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2018/05/04 10:00

河村尚子のショパン 高度なタッチ・コントロール技術が紡ぎ出す詩情(Album Review)

 河村尚子は録音にはじっくり時間をかけるタイプのようで、このアルバムで、いまだ通算5枚目。しかも前作のラフマニノフ盤から、もう4年もの月日が流れている。

 2007年に河村の制したハスキル・コンクールは不思議なコンクールで、歴代のメダル受賞者も、先般ブラームスの協奏曲をここでご紹介したラルームも、あるいは前回の優勝者で、近々ご紹介予定の藤田真央もそうだが、抜きんでたタッチ技術と類い稀なる抒情性を備えた奏者が居並んでいる。河村もそのひとりだ。今回は、彼女の千変万化な音色の妙を、初めて弾いたというベーゼンドルファー・インペリアルの豊穣な響きで堪能できる点も、大きな魅力である。

 ショパンの白鳥の歌のひとつにして窮極の到達地点たる『幻想ポロネーズ』は、5つの主題が現れてそのどれもが素晴らしく、それらのブリッジも天才的なショパンの最高傑作であるだけに、奏者には一瞬たりとも集中力を切らすことが許されない。河村は各主題の表情付けとコントラストの描出が繊細であるのみならず、再現部を経てクライマックスへと強度を増す力の入れ方も気迫にみちており、雄渾な演奏を聴かせてくれる。

 『幻ポロ』と並ぶもう一つの大きな収録曲は、河村曰く、日々折々に書き留めた「日記」だと言う『24の前奏曲』。指回りの敏捷性も申し分ない河村だが、たとえば無数の技巧的アルペッジョに彩られた第3番で、わざわざその切れ味を誇示せず、ひとつひとつの音符にくまなく光をあてることに心血を注ぐ。

 自己目的化した「技巧のための技巧」の極点からこそ見えるものもあろうけれど、河村の行く道は、技巧はあくまで音楽のために、という正攻法。しかしこんな手垢のついた言葉ほど、その実現は容易くない。河村の美点は、このスタンスを終始崩さず、徹底して突き詰めることだ。

 難儀な第16番や、『エオリアン・ハープ』同様、指でなぞるだけならともかく粒を揃えて美しい浮遊感を漂わせるには第一級の手腕を求められる第19番において、河村は己の技巧的冴えをひけらかしたりしないし、ダイナミックな曲でも力任せにねじ伏せようとしない。だから重々しい行進の第12番や、嵐のようにうねる第24番でも、表面的な諸要素やfffの指示に引き摺らるあまりに我を忘れることを、自らに許さない。

 それでは冷徹な演奏なのか、といえばそうではなく、すみずみまで目端のきいた演奏からは、抑えようもない抒情味が滲み出る。これこそが河村の河村なるがゆえんだろう。そして、たとえどんなに強奏しようとも、音色はどこまでも澄んでいる。だが、猛り狂う切迫感とダイナミックな力感を殺いで柔弱さに変換されることはない。もちろん、独善的な粗暴に転じることもない。河村が目指すのは、その両極の境界地帯のあわいに身を置くことで、その試みは見事に成功している。

 確かに「日記」のような曲集ゆえ全体としてどうこう言うことは難しいのだが、第3番終盤のバスラインの強調、第4番や第6番の悲しみの歌、第7番のそこはかとない潤い、第11番の旋律線の浮き立たせ方は格別だし、もろさと儚さを慈しむ第13番、度重なる転調による色合いの変化とコントラストを丹念に解きほぐす第21番、左手オクターヴ連打が抜けよい第22番と、聴き所は山とある。

 このアルバムにはそのほかに『幻想即興曲』、遺作の前奏曲に作品59のマズルカが収録されているが、珍しいのは『フーガ』である。ショパン全集や全曲演奏会でもなければまず耳にできない秘曲ゆえ、まずは前説抜きにお聴き頂くのが一番だ。Text:川田朔也

◎リリース情報
ショパン 『幻想ポロネーズ』、『24の前奏曲』など
河村尚子(ピアノ)
SICC-19009 3,240円(tax in.)

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