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<インタビュー>2000年代R&Bを体現するティードラ・モーゼス――20年以上インディペンデントであり続ける理由

インタビューバナー

Interview & Text: 渡辺志保

 ニューオーリンズ出身、2000年代R&Bシーンを象徴するティードラ・モーゼス。グラミー賞ノミネート歴に加え、BMIソング・オブ・ザ・イヤーを2度受賞、名だたるアーティストへの楽曲提供、そして近年ではNPRのTiny Desk Concertsへの出演など、20年以上にわたり世界中でその名を馳せてきた。そんな彼女が、「Be Your Girl」をはじめ、今なおR&Bクラシックとして世界中で愛され続ける楽曲を携え、4月に待望の初来日公演を開催する。記念すべきステージを目前に、彼女がいま語ることとは。

 ※この記事は、2026年3月発行のフリーペーパー『bbl MAGAZINE vol.216 4月号』内の特集を編集のうえ掲載しています。

デビュー・アルバム『Complex Simplicity』制作秘話

――故郷のニューオーリンズでは、どのようにして音楽に触れていましたか?

Teedra:ニューオーリンズは本当に文化的に豊かなところで、私も音楽にどっぷり浸かって育ちました。特に影響を受けたのは、毎週日曜日に通っていた教会。母と一緒にすごく土臭いゴスペルを歌っていましたし、叔父のクレイトンはピアノ奏者。ニューオーリンズには、例えばウィントン・マルサリスやブランフォード・マルサリスのように、代々音楽をやっている音楽一家がたくさんいるんです。私が通っていた学校は黒人ばかりで、そこではミス・チャターズという音楽の先生がいたの。彼女もまた音楽一家の出身で、家の中でも外でも、音楽が一度も止まらなかった。寝るときは音量を小さく、朝起きたらまた大きくして、家では常に音楽が流れていました。DJ志望の兄は部屋の真ん中に大きなターンテーブルを置いていましたし、ジャズやゴスペル、ヒップホップ……なんでも流れていたの。


――幼い頃に影響を受けたアルバムやシンガーはいますか?

Teedra:子どもの頃は、親や周りの大人が聴いているものを聴くしかなかったけど、初めて自分から強く意識したのはアニタ・ベイカー。彼女の歌い方はとてもジャジーだし、アニタこそR&Bにジャズ・ボーカルを持ち込んだ存在なのに、その功績があまり語られていないと私は感じてる。特に、後のメアリー・J. ブライジにつながる流れを作った人物だと思うんだけど。あと、プリンスも大きな影響を受けた存在です。


――デビュー・アルバム『Complex Simplicity』について教えてください。制作当時はどのような状況でしたか?

Teedra:ちょうど母を亡くしたばかりの頃で、私は若いシングルマザーで、子どもが2人いて、父親はあまり関わっていなくて、お金もなかった。そんな状況なのに、アルバムを作ろうとしたなんて、今思うととても不思議よね。メイン・プロデューサーのポール・ポリと、当時は“シェイファー”と呼んでいたNE-YOと一緒にスタジオに入っていたんです。私はそれまでスタジオで本格的に制作したことがなくて、ただ曲を書いて歌うことしか知らなかった。子どもの父親(ラッパーのラス・カス)が持ち帰ってくるJ・ディラやピート・ロックのビートに歌を乗せていたんだけど、それがソングライティングのトレーニングになっていたの。ポールからトラックをもらって書いて、それをスタジオで歌う。毎日4、5時間はスタジオにこもってたくさん曲を作ったんだけど、その中の15曲をアルバムに収録したの。あの作業は、私にとってスタジオ・ワークを理解するスタートでもありましたね。




――そんなに未熟な段階で収録したとは思えない内容です。制作過程は厳しかったですか?

Teedra:厳しいというより、思っていたのと違うというか。ただ歌えばいいと思っていたけれど、ピッチがズレると途中で止められて「もう一回」と何度もやり直す。そのおかげで、自分の声を聴く耳が鍛えられましたね。NE-YOとポールは、曲の構造や自分の声を理解することを教えてくれた存在でもあります。


――『Complex Simplicity』はTVT Recordsからリリースされました。当時のTVTは、イン・ヤン・ツインズやリル・ジョンなど、サウスのヒップホップ作品を多く出していましたよね。だからあなたのデビューが少し意外でした。どのようにレーベルとの関係が始まったのでしょうか?

Teedra:当時、私はBridge Kid Productionsという会社とプロダクション契約を結んでいて、そこからメジャーレーベルを回っていたんです。その頃は女性アーティスト、特にR&Bシンガーがすごく飽和していて、レーベル側は私自身よりも「このプロジェクトの曲が欲しい」という感じだった。だから「アーティストとしては要らないけど、曲は使いたい」と言われることも多かったし、歌手としてデビューしたいと言っても、大体は「すでにデビュー待ちのアーティストがたくさんいる」と返されてしまって。だた、TVTには当時R&Bアーティストがあまり揃っていなかったんです。A&Rのブライアン・リーチが私の音楽を気に入ってくれたんだけど、私の音楽には80年代的なノスタルジーがありつつ、ヒップホップの要素も入っていて、それが彼には魅力的に聞こえたんだと思います。正直、TVTに私がいるのは場違いに思われるかもしれないけど、今でもあの頃の人たちとはいい友達です。デビュー当時の私は、洗練されたR&Bアーティストというより、もっと生っぽいアーティストだったと思うんです。当時はそう感じなかったけどね。結果的に、あの時期の私はスキルを磨いて、最終的に完全なインディペンデント・アーティストになるための基盤を整えることもできたから、TVT Recordsを選んだのは最適だったなと思います。


――『Complex Simplicity』ではプロデューサーとしてラファエル・サディークも参加しています。彼との制作はいかがでしたか?

Teedra:ラファエルとの仕事は、本当に本当に素晴らしい経験でした。私が彼に出会った時点で、彼は、トニー・トニー・トニーを経てルーシー・パールのプロジェクトをスタートしていて、すでにアーティストとして確固たる地位を築いていた頃。一方、私は何も分からない新人だったけど、ラファエルは、私のアイデアも尊重してくれて、まるで私が何年もやってきたアーティストかのように扱ってくれたんです。“未熟な新人”じゃなくて“同じ土俵に立つ仲間”として扱ってくれたことが、私に大きな自信を与えてくれました。


――一昨年『Complex Simplicity』はリリースから20周年を迎えました。

Teedra:クールな節目になったな、と思ったわ。15周年のときには、当時入れられなかった曲を加えて再発しましたが、その時はあまり深く考えていなくて。20周年のときも、最初は祝うつもりはなかったんだけど、チームが色々と動いてくれて。最初にNPRのTiny Desk Concertsが決まっていたので、それに向けてツアーを組み、その後、再解釈を加えたアルバム『Complex Simplicity (Reimagined)』を作ったんです。正直に言うと、あのアルバムを掘り返すのは本当にしんどかった。だって、あの頃の私はとても辛い状態で曲を書いていたから。楽曲はきれいで幸せそうに聴こえるけれど、私はギリギリの状況にいたわけだし、決してそうじゃなかったんですよね。”なりたかった自分”を書いていて、”その時の自分”を書いていたわけではなかった。そんなアルバムだったので。だから、ライブの準備をして、演奏して、自分の作品を再解釈する過程で、感情のジェットコースターを何度も経験しました。それは、人として、アーティストとして、20年間抱えていたものを手放す作業だったなと思います。おかげで、人生のその章にピリオドを打てたし、新しい道へ進む自由を獲得できた、という感じ。


▲Tiny Desk Concert

――『Complex Simplicity (Reimagined)』にはエステルやアブ・ソウル、今年のグラミー賞でも話題になったドゥランド・ベルナールらが参加していて、完全に新たな魅力を感じる仕上がりになっています。

Teedra:本当にクールな体験だった! プロジェクトはまずドゥランドと一緒に始まって、彼が「COMPLEX SIMPLICITY」のボーカルを乗せていきながら、元の楽曲を作り替えていったんです。ハウス・バージョンを作ったり、まだリリースしていないけどケイトラナダが新しくビートを作ったバージョンを作ったり。とにかく、ドゥランドのおかげで色々と後に繋がっていったの。その後にジョックというプロデューサーと出会って、一緒に当時の楽曲に手を加えていった。それが意外なほど楽しくて! だって、最初はこんなことやりたくなかったんだから(笑)。昔の作品は掘り返したくなかったし。でも、この“リイマジンド”の制作を経て、クリエイティブな面でも、人としても大きな刺激を受けたんです。私は射手座で、もともと自分のやり方に固執するタイプ。でも、心を開いて新たな視点を受け入れることができた。そして何より嬉しかったのは、「昔からのファンを怒らせたらどうしよう?」と思っていたんだけど、これまでのファンがこのプロジェクトをとても気に入ってくれたこと。




――私もそうですが、あのアルバムはとてもアイコニックでした。生々しさもあって艶っぽくて、どこか成熟した魅力もある。自分の宝物のように愛しているリスナーが世界中にいるのではと思います。

Teedra:「このアルバムが自分の人生にどんな影響を与えたか」と語るメッセージが世界中から届くんです。きっと、この作品が人生の節目、成長の過程に寄り添うアルバムだからだと思う。当時はソーシャルメディアもなかったから、どれだけ多くの人が自分の曲を聴いてくれているのか知る術がなかった。そもそも、あのアルバムはアメリカ国外からじわじわと人気が出ていった作品なの。もうすぐ22歳になる作品だけれど、サウンド的にも、そして私がそのとき置かれていた状況や気持ちの文脈という意味でも、今なおあらゆる世代の人たちに響き続けているんだと思います。


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インディペンデントでいることの重要性

――2010年代にはケイトラナダによる「Be Your Girl」も発表されました。当時、東京のクラブ・フロアで聴いてびっくりしたんです。あのリミックスで、よりタイムレスな魅力が知れ渡ったのでは?

Teedra:そう! 確か2012年ごろで、あの時のケイトラナダはまだ19歳だったんです。彼から「ボーカルを歌い直してほしい」と言われて本当に驚いたの。完成したバージョンを聴いたら、まったく新しい曲に生まれ変わっていて、すごくクールなリミックスに仕上がっていた。あの曲も、じっくり時間をかけて世界中に広がっていったんです。




――TVT Recordsは破産してしまいましたが、その後も現在に至るまでずっとインディペンデントなアーティストとして活躍していらっしゃいますよね。他のインタビューでは自分が手がけた楽曲の出版権を常に保有していると言っていて、感銘を受けました。

Teedra:そうですね、インディペンデントでいることは私にとってとても重要なの。というのも、私はとても頑固なところがあるから、譲れない自分のビジョンがあるし、他人に指図されるのは好きじゃない。それと、結局は自分が働いた分しか返ってこないんですよね。私はこれまで、他人のためにも自分のためにも曲を書いてきて、その中で築いてきた出版権がある。それを手放すことは、これまでの自分が積み重ねてきた努力を考えるとまったく割に合わないと感じるの。アーティストとしてのアイデンティティも含めて、私はずっと、インディレーベル出身だという意識でやってきました。アーティストとしてのアイデンティティや自由さを守りたかったから、メジャーレーベルに所属したことは一度もないです。私は、ただ時代を少し先に行っていただけなのかも。


――いっときはクリスティーナ・ミリアンやトリーナといった女性アーティストたちにも楽曲を提供していましたが、ソングライターとしての仕事は意図的に辞めたのでしょうか?

Teedra:その頃はソングライティングの仕事が私の収入の大部分を占めていたから、その仕事に対して全力を注いでいました。でも、当時の女性ボーカリストの多くは“見た目がよければいい”という時代でもあった。だから、A&Rやプロデューサーは私が書いた曲を気に入ってくれているのに、そういうボーカリストたちは私の曲を歌いこなせなかったんですよね。そうなると結局、曲を出したがらなくなる。そういうことが続くと私もアーティストとして疲弊してしまうし。自分のレベルを下げて、分かりやすく噛み砕いた曲を書かなければいけなくなって、辞めてしまったの。もともと私はソングライターになるつもりで始めたわけじゃないしね。


――先ほどの業界の話に戻るのですが、最近はインディ志向のアーティストもより増えましたし、柔軟な働き方やディールも増えたように思います。

Teedra:たとえば、今年のグラミー賞で一番嬉しかったことは友人のドゥランド・ベルナールが最優秀プログレッシブR&Bアルバム賞を受賞したこと! 彼は完全にインディペンデントで、人としての在り方やアイデンティティにおいても、アーティストとしても完全にインディなんです。彼が歌うひとつひとつの音から、その自由さが伝わってくる。彼は今まさに業界がどう変わってきたかを示す、とても素晴らしい例だと思います。




――20年以上音楽業界に携わってきて、業界内の変化を感じることはありますか?

Teedra:間違いなく変わったと思います。いろいろな仕組みの変化によって、以前のようにお金が入らなくなり、レーベルはアーティストを次々に手放すようになった。そうして、メジャーレーベルに所属していたアーティストたちは、突然インディの世界を自分で切り開かなければならなくなった。そういう大物アーティストたちが、私に電話をかけてきてノウハウを聞いてきたんです。彼らは本当に何も分かっていなかった。インディでやるということは、すべてを自分で把握していなければならないということ。誰も代わりにやってくれないから、ひとりで10人分の仕事をすることになる。だからアーティストは、ただアーティストとしてきれいでいて、歌うだけではいられない。そして何より、お金はもう昔のようには入らないしね。あの頃、誰かのためにヒット曲を書いたときにもらえたお金は、本当に桁違いでした。でも今、ヒット曲を書いても、同じ額にはならない。さまざまな仕組みの変化によって難しい側面もあると思うと同時に、私はソーシャルメディアやストリーミングの発展によっても人気が出たアーティストだから、本当に諸刃の剣だと感じますね。


――ありがとうございます。現在も、新たな楽曲を制作中ですか? 新譜を待ちわびているファンもたくさんいると思うのですが。

Teedra:実は今、『Grown Woman Realness』というプロジェクトの制作真っ最中です。一緒にやっているのはPJモートンで、彼もニューオーリンズ出身。本当は昨年中に完成させようとしていたんだけど、私たち二人とも忙しくなってしまって。PJも、いつもツアーに出てライブをやっているタイプのアーティストだし。でも、少しずつ形にしてきて、ついさっきも彼と話したところ。実は4月にツアーが始まるので、今はそこに向けて完成を急いでいます。


――プライベートな質問になってしまうのですが、あなたの息子さんは2人ともコースト・コントラというラップ・ユニットのメンバーとして活躍していますよね。ご自身の活動が息子さんたちに影響を与えたと感じることはありますか?

Teedra:あります。というのも、私が『Complex Simplicity』を書いていた頃、そばにいたのは息子たちだけだったから。彼らと一緒に学校の送り迎えや買い物に行きながら、車の中のCDプレイヤーで同じトラックを何度もリピートしながら、私は曲を考えていたの。それに、息子たちがまだ小さかった頃、家の中ではア・トライブ・コールド・クエストやアウトキャストたちの曲を流していたんです。あるとき息子が「うちの母親は、俺たちの耳を鍛えたんだと思う」と言ったことがあって、それを聞いてすごく納得しました。だから彼らのラップはあんなにソウルフルで、トラップ寄りになりすぎないんだと思います。トラップももちろん最高だし、私も好きだけど、彼らはもう少しブーンバップ的で、トラディショナルなヒップホップ的なラップをするんです。ラップの書き方に関しても、父親のラス・カスにすごく似ていると思う。私はニューオーリンズでとてもソウルフルに育って、それをカリフォルニアで彼らに伝えた。だから本当に、心から誇りに思っています。


▲COAST CONTRA - NEVER FREESTYLE

――そして今回、とうとう初の来日公演が実現します。

Teedra:やっと日本でライブができる! これまでにたくさんのアーティストから「ティードラ、日本のビルボードライブでやった方がいいよ」って言ってくれていたんです。でも、なかなか実現しなくて。だから今回のことは本当に嬉しいし、すごくワクワクしています。これまでアメリカとヨーロッパ以外で演奏したことがないから、本当に楽しみです。


――どんなステージが期待できそうでしょうか?

Teedra:私はとてもエネルギッシュなパフォーマーなの。私の音楽はメロウな印象もあると思いますが、ライブはまったくの別物。自分がその瞬間に持っているすべてをステージの上に注ぎ込んで、とても生々しいものになると思います。たくさん踊るし、全身を使って表現しているの。初めて観る人はきっとびっくりするかもしれない。それに、日本には“整っている”文化があると感じています。私の故郷であるニューオーリンズとは真逆だから、みんなを不快な気分にしないよう気をつけなくちゃ(笑)。あと、Netflixでいろんな日本の作品を観ているので、実際にその空気に身を置いてただその風景や人々を眺めていたいですね。心から、日本の文化に感銘を受けているから。


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