしたテンポを堅持する。

 第3楽章の序奏もだいぶ遅めだ。第1のフーガでは、そのメカニック能力を遺憾なく発揮して各声部を明瞭に色分けするために、この3声のフーガがどう絡み合っているのか、手に取るようにわかる。第2のフーガ直前の重い和音連打は、徐々に高揚して、遂にはこれでもか、という力強いフォルティッシモに至り、壮麗なコントラストを打ち立てる。第1のものより更に手の込んだ第2のフーガでも、タローの指は、驚くべき明晰さでポリフォニーにそれぞれの光を照射し、その流麗な音楽は、悲嘆を越えた先にある、感動的な法悦へと自然に接続される。

 第32ソナタの第1楽章では、明暗とダイナミクスのコントラストを程よくつけつつ、なにより一切モタつく瞬間のないリズム処理の切れ味が冴えわたっている。第2楽章も、アリエッタの主題提示部からあっさりしたもの、一片の曇りもない凜とした響き、引き摺ることない颯爽とした足取りで、このベートーヴェンが最晩年に到達した音楽から、もはや生き生きとした、とか瑞々しい、と形容したくなる新鮮な響きを随所から溢れ出させる。しかし変奏が積み上がるにつれ、次第次第に、押しつけがましさのない、潔いまでの別れの音楽がそくそくと胸に迫ってくる。

 タローが探り当てた蠱惑的な「新たなる色彩」と、めくるめく「新たなるサウンド」に、じっくりと何度でも耳を傾けたくなる、珠玉の一枚である。Text:川田朔也

リリース情報
Beethoven Sonatas Nos. 30 - 32 / ベートーヴェン:後期3大ピアノ・ソナタ 第30番~第32番
WPCS-13794 2,800円(tax out)

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