Special
小林幸子 デビュー60周年記念インタビュー「好きだとブレない。何があっても大丈夫」
Interview & Text:宗像明将
Photo:堀内彩香
衣装:イヤリング ABISTE
小林幸子は、取材現場で周囲に冗談も飛ばしながらにこやかに撮影していたが、そこに流れてきた民謡に、ふと反応した。その好奇心に、小林幸子がデビュー60周年を迎えてまだ現役歌手である理由の一端を見た気がした。
1964年に『ウソツキ鴎』でデビューした小林幸子。2024年にデビュー60周年を迎え、7月24日にはニュー・シングル「オシャンティ・マイティガール」をリリースしたほか、8月1日、2日には【60周年記念公演 in 新橋演舞場 ラスボスのキセキ】が開催される。
1979年に『おもいで酒』が大ヒットするまでの苦節の日々、大きな話題を呼んだ『NHK紅白歌合戦』の衣装、ニコニコ動画との出会いなど、60年の歩みを小林幸子に聞いた。
極められていないから、諦めることができなかった
――60周年で、これまでの歌手活動を振り返ってみると山あり谷ありだったと思いますが、どんなものだったでしょうか?
小林幸子:1964年、昭和39年に歌手になって、昭和、平成、令和の60年間で私は東京オリンピックを2回経験しているんですよ。そういう長さなんだなと思います。それと、今生まれた子たちは当たり前にデジタルだけど、私はアナログからデジタルに変わる日本の変化と一緒に生きてきたと感じますね。
――それはどんなところに感じますか?
小林幸子:私は9歳で古賀政男先生の弟子になって、デビュー曲の「ウソツキ鴎」のレコーディングも9歳なんですよ。そのときはいわゆる同時録音で、誰かが失敗したら「もう1回頭からお願いします」という時代です。マイクもお弁当箱ぐらい大きかったですからね。その後、音楽的なこともどんどん新しくなって、「追いついていけないよねー」なんて言いながらも生きてきて。私は今度、新橋演舞場で60周年記念公演をやるんですけど、AIで10歳の私が出てくるんです。そんな時代になるとは思いませんでしたね。私、舞台上で泣くことはそんなにないんですけど、なんか泣きそうだなって(笑)。
――10歳でデビューしてから、ここまで歌い続けられたのはなぜだと思いますか?
小林幸子:やめたいって思ったことも、もちろんあります。でもね、結局歌が好きだったっていうことですよね。好きだという気持ちはブレないんですよ。何があっても大丈夫なの。すごく心が折れる時もあるけど、でも大丈夫。だから、みんな人生のなかで本当に好きなものがあったら、絶対にその気持ちにブレないで生きてほしいなって、70歳になった今思いますよね。
――「好き」を突き詰めることが大事だと。
小林幸子:諦めるのは簡単だけど、簡単に「諦める」という言葉を使うなって私は思うんですよ。大人になってから「明らかに極める」ということが諦めるっていうことだから、明らかに極めてもいないのに諦めるんじゃないよ、ってお坊さんに教えてもらったんです(笑)。その通りだと思ったし、諦めることができなかったんです。
――お坊さんにそういう話を聞くほど悩んでいた時期もあったんですね。
小林幸子:「歌の神様に見放されたのかな」って思うぐらい売れなくて、デビューしてから『おもいで酒』までの15年、出しても出しても売れませんでしたね。もうダメだと思いますよね(笑)。
▲28thシングル『おもいで酒』(1979年)
――ご自身はどのような歌い手だと考えていますか?
小林幸子:古賀政男先生のもとで演歌でデビューしたので演歌歌手なんですが、音楽は何でも好き(笑)。さっき流れていた民謡も好きですし、コミックソングも好きで、(ハナ肇と)クレイジーキャッツやザ・ドリフターズも本当に好きですね。だから、「それをどうやって表現すると面白い?」って考えるんです。それが今に至ってるのかな、と思うんです。ジャンルは、小林幸子っていうジャンルであったらいいなって思いますね。
――ご自身の好奇心が今につながっているわけですね。
小林幸子:売れない頃にクラブで仕事をするとき、「ジャズ歌えますか?」って言われたら、「もちろん歌えます」って言うんです。「歌えません」って言ったら仕事がなくなりますから。カタカナ英語を一生懸命書いて、覚えて、歌う。最初にジャズ・シンガーを見たのは、サラ・ヴォーン。16歳ぐらいのときですね。エラ・フィッツジェラルドも好きでした。闇雲に耳で聴いて、でもそれが引き出しになって、結果今ジャズのライヴをやったり、シャンソンのライヴをやったりできるんでしょうね。ボカロ曲もね、最初はよくわかりませんでした。でも、聴いていると泣ける歌もたくさんあるから、「ちょっと歌ってみたいな」って思って。ずっと歌手を続けていきたいから、洋楽も勉強したし、当たり前に日本舞踊の勉強もしたし、コントの勉強もしたし。全部勉強するのは歌を続けていきたいからなんですね。
――サラ・ヴォーンは生で見たんですか?
小林幸子:厚生年金会館に見に行ったんです。一部は大オーケストラでやる、二部はサラ・ヴォーンのステージ。一部が終わって、休憩も終わって二部の幕が開いたら、ピアノ1本しかないんですよ。ピアノ1本で歌うサラ・ヴォーンに、ビッグバンドはかなわないんですよ。ひとりで歌っているだけですごいなと思いましたね。
リリース情報
シングル『オシャンティ・マイティガール』
<収録曲>
1. オシャンティ・マイティガール
2. 花夢
3. オシャンティ・マイティガール(Instrumental)
4. 花夢(Instrumental)
公演情報
【小林幸子 60周年記念公演 in 新橋演舞場 ~ラスボスのキセキ~】
2024年8月1日(木)東京・新橋演舞場[夜の部]OPEN 17:15 / START 18:00 ※終演20:30予定
ゲスト:松岡充
2024年8月2日(金)東京・新橋演舞場
[昼の部]OPEN 12:15 / START 13:00 ※終演15:30予定
ゲスト:さだまさし
2024年8月2日(金)東京・新橋演舞場
[夜の部]OPEN 16:45 / START 17:30 ※終演20:00予定
ゲスト:コロッケ・純烈
チケット:
小林幸子 関連リンク
紅白、新潟、ニコニコ動画――今の小林幸子を形作るもの
――『紅白』では、1993年に出場したときの「約束」を、当時見ていて「いい歌だな」と感動したんです。
小林幸子:さだ兄(さだまさし)の曲ですね。
――歌よりも衣装が注目されることにもどかしい思いはありませんでしたか?
小林幸子:『紅白』の衣装は、その年の歌い納めということで、最初はおまけの精神としてやったんですけどね、期待されすぎちゃって、そこから引き下がれなくなったんです(笑)。でも、それも楽しんでいたんです。もともと緊張するから、何か手立てはないものかということで、少し派手にしたのが高じてああなっちゃって、今度はそっちのほうのプレッシャーで(笑)。「ライバルは誰?」と聞かれても、誰でもないんですよ、前年度の衣装がライバルなんです(笑)。でも、私達の仕事は、見てもらって聴いてもらってなんぼですから、ずっと作ってました。でも面白かったですね。今も、こうなったら面白がって生きていくしかないですね。あとは、誰かの何かの役に立つことを考えていますね。
――今日、地震があったことも気にしていましたね。故郷の新潟のことも、ずっと意識していますよね。
小林幸子:日本一の米どころなのに、土地はあるのに後継者がいなくて、若い子たちが興味を持ってくれるように、私、農業支援のプロジェクトチームを立ち上げましたね。別に私が商売するんじゃなくて、「農業、楽しいんだよ」って、いろんなとこでスピーチして。新潟中越地震(2004年)で被災が一番大きかった山古志地区の土地を借りて、稲作を始めたんです。棚田だから、大きな機械が入らないんですよ。手で植えて、手で刈って、手で脱穀して、全部地元の方と一緒に自分もやるんですよ。そこで自分達で作ったお米を、たとえば東日本大震災(2011年)でも全部持っていって。今年のお米ができたら、能登のほうに持っていきたいとも思っています。それと、子供食堂にも寄付をしているんです。シングルマザーも生活が大変じゃないですか。子供の笑顔のために、少しでもやりたいなと思ってやり始めています。
――今日の取材現場はドワンゴですが、2010年代にニコニコ動画で若い世代から人気が出たのはどう受け止めていましたか?
小林幸子:人気と言われても、今でも自分ではわかりません。でも、イベントに出ると若い子達に「キャー!」って言われて、「私、若い子に認知度があるんだ」って感じるんです。ある方が幼稚園の子供に「小林幸子知ってる?」って聞いたら「知らない」って言われたけど、「ラスボスの小林幸子知ってる?」」って聞いたら「知ってる!」って言ったそうなんです。私、デビューしたときは「ちびちゃん」と言われて、「さっちゃん」になって、『おもいで酒』で「幸子さん」になって、いつのまにか「ラスボス」になってびっくりしましたけどね(笑)。ニコニコから初めてオファーをいただいたとき、「ニコニコ動画って何?」って聞いたんです。私は演歌ですもん、わからないですよ。コメントが出てくること自体、私はびっくりしましたね。出演した番組で「ラスボスって呼んでよろしいでしょうか?」って聞かれたんです。私は何も考えずに「どうぞ」って言ったんですよ。後で聞いたら、ゲームの世界で最後に出てくるっていうから、「悪い奴じゃん」って(笑)。今、「ラスボス」って検索に入れると「小林幸子」って出てくるんですって、笑っちゃいましたよね。ラスボス的なこと、何もしてないのにな、って(笑)。
――そういう寛容さも印象的です。
小林幸子:いろんな経験をしてきて楽しいですね。私があとどれくらい生きられるかわかりませんが、50年ぐらい生きるつもりなんですけど(笑)、最期に「面白い人生だった」と言うと思います。もうすでに面白いですよ。つらいこともたくさんあったけど、今が一番楽しいから言えるんだろうな、って。自分で自主レーベルを立ち上げてからは、レコード会社の縛りもなくて、どんなジャンルもできるし、レコード会社の人におうかがいを立てることも一切ないじゃないですか。コラボもやりやすいし、楽しいですよね。
――2014年にはコミックマーケット(以下:コミケ)に出展しましたが、演歌の対面販売の経験も生きたんでしょうか?
小林幸子:レコード即売会みたいなイベントは死ぬほどやりましたよ。今のアイドルの子たちが大きな会場でやる以前ですもんね。昭和の時代だから、商店街のレコード屋さんの前の台でやるんです。「歌いますので集まってください」と言うと、20人、30人は集まるんですけど、歌ったあとに「ぜひ買ってください」って言うと、いなくなっちゃうんです。こっちが勝手に歌っているんですから、いなくなっちゃうのは別にいいんですけど、一番悲しかったのは、配った歌詞カードが捨てられていることなんですよ。それは自分が捨てられているみたいで、すごく悲しかったです。だから、キャンペーンに行きたくない時期もありました。
――レコードを1枚出すと、即売会は何回ぐらいしていたんですか?
小林幸子:『おもいで酒』のときはすごかったですよ。ずっとやりました、半年やっていました。『おもいで酒』前は、1、2か月ぐらいの間、毎日とは言いませんけど、いろいろな県に行っていたんです。それで20、30枚とか売れたらいいなって。『おもいで酒』のとき「もうキャンペーンは嫌」って断ったら、「反響が違うんだ、有線放送で1位だ」って言われたんですよ。信じられないから、有線放送に自分で電話して聞いたら「1位です」って。それでも信じられないから「誰が歌ってますか?」って聞いたら、「小林幸子です」って。電話を二度見しましたよ。「神様は見捨ててなかった」って。「今まで売れなかったご褒美だよ」って言ってくれてるみたいで200万枚売れてとっても感謝しました。
――時代が空いたとはいえ、そういう経験をしていた小林さんの目には、コミケはどう映りましたか?
小林幸子:「コミケやりませんか?」って言われて、「コミケって何ですか?」ってまた聞いちゃったんです。でも、詳しく聞いたら面白いじゃないですか。コミケに来る人たちのルールを教えてもらったんです。目線が一緒で、上も下もない、みんな「参加者」という感覚。すごく嬉しかったのは、出店したらもの凄くたくさん人が来てくれて、「自分たちのコミケに出てくれてありがとうございます」って言って買ってくれたんですよ。若い人ばかりで、礼儀正しくて、列もしっかり作ってくれましたね。
60周年を迎えて伝えたいこと
――そして7月24日には、60周年を記念した新曲「オシャンティ・マイティガール」が発売されました。ジャズ歌謡だし、ラップのパートもあり驚きました。ご自身にとっても新しいチャレンジだったのではないでしょうか?
小林幸子:いろんな要素が入ってるすごい歌をいただいちゃいました(笑)。まずね、なんて面白いんだと思いましたよ。本当に笑っちゃいました。でも、一回歌詞を読みながらきちっと聴いたら、奥深いんでびっくりしました。「やっぱり愛だよ」って明確に伝えているし、踊れるし歌えるしね。素晴らしい歌だなと思いました。4ビートになったり、ジャズになったり、K-POPっぽくなったり、演歌っぽくなったり、見事だなと思いました。それに、メロディー自体が「今」なんですよ。演歌、歌謡曲でずっとやっていると入りづらかったところが正直ありました。頭ではわかっているけど、メロディーに入れないんですよ。でも、それを乗り越えると、実に気持ちいいですね。私達は無意識で時代の空気を吸っているじゃないですか。時代の空気を吸っていかなきゃいけないな、って思いました。
――カップリングの「花夢」はせつせつとしたバラードで、2曲ともいわゆる演歌ではないですよね。
小林幸子:違いますね。いろんな歌い方をしていると、今までやってきた歌の仕事が無駄じゃなかったな、って感じますね。私も作家のGohgoさんをよく知っているんですけど、Gohgoさんは私が知っている人たちも歌詞に登場させているんです。共有している思い出が出てくるんですよ。だから、自分史みたいな歌になっていますね。感慨深い曲であることは間違いないです。
――8月1日、2日には新橋演舞場で【小林幸子 60周年記念公演 in 新橋演舞場 ~ラスボスのキセキ~】が開催されます。AIの活用もアナウンスされていますが、どんな公演になりそうでしょうか?
小林幸子:小林幸子がデビューしてから今日まで、いろんなことをやってきました。一緒に見て楽しんでほしいですね。演歌ももちろん、ボカロ曲も歌います。歌い手になりたくてもなれない人がいっぱいいるなかで、なれた自分が60年も歌えたことに「ありがとうございます」しかないですね。よくみなさん「感謝」っておっしゃるけど、間違いなく感謝です。ありがたいと思います。
リリース情報
シングル『オシャンティ・マイティガール』
<収録曲>
1. オシャンティ・マイティガール
2. 花夢
3. オシャンティ・マイティガール(Instrumental)
4. 花夢(Instrumental)
公演情報
【小林幸子 60周年記念公演 in 新橋演舞場 ~ラスボスのキセキ~】
2024年8月1日(木)東京・新橋演舞場[夜の部]OPEN 17:15 / START 18:00 ※終演20:30予定
ゲスト:松岡充
2024年8月2日(金)東京・新橋演舞場
[昼の部]OPEN 12:15 / START 13:00 ※終演15:30予定
ゲスト:さだまさし
2024年8月2日(金)東京・新橋演舞場
[夜の部]OPEN 16:45 / START 17:30 ※終演20:00予定
ゲスト:コロッケ・純烈
チケット:
小林幸子 関連リンク
オシャンティ・マイティガール/花夢
2024/07/24 RELEASE
KSPR-1010 ¥ 1,300(税込)
Disc01
- 01.オシャンティ・マイティガール
- 02.花夢
- 03.オシャンティ・マイティガール Instrumental
- 04.花夢 Instrumental
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