2018/11/03
フランスでは、漫画やアニメをはじめとする日本のポップ・カルチャーが、ある一定の支持を集めていることは、さまざまな情報を通じてご存知の方もいるかと思う。それは真実だ、私が証人になる。
初めてパリを訪れたのは1977年。スイス・ジュネーブの学校でのサマープログラムを終えた後の帰路だった。8月生まれの私の誕生会を、先輩らが催してくれたことを覚えている。それから、何回も旅人として訪れ、地下鉄なら路線図を見なくても大体のところは行けるようなった。
最初に仕事で訪れたのは、2010年のこと。当時、日本にもその名が知られ始めていた「Japan Expo」の取材を企図した時だった。私は、パリ郊外にある運営側の本社を訪れた。Japan Expoは、2000年に、日本好きの学生らによって創設された。このようなイベントは世界中に点在しているが、最も成功したものの一つであることは間違いない。対応してくれたのは、フランスと日本にルーツを持つ才媛、シボ紗江さんだった。彼女の聡明な対応で、取材は素晴らしい仕上がりになった。
その時、もう1人の才媛に出会った。「NOLIFE(http://www.nolife-tv.com/)」という日本文化専門TV局のプロデューサー兼キャスターの、浅岡鈴果さんだ。当時、日本のコンテンツに対し明確な需要があったフランスですら、ミュージックビデオなどの素材を借用させてくれることが容易でなかった。彼女や、ご主人のアレックスさんをはじめとする現地スタッフは、力を合わせて、日本の関係各所に交渉していた。
フランスからは、私の元に、数多くのリアクションが届いた。その中の一人に、ベルギーとの国境に近い街から、頻繁にメッセージを届けてくれる女の子がいた。彼女の憧れは、ハロー!プロジェクトのアイドルだった。夢を叶えるために協力してくれたのは、モーニング娘。でリーダーを務めた、高橋愛さん。高橋さんとの最初の出会いも、Japan Expoでのライブだった。
その前日、別の仕事を終えて、アメリカのLAからロンドンへと移動した私は、ヒースロー空港で高橋さんと合流し、英国の視聴者の自宅をサプライズ訪問した。高橋さんの大ファンという、ティーンエイジャーの女性の笑顔は、瞬時に驚きと歓喜が入り混じった泣き顔に変わり、彼女を抱きしめた。そして当日、日帰りという強行スケジュールだったが、ユーロトンネルを越え、フランスのカレーで現地クルーと合流。その女の子には、同じように内緒にして自宅へと向かった。憧れの人に会うことは、国を越えて感動をもたらす。祖父母と共に暮らす女の子は、本人の予告なき登場に、会えた喜びと、心からの感謝を、何度も伝えた。
翌年、パリの日本関連施設で、番組のファン・ミーティングを開催した。高橋愛さんと新垣里沙さんがホスト役を務めてくれた。司会は、浅岡鈴果さんだった。全欧州から数千に及ぶ参加希望が届いた。抽選で選ばれた約200名は、解散後も、パリのカフェで余韻を楽しんだという。
シボ紗江さんはJapan Expoを離れた後、その名も「JAPAN FM(https://goo.gl/FVXPsV)」というインターネット・ラジオ局の立ち上げに関わった。日本の音楽文化を、フランス人のスタッフと共に、24時間ノンストップで全世界に伝えている。「NOLIFE」は、残念ながら、今年、閉局した。日本文化に対する関心が、ビジネスの成功と必ずしも結びつかないことを、我々も理解する必要がある。
世界には、日本のポップ・カルチャーへの理解者やサポーターが数多く存在する。日本にルーツを持つ2人のパリ・ジェンヌは、両国の絆となり、友情を紡ぎ続けている。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明大・武蔵大講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
関連記事
最新News
関連商品
アクセスランキング
インタビュー・タイムマシン
注目の画像