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<インタビュー>米津玄師 初のワールドツアーと『Plazma / BOW AND ARROW』――物語、そして自身のキャリアを貫く“運命の糸”の確かな手触り
Interview & Text:黒田隆太朗
米津玄師の『Plazma / BOW AND ARROW』が絶好調だ。6月18日公開の各種Billboard JAPANチャートでは、シングル・セールス・チャート“Top Singles Sales”にてソロアーティストとして2025年度最多の初週売上枚数を記録。また、「Plazma」がストリーミング累計再生数1億回を突破した。1月のデジタル・リリースからあっという間に話題を掻っ攫っていた2曲だが、その後も主題歌を担当した双方のアニメ(『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』『メダリスト』)の人気やMVの話題性も相まって、まだまだその火は加熱し続けそうな気配である。
初の海外ツアーを含む自身最大規模のツアー【米津玄師 2025 TOUR / JUNK】が終わるやいなや、米津玄師は再び制作に没頭しているという。自身に「楽観性が宿っている」というのも頼もしい限りで、きっと創作に良い影響を及ぼしているはずだ。来年の11月には【米津玄師 2026 TOUR / GHOST】と題したツアーを行うことも発表。心機一転、早くも次なるキャリアに向かっているのだろう。
自身最大規模のツアーを終えて
――【米津玄師 2025 TOUR / JUNK】を終え、アルバム『LOST CORNER』から続いていた長いタームに区切りがついたのではないかと思います。ライブでは晴れやかな心持ちを感じましたが、今の率直な感想を聞かせていただけますか。
米津玄師:ツアーが終わってそれなりに時間が経った今は、以前と変わらない制作づけの日々を送っています。あの開放感は夢幻だったのではないかと訝しんでしまうくらい元の生活です。とはいえ活動を重ねるごとに少しずつ変わっていくものも確かにあって、一つずつ点検しながら流れに身を任せているところです。
――ツアーが終わり日本に帰ってきてから、一息ついて最初にしたことはなんですか?
米津:そのまま滞っていた楽曲制作を再開しました。自分は楽曲制作のときとライブのときでスタンスが全く違います。あらゆる感情や意志を小さく凝縮させていくのが楽曲制作だとすれば、ライブはそれを解放させて大きく広げるようなイメージです。ベクトルが真逆なのでライブ中は楽曲制作がままならず、無理に押し通すと減圧症のような状態になるので、心置きなく曲が作れることに安心しました。

――タイトなスケジュールでアジア、ヨーロッパ、北米を回りました。体調やメンタルの整え方で気をつけていたことはありますか。
米津:小まめに毎日自重トレーニングを欠かさず、食生活も気を付けるようにしていました。風邪を引かないよう手洗いうがいも欠かさず外出時は必ずマスクを装備していました。以前までは殆ど体調を気にすることはなく、せいぜい酒を飲みすぎないようにするくらいだったのですが、年齢を重ねて責任感が増してきたのかもしれません。とはいえそれでも年始にインフルエンザにかかったので、どれだけ頑張っても抗い難く体調は崩れるものであることを知りました。
――1月から4月上旬までのツアー期間中、息抜きになっていた音楽や文学、娯楽はありましたか?
米津:移動中はずっといろんな本を読んで、楽屋ではタイラー・ザ・クリエイターの『CHROMAKOPIA』を延々流していました。何冊か読んだ中でも向坂くじらさんの『いなくなくならなくならないで』が特に面白かったです。
――アジアのライブは、上海と台北が2019年の【脊椎がオパールになる頃】以来で、そこにソウルを加えた3箇所を回りました。ソウル公演後には「とんでもない熱量でびっくりした」というポストもありましたが、アジア6公演ではどんなことが印象深く記憶に残っていますか。
米津:ソウル公演に来てくださった皆さんは他の公演に比べて特に結束力が高く、何がなんでもライブを盛り上げようという意志を感じました。日本語でのシンガロングや掛け声のようなノリもあったりして、逆にこちらが手厚く持て成されているかのようでした。単純な熱量という意味ではソウル公演は特に凄まじかったです。
――『LOST CORNER』とそれ以降のシングルがエレクトロサウンド中心になっていることも相まって、「メランコリーキッチン」「アイネクライネ」のように米津さんがギターを持って歌う曲は新鮮で、原点を見るような気持ちになりました。ご自身にとって今この頃の楽曲はどんな意味合いを持っていますか。
米津:あのくらいの頃の曲を今になって歌うとなると、もう殆ど別人が作った曲をカバーしているような感覚になります。それはそれで楽しく演奏しています。

――『LOST CORNER』では「POST HUMAN」にSF風のニュアンスがありましたが、「Azalea」以降のシングルにもその傾向がうっすら続いているように感じています。歌詞に具体的な引用があるわけではありませんが、私はどこか伊藤計劃の世界観に近しいものがあるように思っています。たとえば米津さんは『虐殺器官』や『ハーモニー』から何がしかのインスピレーションを受け取っているところはありますか?
米津:伊藤計劃はとても好きな作家ですし、著作にも影響を受けましたが、どちらかというと彼の残したブログの方が強く影響を受けているかもしれません。未だふとしたときたまに読み返します。
――私が足を運んだ東京ドームのライブでは、特に「海の幽霊」に感銘を受けました。壮大さを感じるアンサンブルと、空に飲み込まれるような音響を感じましたが、あの楽曲を演奏する上で何か留意していたことはありますか。
米津:今回のセットリストは開演から「海の幽霊」へと目掛けて進んでいくというコンセプトがあり、あの曲を一つの大きなピークにする意図がありました。歌っている最中はずっと足元を眺めていたのですが、ステージの床のそのずっと奥に巨大なシロナガスクジラの目玉が浮かんでいてそれと見つめ合うような意識で歌っていました。
――「がらくた」は原曲通り、最初の〈消えないものはどこにもなかった〉というフレーズを、がなるようなビブラートで歌っているところが印象的でした。この一節があることで、この曲に狂気じみたものが宿っているように感じているのですが、何故米津さんは冒頭のこの部分をがなるように歌おうと思ったのでしょうか。
米津:「がらくた」を歌う時は努めて楽しみながら歌うようにしていました。喜怒哀楽でいうところの楽です。冒頭のがなりも狂気的であろうとするのではなく、あくまで楽しく、軽く、場末のカラオケで日頃のストレスを発散させるようなイメージでした。そのほうが曲に合っていると思います。

「立場が大人を作る」
――ふたつの新曲についても伺いたいと思います。「BOW AND ARROW」はTVアニメ『メダリスト』のオープニング主題歌ですが、米津さんから逆オファーしたそうですね。
米津:原作のいちファンだったので、アニメ化決定のニュースが流れたのを見て「なら、ちょっとやらせてもらえませんか?」というなんの気ない一言から始まったんですけど。本当にやりたかったんですよね。なぜやりたかったかと言うと、原作に途轍もなく魅力があるのは大前提として、自分の来歴というか、米津玄師としてのあり方みたいなことを考えた時に、この漫画の曲を作ることがひとつ、自分にとっても良いことになるんじゃないかという予感があったんです。小学生の女の子(結束いのり)とコーチの成人男性(明浦路司)が主人公ですけど、あの漫画を読んでいると司の目線で見るんですよね。恐らく自分が10代とか20代前半であれば、選手側の気持ちに寄り添って見ていることが多かったんじゃないかなと思うんですけど、30歳を越えた今ではやっぱり支える側というか、誰かを押し出していく側として読むような部分があって。その変遷みたいなものも音楽として置いておくことができれば、漫画のためにも、同時に自分のためにも作れるという、そういう予感がありました。
――実際に何か開けたところはありますか?
米津:そうですね。『LOST CORNER』を作っているときは、“自分ひとりで作る”という方向にゆっくりと舵を切りつつあるタイミングで。アルバムが終わったら新しい方向に進んでいこう、という意識がありながら作っていたんですけど、「BOW AND ARROW」はそのいちばん最初の曲なんですよね。実際のところ、制作期間はアルバムの曲とほとんど被ってはいるんですけど、自分をまたひとつ違う場所に導いてくれた曲になりました。歌詞を書くにあたって、“庇護する側”としてどういう風に子どもと接していけばいいのかということを今一度深く考えるきっかけになったりして、この『メダリスト』という漫画、ひいてはアニメに引っ張っていってもらった気はします。
――“庇護者の目線”というのは何かを“守る側”だと思いますが、具体的にどんなことを考えましたか?
米津:そこが集約されているのが〈手を放す〉という一節だと思うんですけど、どうしたって子どもと大人では権力の差が生まれるわけで。人は自動的に子どもではいられない立場になるというか、「立場が大人を作る」というところが多分にあると思うんですよね。誰しもひとりきりで生き続けたら、大人になることなんてない。社会的な要請とか、共同体による要請によって人は大人に“させられる”、と言うとあれですけど、半強制的にしなきゃいけないような状況になる、というのが大人の常だと思います。そういう意味で20代後半から30代になったあたりから、明確に自分の立ち位置が変わってきたな、というのはずっと感じていたんですよね。
――というと?
米津:ミュージシャンと酒を飲んだりする時も、一回りくらい下の年齢で「小学生から聴いてました」という子たちと会うこともあったりして。どうやっても対等な友達のようにはいられないよなと。こっちが何の気なしに喋ったことが、もしかしたら向こうにとってはものすごく重大な言葉になってしまうかもしれないし、そういう意味での責任感みたいなものを持たざるを得ない関係になっていて。そういう前提があったうえで『メダリスト』という漫画を読んだことも含めて、今の自分の回答というか、自分が大人になったというひとつの意思表明じゃないけど、そういう形として〈手を放す〉という歌詞を書いていて。要するに“私は私で、あなたはあなた”ですよね。庇護しなきゃいけないけど、あくまでも主体はあなたにあります。成功に導くにせよ、それが失敗に終わったにせよ、それはその子の財産で、その子が持つべきものであるから、勝手にそれは奪ってはならない。そういうことを可能にするためには、どっかで“手を放す”という意識を持ってなきゃいけないという、そういう感じですね。
BOW AND ARROW / 米津玄師
――「BOW AND ARROW」はドラムンベースからの影響を思わせる楽曲で、1にスピード! 2にスピード!というテンションを感じましたが、サウンドはどんな風にイメージしていきましたか。
米津:ドラムンベースをやろうと思ってやり始めたわけではないんですけど、子どもの頃からスクエアプッシャーとかが好きではあったんですよね。やっぱり生来的に点が多い曲――タカタカタカタカといろんな点があって、情報量が多い曲が好きなので、子どもの頃のような気持ちに戻って作りたいと思った時に、自然と顔を出してきたのがドラムンベースでした。それを懐古主義になるのではなく、今の世の中とうまい具合に折り合いをつけながらできる形ってどこにあるのかな?みたいなことを考えていたのは覚えています。
――具体的にどんなところで折り合いをつけようと思いましたか?
米津:あくまでも『メダリスト』という作品があったうえで、音像の重心を下げすぎないとか、軽やかにいられることとかですね。今回は自分がボカロPをやっていたという来歴も含めて、自分の音楽がどういう変遷をたどり、どういう見られ方をしてきたかというのを今一度、客観的にテーブルの上に並べていって。こういう方向に行ったほうがいいんじゃないかな、という冷静な視線を経たうえで取り組んでいたところはあるかもしれないです。
――「BOW AND ARROW」はアニメ版と曲のアレンジが変わっていますね。
米津:全然違います。これはもう(制作)期間の話になるんですけど、最初にワンコーラス、89秒尺を作る必要があって。アニメのオープニング映像って(関わる)人数もたくさんいるし、時間がものすごくかかるので、放送より大分前倒しで曲が必要になるんです。なので、そのタイミングでとりあえず89秒だけ先に作って、こちら側の作業の工程上、ちょっと間を空けなきゃいけなかったんですけど。間を空けて戻ってきてからフルを作ろうとなったときに、やりたいことが全然違っちゃったりするんです。
TVアニメ「メダリスト」ノンクレジットオープニング映像|米津玄師「BOW AND ARROW」
――なるほど。
米津:これはあくまでも自分の問題で、聴いてくれる人には関係のない話だから。あれ(アニメ版)をフルで聴きたかった人もたくさんいるでしょうし、結局こっちの自己満足みたいな色合いが濃いんですけど。ただまあ、自己弁護になるかもしれないけれども、こういう感覚を無視して視聴者のためとすべてにおいて滅私奉公するような気持ちでいると、長期的にいろんなことが萎えてくるんじゃないかなという気もするので。すまんがやらせてくれ、という気持ちでしたね。
――音の数が増えていますよね。上にレイヤーが増えた印象です。今の話ではそこに米津さんの作家性やエゴの部分が出たということだと思うんですけど、どういう理由で音を入れたんですか?
米津:どうでしょうね。そこに明確に言葉にできるものを持っていないんですよね。最近改めて思うんですけど、トラックとかの制作の話って、ほぼしないと思うんですよ。
――私も米津さんにはその印象があります。
米津:なんでかというと、(トラックの)制作中に全く言語野を使っていないからなんですよね。『LOST CORNER』の時も、何曲も並行してトラックを作っていたんですけど、そういう時って明確に言語野が萎んでいくというか、大袈裟に言うと失語症みたいになる。語りうる言葉を持ち合わせていない、という感じがすごくあるんです。で、それを後から説明することも頑張ればできると思うんですけど、その必要性を感じていない気がします。
――制作にはトラックの他にも、歌詞やメロディを書くなどいろんな工程があると思うんですけど、今のように感覚で走っていくところは他にもありますか?
米津:インタビューを受けるときに思うんですけど、「なんで俺こんなことしたんだろうな?」と思うことに対して、それっぽい言葉を当てはめているだけだなと感じることがあるんですよね。自分の中で整理して、「こういうことなのかな?」みたいな風に自分で自分を整えていく感じがあって。それは歌詞においてもそうだし、メロディにおいてもそうだし、要するに自分で自分を批評しているような感覚があります。で、そこで結構デタラメ言っているな、と思う時もあるんですよね。なのであんまり俺が言った言葉に対して、全部信じてくれなくても構わないですよ、という気持ちはすごくありますね。
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ある種の“存在の不確かさ”
――「Plazma」は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の主題歌です。「BOW AND ARROW」は「ピースサイン」のような曲というオーダーがあったとのことですが、「Plazma」でも具体的に何か言われたことはありましたか?
米津:最初に鶴巻さん(鶴巻和哉監督)と打ち合わせをさせてもらって、そこで事細かに説明してもらったんですよね。“M.A.V.”というふたり一組で戦う戦術を物語の機軸にしている部分があるから、ある種のバディ感みたいなものが曲に宿ってほしいということだったんですけど。実はこっちでも「ピースサイン」みたいにしてくれと言われて、それは一回やったから無理だな、みたいなことを思ったりして。そこで説明してもらったことを持ち帰って考えてみたんですけど、あくまでも自分の経験則としては、主題歌としてのあり方って“その物語の要約”であったほうがいいんじゃないかと思うんです。でも、そう考えるとあまりにも込み入っている作品で、今回は鶴巻さんのオリジナルガンダムであると同時に、富野(由悠季)さんの『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)のifストーリーであるという、大きい2軸があって。どっちかを取ればどっちかが疎かになる、という悩みがありました。
――結果どうしようと決めましたか?
米津:どっちにも共通する部分ってなんだろうな、というところを探していくと、「Plazma」には執拗に〈もしも〉という言葉が出てくるんですけど。選ばなかった可能性とか、そういうものに思いを馳せながら、ある種の“存在の不確かさ”みたいなものを主軸に捉えるべきなんじゃないかと思いました。主人公のマチュとかニャアン、シュウジというのは思春期の男女であって、社会性を持ち始める頃だから、外の目線から反射して自分の形をわかり始める頃であるという。
――「自分はこういう人間なんだな」と。
米津:それが場合によっては途轍もない痛みになったり、高揚感になったりもすると思うんですけど、そういう、ある種思春期特有の不安定さみたいなもの――今までごく当たり前だと思っていたことも実はそんなに確かなことじゃないんだとか、自分が見ていた世界は実は狭いところだったんだとか、そういう視野が広がっていく第一歩目みたいな感じがそのぐらいの年代にはあるなと思うんですよね。なので、自分たちの生活圏内だけの狭くミクロな視点から、宇宙や大きな銀河みたいなものに飛躍していくという、このダイナミズムを「もしもああだったら、こうだったら」というところでまとめればなんとかなるんじゃないかという、そういう気持ちがあったかもしれないです。
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』ノンクレジットオープニング映像│米津玄師「Plazma」
――過去に思いを馳せて「もしもああだったら」と考え続けることは、逆説的に「今ここに立っていることは運命なんじゃないか」という発想に繋がるのではないかと思います。過去の選択がひとつでも違っていたら今はない、というのは、逆に言えばすべての選択があって今があるということです。なのでその「すべて運命だったんじゃないか」という、私はそういうニュアンスをこの曲から感じました。
米津:それは本当におっしゃる通りで。これは自分の話ですけど、米津玄師としてやってきた来歴を振り返ってみると、本当に何もかもが1本の線で繋がっているような気がするんですよね。導かれるようにここに来たとしか思えないようなところがある。でも、その意識が強くなればなるほど、潰えていった可能性というものの存在も大きくなっていくし、他者に対してもなんでこういう風に道が分かれていったのか、と思うんですよね。『ガンダムSEED』の曲にもありましたけどね、「あんなに一緒だったのに」(See-Saw)って。ほとんど同じようなところで見聞きしてきた友達に対して、そういう気持ちが湧いてきたりするんです。で、割と好きなガンダムってそういう運命のいたずらみたいなところがあって。『機動戦士ガンダム』においても導かれるように敵対したり、運命のいたずら的に凄惨なことが起きたりする。なので、それはガンダムを表現するには似つかわしいものなんじゃないかなと思いました。
――音としては「BOW AND ARROW」と「Plazma」は兄弟のような曲だと思いました。ただ、「BOW AND ARROW」はオーロラのような美しさがあるのに対し、「Plazma」は綺麗だけどザラっとしているような印象を受けます。
米津:やっぱりマチュとかニャアン、シュウジの視点に立って考えたんですけど、要するにジャンク屋と関わりを持つじゃないですか。難民たちの生活圏。最初に劇中のワンシーンを画像でいくつかもらったんですけど、ピンク色の照明が焚かれているジャンク屋、ポメラニアンズの扉の前で佇んでいるふたり(マチュとニャアン)がすごく印象的だったんですよね。そういうジャンクな部分というか、あんまりお行儀のよくないニュアンスというのは、絶対にこの曲には必要だと思いました。で、それは実際のところ自分にとっても興味深いモチーフというか、それこそツアーのタイトルも「JUNK」だし、『LOST CORNER』においても「がらくた」という曲を作ったり。それはもうただひたすら偶然なんですけど、そっちのほうで行こうという気持ちはすごくありました。
――音と音をぶつけ合っているような目まぐるしさがありますね。
米津:初期衝動的というか、衝動的な“整理されてなさ”みたいなものが宿るべきだなと思ったんですよね。いちミュージシャンとして考えた時に、今聴き返すと「うわあ……」と思う時もあるんですよ。
――ご自身の曲を聴いて?
米津:ぐっちゃぐちゃじゃないか、みたいな。何ひとつ整理されていない、その整理されていないものが結構好きな部分でもあったりして、カオスのままガンと突き進んでいくという。その力強さみたいなものが主人公としてのマチュの資質とも非常に近しいとも思うし、そういう形が似つかわしいんじゃないかなと思いましたね。
――「Plazma」のミュージックビデオを柳沢翔さんにディレクションを依頼した理由と、そこでどういうテーマで撮っていたのかを教えていただけますか。
米津:ポカリスエットのCMで衝撃を与えたと思うんですけど、あれを見ていても、ある種のオブセッションがある人なんだろうなという感じがしていて。この人にミュージックビデオを頼んだら面白いだろうな、という意識はずっとあったんですよね。それで曲を作ったタイミングくらいに、自然と柳沢さんがいいんじゃないかということになったんですよね。そうしたら柳沢さん自身、鶴巻監督がものすごく好きで交流もあったりするみたいで。それも導かれるようにそうなったのかな、みたいな感じがあって、とても得難い体験でしたね。どういう風にあの映像になったかというと、本当に彼のイマジネーションに任せようという感じでした。最初に企画書みたいなものを見せられた時に、「とんでもないことやろうとしているな、この人」みたいな。
――米津さんが浮いていましたね。
米津:そう。プールがあって、あれは飛び込み台を軸にしてセットを作っているんですけど、(台からプールを)見下げるような形で車のボンネットを吊り下げて、(自分が)水面に浮かぶことによって宙に浮いているように見えるという。その企画書をいただいた時に、これはもうこの人の推進力に引っ張っていってもらおうという、そういう感じがありました。
Plazma / 米津玄師
――先にも「米津玄師としてやってきた来歴を振り返ってみると、本当に何もかもが1本の線で繋がっているような気がするんです」とおっしゃっていましたが、昨年2024年頃からキャリアを振り返るような旨の発言がしばしばあるかと思いますし、東京ドーム公演のMCでも、ご自身の音楽人生を振り返りながら話を進めていたかと思います。そうした感慨が浮かぶのは、『LOST CORNER』やツアー【米津玄師 2025 TOUR / JUNK】に大きな節目のような意義を見出しているからでしょうか。
米津:長年音楽を作っていると、自分の才覚や努力とはなんの関係もなくあれよあれよと物事が好転していくときがたまにあって、それはなんとも不思議な現象なのですが、ことが終わった後に軌跡を振り返ってみると、まるで元々終着点が決まっていて、自分がどんな選択を取っていたとしても関係なくこの地点に辿り着いたのではないかと訝しんでしまうような、奇跡的と呼ぶほかない一筋の細くも確かな糸がひと繋ぎになっているかのような光景が思い浮かぶときがあります。もう見つめなおすこともできないくらい不明瞭で真っ暗な遠い過去から一本の光る糸が伸びていて、知らず知らずのうちにその糸を手繰り寄せながら生きているだけだったのではないかと。人生の中でこういう体験を何度かしたものだから、自分の胸中にはある種の非合理的な確信が生まれざるを得ず、制作進行中においてその時点では全く上手く行っていなかったとしても、ふとした瞬間にああここから先は大丈夫だと確証もなく安心したりします。それは試行錯誤の末に見出すようなものではなく、制作に入る前段階の「やる」と決めた瞬間からもう既に決定づいているかのようで、さらに言えばもっともっと前から決まっていたのではないかとすら思えます。なんというか、そういう体験が現在の自分に宿っている楽観性を呼び込んでいるような感覚があります。終着点がハッピーかバッドかはわからんにせよ、どうせどれだけ頑張っても行き着く場所は決まっているなら、せいぜい楽しみながら往生をゆくべきだと今は考えています。
リリース情報
関連リンク
Plazma/BOW AND ARROW
2025/06/11 RELEASE
SECL-3205
Disc01
- 01.Plazma
- 02.BOW AND ARROW
- 03.Plazma (アニメ・オープニングver.)
- 04.BOW AND ARROW (アニメ・オープニングver.)
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