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<インタビュー>五十嵐ハルが大切にしている自分らしさとは――鬱屈した気分を詰め込んだ新曲「ノーネーム」

Interview & Text:小町碧音
2024年3月、<もう少しだけ出会うのがさ早かったならば>との歌い出しで、すれ違う恋心をエモーショナルに描写する渾身のラブバラード「少しだけ」で、SNSにその名を刻んだ五十嵐ハル。同年4月3日に公開されたBillboard JAPANの新人アーティストチャート“Heatseekers Songs”で3週連続首位を獲得したことを受けて、【MUSIC AWARDS JAPAN 2025】の最優秀ニュー・アーティスト賞にもエントリー。警察官という異色のキャリアを手放し、音楽にすべてを懸けた五十嵐ハルにとって、この一連の流れはまさに運命的な転機と呼べる。
8月6日にリリースしたのは、社会への疑問符を書き殴った新譜「ノーネーム」。藻掻く想いを内包した眩しい外の世界への“憧れ”ともとれる牧歌的なメロディーが今にも解き放たれそうに響いてくる。このインタビューで語られた、五十嵐ハルの過去。そして、現在地とはーー。
「自分の持っている武器は全部出そう」
――元警察官というキャリアはシンガーソングライターの方としてはなかなか珍しいですが、どのアーティストから音楽にのめり込んでいったのか、覚えていますか?
五十嵐ハル:小学3年生のとき、車の中で親がB'zを流していて。こんなに気持ちいいメロディーがあるのかと、B'zにすごく衝撃を受けたのがきっかけで、そこから音楽をいっぱい聴くようになりました。
――時が経つにつれて、好みも変わっていった?
五十嵐ハル:高校時代からバンドを組んだんです。好きな曲のコピーでライブもするようになって。当時は、RADWIMPSとかONE OK ROCKといったロックバンドの曲をめちゃくちゃ聴いていました。特にRADWIMPSの影響は大きくて。激しい曲もあれば、ゆったりとした曲もあるRADWIMPSのアルバムを聴きながら、「アルバムって、こういうふうに構成されているんだな」と、なんとなく掴んでいったところもあります。
――2010年代前半の邦楽ロック全盛期にシーンを引っ張っていたロックバンドたちですね。RADWIMPSで特に好きだった曲はありますか?
五十嵐ハル:カップリングの「お風呂あがりの」という曲の歌詞が好きで、ずっと聴いていました。最初は「おしゃかしゃま」とか有名どころから聴くようになったんですけど、「me me she」も好きですし。その時々でRADWIMPSの歌詞に救われてきたと思います。でも、高校3年生になると就職に向けて動いたり、他県に行く人もいて、自然とバンドは解散しました。
――高校を卒業したあと、警察官になった?
五十嵐ハル:高校は商業系だったので、就職が基本だったんですよ。当時、将来的にやりたいことがなくて、自分のペースで過ごしていたら高校の評定もだんだん落ちていった。でも、公務員なら評定は関係ないからという理由で何個か試験を受けてみたら、たまたま東京の警視庁に受かったんです。なので、18歳で警察官になって、4年半働きました。その間も隙間時間でボカロP「ぺむ」としてボカロ曲を作ったりしていて。最初の3年は東京で交番勤務をしていました。
ロア / ぺむ feat.flower
――今でこそ、約5年間、シンガーソングライター「五十嵐ハル」として活動されていますが、当時ボカロ曲を作ろうと思ったきっかけは何だったんでしょう。
五十嵐ハル:ちょうどボカロ曲が流行り始めていた時期にそのシーンの存在を知ったんです。じんさんとかkemuさんの曲が物凄く人気になっている印象でした。自分もボカロ曲が好きだったので、ボーカロイドで曲を作り始めようと。
――邦楽ロックシーンとボカロシーンでは、カルチャーの違いからして距離があるようにも思いますが、違和感はなかったですか?
五十嵐ハル:ボカロシーンにもボカロを使ったロックな曲のことをVOCAROCKと呼ぶことがありますよね。ロック系のボカロ曲はよく聴いていましたし、wowakaさんの曲にもめちゃくちゃ影響を受けていて。当時は、ストーリー仕立てのJ-POPに近いような曲も多かったので、自分の中ではそこまで差を感じなかったですね。
――警察官時代のほとんどが、ボカロ漬けだったんですね。
五十嵐ハル:そうですね。でもその後、機動隊に異動してからは、どんどん音楽をやる時間がなくなっていって。その仕事をしているうちに「これじゃ何のために生きているのかな」と思うようになりました。やりたくないことをやるくらいなら、好きな音楽をやっちゃおうかなと。お金より時間を取って、辞めた感じですね。
――なかなかの決断だったと思います。周囲の反応はどうでしたか?
五十嵐ハル:めっちゃ反対されましたね。親には半泣きで「なんで?」と言われて、上司とか先輩にも「音楽?」と笑われたりして。逆にムカついてきたので、頑張ろうと(笑)。
――でも、辞めた後、すぐに音楽一本で生活できたわけではないですよね。
五十嵐ハル:辞めて1年くらいはまだお金にも余裕があったんですけど、機材を買い揃えるのにお金を一気に使って。その後しばらくはめっちゃ貧乏になりました。音楽でお金は入らないから、介護のバイトも掛け持ちしていたんです。でもそれだけでは全然足りなくて、貯金もゼロになった。20時になると300円の弁当が200円になるお店でタイミングを見て買ったり、ローソンストア100でパスタの具材だけを買って食べたり、もやし飯をしたり(笑)。しんどかったですね。
――今はYouTubeのほかに、TikTok、Instagramといったプラットフォームに楽曲を投稿されていますが、始めたきっかけは?
五十嵐ハル:当時やり取りしていたレコード会社さんから「今はTikTokが熱いから、やってみたら?」と話があって。それがきっかけでしたね。自分もあんまりTikTokを見たりはしていなかったので、最初はちょっと抵抗があったんです。でも、やってみることにしました。
――見てもらうことが、まず一番の課題ですもんね。
五十嵐ハル:そうなんですよ。ショート動画は、冒頭の2〜5秒でどれだけ注目させられるかが重要だと知ってからは、どんな動画が伸びているのかをリサーチしたり、分析したり。とにかく研究しました。
――たしかに、2023年8月のショート動画以降で試されている「元警察官が独学で曲作ってみた」というテロップも一瞬で視聴者を惹きつけるキャッチコピーですし。
五十嵐ハル:もともとは、変に格好つけて「肩書きに頼るのはダサいな」と思っちゃってそういう形で動画を投稿していなかったんですよ。でも、そのタイミングで「もうそんなこと言ってられない。自分の持っている武器は全部出そう」と決めたんです。
@haru.igarashi 元警察官が曲と動画作ってみたよ #五十嵐ハル #パズル #バズりたい #作詞作曲 #オリジナル曲 #独学 ♬ パズル - 五十嵐ハル
――「少しだけ」はその動画構成を工夫し始めた頃の曲の一つ?
五十嵐ハル:そうです。最初は正方形の背景に2つの指輪が絡み合ったイラストを描いて、そこに歌詞を表示させるシンプルな構成でショート動画を投稿したんですけど、それだと全然伸びなかったんです。でも途中から、動きのある映像とか複数の要素を入れた動画の構成に変えて投稿したら、数百万再生されたりして。同じ曲でも、見せ方を変えるだけでこんなに桁が変わるんだって、すごく感じました。今の時代は、音楽だけじゃなくて映像も全部含めて、伸ばしていかないといけないんだなって。
――投稿したショート動画の反応が良くて、後のフルリリースに繋がったんですよね。
五十嵐ハル:はい。コメントでも「フルで聴きたい」とたくさん言ってもらえましたし、見られている分、「望まれているんだろうな」と思って、リリースすることにしました。
「少しだけ」ミュージック・ビデオ
- 「自分のダメな部分とか、もやもやした気持ちを全部注ぎ込みました」
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「自分のダメな部分とか、もやもやした気持ちを全部注ぎ込みました」
――そして、“Heatseekers Songs”で3週連続1位を獲得、さらに、【MUSIC AWARDS JAPAN 2025】の最優秀ニュー・アーティスト賞では、エントリー作品として選ばれました。
五十嵐ハル:「たくさんの人に見てもらえているんだな」という喜びがある一方で、あまりにも急展開すぎて正直、実感が湧かなくて。ただただ、びっくりしました。ありがたいし嬉しいし、いろんな感情が混ざっていましたね。
――チャートインするほど多くの人に聴かれた一番の理由は、何だったと思いますか?
五十嵐ハル:たぶん、いろんな人がショート動画でBGMとして使ってくれたことが大きかったんじゃないかなと思います。周りの人からも、「TikTokで聴いたことある曲だわ」と言われることが多い気がしていて。TikTokをやっていてよかったです。
――ここからは、8月6日にリリースされる「ノーネーム」についても聞かせてください。現状を変えることができない人へのファイト・ソングといえるような共感性の高い歌詞に、ぐっときました。
五十嵐ハル:この曲はわりと実体験が元になっていて。曲を作るときは、普段から自分の中にある毒素とか、感じていた嫌な部分を形にすることで浄化している感覚があるんですが、「ノーネーム」もそのひとつで。
「ノーネーム」ミュージック・ビデオ
――実際にこの歌詞は、いつ頃書かれたんですか?
五十嵐ハル:昨年の年末年始くらいですね。しんどいわって思いながら寝転がっていたときに、スマホのメモにバーっと書き殴っていって。いつか曲にしたいと、ずっと残していたんです。そこから今回、曲に当てはめていった。丁寧な詩というより、感情のメモから始まったというか。
――歌詞を見ていると、警察官時代の心境も投影されているように感じました。
五十嵐ハル:そうですね。<クソみたいな時間に追われて やってみたいもんは出来ずに疲れて>とかはまさにそうで。社会って、上司に怒られて、詰められながら生きている人が多いと思っていて。そういう習慣が当たり前になっているこの社会は終わってるなと思ったりして。それを形にしたかったんです。
――2番の<クソみたいな見栄ばっかりで、ちゃんとしてるようなフリしたがるんだろ>は?
五十嵐ハル:自分自身に対しての言葉ですね。自分は、見栄っ張りなところがあって。格好つけて大きく見せたがるけど、家に帰ったら「何しているんだろう、馬鹿だな」と思うことも多くて。そういう自分のダメな部分とか、もやもやした気持ちを全部注ぎ込みました。
――最近は「元警察官が作った曲」という肩書きも活かす方向で、スタンスも少しずつ変わってきたのかなと感じたんですが。
五十嵐ハル:いや、そこはあんまり変わっていないかもしれないですね。相変わらずネガティブが続いているというか、“しんどい”がベースにはずっとあって。いまだに、「生きている意味って結局何なんだっけ」とか、たまに、「何のために今生きてるんだろうな」と考えることもあります。
――メロディーやアレンジは、歌詞とは対照的にポップで。そこは意識された?
五十嵐ハル:そうですね。もともとはギターだけで重めな雰囲気で考えていたんですけど、それだと歌詞と合わせてずっしりしすぎちゃうなって。RADWIMPSとかの曲でも、暗い歌詞だけど演奏は明るくてキラキラしている曲もあったので、自分でも試してみようと思ったんです。だからイントロに鉄琴の音とか、明るくて可愛い音を入れたりして。そこは結構こだわりました。
――制作過程で特に心掛けたところというと?
五十嵐ハル:この曲は特に「自分が聴いていて気持ちよく聴けるか」ということをすごく意識して作り上げていった感じがしています。でも自分が好きな曲を作ることだけに集中すると、客観的に微妙だったりすることもありますよね。そうはなりたくなくて。なので、同時に「この部分を聴いたら良いと思ってもらえるかな?」ということも常に意識しながら作っていましたね。
――今は“多くの人に聴かれるためのコツ”を少し掴んだ状態だと思いますが、その意識は継続されていくんでしょうか。
五十嵐ハル:流行っている要素を研究することはありますけど、「バズるために作るぞ」とは思ってはいないです。あくまで自分が「いいな」と思えるものがあったときに、その中で最新のやり方を取り入れるくらいですね。バズ全振りで作るなら、それは、別に五十嵐ハルじゃなくてもいいと思うんです。だから、自分がいいと思えるものだけは絶対にブレないようにしたくて。
――自分でやりたいことを決めた五十嵐さんらしいブレない強い心が伝わってきます。
五十嵐ハル:自分はしんどいときに、音楽を聴いて救われた経験がたくさんあったんです。歌詞が「ららら」だけじゃ救われなかったし、曲調が違っても救われていなかったかもしれない。意味のある歌詞を自分はずっと欲していて。だから作る側になった今も、自分の中で「意味のある曲」を作りたいと思っています。
――今回の「ノーネーム」もまさにその系譜ですね。まずは、どういう人たちにどう届いてほしいと考えていますか?
五十嵐ハル:この歌詞にある<クソみたいな時間に追われて>の感覚がある人は、新社会人とか、就活で大変な大学生、それこそ普通に働いている大人だと思うんです。そういう人たちが「しんどいわ…」と感じているときに、「ノーネーム」が寄り添ってくれたらいいなと思います。
――「ノーネーム」を聴くことで、何かに気付かされて、その人の未来が一段階上の良い方向へと変わっていったら、喜びもひとしおですね。
五十嵐ハル:そうですね。昔から学校を出たら企業で働くのが当たり前みたいになっている世の中では、それ以外の選択肢を積極的に教わることはなかったと思うんです。ミュージシャンのなり方なんて、誰も教えてくれないですし。
だからこそ、環境を変えるのはすごく怖い。でも、本当はいろんな道があるし、凝り固まった考え方なんて、いらないんじゃないかなって。自分は警察官を辞めてから、一度も後悔したことがないですし、お金が尽きたときも、むしろその時期のほうが楽しかった。そんなものです。
――ありがとうございます。最後に、今後の目標を教えてください。
五十嵐ハル:まだ「五十嵐ハル」としてのライブはしたことがないんですけど、今はちょっとずつ話も進んでいて。年内にはライブができたらいいなと考えています。最終的には、アリーナとかドーム級のライブをやれるようなシンガーソングライターになりたいですね。




























