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<インタビュー>毎日を楽しく前向きに思える歌やトラックを――Crystal Kayが唱える“Love Myself(自分を愛すこと)”で生まれる幸せの近道

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Interview: 永堀アツオ
Text: Mariko Ikitake

 自分が自分を愛さなくて、誰を愛せるだろうか。自己肯定やセルフエスティームの大切さが叫ばれる現在、実践するのが簡単ではないからこそ、何度でも訴える必要がある。Crystal Kayもまた、歌を通して、リスナーだけでなく自分をハッピーにさせる“幸せの循環”に取り組んでいる。

 メジャーデビュー25周年という節目に第1弾シングル「That Girl」につづいてリリースするのは、そのメッセージをポジティブに届ける、その名も「Love Myself」。2006年の代表曲「恋におちたら」を作曲したMisako Sakazumeが作詞作曲、耳に残るトラックメイキングを得意とするUTA編曲のもと完成したパワフルなアンセムに込めたCrystal Kayの思いとは。

──今年の7月にデビュー25周年を迎えた心境から聞かせてください。

Crystal Kay:4半世紀……あっという間のようで、思い返すとめっちゃ濃かったですね。でも、まだこれからだなっていう感覚のほうが強くて。ライブやイベントで歌ったり、今年の夏にはブロードウェイ・ミュージカル『RENT』に出演したり、いろんなステージに立つたびに、25年経った今も私の曲を聴いてくれる人がいて、変わらずパフォーマンスもできていることにすごく感謝もしています。もちろん年下の後輩も増えてるんですけど(笑)、時代も音楽の聴かれ方も変わってる。そういう環境が楽しいんですよね。パフォーマンスする側としては、ストリーミングが主流になって大変ではあるけど、デビュー当時と比べたら、リスナーが“日本”だけじゃなくて“世界”になってる。小さい頃から描いていた自分の音楽の世界像がやっと今、出てきたというか。自分もまだその中にいることが素敵だなって。

──小さい頃に思い描いていた音楽の世界というのは?

Crystal Kay:音楽=世界って思ってたんですよ。だから、デビューしたときは「なんでアメリカのビルボードチャートに私の名前は載ってないんだろう?」って勘違いしてた(笑)。15歳ぐらいになって、「そっか、私は日本のシンガーだった」って理解できました。

──世界同時配信がスタンダードになって、今はよりボーダレスになっている感覚ですよね。

Crystal Kay:K-POPのおかげで世界が一気にアジアに目を向けるようになったし、そのおかげで日本もよりメインストリームに近づいたと思います。日本にはアニメという世界に向けたコンテンツもありますが、日本のエンタメはもっと頑張ってもいいかなと思ってて。私はその架け橋になりたいし、架け橋なりにムーブメントを起こせたらいいなって思っています。

──25年を振り返ってみると、ご自身にとってはどんな日々でしたか?

Crystal Kay:すごくラッキーな25年間でした。ラッキーなデビューだったし、本当にいろんなプロデューサーとコラボをたくさんさせてもらって、いろんな種蒔きが今、ちょっとずつ実を結んでいる感じもします。日本の音楽シーンだけじゃなく、世界を見ても、たくさんの人と繋がってるなって。

──例えば?

Crystal Kay:一昨年、ライブに向けて「Kirakuni」の音源が必要になったんですけど、ストリーミングもされてないし、誰もトラックを持ってなかったんですよ。じゃあ、テリー(・ルイス)に連絡すればいいじゃんと思って、テリーに「音源が必要なんだけど」って電話しました。

──ジャム&ルイスに直電できる人はなかなかいないですよ。

Crystal Kay:去年の9月にLAにいたときも、テリーから「ジャズフェスに出るから、ジャネット(・ジャクソン)の曲を歌ってくれない?」と電話があって、【ピッツバーグ・インターナショナル・ジャズ・フェステイバル】で共演して。学業と音楽活動を両立できていたのは、すごくラッキーだし、なかなか経験できないことですよね。死ぬほど大変だったけど(笑)。

──菅野よう子から始まって、m-flo、アシュリー・イングラム、ジャム&ルイス、安室奈美恵……と数多くのトップアーティストと仕事をしてきました。10代・20代のCrystal Kayはそこに怖さはなかったですか?

Crystal Kay:ない(笑)! もちろん、ドキドキはしますよ。ジャム&ルイスは、私のルーツであるジャネットのプロデューサーたちでもあるので、彼らのレベルに対等に歌えるのか、とか。でも、実際はめっちゃアットホームな雰囲気だったので、自然体で楽しむことができました。安室ちゃんのときも最初はダメ元だったけど、(決まってからは)ベストを尽くすのみって感じでした。

──さらに、東京を離れて、ニューヨークやLAに住まいを移してチャレンジした時期もありますし、最近はミュージカルやNHKのドラマにもご出演。そのチャレンジ精神の源を知りたいなと思うんですが。

Crystal Kay:欲張りなんだと思います。小さいときから歌って踊れる俳優になりたいって思ってたんですよ。当時はそのツールやチャンスがなかったけど、今は音楽だけじゃなく、映画やドラマも、いろんな人種が求められていて。日本に住んでて、黒人と韓国人のミックスっていう全部のカルチャーが入ってる私のユニークさをスクリーンでもレペゼンできたら超楽しいだろうなって思っています。

──その楽しめる理由というか、マインドが知りたいんです(笑)。昨年、LAに拠点を移したときも、へこたれなかったじゃないですか……。

Crystal Kay:いや、へこたれましたよ。向こうに着いた数日後にストライキに入っちゃって、仕事がまったくなくて。エージェンシーとの契約もないし。でも、そこでいろんな人にも会って繋がれたし、行ってよかったって思うんですよね。だって、その繋がりが後にどういう形になるかわかんないじゃないですか。そこにワクワクするんですよね。ニューヨークもあのときに行ってなかったら、きっと今の自分はなかっただろうし。みんな、できなくてもできるふりするんです。それでやっていけている人は実際にいるし、そのぐらい、ドシっとしてないと無理なんですよね。私は日本育ちだからか、いらない遠慮が出ちゃって、悔しい思いや「なんで私はできないんだろう?」って悩んだこともありました。アメリカに行くと、自分のユニークさや足りないところ、日本にいたら気づけないところが、わかりやすく出てくるんですよね。だから、アイデンティティ的にもすごく必要だった旅だなって。

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