2013/04/15
シャキーラの私生活の様子とお財布事情が、元交際相手でアルゼンチンのビジネスマンであるアントニオ・デ・ラ・ルアが起こした訴訟により表沙汰になりそうだ。
アルゼンチン大統領である父親の選挙運動部長として働いていたデ・ラ・ルアは、2000年にシャキーラと出会い、その後すぐに交際を始めた。破局後もビジネス・パートナーシップはしばらく続いていたが、結局打ち切られ、彼は1億ドル(約98億円)を受け取る権利があると主張している。資料によると、シャキーラが2008年にライブ・ネイションのみと締結した10年間契約は、3億ドル(約295億円)の価値があると、デ・ラ・ルアは見積もっているという。
4月12日にカリフォルニア高等裁判所に提出された訴状でデ・ラ・ルアは、シャキーラ(本名:シャキーラ・イサベル・メバラク・リッポール)の世界的な成功は、“単純に幸運だった”わけではなく、“音楽界を攻略するためメバラクとデ・ラ・ルアがビジネス・パートナーとして共に一生懸命戦った結果”であると主張している。
デ・ラ・ルアは、シャキーラの人気がラテン・アメリカ市場を越えて拡大しているのは自分の手柄だとし、“シャキーラを長期的な成功へと導いたマネージメント・チームとビジネス・プランは、主に自分が立てた”としている。
実際、このパートナーシップの統率をデ・ラ・ルアが引き継いで以降、彼は破局後も続いていたビジネス関係に価値を見いだし推進していたという。
他に収益のある仕事の中には、“Telefonica”との900万ドル(約8億9千万円)のスポンサー契約や、“Puig”の香水での10年間に渡り毎年200万イギリスポンド(約3億円)が保証されていた契約が挙げられる。「このパートナーシップは、失うリスクがほとんど無く、10年以上にわたり安定して数百万ドルの利益を生むことが保証されたものだった」とデ・ラ・ルアは強く主張している。
2011年にシャキーラがウェブサイト上で発表した文章が証拠として提出されており、そこには「(私たちは)ビジネスとプロの世界においてはパートナーであり続ける」と書いてある。また、この継続的パートナーシップは、シャキーラがライブ・ネイションのCEO、マイケル・ラピーノに送ったメールでさらに強調されており、「(破局は)私たちの関係において恋愛のみでのこと。彼(デ・ラ・ルア)が発する言葉は私のもの…。私たちは全てのプロジェクトにおいて引き続きパートナーを組んでいきましょう」と綴られている。
それから1年も経たない2011年の10月、デ・ラ・ルアは事業がシャキーラによって“終了された”と訴えることになった。2012年の2月には、シャキーラはジェイ・Z所有のロック・ネイションと契約したことを発表している。なお、デ・ラ・ルアの訴訟は、バハマでシャキーラに先制訴訟されたことに対するものであることは明らかだ。
NBCのオーディション番組『ザ・ヴォイス』では審判する側のシャキーラ。私生活ではスペイン人サッカー選手のジェラール・ピケと交際中で、1月には彼との間に男児が生まれている。
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