2017/05/02 19:37
すい臓がんのため3月1日に亡くなったムッシュかまやつさん(享年78)のお別れ会が2日、東京都内で営まれ、芸能関係者ら1000人が参列。お別れ会では10年ぶりに再結成したザ・スパイダ-スが「フリフリ」「バンバンバン」「ノ-ノ-ボ-イ」などを披露した。
会の終了後、ザ・スパイダ-スの6人(堺正章、井上順、井上堯之、大野克夫、加藤充、田邊昭知氏)が囲み取材に応じた。
堺は「かまやつさんの素晴らしさを再認識する、そういう気持ちで終われました」と晴れやかな表情を見せつつ「リハ-サルで、みんなが定位置についた時は何かジ-ンときてね。それでふと横を見ると、かまやつさんがいない。あの人が持っていた役割、スパイダ-スでの(彼の)価値というのは、いなくなって初めて分かった部分もありました」と語った。
10年ぶりとはいえ、見事な演奏を披露したザ・スパイダ-ス。堺が「みんな命懸けでしたから」と笑わせれば、井上順も「最後までよく持ちましたよね。やっぱり“かまやつさんを送ろう”という気持ちだと思うの。田邊さんにしても、本当に10年ぶりにスティックを持ったわけですよ。明日大変だと思うけど、それに負けない魂のドラムスを聞かせてもらった。何よりもお別れ会って悲しくなっちゃう感じがあるけど、堺さんの絶妙な司会のおかげで、みんなで明るくかまやつさんを送ることができた。もう拍手しかない。最高だよ」と語った。
また、かまやつさんの思い出を語る中で、堺は「遅刻の常習犯。いろんな言い訳を作っていたけど、それがかまやつさんのア-ティスト性というか、それで怒る人はいなかった」と述懐。
「世間の形にハマることがないので、一番扱いにくいメンバ-だった」としながらも、その自由さに触れ「そういうのがある意味、スパイダ-スを作っていてくれていた。よく遅れましたよ。一番印象深かった言い訳? 『明日だと思った』。そのパタ-ンをよく使っていました」と笑わせた。
さらに「表のリ-ダ-は田邊さんだけど、スパイダ-スを小さいお魚から大きいお魚に変えていってくれたのはかまやつさんの存在だった。これは大きかった。ミリタリ-ルックを着ようというのもかまやつさんのアイデア。ちゃんちゃらおかしくて私はやりたくなかったけど、いざ着てみたら、それがスパイダ-スを象徴するようなものになった」と振り返った。
10年ぶりの再結成となったザ・スパイダ-ス。「次はいつ見られる?」という質問に田邊氏が「基本的にはないと思う。誰か死んだら…」と冗談めかせば、堺も「あんまり癖になっちゃってもいけない。できればスパイダ-スは思い出の中にあった方がいいというのが本音でしょうかね」とコメント。
井上順も「スパイダ-スとしては、今日がある意味、一つのけじめになった。とにかくうれしかったのは残っている6人のメンバ-が元気に演奏できて、楽しい時間を過ごせたこと。一番喜んでくれているのはかまやつさんじゃないかな」と目を細めた。
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