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<インタビュー>キャリア30年を迎えるKAMIJOが活動拠点を海外へ、その理由とは

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Interview & Text:冬将軍
Photo:Lestat C&M Project
※写真は「KAMIJO Official Calendar 2025」より抜粋


「多くの方から“なぜフランスじゃないんだ?”って。まぁ、そうですよね(笑)」

1995年に自身のキャリアをスタートさせたKAMIJOは、キャリア30年を迎える2025年夏からアメリカはロサンゼルスに活動拠点を移すことを発表した。驚きと同時に多くの人が思ったであろう疑問にKAMIJOはにこやかな表情で応えた。

「成長するためにはそこに身を置くのが一番近道だと思ったんです」

KAMIJO:祖母がアメリカ育ちで、それでアメリカにはすごくなじみがあったんですよね。

ピアノ講師の祖母、エレクトーン講師の母という音楽一家に生まれたKAMIJOは1999年にLAREINEのボーカリストとしてメジャーデビュー。2007年にVersaillesを始動、2009年には自身二度目のメジャーデビューを果たし、2013年からはソロ活動をスタートさせた。その優美な音楽と優雅さを漂わせるビジュアル、徹底した世界観構築に魅せられたファンは国内外ともに多くいる。これまでも世界20カ国以上でライブ、多くのワールドツアーを行なってきたKAMIJOが海外に拠点を移すことは、アーティストとしてのさらなる進化を追求していく上で納得できる部分ではあるだろう。しかし、その拠点として、LAを選んだことは意外でもあった。


LAREINE時代のアニメ『ベルサイユのばら』の原作者・池田理代子とのコラボレーションシングル『薔薇は美しく散る/あの人の愛した人なら』(2000年)をはじめ、“薔薇の末裔”を掲げたVersailles、ルイ17世を主人公とした物語を描き続けてきたソロ活動、さらには、日本とフランスを結ぶ「日仏ポップカルチャープロジェクト」のアンバサダーをも勤めているほど、KAMIJOといえばフランス、中世ヨーロッパを思い浮かべる者がほとんどだろう。だが、彼は活動拠点としてLAを選んだのである。

KAMIJO:映画音楽制作の本場で自分の音楽をブラッシュアップしたいっていうのが一番の理由ですね。LAには前からボイストレーニングを受けたいと思っていた先生が何人かいますし。

近年、KAMIJOの作り出す音楽はシンフォニックな映画音楽要素が強まっており、映画音楽の本場であるハリウッドで学びたいという自身の音楽探究ゆえの決断である。2011年に公開された映画『ヴァンパイア・ストーリーズ』では映画監督も務めた。そんなKAMIJOだからこその言葉は説得力がある。

KAMIJO:皆さんがイメージする映画音楽、ハリウッドサウンドって、実はちょっと前のものなんです。僕自身の曲でハリウッドサウンドだと言ってやっているものも少し前のハリウッドサウンドです。最新作「VIOLET DAWN」では最新のハリウッドサウンドを一部取り入れましたが、もっと突き詰めたい。ネットなどでは調べてもわからないこと、実際そこに身を置かないとわからないものを体感したい。ハリウッドで頑張っている仲間が何人かいるんですが、みんな価値観が非常に高い。身を置く場所によって人は作られていくと思うので、成長するためにはそこに身を置くのが一番近道だと思ったんです。今、身近で支えてくれている日本のスタッフも素晴らしい方ばかりですが、そういった方がウジャウジャいる。彼らにとっても世界で活躍するチャンスが作れたらいいなと思っています。その為にもまずは、僕が飛び込んでみようかなって。映画音楽にも何か関わりたいけれど、それはまた別の話で。




「The Anthem」ミュージック・ビデオ


さらに北米・南米を含むアメリカ大陸は世界で最もKAMIJOのリスナーが多く、特に中南米のライブ動員は4桁を超えることも珍しくはない。日本のアーティストが南米7カ国をワンマンツアー回ったのはVersaillesが初であり、ペルーやコロンビアでは、日本人初のワンマン公演を行った実績もある。

KAMIJO:各音楽配信サービスではアメリカが圧倒的ですね。LAは中南米にも行きやすく、ヨーロッパにも行きやすい。今まで以上に活動の幅を広げてステップアップ出来ると思う。今はSNSで世界中どこからでもその活動を見せられるので、日本で応援してくれるファンにもそういった自分の姿を見せて勇気づけたいです。来年でキャリア30年。そのタイミングも大きいですね。

キャリア30年という大きな節目であり、ここまで自分が作り上げてきたものへの達成感や充実感、もっといえば、やり遂げたものがあったからこその渡米でもあるのだろうか。

KAMIJO:2013年のソロデビュー以来、ルイ17世、マリー・アントワネットの息子がずっと生きていたという、“If”のストーリーをずっと描いてきました。それが昨年10年という歳月を以って完結したときには“やり遂げた”という充実感がすごくあったんですよね。それも少なからず影響はしていると思います。ただ、やり遂げたからといって、向こうへ行って自分の音楽性を変えたいとか、アメリカナイズされるような音楽になるのか? といったらそうではなくて。むしろ日本語メインで歌いたいですし、自分の持つ歌謡曲的なメロディーセンスもより強く出していくと思います。自分は自分のままでいたい。そこは変わらない。


「“MADE IN JAPAN”であり続けたい」と、KAMIJOはそう続けた。日本らしい、日本人の音楽だからこそ、多くの海外の方々が受け入れてくれたことを自負していると。もともと、洋楽への憧れがなかったというKAMIJOは、世界が羨む日本のロックである“ヴィジュアル系=Visual-kei”を高らかに掲げてきた。2023年にVersailles、Moi dix Mois、D、摩天楼オペラとともに結成した“JVM Roses Blood Symphony”は、シングル「協奏曲 ~耽美なる血統~」をリリース。そして4バンドによる【Japanese Visual Metal】と題したZeppツアーは大盛況に終わった。そうした洋楽をなぞるだけでは絶対に到達できない“MADE IN JAPAN”のロックを、KAMIJOはその自信とともに形としてまざまざと我々に魅せてくれた。

KAMIJO:今までは伝統を受け継いできました。言葉を選ばなければ、ヴィジュアル系の正当な後継者という責任感を持って歌ってきました。でもこれからは、先輩からの血筋だけではなく、自らの力でもっと切り開いて世界標準の新しい日本の伝統を作りたい。その為にもJVMは本当にやってよかった。“こんなことを形にできるのか?”というところからスタートして、ここまで形にすることができた。やはりどんなときでもチャレンジするときは恐怖が付きまとうものです。逆に恐怖を感じないチャレンジは絶対に失敗すると思うんですよ。だから恐怖を感じることができたら、それはチャレンジすべきもので、価値があるものなんです。今回の渡米も恐怖がある、正直怖いですよ。だけど、行かないと何も始まらない。自分がその場にいないとわからない細かいニュアンス、言葉の壁、いろんなものがあると思うんです。そこへ立ち向かってく覚悟は固まっています。不安や恐怖は勉強や経験をすれば確実に消えますから。

そんな恐怖を抱えてまで、KAMIJOを掻き立てるものはなんなのだろうか。30年ものキャリアを積み、実績を残してきたアーティストであれば、守りに入ってしまってもいいところではある。

KAMIJO:変な話、これだけ長く歌わせていただいていると、どこか同じことの繰り返しになってしまう。自分に飽きたくないんです。刺激が欲しい。ファンのみんなを素晴らしい未来に連れていくには大きな環境の変化が必要だと思ったんです。だからこのままじゃダメだなっていう気持ちもあっての渡米なんです。自分自身いろいろなことを経験させていただきましたけど、満足できるバイオグラフィではないんですよね。そういった自分の歴史を作っていくのも僕はすごく楽しんでいて。ある意味、曲を作るのと一緒なんですよね。どこで歌い始めて、どこでサビが来て、ギターソロが来たかと思ったら、落ちサビが来る。大サビが来たかと思ったら、さらに転調して……それと一緒ですよね。

では現在、楽曲のどのあたりなのだろう。

KAMIJO:サビが終わって変拍子入ったところじゃないですかね。“次、拍子はどっち行くんだろう?”っていう。ただ僕は変拍子や転調からの戻り方、曲の展開はもしかしたらメロディー以上に得意かもしれない。だから自分の活動という大きな作曲でも、このあとどういう展開が来るのか、楽しみにしていてください。

恐怖があると言いつつも、そう語ってくれたKAMIJOの表情は晴れやかで希望に溢れるほど美しかった。


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KAMIJO「Road to Kingdom」

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