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2017/09/04 19:30

エフゲニー・キーシンが放った、渾身のベートーヴェン(Album Review)

 神童として世界の表舞台に彗星の如く現れたエフゲニー・キーシンも45歳、円熟のときを迎えつつある。四半世紀ぶりとなるドイツ・グラモフォンへの復帰第1弾を飾るのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集2枚組である。

 ソロ録音としても実に10年以上ぶりとなる今回のアルバムは、複数の作曲家の作品を収録したディスクが多いキーシンにあって、異彩を放っている。

 加えて、収録時期は2006年から2016年まで10年にわたり、録音場所も世界各地に点在。そして「聴衆のために演奏する方が、インスピレーションが湧く」と語るキーシンが、ライヴ録音のなかから自分でチョイスしたものだ。

 つまり、これこそいまキーシンが捉えているベートーヴェンの姿をベストな状態で並べた、一種の集大成ということになる。その矜恃のほどは、以上のような情報からだけでも十二分に窺い知ることが出来よう。

 ただ、かくも時間的かつ距離的な疎隔のあるライヴ録音を選りすぐったアルバムだけに、こと録音技術の側面、すなわちアルバムとしての音作り、という切り口からすると、やや一貫性に欠けてしまっているのは致し方ないところだろう。

 そうしたマイナス要素もありはするが、それでも全曲をライヴ録音で固めた強みは大きい。もちろん、客席の咳払いを多少なりとも拾うし、僅かなミスもそのままだが、こうしたノイズが、キーシンのライヴにおける、あの恐るべき完成度の高さをまざまざと見せつる格好になっているからだ。

 演奏は、といえば『32の変奏曲』のいくつかの変奏や『月光』第3楽章プレスト・アジタートのように、劇的な推進力で突き進む圧巻の変奏や楽章もあれど、基本的なテンポ設定は余裕あるのもだ。アレグロやアレグロ・マ・ノントロッポ等々をプレストに引きつけすぎてしまう陥穽を、キーシンは丹念に避けている。

 だから第3ソナタや『熱情』の両端楽章、再会の喜びはじける『告別』第3楽章、第32ソナタの第1楽章などで、勢いにまかせて弾き飛ばしてしまうことはない。細部のアーティキュレーション、リズムパターンや動機、その一つ一つを丁寧に彫琢しつつ、常に歌うことに意を砕いており、すっきりとした見通しのよい音楽から、どこまでも瑞々しく凜々しい歌が溢れ出す。

 演奏の美点を挙げてゆけばキリがないのだが、なかでも特筆すべきは、変奏曲における無類の巧さに、より一層の磨きがかかったことだろう。

 緩急とタッチの質感の差を用い、精緻なアーティキュレーションで各変奏の性格の描き分けを施して一気に聴かせてしまう『32の変奏曲』はもちろん、ソナタの中にある変奏曲の演奏は、このアルバムでも、最も感動的な部分だろう。

 『熱情』第2楽章における、音価が細分化されてゆく3つの変奏での、虚飾ない美しさ。第32番第2楽章の5つの変奏では、変奏が進むにつれ、より内面の奧へと沈潜し、深みが増し、最晩年のベートーヴェンが到達した、祈りにも似た崇高なまでの佇まいに肉薄している。

 キーシンの音楽は魅力的な自発性に満ちている。それはレーベルが変わろうが、スタジオから戸外に出ようが、なにも揺らいではいない。再びタッグを組んだキーシンとDGレーベルが問うだろう、今後のリリースからも目が離せまい。Text:川田 朔也


◎リリース情報
エフゲニー・キーシン『ベートーヴェン・リサイタル ~ 《月光》《熱情》《告別》 他』
UCCG-1772 3,780円(tax in.)

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