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<インタビュー>明日死んでも、このアルバムが最後でいいと思える――ANARCHYが最新作『LAST』で描いた原風景と理想郷
Interview:三宅正一
ANARCHYが約3年ぶりのアルバムとなる、その名も『LAST』をリリースする。〈大阪で産まれて始まりは京都の向島〉と始まる1曲目「9街区1棟」から、ANARCHYというラッパーの出自とこれまでのライフ・ストーリー、そして今どこに立っているかを自伝映画のような様相をもって明らかにしていく。ストーリーテリングの語り口と筆致は極めてシンプルかつストレート、そしてリスナーとともに歌えるという意識がはっきりと刻まれている。
客演は一切なし、ZOT on the WAVE、Chaki Zulu、DJ JAM、Ryosuke“Dr.R”Sakai、そしてKREVAという幅広い顔ぶれのプロデュース陣によるビートの上で、ANARCHYは新しい地平に立っている。なぜANARCHYは今、このタイミングでこういったアルバムを作り上げようと思ったのか? また、どうしても深読みしてしまう『LAST』というタイトルにどのような意味を込めているのか? ありのままに語ってくれた。
“終わり”じゃなくて“始まり”
――アルバムの内容と構成自体がコンセプチュアルで、ANARCHYさんの自伝映画のような趣があり、1曲目「9街区1棟」から自らの出自と少年時代、ストリート・カルチャーとの出会い、京都から上京するときのこと、そして上京してラッパーになってからの日々のことなど、ANARCHYさんのライフ・ストーリーを明らかにしながら、自身のリリシズムを極めてシンプルに浮き彫りにしていく。そして、最後、KREVAさんのビートで終わる「September 2nd」の余韻はかつてないほどポップな印象を残します。だからこそ、『LAST』というアルバムタイトルがより効いてくるんですけど、ご自身の率直な手応えから聞かせていただけますか?
ANARCHY:今回はすごい手応えがあって。いつも作品を作るとき、自分が想像していたことを完全に形にできることってなかなかないんですけど、僕のなかで今回は「こんなものを作りたい」と思っていたものを形にできた気がしていて。そういう手応えが一番ありますね。
――その手応えを掴めた大きな要因は何だと思いますか?
ANARCHY:僕の今までのラップって、ずっと言葉で投げかけていく感覚だったんですけど、もっと音楽として聴いてほしいし、たとえば僕の曲をカラオケで歌えるかと言ったら、たぶん今までは歌えなかったと思うんですよ。そんな感じで、もっとみんなが曲の中に入っていけるような音楽になることを信じて作ったというか。でも僕が作るから、ヒップホップなんですけどね。
――間違いない。
ANARCHY:ただ、今回はそこを意識せずに、むしろ無視しちゃっていいと思ったんですよ。できるだけポップに、簡単にしたかったし、削ぎ落としたかった。
――シーンや他のラッパーの目線がここには介在していないというかね。本当に、徹底的に、シンプルに自分というものを浮き彫りにしながら、固有のポピュラリティを獲得するという勝負をやっていますよね。
ANARCHY:そうですね。だからフィーチャリングも入れなかったし、もう一個、ANARCHYというものをここらへんで押し出して残さないとダメだという感覚になって。これが作りたかったんでしょうね。逆に言えば、人が成長して大きくなっていくこともヒップホップだと思うので。だから、感覚で言ったら1stアルバム(『ROB THE WORLD』/2006年12月リリース)を作ったときに近くて。似たような曲もあるなと思うし。振り返ったら、俺が好きで、作りたかった曲って、たぶんあそこにあるんですよね。冷たかったり、暗かったりもする部分と、ポジティブな部分があって。だから、俺の好きなものをもう一回詰め込み直した感覚もあるんです。それは一回バラバラになって作品ごとに出ていったんですけど、もう一回集めたら、自分自身の大事なことは何も変わってねぇなって思える。そういう意味で『LAST』というアルバムタイトルも、“終わり”じゃなくて“始まり”という意味が一番大きいんです。俺は「引退します」って匂わしたいわけでもなくて。でも、このタイトルが先に出ていったらそう思いますよね(笑)。これがラストアルバムなのかなって。
――どうしてもそれを想起しますよね(笑)。
ANARCHY:でも、その意識はなくて。一生引退なんてしません。ずっとそう思ってるので。ただ、本当にもし俺が明日死んでも、このアルバムが最後でいいと思える。それは嘘じゃないです。その意味もあります。始まりやし、これが最後でもいいと思えるアルバム。今このアルバムについて初めてインタビューを受けてるので、自分で話しながら確認してる感じもあります。
やっぱり日本中のやつがハマる曲を作りたい
――最初に自伝映画のような趣があると言いましたが、ANARCHYさんは監督しても映画作品を撮っていて(『WALKING MAN』/2019年公開)。あの作品もご自身のバックグラウンドが色濃く反映されていたと思いますが、このアルバムに映画的な像を持たせたいという想いもありましたか?
ANARCHY:そういう気持ちもあったかもしれないし、それこそがやっぱり僕の原点なんですよね。自分が生まれた場所のことを歌ったときに、昔の僕なら「団地の生活のなかで俺はこんな悲しい想いをしてた」って歌っていたことが、今やったら「団地生活やからいいこともあったやろう」って考え方にもなれるので。
ANARCHY / 映画「WALKING MAN 」60秒本予告
――それは思いましたね。当時のANARCHY少年に愛のある眼差しを送っているというか。
ANARCHY:そう、離れたからこそ、今やからこそ知れる愛もあるじゃないですか。「今住んでるこの街よりいいところが地元にあるな」とか「あのときうれしかったな」とか。そっちの考えでリリックを書いたことってそんなになかったので。それと、あの場所を思い出しながら帰っていったような感覚もありました。
――象徴的なのがお父さんの描き方ですよね。
ANARCHY:そうですね。親父に対する感謝の部分とか。「子どものとき何してたかなぁ」とか。「あのとき、親父は向こうを向いて野球の試合を観てたなぁ」とか。「寂しかったけど、うれしいこともあったなぁ」とか。それをこういうふうに歌ってみたら、みんなどういう気持ちになるのかな、ほっこりした気持ちになったりするのかな、という実験でもあるんですよね。
――お父さん、すごく粋な方ですよね。粋を貫き通せばあとは自由に何をやってもいいというような。
ANARCHY:え、親父のこと知ってるんですか?
――いや、曲から伝わってくるお父さんということです(笑)。
ANARCHY:知り合いなんかなと思った(笑)。昔から今もずっとロックンロールな人なので。
――今のANARCHYさんはお父さんにどう映っているんですかね?
ANARCHY:そこに関しては喋ったことないですね。昔はけっこうライブのダメ出しとかしてきましたよ(笑)。「おまえ、あそこはもうちょっと喋ったほうがいいぞ」みたいな。それが、僕が 20代のころで。30代になってからは「今日のライブはよかったね」みたいな感じで。今も京都とか大阪でライブがあるときは観に来てくれます。
――このアルバムを聴いたらお父さんもグッとくるものがあるでしょうね。
ANARCHY:まだ聴かせてないですけど、聴いてほしいですね。
――さっきANARCHYさんが言っていた、ラップシーンを飛び越えてもっと広く自分の曲を響かせたい、あるいは歌ってほしいという想いはここ数年で強くなったんですか?
ANARCHY:そうですね。何度かその波があって。ヒップホップをやり始めてラッパーになったときも、メジャーデビューしたときも、もっと届けたいという想いはあったんですけど、そこまでの音楽を自分が作れてなかった感じですね。僕のアルバムって全部カラーが違うじゃないですか。一緒にやるトラックメーカーも違うし。だから、いつも実験なんですよね。でも、やっぱり日本中のやつがハマる曲を作りたいじゃないですか。ミスチルとかスピッツとかサザンみたいにみんなが好きになる曲をラップソングで作れるんじゃないかと思って。それくらい詰め込めるような曲をイメージしながら今回は作りました。
――2曲目の「緑のモンテカルロ」の歌詞にも出てきますけど、THE BLUE HEARTSのように、ヒロトとマーシーの歌のように、響かせたいんだなとも感じたし。
ANARCHY:そうなんです。でも、今までは振り切れてなかった部分があったなと思って。だから、今回は今までの自分なら恥ずかしいと思ってたこともやっちゃってる感じです。歌うとか、メロディにするとか。そこにも挑戦したので。
――禁じ手を解いた。8曲目の「あいつの事」とか、まさに歌、って感じで。
ANARCHY:はい。そこは踏み込んでなかった部分で。できなかったし、やり方がわからなかった。ずっと「もっとラッパーとして」というやり方でやってきたので。ヴァースを書くのは得意やけど、サビとかは書けないという感覚でいたから。ずっとヴァースで勝負してきたんですよね。でも、もっとみんなサビで歌いたいじゃないですか。もっと歌えるし、もっと聴けるし、もっとハマる。そういうことも意識しようかなって。やっとちょっとできたかなという感触があります。俺の好きなラップもやれているし。あとはこれをライブでどう歌えるか。そういうことを考えてます。
みんなと一緒に武道館やアリーナに行きたい
――ラッパーとしてのプロップスはもう揺るぎないものを得ているじゃないですか。ヘッズの世代を問わず。
ANARCHY:長いことやってるんでね。
――でも、キャリアを重ねるほどいかにプロップスを維持できるかということに意識が向くこともあると思うんですけど、ANARCHYさんはここで攻めることを選んだ。
ANARCHY:はい。俺はずっとチャレンジしたいので。守りはチャレンジではないじゃないですか。ヒップホップのシーンでふんぞり返るのは簡単なんですけど、それだけじゃなくて、ロックとかレゲエとかいろんな現場に行ってライブしたいですもん。そのほうがヒリヒリする。今、ヒップホップのシーンは若い子たちが多いので、その子らを引き上げられるようなライブを僕も見せていかないとなって。そういう意味でもライブの意欲は今まで以上に上がってます。今はヒップホップも3万人くらい入るフェスがバンバンあるじゃないですか。「すげぇな、日本のヒップホップもこんなふうになったか」って思うけど、ただ「この規模でこのライブじゃダメやろ」と思うこともすごくあって。自分自身も会場に飲み込まれて「ああやっちゃった、こんなもんじゃない」って思うときもあるし。だからヒリヒリしてる現場のほうが面白いし、ヒップホップのシーンに関しては特にライブに対して「このままじゃダメだ、ぬるくなっちゃうよ」と感じることはけっこうあります。
――規模が大きくなるほどイヤモニに苦戦したりもするだろうし、パフォーマンスの精度がより問われてますよね。たとえば5年後、10年後に単独のショーケースで何万人と向き合えるかという課題は確かにあるのかなとは思います。
ANARCHY:カッコいいライブをやろうという意識になったら、みんな修行するでしょ。出たら盛り上がるみたいな環境に慣れたらぬるくなっちゃうだけなので。でも、ほんまに熱いものってそんなんじゃないでしょ。ライブがヤバいやつらが生き残ると思います。それをがんばってきた人たちが今もシーンにいるんやと思うし、俺の先輩たちで今もいる人はライブがヤバいんだと思います。
――一方で、ANARCHYさんへのリスペクトを持ち続けて、ANARCHYさんもそこに招き、東京ドームで解散ライブを行ったBAD HOPには大きな刺激をもらったでしょうし。
ANARCHY:もちろんです。すごい刺激的でした。勝手に夢を叶えてもらったような気持ちにもなりましたし、彼らが仲間たちと、僕ができなかったことをやってみせたので。だから、このアルバムのなかでも〈やりたくなっちゃった 武道館やアリーナ〉(M7「タイトルなし」)って歌ってますけど、あれもBAD HOPとかAwichとかを見て、後輩たちがここまでやってるのに、俺はべつにやりたくねぇとか言ってふんぞり返るのはおかしいなと思って。一人になったときに自分に対して「おまえ、ほんまに武道館やりたくないの?」って訊いたときに「やりたい」って普通に思ったし、それを歌にしようみたいな。それくらい俺は若い子たちからパワーをもらうし、彼らはしかも実現させてるじゃないですか。俺は今まで明確に掲げたことがなかった。言い訳するなら、ひとつそれがあって。でも、今は初めてほんまに武道館やアリーナをやりたくなかったから。やりたいことを全部やる。それが次のチャレンジかなと思ってます。
――このアルバム、確かに武道館が似合うだろうなと思います。
ANARCHY:頭の中ではそれを描きながらこのアルバムを作ってます。絶対やります。そこにたどり着くためには僕の力だけでは足りない部分もあるので、ラッパーたちの力も借りると思うし、大きいとこをやるときは仲間たちとめっちゃ楽しく、みんなに望まれる武道館やアリーナにしたいですね。やっぱり無理に作られたものじゃなくて、「ANARCHYが武道館やアリーナやるなら観に行かないと!」って、Nasがマディソン・スクエア・ガーデンでやるなら観に行かないとって思うような、そういうヴァイブスになるような空気にしたいですね。
――ANARCHYってまだ武道館ワンマンをやっていなかったんだ、という違和感もあるんすけどね。
ANARCHY:そうなんですよね(笑)。それは自分でも思って。でも、ちゃんとそれを掲げてこなかったからまだやれてないと思うんですよ。だから、「武道館もアリーナもやりたい」って素直に歌いました。
――このアルバムで最初にできた曲はどれだったんですか?
ANARCHY:どれが最初にできたかは覚えてないんですけど、俺がアルバム作れるかもって思ったのが、「あいつの事」と「1mm」ができたときですね。どっちも今までの俺になかった声の出し方ができたんですよ。「あ、俺、こういう声の出し方もできるんや」と思って。これならもうちょっと優しく歌えたり、いろんなことができるかもなって思うスタートになった。それまでも何曲も作ってトライしたんですけど、今回初めてアルバムの中に入らなかった曲があるくらい。初めて「今このアルバムに入れても意味ないな」と思って入れるのをやめたんです。
――「あいつの事」も「1mm」も言うなればラブソングですよね。そういう言葉や歌が自分の中から出てきたことがフレッシュだった。
ANARCHY:そうそう、フレッシュだった。今回のリリック、関西弁が多いじゃないですか。自分の言葉でどうやったら伝わるんかなと思って。俺の言葉はこれなので、このまま「そうやろ?」って伝えたほうがもしかしたら心に届くんかなと思って、今までと言葉のアプローチを変えたみた。そしたらどんどん面白くなってきて、「“なんでやねん”で韻踏めんねや」って思ったり。
――「あいつの事」はZOT on the WAVE & Nova、「1mm」はZot on the WAVE & duddy bunnyと、ビート・プロデュースには両曲ともZOT on the WAVEさんがクレジットされてますが、ビートが言葉を誘発してくれる部分もありましたか?
ANARCHY:それもあったと思います。KREVAくんがプロデュースしてくれた「September 2nd」はもっと前から作ってたんですよ。最初は違うビートで、それは韻シストが作ってくれたビートだったんです。そのビートにラップも乗ってたんですけど、ここまでいかなった状態で眠っていて。そこから俺もKREVAくんみたいな曲を作りたいと思って連絡したら、彼も乗ってくれて。「ANARCHYから連絡来るとは思わなかったよ。じゃあスタジオに来なよ」って言ってくれて、「September 2nd」のリリックを持っていったんです。そこから韻シストが最初に作ったビートをKREVAサウンドに仕上げてくれたという流れなんです。俺が好きなKREVAくんの「音色」とかにも近いような。
――初期KREVAサウンドって感じですよね。
ANARCHY:そうですよね。俺だけではこういう曲にならなかったです。韻シストにも感謝してます。KREVAくん、笑ってましたけどね。「先にリリックを書いてきたやつは今までいなかった」って(笑)。
――「September 2nd」=9月2日はANARCHYさんの誕生日ですよね。最後に自分で自分に「おめでとう」って言えるのは、間違いなくこのアルバムだからですよね。
ANARCHY:そうですね。1曲目の「9街区1棟」が最後に書いた曲なんですよ。アルバムのピースとして足りないものがあると思ったときに、大阪で産まれて京都の向島団地で育ったことを歌うことでこのアルバムを完成させられると思ったんですよね。スケジュールは超ギリギリやったんですけど。「まだですか?」って催促されながらギリギリまで作ってました。
――ここまで向き合ったアルバムだからこそ、ここからANARCHYというラッパーであり表現者をより自由にしてくれるかもしれないですよね。
ANARCHY:それは自分でも思いますね。また映画も撮りたいし、そのために脚本もずっと書いてるし、今ならレゲエのビートでも、ロックのビートでも歌えると思うんですよ。今まではちょっとANARCHYというイメージで自分を縛ってた部分もあったなと思って。ただ、近いうちにもう1枚アルバムを出そうと思ってます。呼びたいフィーチャリングのラッパーをいっぱい呼んで、それはめちゃくちゃヒップホップなアルバムにします。そのアルバムはビートがあれば速攻でできるし、みんなと一緒に武道館やアリーナに行きたいので。それも含めてこの『LAST』というアルバムを出したら、いろんなところに行けそうじゃないですか。自分の音楽としてやりたいことに近づいてるって感じですね。俺も話しながらちょっとだけ自分の中の答えがわかってきました。
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