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吉田夜世が語る、運命がオーバーライドされた実感│2024年“ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20”首位獲得記念インタビュー
Interview&Text:小町碧音
12月6日に発表された『2024年 年間ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20』で、吉田夜世の「オーバーライド」が堂々の首位を獲得した。2023年11月に投稿された本曲は、チャートイン以来、原口沙輔の「人マニア」の連続首位記録を止め、ンバヂの「好きな総菜発表ドラゴン」と激しい首位争いを繰り広げるなど、週ごとのランキングをドラマティックに彩ってきた一曲だ。
バズのきっかけは、数々の音MAD動画。このたびの快挙について、吉田夜世本人に心境を伺った。計算された戦略か、それとも偶発的な爆発か。「オーバーライド」の成功を紐解く鍵はどこにあるのか?
人生は関数だと漠然と思っていた
――「オーバーライド」は、大ヒットに至るまでどのように再生回数が伸びていきましたか?
吉田夜世:「オーバーライド」は、投稿直後から初動の伸びが今までの曲のなかで一番良かったんです。ニコニコ動画で言う殿堂入り=10万再生までは順調に到達したので、「これは代表曲の『ラフィン』を超えるかもしれない」と思いました。そこからさらに再生回数が伸び始めたのは、年が明けて1月7日頃から。ニコニコ動画やYouTubeのアナリティクスを見て、「あれ? 何か様子が違う」と。
――ミーム現象に気付き始めたんですね。
吉田夜世:12月から「オーバーライド」を使った音MADが出始めていたので、二次創作が流行る予感は薄々感じていました。年明けから音MADが急増すると、再生回数も一気に伸びて、バズが現実になりました。
▲オーバーライド - 重音テトSV[吉田夜世]
――「ラフィン」と「オーバーライド」に共通点はありますか?
吉田夜世:どちらの曲も自分の強みや得意な要素を詰め込もうという意識を持って作りました。「オーバーライド」の時は「ラフィン」をヒントにして、「あの時の気持ちでもう一度曲を作ろう」と。結果的に曲調も少し似ていますし、意図的に似せた部分もあります。「吉田夜世がもっとも突き通すべき曲はこういう曲なんじゃないか」。そういう想いを形にしたのが、この2曲ですね。
――「ラフィン」を投稿されたのは、2021年でしたね。
吉田夜世:そうですね。当時は、プログラマーとして会社に勤めていました。「ラフィン」は音に重点を置いていて、歌詞は心の中から自然と出てきた言葉をつづったものだったんですが、「オーバーライド」は歌詞に意味を持たせようと作ったので、より抗っている対象が明確になっていると思います。
▲ラフィン - GUMI[吉田夜世]
――毎週水曜発表の『ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20』(2024年1月24日公開)で18週連続首位を守り続けてきた原口沙輔さんの「人マニア」の王座を奪取したのが、「オーバーライド」。その時、新しいヒーローが誕生しました。
吉田夜世:どんな連続記録も、いずれは途切れるものじゃないですか。音楽でもスポーツでも。僕は、あらゆる連続記録は止まるまでがエンタメだと思っているんですよ。なので、「人マニア」の連続記録も、すごいなと思う気持ちと、「誰が止めるんだろう?」というワクワク感の二つを伴いながら見ていて。ここ数年は野球をよく見るんですけど、野球って何試合連続ヒットとか連続記録が多いんです。それもいつか止まるので、「誰が止めるか、いつ、どのように止まるか」も含めて楽しんでいます。……まさか自分が止めることになる日が来るとは思っていなくて、どこか客観的な気持ちでいました(笑)。
――その後、6月7日に発表された『2024年上半期 ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20』、さらには『2024年 年間ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20』で、「オーバーライド」が首位を獲得しました。率直な感想はいかがでしょうか。
吉田夜世:文化の一部になれた気がして嬉しいです。さすがにここまで伸びると、ボーカロイドの歴史に残る曲になったのかなと思います。X(旧Twitter)でよく見る、「この曲知ってる?」みたいな、年ごとの代表曲を並べた画像にも、「オーバーライド」が載るんじゃないかなと考えるとワクワクしてきます。錚々たる名曲の中に自分の曲が入るのは、光栄なことです。
【ビルボード 2024年 年間ボカロ・ソング・チャート“ニコニコ VOCALOID SONGS”】
— Billboard JAPAN (@Billboard_JAPAN) December 5, 2024
1位 吉田夜世
2位 サツキ
3位 jon-YAKITORY
4位 原口沙輔
5位 原口沙輔
6位 DECO*27
7位 すりぃ
8位 ンバヂ(nbaji)
9位 いよわ
10位 john pic.twitter.com/sDwwml8J8n
――歌詞に着目すると、「限界まで足掻いた人生は 想像よりも狂っているらしい」といったフレーズには、焦燥感がストレートに表現されているように感じます。
吉田夜世:「オーバーライド」を作ったのは、会社を退職してから1年以上経った昨年10月頃です。当時の僕は、焦りそのものと言えるくらい切羽詰まった状態で。まさに、焦りの塊みたいな人間が作り上げた曲ですね。でも、リリース後にヒットして、音楽が仕事として成立するのを実感した時、強烈な安心感を覚えました。実は勢いで作ったので、メロディーにはあまり苦労しなかったんです。ただ、歌詞には本当に頭を悩ませました。その分、特別な思い入れがあります。
――悩んだ末に完成した歌詞の意味とは裏腹に、キャッチーなメロディーやアニメーションMVの特徴的な振り付け、ネタ的要素がピックアップされてバズが起きる、この現象についてはどのような感想を持っていますか?
吉田夜世:ボカロPを始めた当初から、二次創作や音MADがたくさん作られるような曲を作りたいと思っていたので、歌詞の内容に合っているかどうかは別として、全てひっくるめて嬉しかったです。「こんな流行り方もあるんだ、面白いな」と、見ていました。
――「オーバーライド」のヒットを経てから、歌詞作りに変化はありましたか?
吉田夜世:作詞の時間を短縮するために、作詞に取りかかるタイミングは変えましたね。メロディーと同時に歌詞を書くようにしています。どうしてもメロディーを優先したい時以外は、この方法で作詞しているので、作詞スピードが上がりました。
――タイトルの「オーバーライド」は設定、属性などを別の定義で上書きすることを指す、IT用語ですよね?
吉田夜世:そうです。「オーバーライド」というタイトルが決まってから、その世界観に合う歌詞を書いていった感じです。僕は、プログラムを書いていた頃から、「人生って関数だな」って漠然と思っていたので。
――関数?
吉田夜世:はい。関数は、何かを入力すると別の何かが返ってくるシステムのことなんですけど、人生も生まれた瞬間が入力で、死ぬのが結果出力される関数みたいなものだと思っていて。人生で起こる全ての出来事も、何かがあって何かが起こる、原因と結果の連続じゃないですか。それが無数に連なって、自分が一つのプログラムみたいになっている。その中で、自分に都合の悪い関数も、きっとあるんですよね。たとえば、東京に生まれたかどうかで文化資本は変わってきますし、運が悪くて何かを得られない、みたいな関数もある。そこで「オーバーライド」という概念が出てくるんです。オーバーライドは、同じ名前の関数で全く違う処理をする、いわば上書きみたいなもの。努力次第で、それを書き換えることができるんじゃないかって。
――なるほど。
吉田夜世:僕は、昨年6月に北海道から上京したんですけど、上京する前と「オーバーライド」がヒットする前までの焦燥感を「オーバーライド」に乗せています。地方にいたら「あれもこれも得られない」という負の連鎖を、東京へ行くことで断ち切りたかった。つまり、「入力:地方在住→出力:得られない」という関数を、「入力:東京在住→出力:得られる」という関数に書き換えられるんじゃないかって。引っ越したばかりの頃は、正直、切羽詰まった状況はあまり変わらなかったんですけどね。
――「オーバーライド」は昨年11月に投稿され、その後、再生回数はうなぎのぼりに伸びていった。上京から少し時間はかかったものの、その後の人生をまさに「オーバーライド」する展開になった、と。
吉田夜世:そうですね。運命はオーバーライドされたのかもしれません。
吉田夜世 関連リンク
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――「オーバーライド」のサビの特徴的な振り付けは、真似する人が続出するほど、インパクトがありましたが、あの振り付けはどこから生まれたのでしょう。
吉田夜世:ミーム風の動きは最初からイメージしていて、イラストレーターのシシアさんには「こういうイラストを描いてほしい」「この素材とこの素材を分けてほしい」と細かくお願いしました。シシアさんは完成形がどんな動画になるか知らないまま描いてくれていて。小ネタも絵もかなり具体的なイメージをお伝えしたんですけど、本当に素晴らしいイラストを描いてくださったので、感謝しています。
――お話を聞いていると、歌詞に込められた切迫感とネタ要素の絶妙なバランスが、これほどの「オーバーライド」のヒットに結びついたのかな、と感じます。
吉田夜世:強烈な歌詞を冗談っぽく中和するのに、おふざけ要素のあるネットミームはちょうどよかったんです。曲全体も軽快な雰囲気になって、歌詞の尖った部分が程よく馴染むというか。いろんな要素が奇跡的なバランスで成り立っていると思います。ネットミームがなかったり、曲調が変わっていたりしたら、「オーバーライド」のあの雰囲気は出せなかったと思います。
――また、動画投稿後、吉田さんが動画のコメント欄やX(旧Twitter)で二次創作を積極的に推奨していたのが印象的でした。
吉田夜世:純粋に二次創作が増えてほしいという思いで、素材を提供したり、作品を拡散したりしていました。「作者が二次創作に積極的に関わったらどうなるんだろう?」という実験的な気持ちもあったんですよ。それが結果的にバズに繋がりましたけど、連続記録を止めた時と同じで、「こういう物語になるんだ」って。いつも通り第三者視点に立っていましたね(笑)。
オーバーライドの二次創作用フォルダに以下の物を追加しました
— 吉田夜世 (@otgys) January 25, 2024
・無音のMV動画
・ハモリつきの2mixオフボーカル
・ハモリパートのMIDI
主に歌ってみた支援用ですが、音MADなどの方も助かってもらって大丈夫です。是非ご活用下さい!https://t.co/iFJtULATJD
――フリーソフトのUTAUとは異なる、Synthesizer V AI 重音テトが昨年4月にリリースされたことをきっかけに、今年はボカロ界隈でテトを用いたボカロ楽曲がランキング上位を埋め尽くす現象が起こりました。「オーバーライド」はまさにその代表的な1曲です。
吉田夜世:テトSVのリリースで、UTAU版も含めてテトの人気が再燃するだろうな、とは思っていました。でも、まさかここまでのブームになるとは予想外で。CeVIO AIが主流の時代でしたけど、僕は以前からSVを使っていて、SVはいずれ天下を取る日が来るだろうと信じていたんです。そんななか、テトSVの発売情報を知って、「これは鍵になるかもしれない」と思った。なので、発売日に合わせて「サイマル的な、」を投稿しました。結果的に好評で、テトSVの認知度向上に少しでも貢献できたかなと思っています。「オーバーライド」でもテトSVを使ったのは、「サイマル的な、」に続く、吉田夜世の第二のテトSV曲を作りたかったから。最初からテトSVで作ることを想定していました。
――「オーバーライド」のほか、第20回プロセカNEXTで採用された楽曲「I know 愛脳.」も、吉田さんの作品として記憶に新しい曲です。同様にEDMをテーマにした第8回プロセカNEXTでは惜しい結果となってしまいましたが、「I know 愛脳.」ではどのような点を工夫されたのでしょうか?
吉田夜世:第8回プロセカNEXTのために作った「バリアシエラ」は、当時、すごく力を入れて作った自信作で、今でもクオリティは高いと思っていますし、周りの方からたくさんの評価もいただきました。僕にとってターニングポイントになった曲です。でも、今聴くと「もっとこうしたい」という部分が出てくるんです。「今の自分ならもっとクオリティを上げられる」とか。採用曲には採用されるだけの理由があって、不採用になる曲には不採用になる理由がある。そこで、「バリアシエラ」が採用に至らなかった理由を分析して、それを全てクリアした上でさらにクオリティを上げるアプローチで作ったのが「I know 愛脳.」でした。「バリアシエラ」ではトラックなどのオケ部分をメインに考えていたのに対して、「I know 愛脳.」ではメロディーを主役にすることを意識しました。曲調は似ていますけど、制作上での考え方にはかなり違いがありますね。
▲I know 愛脳. - 初音ミク[吉田夜世]
――メロディーと歌詞を重視するようになって、吉田さんの今の作品があるのがすごく伝わってきました。今年4月にリリースされた1stフルアルバム『Storable Venture』は、「オーバーライド」のヒット後のタイミングを狙ってのものですか?
吉田夜世:アルバムの構想は、「オーバーライド」の制作前からありました。「そろそろアルバムを出してもいいな」と思ったのがきっかけです。リリースのタイミングが、たまたま「オーバーライド」の後になったのは、良いタイミングでした。
――『Storable Venture』は、【THE VOC@LOiD M@STER】(ボカロ専門の同人誌等の即売会)での手売り販売とBOOTHでの販売に限定していて、ストリーミング配信はしていないそうですね。
吉田夜世:CDでしか聴けない、CDを持っていることの特別感も大事だと思うんです。今はサブスクリプションの時代ですけど、CDで聴いてほしいという気持ちがあるので。ある程度CDが行き渡ってから配信も考えようと思っています。
――2024年は、吉田さんにとっても、オーバーライドした年であり、ボカロカルチャーにも確実に「オーバーライド」の名が刻まれた年。「オーバーライド」がさまざまな創作を生んだ、この一年を振り返って、いかがですか?
吉田夜世:今年は想像もしていなかったような経験をたくさんさせてもらいました。人との繋がりの広がり方も「ここまで変わるのか」と思えるほどに、大きく変わった一年でした。本当に激動の一年で、整理しきれていないところもあります。2025年になってから、SNSを遡ったり、写真を見返したりしながら、ゆっくり頭の中を整理していきたいと思っています。