2021/10/11
ポール・マッカートニーが、ザ・ビートルズの解散について振り返った。彼は、2021年10月23日に全編が放送される英BBC Radio 4シリーズ『This Cultural Life』のエピソードで、バンドの解散を決定づけたのが誰だったのかということについて事実関係を明らかにしている。
英紙ガーディアンでプレビューされたインタビューの一部でポールは、「分裂を引き起こしたのは僕じゃない。あれは我らがジョニーだった。ある日部屋に入ってきたジョンが、“僕はビートルズを去るよ”って言ったんだ。それって分裂を引き起こしているよね、違うかい?」と語っている。彼はまた、「これは僕のバンドで、仕事で、人生だったのだから、続いてほしかったよ」と当時の心情を明かしている。
人生で“最も困難な時期”だったいう当時を振り返りながらポールは、故ジョン・レノンの決断のあと、自身と残されたメンバーのリンゴ・スターと故ジョージ・ハリスンは“困難な事態を収拾するしかなかった”と語っている。さらに、マネージャーのアレン・クラインがビジネス上の取引が成立するまで黙っているよう彼らに勧告したため、解散をめぐって混乱が生じてしまったと説明している。
ポールは、「だから数か月の間(問題がない)フリをしなければならなかった。僕らは皆ビートルズがおしまいだって知ってたのに、ただ背を向けるわけにもいかなかったし変な感じだった」と振り返っている。結果的にそんな状況に嫌気がさしたポールが、秘密を漏らした。「その頃、ちょっとしたミーティングばかりしてて最悪だった。僕たちの本質とは真逆だった。僕らはミュージシャンだったんだよ、ミーティングをする人じゃない」と彼は語っている。
ポールは1970年にビートルズを告訴したが、これは“信用できない”クラインにコントロールさせないためだったと説明している。「僕は戦わなければならなくて、戦うには他のビートルズ・メンバーも告訴しなければならなかった。クラインと同調していたからだ。何年も経ってから彼らは僕に礼を言ってきたよ」と彼は語っている。
ジョンが去る決断をしていなければ、バンドは続いていただろうとポールは考えており、「要はジョンがヨーコと新しい人生を作ろうとしていたってことだよ。ジョンはずっと社会から自由になりたがっていたんだ、ほら、抑圧的だったミミおばさんに育てられたから。自由になるきっかけをずっと探していたんだ」と語りつつも、オノ・ヨーコに責任があったとは思っておらず、「彼らは最高のカップルだったよ。(二人の関係には)巨大な強さがあった」と述べている。
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