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滴草由実 『花 Kagari』 インタビュー
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--初登場ということで、まず滴草由実の歴史を辿らせていただきたいんですけど、まずは音楽の目覚め、滴草さんが歌うことに目覚めたキッカケについてお話を聞かせてください。
滴草由実:私が3,4歳の頃にお母さんが合唱団に入っていて、その練習によく連れていかれていて。そこで合唱団の発声練習とか歌とかを聴きながらお絵かきとかして、終わるのを待ってたんですよ。なので幼い頃からいわゆる“歌”には触れていて。そんな感じなので家にも音楽がよく流れていて、私も学校では他の授業に比べて音楽の授業が大好きだったりする女の子だったんですよね。それで小学生の頃には、歌をうたうだけでたくさんの人に想いが伝わったりとか、感動させられるような存在に憧れていて。そこから自分も合唱団に入ったりして。
--早くも本格的に動き出したんですね。
滴草:それで中学生の時に今の自分を作った大きな出来事があって。そのときに歌に支えられて、歌があったから私は今ここにいるって思えるし、前に進めたと思うんです。で、その頃からオーディションを友達と受けたりしてたんですけど、「歌手になりたい」っていう夢をみんなに打ち明けるのに勇気が必要で。でも思い切って、学校の授業で“将来の夢”を作文で書くことがあったので、すごく迷ったんですけど「歌手になりたい」って書いてみて。やっぱりそこでみんなにバカにされたりはして(笑)。ただ逆にそこでのショックや、さっき言った大きな出来事があったので「絶対になってやる」と決意できて。
--その滴草さんに「絶対になってやる」と決意させた“大きな出来事”って何だったんですか?
滴草:ぶっちゃけると“いじめ”なんですけど。そういう苦しい時期に最終的に手を伸ばす、求めてしまうのは歌だったんですよね。歌がないと殻に閉じこもったままになってしまって、一歩が踏み出せなくて。歌うことで自分に強くなれる気がして。あまりその頃の想いっていうのは誰かに言えなかったんで、自分と歌が一番身近な関係というか。
--ちなみにその頃はどんなアーティストの曲を聴いて勇気づけられたりしていたんですか?
滴草:生きること自体もうよく分からなくなって、このままじゃ死ぬってなったときに『be alive』という小柳ゆきさんの曲が聴こえてきたんですよ。そしたら、そのときの想いと歌詞が重なったり、すごいエネルギーを感じて「自分このままじゃいけないな」「自分には歌しかない」って気付いて。あとお兄ちゃんとかお姉ちゃんの影響もあって洋楽も聴きだしていて、初めてお兄ちゃんにもらったCDがローリン・ヒルだったんですよ。で、彼女の歌詞とか人生観とか見てたら「すごいな」って純粋に思ったり、初めて聴いたときにはバァーって鳥肌が、心まで鳥肌が立つみたいな感じで、「自分がやりたい音楽ってこれだな、これでやっていきたい」と思って。
--目覚めるわけですね。
滴草:将来のことを考えたときに、自分は仕事を仕事だって思ってやりたくないなってそのときから思っていて。自分の好きなことをやって、そこから誰かに何かを与えられる職業というか、そういう道でずっと生きていくという未来を描いてました。
--オーディションに関しては結構受けたんですか?
滴草:友達に誘われていくことが多かったですね。それでとあるシンガーオーディションを受けたんですけど、決勝まで行ったらチャンスがあるかもみたいな感じだったんですね。で、そのオーディションの決勝まで行けたときに、また自分の夢に向かう一押しになったというか、そのときに大きなステージで歌ったのが初めてで、ライトを浴びて、人もいっぱいいてすごく緊張したけど、歌ってる瞬間に「私の場所だ」っていう風に思えて。「もしダメだとしても後悔しないように、絶対諦めないで行けるところまで行こう」っていう気持ちになれて。
--その大きいステージに立ったときは、これまで生きてきた中にないぐらいの気持ち良さがあったんでしょうか?
滴草:本番のステージに出る前はすっごい緊張しましたけどね。しかも一番最後だったんですよ(笑)。で、それまでみんなの歌を聴くじゃないですか、「うまぁ~」みたいな(笑)。でも自分がステージに立って曲が流れた瞬間にその世界に入っちゃって「伝われ!」みたいな気合いも入って。
--ちなみにそのときは何を歌われたんでしょうか?
滴草:『be alive』。
Interviewer:平賀哲雄
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--なるほど。その『be alive』を歌って、夢を一気に近くまで引き寄せるわけですけど、そこからデビューするまでライブを数多くこなしていたそうですね。
滴草:やってましたね。この後もオーディションを受け続けたし、先ほど話したオーディションのステージより更に大きいステージで歌ったりもしました。それはデビューする前の年だったんですけど、倉木麻衣さんや他のアーティストの皆さんと全国ツアーをまわって。デビューの半年前ぐらいからも大阪で月イチぐらいでライブを始めてて。そこでもいろんなことを学びましたね。最初はMCが苦手だったんですけど(笑)段々慣れていく内に想いを言葉で言うようになっていったりして。あとすべてのライブに対して言えることなんですけど、ライブが終わった後は“楽しかったな”っていつも思うんですよね。ライブ中は「想いを届けよう」というところで精一杯なんですけど。
--あとライブと言えば、滴草さんはあのナラダ・マイケル・ウォルデンにドラムを叩いてもらって歌ったことがあるんですよね?何がどうなったらそんな奇跡的な出来事が起こるんですか(笑)?
滴草:(笑)。それは自分でも不思議なんですけど、私がライブのリハーサルでアン・ヴォーグの『フリー・ユア・マインド』を歌ってたら、奥から外国の人がズラって並んで現れて私の歌を聴いてるんですよ。その頃はデビューしたばかりだったんで、媒体の方がよくいらっしゃっていたので、そういう方なのかと思ってたんですけど、ナラダさんで(笑)。で、その日のライブの本番が始まって、アンコールのタイミングで「ナラダさんがラストのアン・ヴォーグの曲を一緒にやりたいそうですよ」ってマネージャーが言ってきて、「えぇ!?」みたいな(笑)。それでリハもなしにドラムを演奏してもらったんですけど、すごかったです。迫力も重たさもグルーヴも全然違うし、最高なライブになりましたね。その後、一緒にレコーディングしたり、曲作ったりして、勉強になりました。
--デビューしたからって誰もが経験できることじゃないですからね。あと、少し話が前後してしまうんですけど、2003年7月2日に『Don't you wanna see me
滴草:ずっと描いていた夢が叶ったわけじゃないですか。だからCD屋さんにコソっと行って自分のCDが置かれてるのを見て、不思議な感じもしたんですけど、今までの大変だったこととかがサァーって軽くなっていって。ハッキリと先が見えてたわけじゃないけど、希望に溢れていました。すごく幸せで。でもよく「夢が叶ってから大変なんだよ」というのは聞いていたので、不安と希望が半々でしたね。
--そんな中、初めてのアルバム『CONTROL Your touch』がリリースされるわけですが、あれだけ高いクオリティのアルバムを最初から作れたというのは、かなり嬉しいことだったと思うんですが。
滴草:そうですね。それまでは自分一人で歌ってる感覚だったんですけど、周りの私を支えてくれてる人とか、一緒に仕事してくれている人とかにすごく感謝の気持ちが生まれましたね。私、何もないところから物を作ることが昔から好きで、アルバムも何もないところから曲を選んで詞を付けて、アレンジして、段階を経て出来上がっていくんで「なんて楽しいんだ」みたいな。作り終わったときは「寂しいな」っていう感覚になるぐらい。レコーディングでスタジオこもったりとか、だんだん一曲ずつ良いモノが出来ていくことにすごく幸せを感じてですね、「やっぱり好きなんだなぁ」って思いましたね。
--あと、滴草由実さんは、さっきのナラダの話もそうなんですけど、あり得ない出来事が結構多くてですね、ビックリさせられてるんですけど。
滴草:(笑)。
--ワイクリフ・ジョンに招かれてニューヨークに行くなんていうことは、今までいろんなアーティストのインタビューしてきましたけど、聞いたことがない(笑)。一体どういった経緯でそんなことが!?
滴草:それは私も不思議なんですが(笑)。だってこちらから「やらせてください」と言ったわけではなくて、私はそんなオファーが来ていたとは知らずに、決まってから聞かされたんですよ。「決まったんだよ、ニューヨークに行くことが。知ってる?ワイクリフって」って聞かれて(笑)。本当は一年掛けてニューヨークでアルバムを一枚完成させる話だったんですけど、日本での仕事があるから急にはムリで、それで一年が半年になって、三ヶ月、二ヶ月、一ヶ月、そして二週間に・・・。でもファーストアルバムの制作中に「次はニューヨークでレコーディングだぁ!」なんて言っていたので、まず短期間でもニューヨークに行く夢が叶ったことが嬉しくて。しかもワイクリフ・ジョンが待ってるという。
--なぜワイクリフは滴草さんにラブコールを?
滴草:ワイクリフがアジアのシンガーで作品を作りたいと思っていたらしくて、いろんなアジアのアーティストのCDを並べて聴いたり見たりして、その中に私のCDもあって、私になったらしいんです。それでニューヨーク行ってスタジオに入ったら私のCDを聴いてくれてたりして、車の中とかでも。でもそのときは実感が湧かなくて、あのフージーズ(滴草由実も愛聴していたローリン・ヒルらとワイクリフ・ジョンが組んでいたヒップホップ・グループ)のワイクリフと一緒に音楽を作ることが。メルキー・セディック(ワイクリフ・ジョンの妹と弟)と一緒にレコーディングしたりもしたんですけど、すべて日本に帰ってきてから「あれって本当にすごいことだったんだな」って感じて(笑)。で、その後にリリースした私のセカンドアルバムを聴いた人から「歌い方変わった?」ってよく言われたんですけど、それは全部そのニューヨークでの経験のおかげで。セディックが言ってくれたんですよ、「由実は由実をそのままを出せばいい」って。そういうのは大きかったですね。
Interviewer:平賀哲雄
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--そんなワイクリフやセディックとの出逢い、それが反映されたセカンドアルバム『Yumi Shizukusa II』のリリースがあって、2005年2月にそれまでのイメージになかった“和”を基調にしたシングル『花篝り』がリリースされました。
滴草:自分は桜の季節に地元から夢のために旅立ったんですね。そのときに別れがあったんですけど、自分の地元のある小さな公園でその人とは待ち合わせをしていて、夜は満開の桜を電灯が照らすんですよ。私はそこで散る桜の花びらを見ながら待っていて。しかもそのときは旅立つ日の直前で、本当に複雑な気持ちで、今まで目指していた夢を叶えるために旅立つけれど、すごく大切な人と別れなければいけなくて。そのときの揺れる気持ちを綴った曲ですね。で、花篝りというのは、春になると夜桜を照らすために焚く火のことで、その記憶、想いと重なったんですよね。それでタイトルは『花篝り』にして。あと、この曲では日本のソウルみたいなものを打ち出したくて。やっぱりニューヨークでの経験が大きく影響してるんですけど、きっと日本とかアジアにもそこにしかないR&Bがあると思うから、別にアメリカのR&Bにあわせて作るんじゃなく、自分から出た想いに日本の伝統といったものをあわせて作ってみたいと思ったんですよね。
--今回その『花篝り』も収録されたサードアルバム『花Kagari』が完成したわけですが、この作品が完成した今の率直な心境を聞かせてください。
滴草:音楽性的にもそうなんですけど、ファースト、セカンドとはまた気持ち的にガラッと違う気がするんですよ。セカンドのときになかった想いが今作では出てるんですよね、自分が自分と向き合ったり、音楽と向き合ったり、未来と向き合ったりする機会、出来事がこの一年ぐらいは多くて。今までも素の自分で歌詞は書いていたんですけど「ここまで書いちゃアレかな?」という部分も今作ではさらけ出していて、気持ちがすごく出てるアルバムになったと思います。
--何が滴草由実さんにそうさせたのか、もう少し具体的に聞かせてもらえますか?
滴草:初めて『花篝り』をリリースしたときに全国キャンペーンをやったりしたんですけど、そのときまでは「みんなは自分のことをどう思ってるんだろう?」とか「私のことを知ってる人っているのかな?」とか、不安だったんですけど、実際に応援してくれてる人たちと触れ合ったり、意見聞いたり、ブログとかでみんなの言葉とかを聞いて、「すごく支えられてる」「もっとみんなと向き合いたいな」って思って。自分がちょっとした壁を作ってたら「良い曲」って言われてもそれが心に残る歌にはならないかもしれない、だからぶつかり合おうと思ったんですよね。なので今回のアルバムはサウンドや歌詞以上に“想い”を重視した作品になってます。気持ちが高揚しちゃって泣きながら書いた詞をそのまま使ったり、あまり考えずに作りました。
--ちなみに今「泣きながら書いた」と言っていた曲はどの曲だったりするんですか?
滴草:『時よ』と『傷ついても』ですね。他にもウルウルして書いた曲は多いですね(笑)。
--『時よ』は、宇徳敬子さん、YOKO BLAQ.STONEと三人の女性ボーカルが絡み合うナンバーになってますが、確かに聴いてる側からしてもウルウルきましたね(笑)。
滴草:この曲はまず私が歌入れして、そこにお二人に歌声を入れてもらった感じなんですけど、すごく二人の愛を感じたというか、優しさとか、それがコーラスに出ていて、聴いたときは嬉しかったですね。あと、宇徳さんのコーラスがすごくあたたかい感じだったので、どうしてそういった感じのコーラスを入れてくれたのか聞いたんですけど、『時よ』の歌詞を見たり私の声を聴いてすごく寂しそうに感じたらしいんです。それで「しずくちゃんは一人じゃないんだよ」という想いで私を包み込むように歌ってくれたみたいで、その話を聞いたときは泣きましたね。
--あたたかい感じと言えば『I'm sorry mom』の歌詞もそうですけど、これはお母さんに捧げているナンバーですよね?
滴草:気付いたんですよね。自分はお母さんがいるからここまで来ることができたし、お母さんを尊敬してる部分もあるし、喧嘩することもあるけど、大好きだし・・・というのはこういう場でしか言えないんですけど(笑)。反抗期が抜け切れてないのか、電話とかだとそういった想いとは逆のことを言っちゃったりするんですよね。そのあとにはすごく罪悪感があって落ち込んだりするんです。「なんで言いたいこと言えないんだろう」って。でも「歌だったら伝えられるかも」と思って詞を書いたんですけど、今までの思い出をフラッシュバックして、いじめられて辛いときにお母さんが助けてくれた思い出とかを綴って。なのでもしお母さんと気まずい関係になってる人はこの曲を歌って(笑)仲良くなってくれたら嬉しい。
--あと、最後の『傷ついても』というナンバー、この曲は滴草さんが運命を感じた曲らしいですね?
滴草:表面的には恋愛ソングっぽい感じなんですけど、実はある私の知り合いの子のために書いた詞になってて、その子は今も外に踏み出せない、心も開けなくて、ひとりになっちゃってる子なんですけど、その子と合うと表情から出てるんですよね、「どうしていいか分からない」って。自分もそうやって塞ぎ込んじゃうことはあったし、分かる部分もあるんですけど、やっぱり本人は気持ちは分からない部分もあるから、なかなか言葉を掛けようとしてもどう掛けていいか分からなくて、でも応援してあげたくて。それで、その子に向けて書こうと思ったんですけど、あからさまに「あなたのために書いたんだよ」という曲にはしたくなくて、自然に感じてもらいたいと思ったんですよ。なので、歌詞の中には自分が思ってることもあったり、メッセージもあるんだけど、ちょっと恋愛ソングな感じにしてあって。で、この曲はデモのときから一番に耳に残って、すごく優しくて、でもサビは何かを訴え掛けられるような感じで、「この曲じゃないとその想いは書けない」と思ったんですよね。あと、絶対アルバムのラストに入れたいと思って。
--そんな人の心を前に向ける光溢れるナンバーでラストを飾る『花Kagari』。今作はそういった赤裸々で真っ直ぐな自分の想いを歌い、ジャンル的にも幅広い音楽性を取り入れた作品になったわけですが、これからの滴草由実さんはどんな音楽を目指していくんでしょうか?
滴草:今はいろんなジャンルを知って聴いていますけど、やっぱり自分が感じるというか、フィーリングが合うのはR&Bなので。13歳ぐらいの頃に初めてローリン・ヒルとかマライア・キャリーの曲を聴いて衝撃を受けたときからそこは変わらないですね。R&Bが土台になってるので、そこは変えずにやっていきたいです。その上で自分らしく、自分が感じる音楽を歌っていきたいです。
--それでは、最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
滴草:いつも皆さんの応援とかメッセージとか、みんなの存在を感じるだけで自分は歌をうたえてるし、どんなときも、どんなことがあっても、みんなが背中を押してくれるので、私が今度は歌でみんなを支えて、包んで、みんなの背中をポンって押してあげられるように、これからはもっと頑張りますので、ずっと応援しててください!
Interviewer:平賀哲雄
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