Special
<インタビュー>GLAY・TAKURO、3年ぶりアルバム『Back To The Pops』でルーツ回帰――「ゴールを目指すための手助けをするのは、ポップソングのある種の使命だと思う」
Interview & Text:青木 優
Photo:興梠 真穂
突き抜けている。ニューアルバム『Back To The Pops』は、GLAYというバンドがポップな存在であることを再認識し、その使命をまっとうしながら音を鳴らし、歌を唄っている作品だ。ともに唄い、叫び、ともに熱くなり、ともに涙を流す。まさしく大衆的なバンドとしてのGLAYが、ここにはいる。
TAKUROがこうした境地に至れたのには、はからずも今年でデビュー30周年というタイミングの巡り合わせがきっかけになっているところがあるようだ。今回、主に語られているのは各曲のベースになった日本のアーティストやポップソングの数々で、それをオープンに語る彼の表情はとても晴れやかである。
この一方で、インタビュー中には世の中のこと、家族のことに触れる際に、やや苦みのあるトーンになる瞬間もあった。そして語られるGLAYというバンドの行く末について……。いつも深い話をしてくれるTAKUROであるが、今回も彼のことが、そしてGLAYのことが生活のどこかにある方には、ぜひ目を通してほしい。
そしてもうひとつ付け加えるなら、これはポップ・ミュージックに関心のあるすべての方に読んでほしいインタビューでもある。GLAYが並々ならぬ覚悟と責任感とともに音楽に向かってきたバンドだと知っていただければ、と思う。
過去の音楽を楽しみながら
ここまで取り入れようとしたのは初めて
――8月のサマーソニックのライヴ、観ましたよ。めちゃくちゃ楽しかったです!
TAKURO:ああ、そうなんですね……どうでした? 俺ら、初めてだったんですよ。俺らのあの振る舞いは、合ってたんですかね?
――(笑)。振る舞いですか? 良かったと思いますよ、とても。
TAKURO:サジ加減がわかんないから。もう全身全霊で挑んだんですけど……フェスって、もうちょっと気楽なもんなのかな?(笑)ライヴ終わったあと、全員もうヘロヘロで。JIROなんて「手攣った!」とか言ってるし、HISASHIが「俺だけか? 元気なのは!」って言ってるぐらいで。そのあと打ち上げに行ったんですけど、階段上がるのもしんどい、みたいな(笑)。
――たしかに全力でしたね。それは伝わりました。
TAKURO:今年の春にHYDEくんと話したら、「俺、夏フェス、けっこう出るんだよね」って言ってて。彼のスケジュール見たら、もう鬼のように入ってたんですよ。俺はムリかも……あのテンションで挑むのは(笑)。ワンマンと違って、他のアーティストへの目もあるし、「負けないぞ」って気持ちもあるし、「よろしくお願いしますね」も……いろんな気持ちが入り混じってるから。それに、夏の祭り感もね。だから、いろいろなことがGLAYにとってはほんとに新鮮で。3曲目ぐらいの時に、「あれ? このまま最後まで行けるかなぁ?」みたいな感じになって……汗ダラダラだったし(笑)。で、明らかにGLAYのファンじゃない人たちがすごい喜んでくれてる! 「どういうこと、これ?」みたいな(笑)。でも「これが夏フェスなのか」っていう感慨深さがあってね。楽しかったですよ! ほんと、出て良かった。
――そのサマソニでのセットリストは、今のGLAYとみんなが知っているGLAY、そこに夏の曲も入ってたりして、バランスがすごく良かったと思うんです。
TAKURO:今回はHISASHIがサマソニに思い入れがあるってことで、「俺が選曲する」と早々に言い出して。で、「whodunit」にアンダーワールドの曲を挟んだりしてね。
――ええ、途中に「Born Slippy」を入れてましたね。
TAKURO:俺、1回も聴いたことないんですよ。アンダーワールドって。
Underworld - Born Slippy(Nuxx)
――えっ? マジですか?
TAKURO:アンダーワールドのあの曲も知らなかったんですよ。だけどリハでHISASHIが「アレンジしたから」って、いきなりあれを流していて。大丈夫かな? と思ってたら、本番でめちゃくちゃウケてるじゃないですか? HISASHIに「お前、天才だな! ありがとうな!」って(笑)。「ああ、やっぱりバンドっていいものだな、考える人もいれば考えない人もいるな」って。フェスならではのアイディアですもんね。やっぱり。
――あれは盛り上がりました。で、あの時のパフォーマンスにも今のGLAYのいい状態が出ている気がして、それはこのアルバム『Back To The Pops』につながっていると思ったんですよ。
TAKURO:はい。いやぁ、今日お話したいのは、まさにそのへんで。これはバンドのアンサンブルのひとつの完成形みたいなアルバムなんです。今は過去の曲(のアレンジ)もこのフォーマットにのっとって整理しているので、90年代の曲も今の曲も違和感なく演奏できていますね。
――タイトルは“Back To The Pops”なんですけど、TAKUROさんはこのアルバムをどんなものにしようと思って取り組んだんですか?
TAKURO:まず表向きは30年目のデビュー・アルバムのような、まっすぐで純粋なものを作りたいということですね。で、それは自分が聴いてた音楽……最初の頃は、それこそビートルズが好きで、それと同時に松田聖子をはじめとするアイドルも好きで。そしてその松田聖子の後ろにいる作家たちの曲を……はっぴいえんどとかも掘り出して。で、のちにTHE BLUE HEARTSもBOØWYもレベッカもすべて自分の血となり肉となったし、だけど尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も好きで聴いてたし。それこそオフコースもチューリップも、南こうせつも松山千春も聴いてるTAKURO少年としては、そのすべてが 歌謡曲やポップスというくくりだったんです。それはもう(ストリート・)スライダーズですら、ローリング・ストーンズですら(笑)。
――ほんと、歌謡曲からロックンロール・バンドまで、幅広く好きだったんですね。
TAKURO:だから今度のアルバムでは、もう自分が好きな、楽しい曲、心踊る曲をやろうと。ことアンサンブルとアレンジに関しては、あの頃の自分をワクワクさせたアーティストたちのエッセンスをとにかく取り入れたかった。だから、たとえば「Romance Rose」のデモテープ作りでは、HISASHIに「『安全地帯Ⅱ』の頃の安全地帯サウンドとZI:KILLの『CLOSE DANCE』をくっつけた感じでやって」と言って振ったりね。
――(笑)。そこまでだったんですか。
TAKURO:安全地帯とZI:KILLを混ぜろなんてリクエスト、どんな優秀なアレンジャーに言っても、たぶん俺が欲しいものは理解できないと思うよ。それがHISASHIからは出てくるんですよ! 「そう! これこれこれ!」っていう(笑)。それがどの曲にも散りばめられていて……俺がロスから東京のHISASHIに送ったデモが帰ってくる時のワクワクは過去イチでしたね。というか、「これ、バレる!」「まあ謝ればいっか」「今のGLAYなら許してもらえるんじゃない?」みたいなのばっかでしたね(笑)。
――いや、むしろ喜んでもらえますよ。GLAYの音楽のルーツだということですから。
TAKURO:そんなふうに受け取ってもらえたらいいですね。俺も大人になってジャズやブルースを聴くようになって「音楽の継承は正しくされるべきだな」と思うようになったけど、音楽の世界では誰に何言われるでもなく、そうなっていってるんじゃないかな。過去の音楽を楽しみながらここまで取り入れようとしたのは初めてですね。オリジナリティのために「GLAYサウンドとは」みたいなことを常に考えてきたけど、どうあってもお里は知れるというか。
――お里(笑)。ルーツですね。
TAKURO:僕ら、そのお里が大好きなので! 今なら30年目のご褒美として、自分たちの憧れをぶっこんでもいいんじゃないか、っていう感じですね。
――その30周年というタイミングと、こうしてご自身のルーツ回帰が一致したことの関連性はあるんですか?
TAKURO:ほんとは「Only One,Only You」(2022年)を作ったり、JIROが「THE GHOST」(2023年)を出してきた時点で、いわゆる新規軸の路線もありかな? と思ってたんだけども。みんなから集めた曲を聴いてたら、「30周年にふさわしい、みんなに喜ばれるようなこともやりたいな」、それから「自分たちが楽しくやれることをやりたいな」と思うようになり、新しい挑戦は先送りにしました。それは「シャルロ」という曲が出てきた時点でね。だからプランBですよね。プランBが、Aに昇格した。
――今作の「シャルロ」はJIROくんが書いたパンキッシュな曲ですね。ということは、このポップな曲たちはちょっと狙って書いたところもあるんですか?
TAKURO:あ、でも、このアルバムの曲たちは30年に渡る時間の間に作ったものもあって……さっきの「Romance Rose」なんて俺が18、19で書いた「彼女の“Modern…”」(1994年)と同時期なんですよ。
「彼女の“Modern⋯”」
――ええ? そうなんですか?
TAKURO:だから歌詞が似てるんですよ。使ってる言葉とか、歌い回しとか。その頃は警備員のバイトをしてて、朝8時から夜5時まで朝霞の市役所の前でずっと警備で立ってたんですけど、その時にこの「Romance Rose」と「彼女の“Modern…”」を鼻歌で作って。昼休みになると自分のアパートに電話かけて、留守電に向けてフニャフニャ言ってました。
――当時は携帯電話もなかったから、ミュージシャンは思い浮かんだ歌を自分ちの留守電に吹き込んでましたね。
TAKURO:あの感じは、今だと書けないですね。まずその幼稚さに笑ってしまって、自分でブレーキかけちゃうから(笑)。だけどこの曲には当時の空気感とか自分の美意識があってね。19歳の美意識は、まあ肥大していて、もうカッコをつける。それが合ってんのかどうかもわかんないけど、とにかくカッコつけたい。頭いいと思われたい、みたいなね(笑)。
――「Romance Rose」には〈この世はまるでジャズエイジ/フィッツジェラルドとゼルダのよう〉〈アバズレた仕草が似合いのロマンスローズ〉なんて歌詞があります(笑)。
TAKURO:こんなこと言う俺ってトガってるやろ~!? みたいなね(笑)。今だったら絶対やらないけど、やってた自分が愛おしい、というのもあって。
――そうしてみると、今こういう曲を出すのも、そしてこのアルバムタイトルも、過去の自分たちに対してすごく肯定的ですよね?
TAKURO:ああ、それはね……のちのち、偶然にもベルーナドームで【GLAY EXPO’99】の再現をやるんだけど(2024年6月8日、9日)。それと相まって、自分の中ですごく高揚しましたね! 肯定するというか、散らばった自分の音楽的な自我みたいなもの? GLAYという名前に持っていかれちゃって、本来の自分たちの形、フォームが崩れてるのを、ベルーナでEXPOをやることで自分たちの等身大が見えたんです。
だから今回の楽曲は、自分たちがどんな音楽家なのか? ということ。言ってみれば、80年代を函館という街で過ごした、ただのJ-ROCK好き、J-POP好き、音楽好きなんだけれども……この30年間、日本の音楽業界の中で居場所を作るにはどっか鎧を着なきゃいけないこともあったし、自分を大きく見せるために人をケムに巻くみたいなことをする必要もあったんです。だけど今はもう、ない。だってTERUが函館の港まつりでいか踊りを踊ってた瞬間、もう「GLAY、すげえな!」と思ったもん(笑)。
――ああ、そうですね。あのニュースには僕もビックリしました。
TAKURO:「もう何も怖いもんないな!」と思ったね。ヴィジュアル系出身で、あんなに妖しく〈千ノナイフガ胸ヲ刺ス〉なんて唄ってたやつが(先ほどの「彼女の“Modern…”」と同じく1994年のインディ作品『灰とダイヤモンド』収録曲)、30年後には山車の上で♪いかいかいかいか♪って……もう、こんなオリジナリティ、ないですよ! その、人間としての軸みたいなもの? 俺らがただただ函館を愛し、仲間を愛し、音楽を愛し……というだけの4人だとしたら、「その音楽と人生は、お金や名声やしがらみみたいなものを追い越してはいけない」と常々思って、気をつけてきたけれど。まさに30年目にして、ちゃんと俺たちは正気だったってことを証明したようなアルバムになったと思います。
GLAY TELU「いか踊り」熱唱 函館港まつりにサプライズ登場
大きな意味では、GLAYの歌は
ずっとラブソングだった
――成功の中でそういうことを意識していたんですね。たしかにこのアルバムは「GLAYはこういうバンドです」ということをあらためて提示されているように感じます。抜けが良くて、ポップで……。
TAKURO:うん、こんなにポップだけど、俺の中では「すごいトガってるな」と思う部分もあるんですよ。「彼女の“Modern…”」を作った時に、HISASHIに「こんなにダークなヤバい曲、ウケるかな?」なんて言ったら、彼は「どこがだよ? こんなにポップな曲!」って言ったんです。そこから「俺のポップ感っておかしいのかな?」と思いながら30年やってるんですけど(笑)。でもその過去の自分が浮かんだメロディーに対して、やっぱりこれだよな! っていう自負はあります。
――ですよね。そもそもメジャーでの最初のアルバムが『SPEED POP』(1995年)だったように、GLAYにはポップという言葉がずっとあったわけじゃないですか。それでいてここまでの間には大作もあったし、壮大な表現をした曲も作ったりと、いろいろなGLAYがいたと思います。ただ、ここではポップに対する意識に戻ったわけですね。
TAKURO:そう。だから今回は、そんなに「なるほど」「ああ、人生を教えられたな」って思われるような歌詞じゃなくてもいいじゃないかな、と。バンドを作った時みたいに誰かのコピーやって、「楽しかった」と言ってその後にファミレス行く、そんなアルバムにならないかな? っていう。あまり難しいこと言うのやめよう、みたいなね。
――だからなのか、このアルバムではラブソングが目立ちますね。
TAKURO:そうですね。近年のGLAYに比べれば、かなり意識してそれは増やしました。
――それも純愛だったり、恋愛だったりですよね。これまでもそうでしたけど、愛することに対してまっすぐというか、愛情の尊さを表現していると思います。
TAKURO:そこだけは変わらないですね。大きな意味では、GLAYの歌はずっとラブソングだったんです。やっぱり午前2時の痴話ゲンカのあのパワーたるやね(笑)……それはもう、ほかの国との争いと同一線上のような気もするし。
――ああ、そう、そこなんです。TAKUROさん、前回の「whodunit」のインタビューの際に、人がお互いに対して寛容であることの大切さについて話してくださいましたよね。(https://www.billboard-japan.com/special/detail/4389)
TAKURO:はい。話しましたね。
――僕はそれにすごく共感したんですけど、このアルバムでは、先ほど話したラブソングで描かれている恋愛関係の難しさが、たとえば国同士だったりイデオロギーが相容れない人間同士であってもどうにか共に生きていこうというテーマ性にもなっていると感じるんです。
TAKURO:ああ……そうですね。言葉遣いは違えども、このところ感じていたことは脈々と、そういうことだったんだと思います。手直しした曲も含めて、やっぱりここ2年ぐらいの気持ちが反映されてるだろうから。音作りとしては「THE GHOST」とか「Only One~」とは違うけど、それでも根底に流れる言葉のテーマはたぶん近いものがあると思いますね。
そもそも人が迷路に入った時に、いろいろ自分で思案しながらゴールを目指すための手助けをするのは、ポップソングのある種の使命だと思う。だってさまざまな人生の喜びや苦みを教えてくれたのが、俺が影響を受けたポップスだったから。たとえば松本隆さんの詞のようなことをGLAYでもできればいいなとは、いつも思います。たとえば戦争反対というテーマで唄うのではなくて、小さなラブソングがそれぞれの人の解釈によって戦争反対まで大きな意味まで結びつくような。それがポップスの良さかな、というのはありますね。
――そのラブソングが多い今度のアルバムですが、僕は「さよならはやさしく」がとりわけ好きなんですよ。
TAKURO:ああ、そうですか。僕も好きですよ、この曲は。
GLAY「さよならはやさしく」
――この歌詞の〈恋とは誰かを慈しむならば/愛とはなんだかもっと難しい感情の果て〉というフレーズに含まれてる意味合いって、ものすごく大きいと思うんです。愛は正直な感情なのに、それでいて難しいものだという思いは、すごくわかります。
TAKURO:そうですね……この素直さにたどり着くまで30年かかったんですね。要するに、これまでは「愛というものは何々だ」と言い切ってきた気がするんですよ。けれども……今の人類の思想なんてまだまだ長い道のりの途中だろうから、そこで素直に歌詞を書こうと、さっき言ったようにカッコつけとかを取り除くと、やっぱり……難しいなぁ、って。わかったつもりでいたんだけれども、愛が難しい感情の果てにあるものだとしたら、GLAYの旅はもうちょっと続きそうだなぁ、っていう。
――はい。その“難しい”という表現が、今のTAKUROさんのリアルなんだろうなと感じました。
TAKURO:都度都度、わかった気にはなれるんですけどね。たとえば子供が誕生したその瞬間、これ以上の幸せなんかないんじゃないか? 愛情の可視化と言ったらこういうことか! と思うんだけども。その子が大きくなったら、それはそれで悩みも出れば、トラブルもあって。あの時に理解した愛情が、ここでは全然役に立たないぞ! となる。そこで「じゃあこの人たちは自分の愛情では治らない傷を持ってるのか?」「それはどんな愛なんだ?」って思ってしまう。だから……わかったつもりでいても、やっぱりわかんない。50(歳)を過ぎても。
――共感します。そういうところがアルバムの全面に出ているわけではないけれども、そこかしこに苦さだったり、せつなさだったりがにじんでいて。そこがGLAYという大人のバンドの歌だなと思いました。
TAKURO:そればっかりはね……やっぱり今、20代のあの感じは出ないですよね(笑)。だけど50代のGLAYのいい感じが出ているとは思います。こと歌詞に関しては、以前のGLAYの世界からすると、「同じ俳優なんだけど役が違う」っていうのが今回のアルバムの印象ですね。たくさん似たような言葉を使ってきたんだけど、今回はこの言葉に違う役を与えてみよう、と。それは愛情の捉え方ひとつとってもそうだと思います。
すごく晴れやかな気持ちで
今30周年やってます
――それから「その恋は綺麗な形をしていない」も、含むニュアンスがディープだと思います。ただ、この生々しさをちゃんとポップに高めているのが50代のGLAYのマナーだな、と。
TAKURO:いや、これは「よく唄ってくれるな、こんな歌詞を! TERUさん、何かご馳走しますよ」っていう。こんな情けない男をね(笑)。これは自分がやりたかった90年代のJ-POPサウンドを全部詰め込んでます。まずL⇔R! L⇔Rの楽器アンサンブルがとにかく好きなんですよ。そこに『深海』(1996年)の前のミスチルの感じも欲しいし、スピッツ感も欲しかった。彼らは、ちょうど2個3個上なんですよね。俺らがデビューした頃、ちょっと上のお兄さんたちがとにかく元気で。俺はまだその頃アルバイトもしていて、配達のバスの中でラジオからのキラキラした音楽を聴く毎日だったんです。L⇔Rは「Knockin’ on your door」(1995年)の前の感じですね。あのアート面のポップさも含めて、好きだったなぁ。でも俺らは、ほら、デビュー前にヴィジュアル系に行っちゃったから、周りの空気が許してくれなかったんですよ。X(JAPAN)とかLUNA SEAとかばかりだったからさぁ。
――それはしょうがないじゃないですか(笑)。GLAYが世に出るきっかけを作ったのがYOSHIKIさんだったわけですから。
TAKURO:だけどこっそり、ちょこちょこあの時代のJ-POPの要素を出してきてはいたんですよ。で、ようやく2000年代に入って、よりポップになっていくんだけど、この感じをエンジニアの工藤(雅史)さんとずっと研究してたんです。だからこれをスタジオで聴いた時はうれしかったですねぇ。
――それから「なんて野蛮にECSTASY」もいいなと思いました。
TAKURO:これは、何を唄ってるのかわからないんだけども、なんか強い言葉の、カメリアダイヤモンドのキャッチコピーみたいなのをやりたくて(笑)。80年代のラフォーレのCMみたいなね。
――タイアップソングの全盛期ですよね。歌詞にある〈その気×××〉というフレーズは、大沢誉志幸(現・大澤誉志幸)のヒット曲から来てますよね?
TAKURO:もちろんです! はい!
――僕、この頃の彼が好きだったんですよ。もう何年も日本のシティポップが注目されてますけど、もっと再評価されていいと思うんですよね。
TAKURO:俺、初期3枚とか、いまだにめちゃめちゃ聴きますよ! だって最後のショーも行きましたもん。いきなり「歌やめる」って言い出されたじゃないですか?
――ああ、1999年に歌手活動をやめるという宣言がありましたよね。その後に復帰して、また活動されていますが。
TAKURO:今はギター1本で全国を廻っていて、函館とかにも2、3回来てるんですよね。あうん堂という50人ぐらいのキャパのところで、ブルージーでジャジーなすごい演奏して、サクッと帰ってくっていう。彼は初期の作品もいいけど、続けてる人はやっぱりちゃんと成熟していくんだなって思います。先輩たちの姿は、そういうことをめちゃめちゃ教えてくれますね。小田和正さんもそうだし、財津和夫さんもそうだし。30年やってて、いろんな人に出会い……まあ直接出会った人もいれば、音楽的な出会いもありましたし。もう、めちゃめちゃ詰め込みました。このアルバムには!
――そして一番最後の「Back Home With Mrs.Snowman」。この歌はあたたかい気持ちになれますね。
TAKURO:これはユニコーンの影響を受けています。あのバンドって、真面目に不真面目な感じというか(笑)。(奥田)民生さんの歌詞もそうですけど、俺の中に「日本のロックにおいてそこを唄うのか!?」シリーズというのがあって、そこでの評価が大きいんですね。「えっ? 左遷を唄うの?」とか。
――はい、「大迷惑」ですね。
TAKURO:で、「雪が降る町」という曲では「日本の年の瀬を唄うのか?」という驚きがありまして。
同じユニコーンでも「Maybe Blue」みたいなカッコいい曲は、またちょっと違った評価になるんですけど。とにかくあのバンドには、もちろん職業作詞家とは違うし、BOØWY、レベッカ、スライダーズとも、それに耽美系ともまたちょっと違う、それでいて15、16のTAKURO少年に刺さる言葉たちがあって。だから「いつか自分もいろんな憑き物が取れて、もっと自由に音楽を遊べるようになったら、こんな曲書いてみたいな」っていう曲だったんです。それが実現できたひとつがこの「Back Home With Mrs.Snowman」ですね。たぶん日本ヴィジュアル系界隈において除夜の鐘を唄ったのって、俺が初めてで、その上、きっとこれが最後だと思うよ(笑)。
ユニコーン「雪が降る町」
――(笑)。ヴィジュアル系は、そこは唄わないですよね。
TAKURO:唄わないけど、どうあっても自分たちのお里がそうなんだから致し方ない! っていう。リアリティあるし。
――そうだ、そこなんです。これを聴いて、やっぱりTAKUROさんの原風景は雪の世界なんだなと思いました。
TAKURO:そうですね。この曲は、誰かと恋に落ちて、一緒に旅行しながら、その中で夢を見るわけです。結婚して子供なんかできたらまた来ようね、みたいな。そういう日本の冬の風景と若い人たちの人生を何十年にも渡って唄っていくこと。かつて「Freeze My Love」(1995年)で、人生をたった5分の曲にできないだろうかってチャレンジしたのにも似た感じでした。
映画で言えば『フォレストガンプ』のようなものでもいいし、たった4日間を描いた『マディソン郡の橋』でもいい。1曲の中に5分間の出来事と 20年間の出来事が同じように混在していてもいいんじゃないかな。それができるのはGLAYの強みなんじゃないかなと思います。この歌のあたたかさは、チャラン・ポ・ランタンさんのアレンジのおかげですね。最後の最後に、GRe4N BOYZのHIDEくんにもコーラスを入れてもらったし。
GLAY「Freeze My Love」
――で、この歌を聴いて、TAKUROさんの中でこうしたあたたかみというか、家だったり、家族だったり、帰るべきところの存在というのはすごく大切なんじゃないかと思ったんです。それは今までの、それこそラブソングだったり、近しい人のことを唄った歌でも出ていた気がするんですよ。そばにいたいという気持ちだったり。
TAKURO:うーん、それはですね……今では自分自身がもう50も過ぎて、あと何年バンドやるか、何年生きるか、わからないけども。少なくともある時期までは、子供たちにとっての家……存在としての家は、自分だったわけです。
それまでは自分のことだけ考えればよかったし、子育ての最中なら一緒に日々忙しく過ごしてたわけなんですけど。その子供たちもだんだん大きくなり、家を出ていくことになるんですね。その時に自分は子供たちにとって、心のよりどころとしてのホームでありたいと思うようになったんですよ。で、このことをGLAYに置き換えると、ファンの人たち……その中でほかのアーティストのところに移った人たちがいて、そのみなさんも大切な時間をGLAYと共に過ごしたことがあると言うのならば、その人たちにとってのホームでありたいと思ったんですね。そして、たくさんの音楽的な刺激を受けて、どこかで安らぎが欲しくなったら、その時にGLAYはまだいるだろうから。「いつでも帰ってきてね」という気持ちもあるんです。
――ああ、GLAYから卒業していったファンのことまで意識しているんですね。つまり家庭人としても、そしてバンドマン、アーティストとしても、ホームのような存在でありたいと。
TAKURO:そう。何て言うのかな……ある種の折り返しに対するバンドの存在意義みたいのは、すごく考え出しましたね。どう軟着陸するのか、どういう結末にしたいのか。
――GLAYの行く末についてですね。
TAKURO:そうです。それを……バンドの結末を、たとえば神様の意志に委ねるのか? 自分たちでちゃんと描くのか? 今もたくさんのバンドが活動休止したり、解散したりが毎年くり返されているけれども。その中のひとつのバンド、GLAYとして、ホームでありたいという気持ちがあって。じゃあいつか、そのホームが閉められる時……その時の振る舞いは、自分にとってはすごく大きな課題なので。
――そうですか。そういう意識は、おそらく20代の頃にはなかったことですよね?
TAKURO:当然! 30歳から先なんて真っ暗ですもん。何にも霧がかかって見えない、みたいな感じでしたから。
――僕がこうして家について思ったのは、TAKUROさんには以前、お父さんを亡くされた話をしてもらったことがあったからです(https://www.billboard-japan.com/special/detail/3278)。そういうご家庭だっただけに、よけいに家とか居場所、帰るところに対しての思いが強い方じゃないかなって。
TAKURO:いやぁ、だから……鍵っ子で、家に帰ると誰もいない、冷蔵庫の中も空っぽ、みたいな子供時代だったんですよ。だからバンドでは自分が思う幸せみたいなものを追っかけようと思いました。そうして今は仲間もいるし、家族もある。だけど不思議なもんで、色々な縁があり家族とロサンゼルスに引っ越ししまして。で、気がついたら半分ぐらいひとり暮らしみたいな生活になっちゃったんです。「あれ? これ、子供の頃と一緒じゃないか?」みたいな。
――TAKUROさんが日本にいると、そうなりますよね。
TAKURO:そのことが自分が制作するものに影響してると言えば、やっぱりしてるんじゃないかな。圧倒的な孤独感は、家族を持ってからのほうが、より強いですね。
物心ついた頃から身近にあった孤独については、もう、そういうものなんだなと思ってたんです。だけど一度、究極の幸せを知ってしまったんですね。さっき話したみたいに、家に帰れば赤子が泣いていて、にぎやかで、騒がしいながらも充実した日々があって。だけどその子たちがだんだん成長していって、ひとりは寮に入り、家から出ていく。ほかのふたりはロスでそれぞれ生活を送る。で、俺は、仕事の時はGLAYをやるために日本にいるわけだけれども。その時に感じられる孤独みたいなものは……こんな究極の感情の向こうがあるとしたら、あとはほんと、もう死だけです。だとしたら、今の孤独と、その死までの長い距離……これを考えるだけでもメロディーは湧きますね。これはなんと素晴らしいモチーフなんだろう! と。それは皮肉も込めてというか(笑)……負け惜しみも込めて。
――せつなさも込めて?
TAKURO:うん、せつなさも込めて(笑)。あれえ? どこで間違えたんだろう? とかね。
――いや、間違えてはいないでしょう?
TAKURO:間違えてはいないけれども、究極の幸せをもらっても……子供とはいえ、やっぱりひとりの個であって、ちゃんと自分の意志を持って自分の人生を描くから、「ああ、なるほど、こういうことか」と。「かつて自分が来た道みたいなもんだな、そうやってつながってるのか」とね。「この子が100歳の時は俺、たぶんもういないだろうな」とか。そういう圧倒的現実がやっぱり物作りをさせますね。
――個に、孤独になるからこそ、自分の中から何かが生まれてくると。
TAKURO:そうですね。20代、30代は大衆という目に見えない巨大な怪物に対して、どの曲がどう響くのかを考えてやってきたんです。そこで得られたものもたくさんあったけど、そこで得られなかったものが今ようやく得られたりしていて。これもひとえにGLAYを続けてきたからこそ、わかることなんですね。もし途中でやめていたら、今の俺にはGLAYの輪郭が見えなかったかもしれない。
だからこの間のベルーナでは、27、28歳でやった20万人ライヴを再現したわけですけれど……「あれはやっぱり俺たちのEXPOだったんだ」って、取り返せた気持ちがしました。たかだかデビュー5年の少ないレパートリーの中から良さげな曲を集めて、一生懸命演奏する。歌詞も稚拙で、コードも単純だけど、何かしら将来に対する夢だけをエネルギーにして、アクセルベタ踏み! ただそれだったんだ、って。目が覚めた気がしましたよ。あの怪物の正体は、柳の木の下の何かの揺れだったんだ? みたいなね。お化けを勘違いしていたようなものだったんですよ。そういう意味では30周年の一発目があのライヴだったことと同時期にこのアルバムができたことで、すごく晴れやかな気持ちで 今30周年やってます。
――あれはファンからのリクエストで実現したライヴですから、それは期せずして、ということですよね。そういうこともあって過去のGLAYを見つめ直せた、立ち向かえた時期でもあったわけですね。
TAKURO:そうですね。もう本当に取り返した感じがあります。
――素晴らしいですね。そしてサマーソニックで確認できたように、GLAYの音楽はファンではない人たちの心に中にもちゃんと残っているものだったわけで。
TAKURO:ねえ? やっぱり続けているからこそ、その役目をやらせてもらえるチャンスが増えるので。これは……解散とかしたら、またちょっと違うんだろうな。やっぱり、これは。
――だと思います。だって30年って、もうとっくに解散して、その後に何回目かの再形成をしていてもおかしくない年数ですよ。
TAKURO:フェアウェルツアーを4回ぐらいやってそうだよね(笑)。でも、その中で楽しくアルバム作って、ベルーナやってね。いや、30周年、ほんとに……幸せです!
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