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<インタビュー>OSHIKIKEIGOを動かす音楽への飽くなき探求心とミニアルバム『BOARDING PASS』で作り上げたグルーヴ

Interview & Text:矢島由佳子
今、業界内で知らない人はいないと言ってもいいほどの大型新人である、OSHIKIKEIGO。2024年にSNS投稿をスタートした時点で楽曲のクオリティが話題となり、契約のオファーを持ちかけたメジャーレコード会社や事務所は15社を超える。今年4月に「モナリザ」でユニバーサル ミュージックよりデビューを果たし、10月15日には、今年発表した5曲を含む1stミニアルバム『BOARDING PASS』をリリースした。
OSHIKIKEIGOは、かなりロジカルな思考の持ち主だ。それでいて、愛らしい音楽オタクだという印象も持った。小学生の頃からピアノやギターに触れて、中学時代に早くも音楽で食べていくことを決意し、そこからは日本のトップチャートの曲や自分の好きな曲を分析することに膨大な時間を費やしたという。楽曲のクオリティだけでなくインタビューをさせてもらって得た実感として、ロジカルさ、熱心な探究心、緻密な創造力は、トップアーティストたちと並ぶものを確実に持っている。DTMと楽器の生音の融合を研究しながら、今の時代にしか生まれ得ない、そして今のリスナーが心地いいと感じるポップソングをデザインするOSHIKIKEIGOは、瞬く間にポップアーティスト最前線へと躍り出る予感がする。
ただ多くの方に聴いてもらうだけでは嫌
――中学生の頃に音楽の道へ進むことを決めて、そこからは自分の好きな曲や日本のヒットソングの分析に時間を注ぐような生き方をされていたそうですね。どういうモチベーションで、そこまで音楽にのめり込んだんですか?
OSHIKIKEIGO:どちらかというと「焦り」です。ロジカルな考え方をするのであれば――ある種自分の心を洗脳するというか、目標を決めて、それに対して自分をどう追い込むかが大事だと思って生きてきたんですよ。だから「音楽で食べていく」という目標を決めたからには、まず焦ることが大事だと思って。焦りやプレッシャーによって頑張りすぎて落ち込んで手が止まってしまうのであれば、それは目標から遠ざかっている行為だと思いますが、逆に「失敗しても別に生きていけるしいいかな」って怠惰になるまでの楽観主義になるようだったら、焦りが必要だと僕は思う。「頑張れ」「頑張るべきだ」って、そこだけを語っている人は苦手で、それはこぼれていった人のことを何も考えていないセリフなのでそうは言いたくないんですけど。
自分は質より量派でもあるし、自分以外の人たちはきっと寝る間も惜しんで音楽を頑張っているだろうと思って、できる限り努力してきましたね。今も焦る段階です。「音楽だけをやろう」って決めてからは、逆にそれ以外のことを覚えられなくなってしまった可能性もあります(笑)。音楽以外のことを覚えるのは脳の容量的にもったいないって、勝手にそう思ったのかもしれないです。
――音楽だけでなく、あらゆる物事に対してロジカルな思考をしているのだなと思ったんですけど、なぜそうなったのかは自己分析できていますか?
OSHIKIKEIGO:根本的なところを聞かれると難しいですよね。でも数学が好きだからなのかもしれないです。どちらかというと音楽よりも数学のほうが好きだったくらい。数学が好きな理由は、単純に解いた答えが合っているかどうかよりも、公式を見つけるのが大好きだったからなんです。たとえば授業中に問題が出たとき、先生がしゃべっていることを全部無視して、1回自分で解いてみて、自分の式が先生の公式と近いかどうかというゲームに楽しさを感じていました。それが、自分の思考法に近い感じもします。学校の先生には「数学の教師になれ」って言われていたので、「俺は音楽を目指す」って言ったら「やめて」って言われました(笑)。クリエイティビティと数学って、対極にあるように見えますもんね。
――音楽の構造とは数学的であって、感覚で音楽を作っているミュージシャンもいるけど、OSHIKIさんの場合は、数学的に音楽の分析や構築を行っているタイプですよね。さきほど「今も焦る段階」とおっしゃったけど、今の焦りは、どういうところに向いているんですか?
OSHIKIKEIGO:まだ全然、表舞台に立てたとかも思っていないんですよ。プロになったとも言えないくらいの感覚。あと僕が音楽を目指した理由のひとつは、いろんな人と話してみたかったからなんです。米津玄師さん、川谷絵音さんとか、「音楽人」と言われる方と音楽についてしゃべりたい。そういう気持ちがすごくあったので、それを叶えたいですね。自分の極端な考え方を「それはよくないよ」って怒られてみたいです(笑)。もともと新潟の超絶田舎に住んでいて、こっち(東京)に来てから、まず音楽の話ができる人がいる時点ですごく面白いなと思いました。
でも一番大きいのは、単純に「いい曲を作りたい」だと思います。いい曲とは何かと聞かれたら、さらに難しい話になってくるとは思うんですけど――今の目標で言えば、ただ多くの方に聴いてもらうだけは嫌なんですよね。パッと聴いていいなと思える大衆性を持って、かつ、音楽の造詣が深い方たちも楽しめるようなもので、さらに認知される曲を作りたい。それが今の目標、というか、生涯の目標だと思います。それを成すためにはまだ焦りが必要だなって感じます。
――日本で大衆性を持つ曲って、歌もとても重要だったりするじゃないですか。ビルボードチャートを見ても、アイドル――「アイドル」と「アーティスト」の括りもどんどん曖昧になってきていますけど――のようなファンダムのパワーが強い楽曲を除くと、とにかく歌が長けている人の曲が上位のほとんどを占めている。しかも歌は、理論や数字で分析しきれないものを含んでいたりもする。そういう「歌」に対して、OSHIKIさんはどういう考えがありますか?
OSHIKIKEIGO:もともとアレンジャー志望で歌う気がなかったので、こんなことになるとは思ってなかったんですよ。専門学校に通っていたときも練習はしていて、最近もボイトレに通い始めたんですけど。曲に対して、その曲のどこが先進的で、どこに意味が含んであって、なぜ売れるに至ったかを分析するのは得意で、オケを作りたい、理論についてもっと詳しくなりたいという気持ちが強かったんですけど、同じように歌もこれからもっと磨きたいなと思っています。
――歌詞に対しては、どんな考えがありますか? 「自分の哲学を表現したい」「誰かと共感して繋がりたい」「誰かの人生を救いたい」といった想いで歌詞を書いている人もいれば、「メロディを生かすために言葉を音として捉えて乗せている」といった考え方もあって、OSHIKIさんはどちらかといえば後者の作り方なのかなと。
OSHIKIKEIGO:一方面から見ればそうなんですけど、そういうのもそんなに好きじゃないというか。料理でいえば、「味の美味しさこそが料理だ」という考え方もある中で、ただどう考えても見た目やシチュエーションも重要じゃないですか。同じ料理でも、見た目や場所が違えば、美味しく感じるし「幸せだな」って思う。歌詞も、そこが重要なポイントではないんだろうな、でも裏表をひっくり返せば、そこが一番重要なんだろうなという感覚ですかね。メロディは重要だって思うんですけど、料理でいう盛り付けや外界の要因のように歌詞がいかに大事なのかも感じます。歌詞もよくした瞬間に曲がめちゃめちゃよくなるんだろうなと思っていますね。
先人たちが見てきた景色を見てみたい
――ここまで語ってくれた発想を持っているOSHIKIさんが、デビューから今に至るまでどんなことを考えて、どういうトライを自分の曲の中でやってきたのかを、リリース順に聞いていきたいなと思います。まず、デビュー曲として発表したのが「モナリザ」ですね。
OSHIKIKEIGO:これを最初に出した理由は、自分がこれからやりたい要素がわかりやすく含まれているからでした。それは、現DTM世代の感覚と、生楽器の本来の仕草などDTMではないものを、掛け合わせること。時代的に生楽器要素が減っている傾向があるので、そことDTMを掛け合わせられたら素敵なんじゃないかなと思いながら、生で録ったリズムものをチョップしたり、ピアノのリフは生楽器なのに「少し生楽器ではないかな」と思うくらいの感じが現DTM感あるかなと思って入れたり、誰にも気づかれないレベルでDTM世代としての遊びを入れたりしています。DTMだとハネのニュアンスが少なくて、グルーヴが整いつつあるような傾向があるので、絶対にハネでいこうって思っていました。そういうものを含みつつ、ブラックミュージック要素強めの曲で、オケを大事にしたいという姿勢を最初に見せたかったのもありましたね。ちょっと大人びていると思われるような楽曲になっているとは思うんですけど、淡白ってわけでもない、どこか無機質だけど少し複雑に聴こえる、というようなコードワークにしました。
OSHIKIKEIGO - 「モナリザ」 (Official Music Video)
――OSHIKIさんの曲って、1小節ごとに何かしら耳に引っかかってくるくらいの要素がありますよね。
OSHIKIKEIGO:ありがたいです。基本的に、めちゃめちゃ切り刻んで作っているというか。大体の人は「イントロ」「サビ」「Aメロ」と言われる8小節や16小節分をまとめて作ると思うんですけど、僕の場合は、1つの単語を思い浮かべて、それにメロディを当てて、コードを当てて……というやり方をしているので、1小節ずつでもなく、1拍ずつ作っています。それが正しい作曲の仕方かどうかは難しいですけど、それが一番バランスを取りやすいんですよね。
――「モナリザ」で鮮烈なインパクトを残したあと、次にリリースしたのが「オッドアイ」でした。この曲にはOSHIKIさんなりにどういうトライがあって、どういう自分の一面を見せたかったと言えますか?
OSHIKIKEIGO:これは死別の曲でもあるので、地に足ついてない不安な気持ちを入れたい、でも浮きすぎると曲として成立しない、という遊びがありました。きっとパッと聴きはよくないコードなんですけど、そこに安定しているメロディが乗っていて、なんとか食い止めている。歌詞は、もちろん捉え方は自由でいいと思っていますし、それぞれの考え方を持っていただきたいんですけど、僕としては別れを描いていて、その最大たるものが死別だなと思って、死別として捉えられる曲を書きたいなと思っていました。
歌詞として書き入れたかったことのひとつは――「幸せ」と「不幸」、「幸福」と「悲しみ」は対を成しているというか、互いが存在するからこそ成し得るものだということに気づいてほしい。僕らが今楽しくて幸せなのも、きっといつか来る別れや悲しみのおかげだから、そこを見て見ぬふりするのはもったいない。「そこに気づいてあげてもいいんじゃない?」っていうことを含む曲として書いた記憶があります。伝えたいことは「別れというものにも深く感謝をしましょう」ということです。
OSHIKIKEIGO - 「オッドアイ」 (Official Music Video)
――「ダサめのステップ」は、それまでの2曲とは異なる、新たな一面を出してきたなという印象を受けた曲でした。YMOなど、80年代を感じさせるサウンドですよね。
OSHIKIKEIGO:ROLANDのJX-3Pというシンセサイザーを買ったのが一番大きなきっかけだと思います。それがアナログとデジタルのあいだくらいの古めのもので、いい意味で音がチープだなと思いつつも、現ポップスとして使うには少しマズイなと思った結果、当時に倣った曲を作るほうが楽しいしリバイバル感もあるなと思って。これは常々思っていることなんですけど、きっと僕らは「ここがサビだよ」「ここが面白いところだよ」って教えてもらわないと不安になるんですよ。「ここで笑ってください」「ここが聴かせたかったところです」というニュアンスを言ってほしいんだと思うんです。ただチープな音でリバイバルのような曲を作って、あえてそうしているのか、それとも普通にこうなってしまったのかがわからない、という状態になったら残念だなと思ったので、「かっこ悪いという要素を歌詞や題名に含んでしまえばいいんだ」と思ったんですよ。それがスタートですね。それをやる上で、YMOさんの「君に、胸キュン。」とかを聴いて、「面白いな」「やっぱりいいな」と思って、単調に刻々とリズムを打っているあのニュアンスを出そうと思いました。
歌詞は、僕もいつも周りを気にして生きていますし、完全に自由に生きている人なんてなかなかいないんじゃないかなというくらいには誰しも人に気を遣って生きていると思うんですけど、家に帰って「ダサめのステップを踏んでください」っていう。「こけていいんだよ」「ダサくていいんじゃないかな」「幼さや拙さを2人で笑い合いましょう」っていうのが僕の伝えたいことです。
OSHIKIKEIGO - 「ダサめのステップ」 (Official Music Video)
――そのあとにリリースした「メイラード」は、TVアニメ『フェルマーの料理』のオープニング主題歌であり、OSHIKIさんにとっては初のタイアップ曲でした。「モナリザ」や「オッドアイ」で発揮したOSHIKIKEIGOのシグニチャーとも言える要素を入れて、さらに更新したような曲だという印象を持っていましたけど、実際にはどういった狙いがありました?
OSHIKIKEIGO:「モナリザ」でやったチョップの手法を取り入れつつも、そこの音の残響やボーカルとの合わせ方とかは変えていて、きっと聴いたことのないニュアンスになるだろうなと思っていました。ピアノのフレーズは、ジャミロクワイさんの「Virtual Insanity」のストロークがかっこいいなと思っていたので、リスペクトを込めてそれをちょっと入れてみました。
歌詞としては、『フェルマーの料理』の主人公・(北田)岳が数学に挫折したけど、「頑張ってきた意味がなかったんじゃないか」と思える体験が料理という新たな道に進んだときに役に立ったというところから、「そうなることもあるんだよ」って。「人生、やってきたことに絶対に得がある」みたいな綺麗事を言いたくはないですけど、「そんな卑下しないで」「やってきたことに対して意味がないって断定してほしくない」というのが言いたいことですね。
OSHIKIKEIGO - 「メイラード」 (Official Music Video)
――「ユダ」は初期からTikTokで発表していた曲だと思うんですけど、DTM世代の感覚と生楽器の美しさを混ぜ合わせるということにおいて、ここではどういった発想がありました?
OSHIKIKEIGO:生でピアノを録ったんですけど、かなり吟味して、最終的には打ち込みのピアノを使いました。ベースは絶対に生じゃなきゃ出ないような、人じゃないとできないニュアンスで、すごくかっこいいなと思います。これはカーク・フランクリンの「Love Theory」がリファレンスにありました。ピアノのストロークも、みんなで合唱みたいに歌う壮観な感じも、かっこよくて。ただ現DTM世代としては、あそこまでのグルーヴを今の僕がやるべきではないなと。いつかは作ってみたいですけど、今の僕が作る意味があるものとしては、グルーヴを単調にして少し無機質なニュアンスで作れたらまた新しいものができるんじゃないかなと思って。「Love Theory」みたいに合唱を入れるのもかっこいいなと思ったんですけど、僕は、みんなが手を繋いで世界で生きている感じというより、1つの部屋に2人だけいるような空間を描きたいんですよね。曲に少し狭さがほしいんです。だから自分の声を重ねるという結論に至りました。
OSHIKIKEIGO - 「ユダ」 (Official Music Video)
――『BOARDING PASS』に新録される曲でいうと、「花札」もまた面白いトラックですね。Lo-Fiヒップホップとシティポップを掛け合わせたようなニュアンスを受けました。あと歌詞の筆致も他の曲との違いを感じましたけど、この曲はどんなことを考えていたんですか?
OSHIKIKEIGO:「オッドアイ」と「花札」は、打ち込み要素強めの曲として作った記憶がありますね。これはminilogueというシンセを買って、それを使ってみたいという気持ちも含んでいた気がします。グルーヴのチェンジを入れたいなと思っていて、Bメロはハネるけど、Aメロやサビはリズムマシーン的な要素のドラムにしました。コード進行も、今までとは別のジャンルだと思いますね。歌詞は、こいこいの役札を全部散りばめながら、言いたいこと言えたらなと思って。言いたいことはシンプルで、「ただ隣にいたい」っていう。「ずっと一緒にいる」って軽々しく言うんですけど、それって大変だと思うんですよね。慣れて温度に気づかないような感覚になっていく中で、仲良くいられるためにお互いの機微に気づいたり配慮したりして、ふと「この人といるのが正解なんだろうな」って思ったときにまた一緒に生きていく力がもらえるんじゃないか、みたいな。それが伝えたい要素の1つだと思います。
OSHIKIKEIGO - 「花札」(Official Audio)
――「歌詞は料理でいう盛り付けや場所だ」という話をしてくれましたけど、こうやって具体的に聞いていくと、それぞれの歌詞で「こういうふうに物事や人間を見たら面白いんじゃない?」みたいな、何か気づきのきっかけを作ろうとしているんだなと思いました。
OSHIKIKEIGO:そうですね。きっとみんなも気づいていることではあると思うから、「ふと思い出してほしい」「そんな気もするかもな」くらいに思ってもらえたらなという感覚です。僕もふと思い出そうと思います。たとえば「今幸せだな」って実感は得づらいけど、だからこそ「今幸せだな」って思って、それを口にしようと思っているんです。友達といるときも「今楽しいね」って話しますね。
――11月27日大阪・心斎橋Music Club JANUS、29日東京・代官山UNITにて、初のワンマンライブが開催されます。初のライブがワンマンだというのも驚きで、しかも入場無料でやるってかなり大胆だし、お客さんにとっては贅沢ですね。
OSHIKIKEIGO:いろんな人に見ていただきたいです。ドラム、ベース、ギター、ピアノを入れてやりたいなと思っているんですけど、生楽器主体になったときに自分の曲がどうなるのかは僕も未知数です。今までは反応をもらえたとしてもSNSのコメント欄とか、何かを媒介した形態での感情表現だったので、面と向かって反応をもらえたときに自分がどんな感じになるのかも楽しみです。それをこれからの曲に活かしていきたいです。ライブを糧にして成長したいですね。
――その先、ドームだとか、大きなステージに立ちたいという想いはありますか?
OSHIKIKEIGO:ないと言ったら嘘になりますね。その景色が見てみたい自分もいますし、人間なので承認欲求はありますし。何より、先人たちが見てきた景色を見てみたいと思います。
OSHIKIKEIGO – Digital Mini Album『BOARDING PASS』 (全曲トレイラー)





























