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平原綾香 『今、風の中で』インタビュー
誰かがそれを聴いて“自分自身を好きになれる音楽”。そんな音楽を生み出すことを一番の夢に今を生きている平原綾香。振り返れば、姉の影響で始めた音楽は、『Jupiter』の誕生で大きな意味と使命を彼女に与え、それに応えられるかどうかの葛藤の中で彼女は成長を遂げてきた。そして今ここに生まれた新作『今、風の中で』。この曲を通して彼女は何を伝えようとしているのか。
姉の存在
--以前、お姉さんのaikaさんにインタビューをさせて頂いたのですが、やっぱりよく似てらっしゃいますね(笑)?
平原綾香:やっぱり似てるんですね(笑)。お互いは「似てるのかな?」って言ってるんですけど。でもやっぱりね、姉がテレビに出たりとか、雑誌に載ってるのを見たりすると、「やっぱり似てるな」と思いますよ(笑)。
--生まれながらに音楽一家だったみたいですけど、ミュージシャンへの道程を歩んでいくのは、平原さん的にも自然な流れだったんですか?
平原綾香:姉も私も音楽が大好きで、音楽をやるっていうことに対して何の躊躇もなかったし、音楽を受け継いでやっていくということは、私の使命だと思っていました。姉もそうだったと思うし。おじいちゃんがトランペッターで、パパがサックスを吹いてて、「じゃあ、私はサックスと何をやろうか?」みたいな。本当に自然な流れの中で音楽をしていて。で、姉の行く学校に私も通って、姉の行く音楽高校に私も行って、全部姉の真似をして。姉の道標を辿ってきたっていう感じはありますね。
--その中でいつ自我が芽生えて、自分の道を切り開いていくようになるんですか?
平原綾香:姉はすごく英語が得意だったので、そのままバークレーに留学して。私は留学せずに4年間ずっと日本で勉強していたので、大学からですね、お互いの道に歩み始めたのは。今、姉との話をしましたが、元々本当に私は私で音楽が大好きで、音楽以外の職業というか、夢は考えられなかった。それぐらい音楽が好きだったんですよね。
--ちなみに平原さんを歌い手というか、ポップフィールドに進ませたキッカケは何だったんでしょうか?
平原綾香:高校が音楽の学校で、私はサックスを専攻していたんですけれども、毎年文化祭でミュージカルをやろうという企画があって。で、私がまだ中学生だったときに姉がそのミュージカルをやっている姿を見て、「私も絶対やりたい!」って思って。それで、私が高校3年生のときに、お姉ちゃんと同じ役に受かったんですよ。で、私にとってその役はすごくやりたかった役だし、姉が歌っている姿を思い出しながら、自分も高校生のときに演じて。それまでも歌うことはすごく好きだったんだけれども、小さい頃は人前で歌うのが全然ダメで。恥ずかしくて。あまり表現する人ではなかったんです。でも姉がそうやって表現しているのを見て、すごく憧れて。で、同じ役をゲットできて、歌ったときに、今まではサックスでステージに立っていたけど、歌でも音楽を伝えて良いんだって思って。そこから歌に目覚めたんです。そのときに父のプロデュースをずっと前にしてくれていたプロデューサーの人が観ててくれて。で、ドリーミュージック(彼女の所属レコード会社)に連れてきてもらいました。なので、歌に目覚めた瞬間に夢が開けたというか。
--これまでの話を聞いていると、本当にお姉さんの影響大だったんですね。お姉さんがいなかったら今の道は歩んでないですよね、おそらく。
平原綾香:歩んでなかった。だからお姉ちゃんが「洋服の学校に行く」って言ってたら私も洋服の道を選んでいたと思うし(笑)。姉は、私にとっては憧れ。おじいちゃんやお父さんのDNAを受け継いでいきたいという気持ちもあったんだけど、姉が辿る道を辿りたかったんですよね、今考えると。だからここにいるのもお姉ちゃんのおかげです。
--で、いきなりデビュー曲『Jupiter』で大ブレイクを果たしたわけですけど、当時の心境とかって憶えてます?
平原綾香:音楽を通していろんな人たちに取材してもらって、すごく私は嬉しかったんですよね。だってそういう喋る場所を与えられて、自分の夢を語ることも許されるし、それを常に受け止めてくれるし、私はすごく幸せだったけど、ブレイクに関して言えば、曲のメロディが持つ力が大きかったから、売れる売れないとかいう考えが頭によぎらなかった。絶対にこの曲はたくさんの人が聴いてくれるっていう確信があったんですよ。なぜか分からないけど。だからみんなに聴かれるようになって、だんだんチャートの上位に上がってきて、「あ、やっときたぁ」っていう感じで。とても不思議な感覚でしたね。自分が歌ってるっていうより、動かされているような気持ちだった。だからあのときの状況には驚きはしなかったけど、ちょっとふと我に返ってみると、「私って今CDデビューして、テレビに出てて、あぁ~、今ドキドキする!」っていう(笑)。そういうときはあったけど、本当に不思議な、何かに動かされている気持ちでした。
--その『Jupiter』のリリース以降、CDやライブを通じて平原さんの音楽を聴かせてもらっているんですけど、確実に「歌を届ける」「伝える」っていうことに対する覚悟だったり誠実さだったりが増していってるなと、僕は作品やライブを追う毎に感じてきたんですが、自分ではどう思われますか?
平原綾香:それはあります。今まで本当に自分が楽しいから音楽をやってきていたんだけれども、やっぱり今は人に聴いてもらえる音楽を作っているということを実感しています。ちょっと堅い話になるけど、社会的責任があるんだなっていうことを感じる。「『Jupiter』を聴いて、助けて頂きました」とか、私よりも年上の人から手紙が来て。「私の歌で助けられました」とか「この歌で自殺をやめました」とか、詳しいことは話せないけど、そういうことがあったから、そこで初めて自分が歌をうたって人に伝えたことに対しての想いがダイレクトに伝わってきて。そのときに「私はすごい使命を司ったな」って。だから生半可な気持ちで歌はうたっちゃいけないなぁっていうのを、より思うようになりました。そういう気持ちの表れを感じ取ってくださったのかなぁって思いますね。
Interviewer:平賀哲雄
Jupiter
--いろいろ平原さんが経験なさってきた中で、例えば、震災だったり戦争だったり、そういう大きな不幸が生まれたときに歌うことを求められる場面が多かったと思うんです。それもまた今の平原さんの歌や表現に大きな影響を与えたんじゃないのかなって。
平原綾香:与えられているし、『Jupiter』を作る前からそういう使命は感じていて。大学に入って、クラシックを聴く授業があって、そこで初めてホルストの『木星』を聴いたんですけれども、そのときに「なんて良い曲なんだろう」と思って、涙がボロボロ出てきて。「ずーっと探していたメロディだ」って、すごく懐かしい気持ちになったんです。それがもうすごく不思議で。そのときちょうど私のデビュー曲を何にするか決める段階だったんですね。それで、私がその『木星』を聴いて学校が終わった後、すぐに会社に行って、「ホルストの『木星』を歌ってみたいんです!」って伝えたんです。そこから『Jupiter』が生まれて、リリースされて。あと、それと同じ時期に、9.11があって、世界が混沌と悲しみに包まれているような状況だったんですよね。で、そういう世界に発信できるようなメッセージを込めたかったんです。そういう気持ちがあったから、デビューしてからも震災や事故がある度にあの曲を求められるのかなって。
--ただ、あの当時の平原さんの年代で、社会的責任を感じながら、どこか他人事だと思ってしまいがちな震災や戦争と向き合い、そこで苦しんでいる人のことを想ってメッセージするって、並大抵なことじゃないと思うんですよ。
平原綾香:デビューする前から私は『Jupiter』の歌詞にあるようなことを思っていたんですよね。当時の私は「今は身近にある愛っていうよりも、身近な愛から広がっていく、すべてを包み込む大きな愛を歌いたい」って言ってたんです。多分、世界がそういう状況だったからだと思うんですけど、常に小さい頃から勝手に使命感を感じるタイプで、だから音楽も使命感から始めたし、そういうのもあって、「今は世界がこうだから、好いた惚れたよりも、大きな愛で世界を包むような曲を歌いたい」って。それは世の中が思わせてくれた。それを勝手に使命だと思って『Jupiter』を作ったから。だから今でも実はラブソングを歌うのは苦手です。恥ずかしいじゃないですか(笑)。聴くのは大好きだけど、いざ自分が歌うとなると、「あれ~?」ってなっちゃうときがあるんで。だから私には『Jupiter』のような歌が合っていたのかなって。
--実際、ああした局面で、直接現地に行って歌ったり、テレビで歌ったりするときっていうのは、どんな気持ちだったりするんですか?
平原綾香:「求められてる」って感じましたね。求められるってすごく嬉しくて、求められないってすごく悲しくて。私はそういうことに敏感で、でも元々は自分から表現する人じゃなかったから、「平原さん、歌ってください」って言われたりすると、何が何でも頑張れる。そういう気持ちでいつもいっぱいになります。
--今日話を聞いてて思ったんですけど、平原さんは日本のポップシーンで活躍されているアーティストではありますが、思想はすごくクラシックなんだなって。表現を最初するとき、自分の内側にある感情を爆発させて、その初期衝動に任せて詞を書いたり、バンドを組んだりする人が多いと思うんですけど、平原さんはそこじゃなくて、もっと大きな視野で世の中に浸透する音楽を目指してて、で、実際その音楽が多くの人に愛されていて。それって正にクラシック音楽の在り方だなって思うんです。
平原綾香:そう言ってくれると、すっごい嬉しい~!そっかぁ。そうだったんだぁ。
--いや、あくまで僕個人の解釈ですけど(笑)。
平原綾香:でも自分では全然見えないことですからね。でも確かにそうかもしれないなぁ。クラシックはすごく好きだし、遥か昔に作られたメロディが今でも演奏されていて、音楽の力を生で体現できるのがクラシックであり、クラシックのコンサートであって。だから戦後に書かれたモノが今普通にCMで流れていたりとかする。普通の音楽じゃあり得ないけど、クラシックならそれが普通で、あたりまえで。そこらへんが私がクラシックを尊敬しているところだから『Jupiter』にも導かれたんだと思いますし。
--あと、今日平原さんにお会いしたら絶対聞きたかったことなんですけど、平原さんが感じる音楽や歌の力ってどんなモノだと思われますか?
平原綾香:私は、ずっとサックスを勉強してきて、高校で初めて歌に目覚めて。で、言葉の大切さに気付いたんです。『Jupiter』の「ひとりじゃない」という言葉を聴いて、被災地の方が元気になった。「ひとりじゃない」という言葉が人を支えたっていうのは、めちゃめちゃすごいことだなと思って。でもそれは音楽の力を借りないと難しい。一番伝えたいことは心なんだけど、心を伝えるためには音楽が必要で、それをちゃんと伝えるためには体が必要っていうか。ちょっと難しい話なんだけれど、体が借り物であるということを忘れてはならないぞと。自分が発してるんではなくて、音楽って今まで聴いてきたいろんなアーティストの総合だと思ってるんですよ。だから自分の音楽ってあり得ないんですよ。でも自分の世界っていうのはあり得る。だから私にとっては自分から出てくる音楽っていうのは、小さい頃から聴いてきたアーティストたちの肩の上に乗って表現されているもの。なので、一番大切なのは、自分の音楽ではなくて、自分の世界を表現することかも!あ~やっと答えが出た(笑)。
--(笑)。
平原綾香:平原綾香っていう器があって初めて表現できるモノがあるから、器が小さかったらその器分の想いしか伝わらないけど、もっと器が大きかったらもっとすごい歌がうたえるって思ってるんです。だから「音楽家である前に人間であれ」っていう両親の言葉をいつも心に刻んでるんですよ。そうしないとやっぱりね、嘘になっちゃうんですよ。お家ですごくワガママ言ったりとかしてて、「誰も一人じゃない。ありのままで愛されてる」とか、大きな顔して言えない。だからいつも母には「本物の音楽家っていうのは、本物の人間」「音楽が一流だったら人間も一流なんだよ」「だから本物になりなさい」って言われてて、今そうなるために頑張ってる最中なんです。『Jupiter』でデビューして、そのときは何かに動かされているような気持ちがしてならなかった。今は、一瞬自分を見つめ直す機会があったから、いっぱいたくさん自分の悪いところも見たし、だから今年っていうのは自分を変えていって、来年にすっごく良い自分、良い心で音楽を伝えられる器を持ちたい。今はその器を磨いてる最中って感じ。
Interviewer:平賀哲雄
今、風の中で
--今作『今、風の中で』も正しくそんな気持ちから生まれた曲だと思うんですけど、自身ではこの新作にどんな印象や感想を持たれていますか?
平原綾香:とってもシンプルだなって思いましたね。久石譲さんのメロディ、ずっと憧れて育った人の音楽に自分の歌詞を付けることができた。この喜びは本当に大きくて。幸せすぎる。
--久石譲さんの音楽や存在を知ったのは、やっぱり・・・ジブリ?
平原綾香:ジブリ!ジブリです。もう大好きで大好きで。久石さんってジブリ映画の中において音楽って感じじゃなくてもう出演者のような存在感を放っていたから。だからジブリ作品に久石譲さんのメロディがないと!って思う。そこもすごく憧れだったし。で、今回の『今、風の中で』は、映画「マリと子犬の物語」の主題歌になって。これもまた嬉しくて。映画の主題歌ってやっぱり嬉しいですよ。また、この映画の内容が新潟県、長岡市の震災に繋がっていて。それは私にとってすごく意味があることで。で、台本も見て、映像も観て、大号泣で。大大大号泣で。声上げて泣いちゃったんですよ、おウチでは。人には見せられないぐらいに。
新潟県中越地震から3年が経って、長岡市の花火大会で『Jupiter』にあわせて花火が打ち上げられて、そこでも歌いに行ったり。そうしてどんどん絆が紡がれていく中で、またひとつ大きな絆をギュッと結ぶことが出来たのが、この映画で。だから「平原さんにぜひ歌ってほしい」と聞いたときはもう「喜んで!」って感じでした。ただそれだけ思い入れが強すぎたので、歌詞を書くのには苦労して。好き過ぎちゃうと上手く言葉に表現できない、あの感じ。だからすっごい悩んで、何回も何回も書き直して。もう一生終わらないかと思った。
--(笑)。
平原綾香:だけど、新潟の方々も諦めないでここまで来て、やっと中越地震の影響で仮設住宅に暮らしていた方ももうすぐゼロになるということで。もちろん中越沖地震はまだまだ被害があるんだけど、でもみんな諦めないで生きて、前に進んでいる。で、その新潟を舞台にした映画を作ったスタッフの人たちも本当に強い想いで「歌詞を書いてください」と言ってくださったから、その想いを全身で受け止めて書かなければいけなかったし、それが最後には書けたから、本当に諦めないで良かった。達成感でいっぱいです。映画のキャストの方も「歌詞がすごく良いね」って言ってくださって。船越英一郎さんに関しては、私の宣伝をしてくれてるみたいで。「平原さんをよろしくお願いします」って(笑)。嬉しすぎます。
--また、平原さんがこの曲に込めた想いについて聞かせてもらってもいいでしょうか。
平原綾香:やっぱり笑顔になってほしいと思って。本当に心の底から笑う笑顔が見たいと思って、歌詞にも「涙がいつか 笑顔に変わる日まで 私は歌い続けます」っていう想いを入れたんです。あの、私がいつも言ってる言葉が「がんばる」っていう言葉で。漢字だと「頑」を「張る」って書いちゃうんだけど、そうじゃなくて、「顔」が「晴る」って書いて使うんです。それは人から教えてもらったんですけど、これを使うようになったら、結構不安定だった自分の心も、辛くても笑顔で顔晴ることで、がんばれる自分がいて。だからやっぱり「笑顔っていいな」と思って、「笑顔に変わる日まで」という言葉を本当に伝えたかった。あと「ひとりじゃない」っていう言葉は、やっぱりもう一回伝えようと思って、書いちゃった。「くどいかな?」って最初思ったんだけど、でも書いちゃった。
--何度だって伝えていい言葉のはずですからね。
平原綾香:そうですよね。やっぱり「ひとりじゃないな」って思って。そう思えたからまた書けたし。被災地の皆さんももう進み出していて、本当に笑顔も素敵だし、早く映画が公開されて、早くこの曲を地元の人たちに聴いてもらいたい。
普段のそれぞれの生活の中でやっぱり苦しいことってたくさんあって。些細なこととかでもチクチク刺さって「もう私ダメだ」って思ったりする人もたくさんいると思うし。私もそうなるときがあったから。だから、「勇気」とか「希望」とか言葉で並べちゃうと少し嘘っぽくなるけど、やっぱり心の支えになる音楽をまた作りたい、ここから。だからいろんな人たちに映画を通してこの曲を聴いてもらいたい。
Interviewer:平賀哲雄
信じる力
--あの、この曲を聴いてるとですね、平原さんて、音楽の力を信じてるのと同時に人間の力っていうのも強く信じているんだろうなって感じるんですよ。実際のところはどうですか?
平原綾香:それはやっぱりありますよ。私自身も支えられて生きてるから。何か行き詰まったときに人の力ってすごいんだなって思います。やっぱりひとつの言葉で元気が出たり、人が心から何かを言うときっていうのは、本当に人を動かすことができる。で。私はこの2007年っていうのが、今思うと勝負の年だったんですよね。何が勝負かって言ったら、人間的な部分と音楽的な部分でなんですけど、『Jupiter』の存在が大きかったから、「もっとヒットさせる曲を作らないと」とか、すごく焦った時期があったんですよ。「平原綾香の『Jupiter』」「『Jupiter』の平原綾香」って呼ばれるのはすごく嬉しかったんだけど、それを自分では思っちゃいけないと思って。だから「次こそは」「次こそは」って思って。でも自分の思い通りにはいかなくて、結構それが悲しくて。
今年のツアーも思い通りに自分が歌えないことが多くて、すごく心が定まってない感じがあったんですよね。ちょうど今年の春に大学を卒業してからツアーがあって、社会人として初めてのツアーだったんですよ。で、今まで学校に行っていたときは、空港からそのまま学校に行ったりして肉体的には辛かったけど、友達と全然音楽とは関係ない話で笑い転げたりして、それだけで自分の心が癒やされたりとかして。なので、卒業してからはもうひとつの家を失った感じがして、なんかね、不安定になっちゃったんです。で、今回は自分でステージのプロデュースをやったりして、自分の言葉でスタッフが動くのを実感したから、それがストレスになっちゃったんですよね。まだまだ自分の心が定まっていないのに、私の一言ですべてが決まる、それが怖くなっちゃって。それで歌も思い通りにうたえなくて、「私には歌う資格がないんじゃないか」って、ふと頭の中によぎったんですよ。それがすごく怖くて。
保育園の頃から音楽家になるのが夢で、それしか考えられなくて、実際に音楽家になって、「歌を辞める」なんて考えることもないと思っていたのに、それを考えてしまった自分が怖くて、「これはちょっと危ないな」と思ったんです。あの時点でもし心が弱かったら辞めてたと思うぐらい。でも、ちょうど3年目だったし、これはきっと試されてるんだと思って、必死にもがいて、「何が自分には足りないのか?」とか、すごく考えて。それで行き着いた場所が“自分”だったんですよね。あの、外に求めすぎていたんですよ。本当は自分が出したい答えとか、自分が求めてるモノとか、全部自分の心の中にあるのに、それを外に求めていたから見つからなくて。迷っちゃって。あと、誰かに「こう言ってほしいのに、なんで言ってくれないの?」「こうやってほしいのに、なんでそういうことをやるの?」とか、思っちゃう時期があったから、すごく怖くて。でもそういういけない自分に気付いてから良いことがたくさん起こり始めて。
だから『今、風の中で』も歌えてるし、『To be free』も『シャボン玉』も歌えてるし、縁の深い場所が舞台になっている映画の主題歌の話も来て。「やっぱり音楽を辞めないでよかった。諦めないでよかった」って今は思える。
--では、今の心境はかなり良い状態ですか?
平原綾香:本当に良いですね。自分の悪いところを誰かに注意されたら「あ、いけないな」「そっか、そっか」って素直になれるようになった。女性って、綺麗で素直であることが一番重要だと思うんですよね。そういう気持ちを持ち始めてからは全然ストレスを感じなくなったし、そしたら周りの人たちもすごく楽しそうに見えたりもして。変に求めなくなってからは楽です。夢を持っていることを前提に「求めすぎない」っていう心が大切で。今、「求めない」っていう本も出てますけど、何でも手に入っちゃう時代だから求めるか、求めないかのどっちかになっちゃって、その中間を埋めてくれる人がいないと、良くなるか悪くなるかのどっちかになっちゃう。だから「求めすぎない」っていう言葉が今の自分にはすごくハマっているんです。
--そんな今の心境も反映された『今、風の中で』。世の中にどんな響き方、広がり方をしていってほしいなと思いますか?
平原綾香:まずは映画で聴いてもらいたいな。これは、映画を観ながら、台本を読みながら書いたので、そういう伝え方ができればいいなって。でも映画を観ていない方にももちろん響く歌であってほしい。
--あと、12月14日に【平原綾香 シンフォニックコンサート2007】と題した公演を開催。これはどういった内容のコンサートになるんですか?
平原綾香:ストリングスとパーカッションで、本当にシンフォニックという言葉が似合うコンサートで、今までの自分の原点の曲~新しい曲までを聴いてもらおうっていう。すごく楽しみにしているんです。私は小さい頃から映画のサントラが好きでよく聴いてる子供だったので、ストリングスを聴くとすごくワクワクするんですよ。で、今まで、ストリングスで1曲か2曲、歌わせて頂いたことはあるんですけど、全部ストリングスが入るっていうのは初めてなので、私もまだ知らない自分が出てきそうな予感がしていて、本当にドキドキワクワクしてます。
--それでは、最後になるんですが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
平原綾香:いろいろ辛いことがひとりひとりあると思うんだけれども、でも風の中で歩いて、向かい風であろうと追い風であろうと、常に夢を持ち続けてほしいなぁって。若い人もそうだし、もちろん私より年上の人たちもそうですけど、夢を見ながら笑っててほしいなぁって常に思ってます。人の心を支えるのが音楽であると信じているんで、私の音楽を聴いて、悲しいときはおもいっきり泣いてほしいし、嬉しいときは一緒に喜びたいし。で、最後は自分自身を好きになれる音楽を作ることが私の一番の夢なんですよ。だから私の音楽で少しでも支えになってくれたらいいなと、心から思っています。
Interviewer:平賀哲雄
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