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ジミー・クリフ X HOME GROWN 対談

ジミー・クリフ X HOME GROWN対談

 約8年振りとなる新作『REBIRTH』を引っさげ3月に行われた、レゲエ界の偉人 ジミー・クリフの来日公演。5日間で10ステージを敢行する超ハード・スケジュールの合間を縫って、日本を代表するレゲエ・バンド HOME GROWNとのスペシャル対談が実現した。ジャマイカ×日本のレゲエ談義はもちろん、楽曲制作や健康法、食生活からメンタル面まで、ミュージシャン同志ならではのエピソードも多数飛び出した、1時間以上に及ぶロング対談をノーカットでお届けする。

新たに生まれるためには、原点回帰しなければならない

Tanco:日本は何度目ですか?

ジミー・クリフ:う~ん。何度も来ているから憶えてないけれど、日本に初めて来日したレゲエ・アーティストだと認識しているよ。

Tanco:1978年かな。ボブ・マーリーより早く来ているというのは知っています。

ジミー:うん。そうだね。

Tanco:現在のジャマイカの音楽シーンと60年代では、どのように違いますか?

ジミー:音楽が二つのエリアへと進化してきた。ルーツや文化に基づいた"伝統的"なレゲエ、そこから発展した"ダンスホール"。この二つが現代の主流だね。

Tanco:そしてレゲエという言葉が出来る以前から活動してきたと思うのですが…。

ジミー:"レゲエ"と言う言葉を形成するのを手助けした。この言葉は、私の前には存在しなかった。

Tanco:色々な説があると思うのですが、レゲエって実際どういう意味から来ているのですか…たとえばレギュラーがちょっと崩れたという言葉とか。

ジミー:誰が最初に作った言葉か、その権利を主張することはできない。私は、スタジオでレコーディングする時の技法や"スピリット"やその掛け声から生まれた言葉だと思っているが、上流社会の人々が、当時嫌っていた我々の音楽を表現するために利用していた言葉でもある。それに彼らは、なんというか…尊敬出来ない…下品な女の子のことを"streggae"と呼んでいた。もしかしたらそこから出来た言葉なのかもしれないな(笑)。

Tanco:今回のアルバムも素晴らしい出来で、グラミー賞も受賞しましたね。プロデューサーであるランシドのティム・アームストロングは、まったく異なるジャンルの出身で、以前ブジュ・バントンの曲などもプロデュースもしていましたが、彼とのアルバム制作はどうでしたか?

ジミー:パンクとレゲエは共通する点が多い。元々パンクはレゲエから発祥したもので、大きな影響を受けている。社会的、政治的な意識を培い、それを表現するツールだ。音楽的にもパンクはロックとレゲエが融合されたもので、二つのジャンルはとても似ているんだ。

Tanco:最近のレゲエを聴くとアメリカナイズされていると感じるのですが、多ジャンルの人がプロデュースしているにも関わらずレゲエのいいところを核としてそこからブレてないと感じました。ランシドのプロデュースということでもっとロックぽいものになるのかと思ったのですが、すごくレゲエなアルバムで、ビックリしました。

ジミー:アルバムのタイトルは、"REBIRTH"で新たに生まれるという意味だ。新たに生まれるためには、原点回帰しなければならない。それがレゲエらしいアルバムに仕上がった理由の一つだと思う。私はレゲエを率先しなければならなかった。私はレゲエ・アーティストである以前に"創造"するクリエイティヴなアーティストだ。長年、自分自身で音楽の"形"を形成してきた。だが一時期レゲエを演奏することを止めた時期もあった。その時はアラバマのマッスルショールズでまったくサウンドが異なる作品を制作したが、その新たな音楽性は厳しく批判された。だからその埋め合わせををする為に、"レゲエ"アルバムを制作しなければならないと、長いこと頭の片隅で思っていた。このアルバムにはそういう想いも込められているのだ。

Tanco:生演奏で昔ながらのスタイルでやっているのですが、明らかにすごく音が良かったのも印象に残りました。レコーディングはアメリカのスタジオで行われたのですか?ミュージシャンもジャマイカ人ではないのですが、レゲエのノリがすごく出ていて。白人が作ったレゲエのアルバムも聴くのですが、やはりジャマイカのニュアンスがなかなかでていない、と感じます。

ジミー:『REBIRTH』はLAのスタジオにて全員アメリカ人のバンドとレコーディングされた。でも今作に携わったアーティストは、近年のジャマイカ人アーティストよりレゲエとその歴史に詳しくて、知識も豊富だった。最近の若いジャマイカ人アーティストの大半は、ボブ・マーリー、ピーター・トッシュやジミー・クリフしか知らない。かろうじてブジュ・バントンの名前も知っているかもしれない。だが彼らにはレゲエ、そしてジャマイカの音楽史についての知識が全くないんだ。たとえばジャマイカで一番最初にレコーデイングを行ったアーティストは誰なのかとか。ティム達は、歴史はもちろん、そのミュージシャンがどのアルバムに参加したか、など細かい事象も知り尽くしていた。逆に、あのギタリストは今何をしているんだ?などわからないことは熱心に私に訊いてきたりもした。その点では、ティム達に軍配を上げたいと思うね。ミュージシャンとして自分の国の音楽を知らないことは、悲しい事で、恥ずべきことでもあるので。

Mama-R:何年か前に、ジャマイカのレベルサルートでライブを観たのですが、その時の若い人たちの反応でそれは感じましたね。

ジミー:以前ビーニー・マンが司会を務める番組に出演した時…彼は私のことを「ファザー」と呼んでいた(笑)…私のオリジナル曲「Rebel In Me」を歌ったら、観客は「彼はなぜカヴァー曲を歌っているんだ?」と不思議そうな表情を浮かべていた。若いジャマイカ人アーティストによって何度もカヴァーされているが、彼らは私がその曲のオリジナルを歌っていたことを知らなかったんだ。でも私が曲を歌い始めたら、何かが違うと気付いたようで、とても盛り上がっていたね(笑)。

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