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<インタビュー>米津玄師 「IRIS OUT」「JANE DOE」に浮かび上がる“無意識”の繋がり――『チェンソーマン』との再タッグと、宇多田ヒカルからの影響

Interview & Text:柴那典
米津玄師のニューシングル『IRIS OUT / JANE DOE』にまつわるインタビューが実現した。
「IRIS OUT」は劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌として、「JANE DOE」は同作のエンディング・テーマとして書き下ろされたナンバー。スウィングする曲調に乗せて衝動的な歌声とコミカルなリリックが繰り広げられる「IRIS OUT」、宇多田ヒカルとのデュエットで美しくもダークな世界を描く「JANE DOE」と、対称的な2曲になっている。またBillboard JAPANチャートにおいても、「IRIS OUT」は、現在の6指標集計となった2023年度チャート以降最多となる週間ポイント数を獲得し総合ソング・チャート“JAPAN Hot 100”で首位に。また、ストリーミング・ソング・チャート“Streaming Songs”においては国内楽曲史上最多となる週間再生数を記録(ともに2025年10月1日公開チャート)、さらには世界200以上の国/地域を集計対象とした米Billboardのグローバル・チャート“Global 200”では、日本語楽曲として史上最高位(5位/10月4日付チャート)を記録するなど、映画とともに国内外を席巻している状況だ。
本作の制作にあたってはどんな思いがあったのか。ワールドツアーを終えた後の日常生活の変化や、アートワークやCDパッケージに込めた思い、宇多田ヒカルとの共演となった「JANE DOE」MV撮影の実感などとともに語ってもらった。
「こんなに待ってくれてたんだ」
――まずは近況について聞かせてください。4月に【米津玄師 2025 TOUR / JUNK】を終えてからここ数か月は制作の日々だったかと思いますが、海外公演も含む大きなライブツアーを終えて何かしらのマインドの変化はありましたか?
米津玄師:やはり韓国やヨーロッパやアメリカ、ワールドツアーで初めて行く国でのライブを経験したのは大きかったです。こう言うと日本以外の国で自分の音楽を聴いてくれていた人に失礼かもしれないですけど、今までそういうことをあまり意識せずに生きてきたこともあって、「こんなに待ってくれてたんだ」と思ったんですね。ものすごく好意的に迎えてくれたし、最近では呼ばれることはなくなった「ハチ」という名前を叫ぶ声が聞こえてきたりするのも純粋にすごく嬉しかった。清々しさみたいな感覚が非常に強くありました。それを経て、今年は生産的な生活を目指せるようになってきた感じがしますね。これまでの自分はそういうものが非常に苦手だったので。改めて自分の人生を振り返ると、もし音楽で受け入れられることがなかったら、ゾッとするような人生だと思うんですよね。社会的な営みもできず、ずっと家で音楽を作ったり絵を描いたりばかりしていて、それ以外のあらゆることをないがしろにして生きてきた人間で。そういう意味で、もし地元にずっと留まっていたら大変な目に遭っていたんじゃないかなとも思うんですよね。でも、そういう生活から徐々に離れられる感覚になってきた。すごく当たり前の話なんですけど、一日の中にちゃんとルーティンを作るとか、健康に気を遣うとか、ごくありふれたことが徐々にできるようになってきた。人からしたら「いまさらかよ」みたいな話なんですけど、だいぶ生活のあり方が変わってきた感じがします。ライブがきっかけだったのかどうかわからないんですけど、そこには大きな影響を及ぼしているような気はします。
――ソウルとロサンゼルスでのライブを拝見しましたが、MCで「また来ます」と言っていましたね。一度きりでは終わらない再会の約束をしたと現地のファンは受け取るでしょうし、きっとツアーをしている途中にそういう思いが芽生えたのではないかと思いました。
米津:そうですね。それはもう、ほとんど口をついて出たような言葉でした。次に行くと言っても、具体的な計画が決まっていたわけではないから、無責任な言葉だったかもしれないなと思ったりはしたんですけれど。でも、やっぱりライブツアーで見た景色がすごく晴れやかだったんです。生まれて初めてちゃんと目が合ったような感覚がありましたね。

「KICK BACK」がジェットコースターなら
「IRIS OUT」はフリーフォール
――では「IRIS OUT」と「JANE DOE」について聞かせてください。劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の話を受けて、まずどんなところから制作が始まったんでしょうか?
米津:まず「2曲作ってほしい」というところから始まりました。1曲はエンディングに決まっていて、もう1曲の方は劇中のどこで流すかを探っていく感じでした。エンディングの「JANE DOE」のほうは最初から「こういうものにしたい」というイメージが強固にあったんですが、「IRIS OUT」のほうは作りながらどうしようか探っていったのを覚えていますね。
――2曲並行して進めていったんでしょうか?
米津:まず「IRIS OUT」から制作を進めていきました。劇中曲ということは決まっていたので、制作進行上の都合からしても早くあったほうが都合いいだろうと。「IRIS OUT」を作り終えて「JANE DOE」という順番でした。
――米津さんが手掛けた『チェンソーマン』の主題歌としては「KICK BACK」がありましたが、そこからの繋がりは意識しましたか?
米津:「KICK BACK 2」みたいなものにはしたくないという気持ちは最初から強くありましたね。「JANE DOE」がそうならない予感は最初からあったんですが、「IRIS OUT」はちょっと気を抜いたら「KICK BACK 2」みたいになりそうな危険性があった。なので、いかに「KICK BACK」と差別化するかはかなり重視したところでした。「KICK BACK」が複雑怪奇な曲の構成でダイナミズムがある曲だったので、「KICK BACK」がジェットコースターだとするならば「IRIS OUT」はフリーフォールのような、ドンと始まって一直線に進んでパッと終わるという、潔いものにしたいという意識がすごくありました。
――曲の印象として、「IRIS OUT」はいい意味でとてもフォーカスの狭い曲だと感じました。デンジというキャラクターの翻弄されるさまが描き出されているように思ったんですが、そのあたりはどうでしょうか。
米津:今回の劇場版『チェンソーマン レゼ篇』にはレゼという重要な登場人物がいるわけなので、あくまでデンジとレゼの関係性にフォーカスを当てたほうがいいだろうと考えました。『チェンソーマン』や藤本タツキさんの漫画には男性を振り回す女性がよく出てくる。これは藤本さんの作家性のひとつだと思うのですが、今回の『レゼ篇』はまさにそのニュアンスが大きな特色としてある話なので。レゼという非常に魅力的で蠱惑的な女性に振り回される、その軸一本で行く必要があるな、と。そこに焦点を合わせてガンと突き進むようにすれば「KICK BACK」との差別化が図れると思いました。

――コメントでも「原作のレゼが写ってるページを四六時中開きっぱなしにして睨みつけながら作りました」とありましたが、レゼの魅力はどんなところにあると思いますか?
米津:気持ちよく振り回してくれる、心地よく騙してくれるというところですよね。頬を赤らめて、上目遣いでデンジのことを見て、ちょっとからかいながらも、あなたに好意がありますよということをこれでもかと表現してくれる。そりゃデンジのような人間は騙されるし、ある意味、騙されたいというのは恋愛感情において結構重要な側面だとも思うんですよね。魅力的で、いたずらっぽいところがあって、でも本当は何を考えているのかわからないある種のミステリアスなところがある。一体あの子は誰ですか?と言われたら、実は誰も知らないみたいな。これ以上なく気持ちよく自分の感覚を乱してくれるという、そういう存在ですね。
――そういうモチーフから「IRIS OUT」の曲調の発想はどう膨らんでいったんでしょうか?
米津:衝動的な曲にしたいというのはありました。一直線にドーンと進んでいってパッと終わる。がなって歌っているというのも含めて、自分の中でのパンク像に近い曲を作ろうという感じでした。曲を聴いた人の意見では「エレクトロ・スウィングっぽい」という声があったんですけれど、そのつもりは全くなかったです。
――そうなんですか。
米津:言われて初めて気付いたくらいなので。なので「エレクトロ・スウィングっぽい」と言われることに対しては、ちょっと不服な感覚がなくはないんです。ただ、パンクっぽい方向を目指していたとは言いつつも、パンクをやりたかったわけではないので。途中で歪んだギターを入れ込んだりもしたのですが、ちょっとコテコテすぎるかなと思ってやめました。代わりに入れたピアノのニュアンスやスウィング感がそういう風に聞こえるというのはそりゃそうだと思うし、結果としてエレクトロ・スウィングっぽくなってしまったという感じです。
――過去の曲とのつながりで言うと、たとえば「POP SONG」にはロマ音楽の要素がありますよね。あの感じをよりパンクっぽくブーストしたら「IRIS OUT」のサウンドになるという風に解釈したんですが、いかがでしょうか。
米津:客観的に見るとそういうことに他ならないような気がしますよね。「POP SONG」もエレクトロ・スウィングの軸があったんですが、あれもどちらかというと坂東(祐大)くんのアレンジによるもので、結果すばらしいものになったけど、デモではちょっと違う形だったんです。自分の人生は気がついたらエレクトロ・スウィングのほうに向かっていることが多いなという感じではあります。
IRIS OUT / 米津玄師
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宇多田ヒカルを迎えた理由
――「JANE DOE」についても訊かせてください。『レゼ篇』のエンディングで流れるという想定から、まずどういうものを作ろうという最初のイメージがありましたか?
米津:まず自分が歌うべきではないだろうと最初に思いました。『レゼ篇』のエンディングに男性である自分の歌声はあまりに似つかわしくない。あくまで女性の声が先立つような曲でないと成立しないだろうという予感は最初にありました。映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークとトム・ヨークがデュエットしている「I've Seen It All」がすごく好きだったんです。ああいうニュアンスがすごく合うのではないかという感じがあって、それを念頭に置きながら作り始めましたね。そこからいろいろ紆余曲折があって、ノスタルジックで青春を感じる方向性でも一度作ったりはしたのですが、あまりにこう湾曲的かなという。やはり結果的には男女デュエットで、ちょっとメランコリックでダークな雰囲気がある曲がいちばん似つかわしいだろうという。そういう経緯がありました。
JANE DOE / 米津玄師, 宇多田ヒカル
――コメントでは「誰に歌ってもらうかは深く想定せず作り始めた」とありましたが、曲を作っていくどのあたりの段階で宇多田さんのイメージが浮かんだんでしょうか。
米津:ピアノリフから作って、Aメロのメロディーと歌詞がある程度見えてきた時に、これはもう宇多田さんしかいないのではないかと思いましたね。宇多田さんの歌声に対する個人的な印象としては、メランコリックで寂しそうな、孤独な感じがあると同時に、ハスキーな歌声も含めて、ふっと風のように吹き抜けていくような爽やかさもあると感じていて。そういう両方の性質がある。それに、音楽を聴いていると、巨大な才能、楽曲と歌声の素晴らしさにある意味で支配されるようなものがあるんですよね。彼女の内的なものが自分の中に染み込んでくるような感覚がある。でも曲を聴き終わったら、「あれ、どこにいるの?」という、ふっといなくなってしまうような感じもある。そういうものすごい存在感と同時に希薄さの両方がある。そのイメージにもこの曲がぴったりなのではないかと。それがなければ成立しないとすら思うところがありました。
――宇多田ヒカルさんは非常に多面的なアーティストで、これまでに出してきた曲でも、いろいろな表現を形にしていたと思います。その中でも「JANE DOE」には、宇多田さんが表現してきた喪失感の部分が引き出されているように思うんですが、そのあたりはどうでしょうか。
米津:宇多田さんの中で個人的にすごく好きなのが「FINAL DISTANCE」と「誰かの願いが叶うころ」という曲で。中学生の頃に聴いたその2曲が、自分の人生に宇多田ヒカルさんの存在が大きく入り込んできたきっかけになったんです。で、こないだの宇多田さんのライブを観たんですけれど、そこでは原曲「DISTANCE」をリミックスバージョンで演奏されていて。「FINAL DISTANCE」に比べるとハッピーで多幸感あふれる感じで歌っていた。「ひとつにはなれない」と歌いながら、すごく楽しそうに踊っている。それがすごく良かったんです。あくまで自分の個人的な感覚ですが、そういう両義性や割り切れなさ、ままならなさみたいなものが彼女の歌には大きくある。それはレゼが持つものと共通する部分があるんじゃないかという感覚がありました。もちろん彼女がレゼに似ているというわけではないですが。

――「IRIS OUT」では米津さんがデンジの視線の言葉を歌っているわけですよね。それを踏まえて「JANE DOE」を聴くと、宇多田ヒカルさんにレゼを演じてもらうというような見立てを聴き手としては感じてしまうんですが。そういう意識はありましたか?
米津:あくまで宇多田さんには、ものすごく複雑なものを抱えている女の子と、本質的な意味でそれを全く理解していない男の子によるデュエットを作りたいので、そういう風に歌ってほしいというオーダーをさせてもらいました。それを彼女なりに解釈して捉えてくれて、こういう形になったという感じです。それ以外は特に細かいお願いはせず、あくまで宇多田さんの好きなようにという感じでした。
――レコーディングや楽曲制作においては、宇多田さんとどんなコミュニケーションがありましたか?
米津:宇多田さんがロンドンにお住まいなので、レコーディングはデータでのやりとりで往復書簡みたいな形で進めていきました。その中で、一度電話でお話しさせていただいたんですけれど、「こういう風に歌ったほうが米津さんの歌声がより引き立つと思う」みたいなことを言ってくれたりして。それは本当にそうだなと思ったんですよね。というのも、宇多田さんと自分の歌に対する感覚は全然違う。宇多田さんはR&Bなどレイドバックして豊かにリズムをとっていく音楽が根っこにあるミュージシャンであって。自分はボカロやDTMに根っこがあるので、縦のグリッドのラインを重視するところがある。オルタナティブロック的に前のめりになったりもする。性質がすごく違うので、自分が作った歌に宇多田さんが乗っかってくると、歌がとてもふくよかになるんです。その差異みたいなものがすごく良かったんですよね。さっきも言ったような、複雑なものを抱えている女の子と本質的にそれを何も分かっていない男の子の違いが両立する曲になった。それは全然狙ってやったわけではないし、結果的にそうなったという話でしかないのですが、これしかないのではないかというところに辿り着いた感じはあります。
――「JANE DOE」の〈この世を間違いで満たそう〉と「IRIS OUT」の〈今この世で君だけ大正解〉というフレーズは、すごく深いところで結びつき合っていると思ったんですけれども、曲を作る時に2曲の対比や組み合わせは意識しましたか?
米津:これは全く意識していなかったです。言われて初めて気づくところですね。曲を作っている時はその曲のことしか考えていない状態になるので、後々になって気づくことはよくあります。「JANE DOE」の曲名についても、『レゼ篇』の劇中曲にもなっている、レゼがひとりで歌っているロシア語の歌があって。そこで「ジェーンは教会で眠った」と歌っている。ここも作り終わった後に改めて気づきました。そういう無意識的なリンクが生まれるのが面白いなと思うことがあります。
――シングルのアートワークやパッケージ、MVについても訊かせてください。ジャケットのイラストレーションでレゼを描くにあたっては、どんなことを意識しましたか?
米津:できるかぎり、自分の技術が許すかぎり色っぽく描くということは考えました。こちらを誘惑してくるようなニュアンスがないことには絶対に相応しくないだろうなという。できる限りそういう方向で描いてみたら、こうなったという感じです。
――「IRIS OUT」と「JANE DOE」のジャケットの対比についてはどうでしょうか。足を描いている「JANE DOE」には歌詞とのつながりも感じました。
米津:ジャケットをふたつ用意しなければいけないとなった時に、レゼの全身を書いて、それを上半身と下半身で分けるというのを目指して描きました。
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』本予告
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』公開記念PV
――ミュージックビデオに関してはどんなことを考えましたか?
米津:「IRIS OUT」のほうは、さっき言ったように予告編がとても良かったので、予告を作った方に映画本編の映像で作っていただくことになりました。「JANE DOE」の方は宇多田さんとふたりで撮影しました。監督は山田智和さんです。最近の宇多田さんのMVはずっと彼が撮っているし、米津玄師もずっと前から撮ってくれている。監督は彼しかないという感じでした。
――宇多田さんとの撮影はどうでしたか?
米津:あんまり現実感がなかったですね。宇多田さんと背中合わせで座って、撮影している時はずっと回り続けていて、それをカメラが撮っている。そういうのも含めてなんか夢みたいな光景だなっていう。宇多田さんとお会いするのは2回目だったのですが、変わらず宇多田さんは気さくでフランクで話しやすい方で、自分が画面の向こうで見ていた彼女の姿と変わらない、素晴らしい方でした。
――山田監督やエンジニアの小森雅仁さんなど共通するクリエイターのつながりもあるし、米津さんと宇多田さんはきっとどこかで共演する必然があるのではないかと思っていたのですが、それがこのタイミングだったということも感慨深いです。
米津:自分と宇多田さんを中心とした相関図を作れば意外なほど間に共通する人たちがいますが、やはり『チェンソーマン』という素晴らしい原作がなければ、そういう発想にならなかったかもしれないとは思うので。『チェンソーマン』様々というか、結果的にこういう機会を設けてもらえてすごくありがたかったと思います。

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