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小室哲哉(TM NETWORK) 『I am』インタビュー
音楽が僕を延命させてくれるかなって。もしくは、音楽で僕の人生を終わらせてくれるんじゃないかって―――。
終焉を覚悟した稀代のアーティストが奇跡的な復活を果たし、ミュージシャンシップを取り戻し、かの『Get Wild』以前へと原点回帰し、ソロ4作品を同時リリースし、TM NETWORKを再始動し、まだ掴めていない夢に想いを馳せるまで。そのすべてをフォーカスしつつ、かつて小室ファミリーという巨大ムーヴメントを生み出した彼の目に、現代の音楽シーンにおける最大ムーヴメント“AKB48”がどのように映っているのか等、貴重な話をたくさん語ってもらった。
音楽が僕を延命させてくれる、終わらせてくれる
--先日のTM NETWORKとしての久々のライブはいかがでした?
小室哲哉:震災復興支援イベントであったことや、プリプリ(プリンセス プリンセス)の16年ぶりの再結成ライブがあったり、いろいろな要素があるイベントだったので、どっぷりTM NETWORKという感じではなかったんですけれども、ここ2,3年ですかね。ひとりでクラブイベントやピアノコンサートで相当弾いていたんだなと思って。思いの外、すらすらすらすら弾けたんですよ。
--なるほど。
小室哲哉:大体、久々にTMのライブがあると、すっかり忘れちゃったりしていることが多いんですけど。今回はリハーサルから一度も譜面を見なかったですね。自分なりにすべて把握できていたので、久しぶりと言いつつも、ひとりで随分TMの曲を弾いていたんだなって。それだけTMの曲というのは、僕にとってはプライオリティとしては今も高いところにある。
--実際に3人で動き始めてどんなことを感じていますか?
小室哲哉:何十年も言い続けてますけど(笑)TMって熱い奴らじゃないんですよね。globeもそうなんですけど、まだglobeの方が熱かったかなって。ステージ前にみんなで手を合わせて「よし!OK!」みたいなこともしないし。気持ちをなかなか口に出さないところがあって。だけど、誰が今どんな感じなのか大体分かるんですよ。今回初めてTMのライブを観たavexのスタッフが「え、なんであれで分かるの?」って驚いたりしていたんですけど、そこは長年の妙ですよね。あと、2人は「哲っちゃんはTMを今すごく面白がってる」みたいなものを感じ取る能力があって。実際、今は寝ててもTMに関するアイデアが出てきて、それをすぐ書いたりしているんですよ。そういうのを知らずとも2人は感じ取ってくれる。
--これまでもTM NETWORKは再始動する度に注目を集めてきましたが、今回は意味合いが少し違いますよね。小室さん自身、2008年から2009年にかけて「もうTMはできないかもしれない」「もう音楽はできないかもしれない」的な恐怖は感じていたんでしょうか?
小室哲哉:自分の中だけで考えていたことなんですけど、その反対というか、「音楽がもしかしたら助けてくれるかもしれないな」って。音楽が好きで、音楽を一番に生きてきた。そこは揺るぎないものとして間違いなくあったし、信念は持っていたので、あるとすれば音楽が助けてくれる。そういう風に思っていました。唯一、音楽が僕を延命させてくれるかなって。もしくは、音楽で僕の人生を終わらせてくれるんじゃないかって。小室哲哉というのは音楽人だった、という風に終わらせてくれるんじゃないかって感じていました。
--実際、小室さんに音楽家として活動し続けてほしいと、多くのリスナーやミュージシャン、関係者の方々は願いました。あの状況にはどんなことを感じていましたか?
小室哲哉:社会の中で音楽家が存在できるということは、奇跡的なことで。ポップスなので微妙ですけれども、でもやっぱり芸術家と言えば芸術家ですよね。なので、一般社会にはなかなか順応が難しい仕事なんですが、それでも社会の中で上手く活動させてもらえているのは、皆さんのおかげだと思っています。やってもいいんだなぁって思わせてくれた。想像以上に「小室哲哉は音楽をやっている人でしょ」って思ってくれている人が多かった。それは嬉しいことですよね。
--そうして小室さんは【a-nation'09 powered by ウイダーinゼリー】で復活を果たします。名曲の数々が自身のピアノと5万人の声によって甦っていく光景は、感動的でした。
小室哲哉:そういうお膳立てをしてくれた松浦社長(松浦勝人/エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長)には感謝したい。あの状況でひとりひとりの人を見る余裕はなかったんですけど、なんとなく歌詞までちゃんと口ずさんでくれている気がしたので、みんなそれぞれいろんなアーティストの曲を好きだとは思うんですが、僕の曲も好き嫌いはどうであれ、なんとなく時代を感じたり、そのときの風を感じたり、「そのとき自分は何をしていたかなぁ」みたいな心象風景が出てくるものになれたんじゃないのかなって。今振り返ると思います。『FACE』(globe)の「少しくらいは きっと役にはたってる」という歌詞がありますが、正にその通りだなって。
--そして今回、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登の3人が並んで音楽活動をすることも、ファンのひとりとして大変嬉しく思います。そこで聞きたいんですが、小室さんにとって2人はどんな存在になっているんでしょう? まずは木根さんから。
小室哲哉:彼はすごくミュージシャンなんですね。芸術家と言うよりは、ミュージシャンと言うのが好きみたいで。それで、同じメンバーなんですけれども、すごくリスペクトしてくれているところがあって。これは本人から面と向かって聞いたことはないですけど、自惚れも含めてですけど、僕の音楽のファンでいてくれているところはあります。
Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
当時の僕らが表現していた世界がやっと現実に
--宇都宮さんは?
小室哲哉:ウツと木根くんは中学からの幼なじみですし、木根くんの方がボーカリストというものを分かっている。それと比べて僕は「歌あってのものなんだよ」っていう認識がなく音楽を始めた人間なので、ウツにとっては一緒にいて落ち着いたり、優しい気持ちになるというのはないと思うんですよ。ただ、刺激は感じていると思う。「こいつ、またなんか凄いことを僕に言ってくるんだろうなぁ」「この年齢だよ。なのに、こんなことさせるのか」とか(笑)。でも「なかなかそれを俺にやらせる奴もいないな」っていう風に思ってくれているんじゃないかな。
--そんなTM NETWORKの今を詰め込んだシングル『I am』は、小室さん的にはどんな世界やメッセージを表現しようとしたものなんでしょう?
小室哲哉:基本的には1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』(1984年リリース)や2ndアルバム『CHILDHOOD'S END』(1985年リリース)から変わってないですね。僕らはタイアップとかメディアミックスみたいなものが出始めた頃に生まれたバンドなので、例えば『Get Wild』という曲がアニメ「シティーハンター」に使われてヒットしたりして。で、今回はそれ以前のTMの原型というか。星座の名前を散りばめたりとか、近未来の世界を描いたりして、本当は東京の郊外に住んでいる3人なんだけど、それとは関係なくフィクションを楽しんで下さいと。で、フィクションで秘密基地ごっこをやっていたんです。当然、ヒット曲が出始めると義務も出てくるので、それなりの責任感も必要になっちゃうんですけど、それ以前の自分たちがやりたかったことが、今回のシングル『I am』に近いんですよ。
--おぉ~!
小室哲哉:初期に『1974』という曲があったり、「電気じかけの予言者」という言葉があったり、『Timemachine』という曲もあるんですけれども、そういったフィクションの世界。SF、正にサイエンスフィクションをやりたかったんですよね。分かり易く言うと、それが『Get Wild』以前にやりたかったこと。
--何故、今再びそこを表現したいと思ったんですかね?
小室哲哉:ここ1,2年で「21世紀が始まったなぁ」という感じがすごくするんですよ。ネット環境とかも含めて。当時『humansystem』という言葉を作ったりしましたが、当時の僕らが表現していた世界が今やっと現実になった感覚なんです。普通の女性がスマホをポンポンいじっていたり、あの頃に描きたかった世界とシンクロしている。それで『I am』は、2014年からタイムスリップして2012年の世界を見に来ている設定にしていて。だから音も2014年から見た2012年のポップスというのはこんな感じなんじゃないかという、上から目線というか、先から目線(笑)みたいな感じで作りたかったんです。
--そのTM NETWORKの新作も気になるところなんですが、小室さんのソロワークスもここに来て更に精力的になっています。まず4アイテム同タイミングリリース。
小室哲哉:こっちも感覚としては『I am』を作った経緯と似ています。ビジネスとしてヒット曲やヒットアイコンを生まなきゃいけない、そういった使命もどこかにはあると思うんですけど、今回に関しては今さっきの話とほとんど似ています。ずっとやりたかったことだったり、フィクション的なことであったり。例えば『Far Eastern Wind』は、アンビエントという言葉を知るきっかけになったブライアン・イーノに「ああいう人みたいに生きたいな、終わりたいな」と憧れて作ったもの。
--なるほど。
小室哲哉:あと『TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE(TK Presents BROADJ #332)』に関しては、クラシックに近いのかもしれないですけど、指揮者みたいな人がいて。ひとつのグルーヴに則って、自分の周りにいる演奏者たち=シンセサイザーを操る。それが時代的に新しいものかどうかは分からないですけど、刺激的ではあると思って、DVDとして残しておきたかったんです。あと、テクノロジーの進歩の行ったり来たり。「こんなことできないの?こんなことできないの?」と言い続けて楽器メーカーさんを困らせてきたんですけど(笑)、今回の『小室哲哉 meets VOCALOID』でVOCALOIDと接触したことによって、僕からまた何かしらリクエストしていくことになると思うんです。70~80%ぐらいの確率で。日本人の女性歌手で、一番最初に世界でヒットするのはもしかしたらVOCALOIDという気がしているので。
--どれも画期的な作品だと思うんですが、DOMMUNEのライブは小室哲哉の人間性や音楽家としてのキャラクターを改めて世間に知らしめるものになりました。小室さんはあのライブで何を見せようとしていたのか、もう少し具体的に聞かせてもらえますか?
小室哲哉:目の前には数十人のお客さんと関係者しかいないし、ステージらしいステージもない。で、本当に編集も何もしてないし、ミスもすごくしてますし。ただ、ひとつ言えるのは、頭から終わりまで全部即興なんですね。とにかく2時間ひとりというオーダーがあって、MCもCMもなし。ここ20年でもしかしたら一番頭を使ったかもしれない。構築していく頭を。演奏しながら「次、何しようかな?」って1分後、2分後、5分後、10分後ぐらいまでのことをずっと考えながらやっていたので、あれほど頭が回転していたことってないんじゃないかな。だから何を見せようとしていたかと言えば、とにかくやり切る。走り切るところ。マラソンに似ていると思うんですけど、ゴールまで走り切れればいいなと思っていましたね。
--その中で奇しくも指を流血。赤く染まっていく白い鍵盤が印象的でした。小室さんって、昔からショルキー破壊したり、オルガンの上に乗ったり、大雨の中でキーボードを投げ飛ばしたり。ロック的衝動に身を任せるのが、実は好きですよね?
小室哲哉:流血に関しては当然ながらパフォーマンスではないんですけど、ロック的衝動はありましたね。鍵盤ではあってはいけない弾き方とか、そういうものに走ってしまう。あれがネットであろうと、野外ライブであろうと、どこであろうときっと変わらなかったと思うんですよ。「今、出しているこの音が届いてくれ」という瞬間、伝えたい気持ちが度を超したときにああいう展開は起きるので。もはやコミュニケーションではないのかもしれない。それを更に突き抜けてしまったものでしたね。まぁでもあれに関しては二度と同じことはできないと思います。やろうと思ってもあんなに上手く血が出ないです(笑)。
Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
AKB48は日本の牙城をギリギリ守ってくれている
--ミックス&カバーアルバム『Digitalian is remixing』の仕上がりにはどんな印象を?
小室哲哉:4アイテムの中では一番ライトというか、フレンドリー。今までの仲間だったり、僕の音をいじりたいと思ってくれる人たちが参加して「ああしたかった、こうしたかった。こうやったら面白いのにな」っていう実験をした作品です。僕の曲をいろんな形でいろんな人に遊んでもらったり、自分でも「こうしたらどうかな」って変化させたり。そういう意味ではひとつのスタイルを提示しているものだと思います。まぁあらゆる人がやっていることなんですけど、僕もやっていきますよっていう。自分の生み出した曲を可愛がってあげたい。多分、それは今後もやっていくこと。今後はパッケージじゃなくダウンロードになっていきますけど、僕はフリーでもいいと思っていて。VOCALOIDの話と被りますけど、みんなが僕の曲で遊んでくれればいい。
--あと、小室さんはこれらの自身の作品以外にも、現在進行形で多くのアーティストの楽曲を手掛けています。ただ、TRF、安室奈美恵、華原朋美、hitomi、鈴木亜美など、小室さんは90年代に多くのアーティストを“プロデュース”してきましたが、現在はほとんどのアーティストと“楽曲提供”という距離の置き方をしていますよね。これは意図的なものですか?
小室哲哉:そうですね。やっぱりプロデュースってなると、どうしてもビジネスの要素が強くなる。プロデューサーというのはお金を生み出していかなくてはならない責任もあるし、使命感もあるし、管理もしなくてはいけない。でも楽曲提供であれば、もうちょっとミュージシャンでいられるというか、音楽家になれる。そういう気持ちの表れが自然と出ているんだと思うんですけれども……「この人にこういうアドバイスをしたら万人の人たちに楽しんでもらえる。そういうアイコンになれる」と思う人が現れたら、それは一緒に組みたい。だから決してプロデュースを封印したという訳ではないです。ただ、プロデュースはフィギュアスケートの選手と監督やコーチぐらい近い距離にいないと。今は秋元康さんとか、学校の先生的なプロデューサーもいると思うんですけど、僕の場合はそれはできないので。
--先程名前を挙げさせて頂いた、かつてプロデュースしていたアーティストと再び仕事したい想いはない?
小室哲哉:そうですねぇ………、また新たにプロデュースしていくことがあっても、あの時代の仕事は“良い思い出”でいいのかなって。今、ご一緒したとしても、皆さん、当時の印象が強いですよね。いくら上手くできたものがあったとしても、やっぱり元の方が良かったってなることは、僕に限らなくても多々あると思うんですよ。例えば、幼いときに歌って大ヒットしたものを、大人になってより良い形でリメイクしたとしても「前の方が良い」という評価になってしまう。
--なるほど。では、質問を少し変えます。いわゆる小室ファミリーを卒業していったアーティストって、今も気になったりしますか?
小室哲哉:小室ファミリーって広告代理店かどこかが作った言葉で、僕は一度も口にしたことはないですし、皆さん、ワン・バイ・ワンでやってきたつもりなんですね。例えば、安室さんだったらジャネット・ジャクソン、華原さんだったらマライア・キャリー、hitomiさんだったらアラニス・モリセットみたいな感じで当てはめるようにそれぞれプロデュースしてきたので、モータウンとかデフ・ジャムみたいな括りでやっている感覚はなかったんです。
--ただ、世間がそれを小室ファミリーというひとつのムーヴメントとして捉えていたのは確かですよね。そして、現在の日本の音楽シーンはAKB48が90年代の小室ファミリーのような……
小室哲哉:そうみたいですね。というのは、自分では分からなかったんですよ。でも今になってなんとなく客観的に見ていて、ひょっとしたら当時はこんな感じになっていたのかなって。……という風に思ったら、ちょっと「いけなかったかな?」みたいな。
--いけなかったことはなかったと思いますけど(笑)。ちなみに小室さんの目にAKB48はどんな風に映っていますか?
小室哲哉:AKB48が売れ出した頃って、ちょうどK-POPが日本に進出してきた時期だったりもして。アニメーションだったり、ファッションで言えば109などと同じように、日本のサブカルチャーの牙城をギリギリ守ってくれているのかなという。まぁ賛否両論はあると思いますけど、間違いなく「これが日本のポップカルチャーです」ということは胸を張って言っていいし、海外に対してすごく分かり易い日本のカルチャーになっていると思うので。そういう役目は果たしていると思いますね。これがもしなかったら……って思うと、すごく寂しいなって。野っ原に何にも建ってない、みたいな。
--そんな今のシーンにおいて、これから先、小室さん自身はどんな音楽活動をしていきたいと思っていますか?
小室哲哉:一音。メロディとかワードとかに捕らわれず、AppleやWindowsの起動音みたいな、誰もが聴けば分かるもの。もう人生半ば過ぎなので、何かひとつ。誰が作ったのかは分からないんだけれども「あの音は聴いたことがある」というものを作りたいですね。ベートーベンもバッハもモーツァルトも、とてつもない数の人が聴いたことがある訳ですけど、僕もそういうものを作れたら、それが果たせたらと思います。だから僕の中では「スーパーマリオブラザーズ」の曲とかも驚異的なんですよ。
--誰でも口ずさめますもんね。
小室哲哉:全世界の方にあの音の印象って残っていて。決してそこに哀愁があったりとか、荘厳さがあったりする訳ではないと思うんですけど、でも愛着があったりする。ポップという意味でも素晴らしいなと思っていて。まぁあれ自体をやりたいということではないんですが、何かそういうこと。今回のアンビエントとかも、それのちょっとした表れではあります。
--では、今の答えとイコールかも知れないんですが、規模を音楽活動から人生に広げて。どんな風に生きていきたいですか?
小室哲哉:今話したことが実現できて、それが「小室哲哉っていう奴が作っているんだよ」って知ってもらえたら、それほど悔いのない人生はないですね。
Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
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