2018/10/06 12:00
海外の日本音楽ファンが最も望み続けてきたこと。それは、現地でのライブの増加である。日本円でいえば5000円前後ならチケットを買っても良いという答えが最多数だ(https://goo.gl/yrRSfE)。どんなにテクノロジーが進化しても、人と人とが直接会い、時間と空間を共有することを凌ぐことはできない。これは、私が世界中の人々とコミュニケーションを重ねてきた実感である。
視聴者だけでなく、時には意外な方から「是非、取材にきてください。もし可能なら、一緒に日本文化イベントをやりましょう」という提案を頂くことがあった。2011年、アメリカのシカゴから、1つのオファーが届いた。メールの送り主は、当時、総領事を務められていた久枝譲治さんだった。久枝さんとは、シカゴ出身で私の親友である、デーブ・スペクターさんを通して知己を得た。アメリカは、最も多くのリアクションが届いている国の一つだ。しかし広大な国土ゆえ、ファンは各地に点在している。アメリカの中心に近いシカゴでファン・ミーティングを開催し、直接交流を行い理解と親善を深めたら、視聴者の声をダイレクトに反映させた、より的確な番組制作ができるのではないか。断る理由はなかった。
番組司会のMay J.さんらとオヘア空港に降り立つと、外は吹雪だった。まず訪れたのは、郊外の大学の講堂で開催された、矢野顕子さんとSkoop On Somebodyが出演するコンサートだ。満員の聴衆が詰めかけていたが、一つ、大きな問題があった。主催者が素人で、PAモニターの必要性を認識していなかったのだ。どうやら、壁にある講演用のスピーカーで拡声すれば良いという程度に考えていたようだった。アーティストは、自分の声を確認するための「転がし」と呼ばれるモニターの片方を観客に向け、それが会場の唯一の音響となっていた。そのような環境の中でも、2組は素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた。May J.さんもゲストで登場。それが彼女のアメリカでのステージ・デビューだった。
翌日、シカゴ総領事館の文化交流施設をお借りして、全米の視聴者と初めての交流会を開催した。アメリカ人の日本ファンと会い、意見を拝聴することは、かけがえのない貴重な財産となった。
その年の秋に、久枝さんは中東にあるオマーンの大使へと栄転された。間もなく、首都マスカットにある大学で、各国の大使らも招き、日本文化をプレゼンテーションする「ジャパンデイ」を開催されたいという相談が届いた。メインゲストとしてMay J.さんを招聘したいという。戒律の厳しいオマーンでは、ライブを行った日本の女性ポップミュージシャンは皆無だった。私は、大使館の方を連れて、市内にある唯一の音響会社を訪れた。シカゴの現場に居合わせ、初めから関わるなら最善の音で公演を実施したいからだ。しかし、大使館員は、誰も詳しいことはわからない。私は機材を指定し、オペレーターは社長自らが行ってくれるように交渉した。職人同志は、分かり合えるものだ。
公演もロケも、大成功を収めた。終演後、地元の若者たちとファン・ミーティングを行った。May J.さんは、一人一人と握手をし、語り合い、写真を撮った。彼らにとって、日本が心に刻まれる、忘れられない一日になったことだろう。このような、地道に「好き」を増やす努力は、決して絶やしてはならないのだ。
久枝さんは外務省を退官された後、明治大学国際日本学部の客員教授として教鞭を執られている。私は兼任講師にすぎないが、同僚となり、音楽という視座で、日本文化の世界伝播の可能性を探求している。シカゴからオマーンを経て中野キャンパスに至る、不思議な縁を噛みしめながら。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明大・武蔵大講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
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