2023/03/03 14:45
現地時間2023年3月2日に、現代米国のジャズ作曲家、サックス奏者として最も賞賛され、非凡な存在であったウェイン・ショーターが89歳で死去した。報道時点では死因に関する情報は得られていないが、レーベルであるブルーノート・レコードの広報担当者が米ビルボードに対し、彼が米ロサンゼルスで死去したことを認めた。
ショーターの広報担当者の声明には、「先見の明のある作曲家、サックス奏者、ビジュアル・アーティスト、敬虔な仏教徒、献身的な夫、父親、祖父であるウェイン・ショーターは、その素晴らしい人生の一部として新しい旅に出発しました。豊富な新しい挑戦と創造の可能性を求めて、我々が知る地球から旅立ったのです。常に好奇心旺盛で、常に探求し続け、大胆不敵で情熱的な革新者であるショーターは、まだ89歳の若さで、2月に13回目の【グラミー賞】を受賞したばかりでした」と書かれている。
そして、「ショーターは、献身的な妻のキャロリーナ、娘のミヤコとマリアナ、そして生まれたばかりの孫のマックスという愛する家族に囲まれながら亡くなりました。最近では、ウェインは次のプロジェクトであるジャズ・バレエについて考えていました」と続いている。
ホレス・シルヴァー・クインテットやメイナード・ファーガソンのビッグ・バンドで短期間活動したあと、ショーターのキャリアは1959年にアート・ブレーキー・ジャズ・メッセンジャーズに参加した頃に本格始動した。4年間の在籍中に、彼はグループの音楽監督になり、多面的な作曲家、そして駆り立てるようなハード・バップ・サウンドの達人へと開花した。
ショーターはその後、ジャズ・アイコンのマイルス・デイヴィスのクインテットに6年間在籍しながら音楽の翼を広げ、すでに圧倒的な才能の層を厚くした。1969年のデイヴィスの画期的なジャズ・フュージョン・アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』、『ビッチェズ・ブリュー』などにも参加している。
テナー・サックスの名手であったショーターは、デイヴィスの軌道を離れる頃にソプラノ・サックスに転向し、1970年代から80年代にかけてキーボードのジョー・ザヴィヌル、ベースのミロスラフ・ヴィトウス、パーカッションのアイアート・モレイラ、ドラムのアルフォンス・ムゾーンと共にフュージョンのスーパーグループ、ウェザー・リポートで演奏した。長く活躍したこのグループには、ほかにジャズ・ベーシストのジャコ・パストリアス、セッション・ドラマーのスティーヴ・ガッドとオマー・ハキム、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのドラマーだったグレッグ・エリコなども在籍していた。
1933年8月25日に米ニュージャージー州ニューアークで生まれたショーターは、1950年代半ばにニューヨーク大学で音楽を学び、ジョン・コルトレーンやサニー・ロリンズといったジャズのパイオニアたちに影響を受けたスタイルを確立した。即興演奏やロック、ファンク、R&Bのスタイルを取り入れ、エレクトリック・ギターやキーボードを加えたフュージョン・サウンドの先駆者となっただけでなく、知的なショーターは、デイヴィスと仕事をしていた期間中に、愛されるソロ・アルバムを次々と発表した。
これらの中には、コルトレーンのカルテットのメンバーが参加した『ジュジュ』、デイヴィスとのバンド仲間が参加した『スピーク・ノー・イーヴル』などが含まれている。後者は、多くのジャズ評論家がショーターの作曲の素晴らしさを示す最高の例であり、1950年代以降のジャズ時代を学ぶ者や愛好家にとって基礎となるテキストであると位置付けている。
これらのバンドでの活動に加え、ショーターはフォーク・アイコンのジョニ・ミッチェルと10枚のアルバムで共演したほか、ブラジルの作曲家/歌手ミルトン・ナシメントや同じくデイヴィスとのバンド仲間だったカルロス・サンタナ(1980年の『ザ・スウィング・オブ・ディライト』)ともコラボし、そしておそらく最も注目を集めたジャズ以外のコラボでは、スティーリー・ダンが1977年にリリースしたアルバム『彩(エイジャ)』のタイトル・トラックで長いソロを演奏している。
ショーターは2000年代に入ってからも録音と演奏を続け、2000年にドラマーのブライアン・ブレイド、ベーシストのジョン・パティトゥッチ、ピアニストのダニーロ・ペレスとアコースティック・カルテット、フットプリンツを結成し、2006年に【グラミー賞】を受賞したアルバム『ビヨンド・ザ・サウンド・バリアー』など4枚のライブ・アルバムをリリースしている。また、2016年にはサンタナとハンコックのほか、ベーシストのマーカス・ミラー、ドラマーのシンディ・ブラックマン・サンタナが参加したスーパーグループ、メガ・ノヴァでツアーを行っている。
60年以上にわたってショーターの最も親しい友人だったハービー・ハンコックは、「私の親友であるウェイン・ショーターは、心に勇気を持ち、すべての人への愛と思いやりを持ち、永遠の未来への求道心を持って私たちのもとを去った。彼は生まれ変わる準備ができていたのです。すべての人間がそうであるように、彼はかけがえのない存在であり、サクソフォニスト、作曲家、オーケストレーター、そして最近では傑作オペラ“イフィゲニア”の作曲家として卓越した頂点に達することができました。彼のそばにいることや、彼の特別なウェイン・イズムが恋しいが、彼の精神はいつも私の心の中にあります」とコメントしている。
半世紀以上にわたってツアーやスタジオで活動してきたショーターは、2018年に健康上の理由で演奏活動から引退した。そのキャリアの中で、ショーターは13の【グラミー賞】に加え、2015年に【グラミー】の<生涯業績賞>、2016年にグッゲンハイム・フェローシップ、2017年に【ポーラー音楽賞】、2018年に【ケネディ・センター名誉賞】を受賞している。
その70年のキャリアの中で、ショーターの作品はシカゴ交響楽団、デトロイト交響楽団、リヨン交響楽団、ポーランド国立放送交響楽団、オルフェウス室内管弦楽団、プラハ・フィルハーモニー、ロイヤル・コンセルトヘボウ交響楽団など多くのオーケストラで演奏されたほか、ソプラノ歌手のルネ・フレミングやイマニ・ウインズなどのアンサンブルによっても演奏された。また、ナショナル交響楽団、セントルイス・シンフォニー、ナッシュビル・シンフォニー、ロサンゼルス・フィルハーモニー、ラホヤ・ミュージック・ソサエティなどからの委嘱も受けている。
2018年にリリースしたアルバム『エマノン』がショーターの遺作となった。
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