Special
<わたしたちと音楽 Vol.32>ヒグチアイ 強い気持ちが持てなくても、“普通の私”だからこそ歌える歌がある
米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。
今回ゲストに登場したのは、シンガーソングライターのヒグチアイ。2023年には映画やドラマの主題歌やエンディングテーマ、CMソングなどを数多く手がけ、幅広い層のリスナーに楽曲を届けた。そんな彼女が曲作りで大切にしているのは、あくまでも等身大の自分の気持ち。今回も、今見つめている自分の使命や戸惑いを素直に語ってくれた。(Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING] l Photo:Kazuharu Igarashi)
強い言葉を使わずに、
リスナーに選択を委ねたい
――5枚目のアルバム『未成線上』は、どのような1枚になっていますか。
ヒグチアイ:タイアップの楽曲も多く、シングル曲を集めたような明るい1枚になりました。2022年1月にテレビアニメ『進撃の巨人 The Final Season Part2』のエンディングテーマとして「悪魔の子」をリリースしてからは、自分の音楽を聴いてくれる人の範囲が大きく広がりましたね。映画などの楽曲を作らせてもらう機会にも恵まれ、「映画を観て帰るときに、明るい気持ちになってもらいたい」というリクエストもあったので、聴き手を悲観的にさせずに、落ち着くところに落ち着くような楽曲が集まっていると思います。
――リスナーが増えたことに関しては、どのように感じていますか。
ヒグチアイ:最初は本当にただただ嬉しかったのですが、一時期はプレッシャーを感じてしんどくなってしまったときもありましたね。私は、兄弟の真ん中で長女だったこともあり、バランスを取る責任感から「ちゃんとしなくちゃ」という思いが強い性格なので、2022年からは期待に答えたくて一生懸命でした。
――多くの人の耳に届くような楽曲でも、女性たちの等身大の声を丁寧に届けている印象ですが、楽曲制作ではどんなことに気を配っているのでしょう。
ヒグチアイ:最低限、強い言葉にならないように、考え方を人に強要しないように気をつけています。自分自身が、強い言葉を使う人や怒っている人があまり得意じゃないんですよ。敵を作らないようにするのは自分自身の弱さでもあるけれど、私のように感じている人も少なくないと思うから、私も気をつけたいと思っています。
――歌詞を読んでいると、色々と矛盾を抱えながら、それらも大切に表現しているのが伝わってきました。意識的に、強い言葉を使わないようにしていたのですね。
ヒグチアイ:「自分はこう思う」という答えは、自分自身で探して見つけるものじゃないですか。「この人がああ言ってたから」と人に押し付けられてしまうのは、自分にとっても聴いた人にとっても良くない影響だと思うんです。だから、「選択肢を提示する」くらいまでにしておいて、それから「何を選び取るか」は聴いてくれた人それぞれにやってもらえるといいかな。だから、あんまり答えを出さないようにしています。
男性中心の社会で女性が生きていくには
諦めるか、強くなるしかないのか
――このインタビューでも、「女性はこうあるべき」ということを押し付けないようにしたいと思っているんです。女性たちの声をたくさん集めているのも、30人に同じ質問をしても30通りの答えが返ってくるので、多様な意見を可視化したいという意図があります。この質問は連載を通して共通で聞いているのですが、ヒグチさんの今の活動に、女性であることはどんな影響があると思いますか。
ヒグチアイ:そうですね、男性だったことがないからわからないのだけど……私は幸い“女性だから”という理由でないがしろにされた経験はないんです。キツめの顔立ちなので、人に何かを言われにくいということかもしれません。ただ、業界の上層部の男性と仕事関係で「もっと話してみたい」と思ってもごはんに誘いづらくて、「男性同士だったらそこまで考えなくても飲みに誘って仲良くなったりできたかな」とは思います。「2人で食事に行く」というだけで別の意味で捉えられかねないし、面倒になって全てを諦めてしまうことはありますね。だから、上層部にいるのが男性ばかり、ということで不自由を感じていなくはないです。
――音楽業界の上層部に女性が少ないのはどうしてだと思いますか。
ヒグチアイ:女性の場合は、妊娠・出産で一度離脱してしまうという現実はありますよね。そこから復帰するといっても、仕事をする上でハードルになることはあるんだろうな。周りを見渡してみると、50代くらいでバリバリ仕事をしている女性ってすごく強い人が多い印象です。男の人ばかりの環境の中でやっていくためには強くならざるを得なかった証なのかなと思っています。
――ヒグチさん自身が女性シンガーとして、長く活動を続けるために大切にしていることはありますか。
ヒグチアイ:私が大切にしているのは、ファストフード的な曲を作らないことでしょうか。一生歌えるような曲を書いていきたいんです。
――そのように考えるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。
ヒグチアイ:もともとそういう考えなんですよ。流行りに乗るのがとっても下手ですし、気持ちの切り替えもすぐにはできない。ずっと自分の考え方がどういうものなのかを考えて曲にしてきて、それはすぐには変わらないものだと思うから、結果的に何年後でも聴けるようなものができていると思います。
「取るに足らない」と思うような気持ちこそ、
掬い上げて歌にしたい
――ヒグチさんがエンディング曲を担当した『初恋、ざらり』や『生きるとか死ぬとか父親とか』といったドラマにも様々な女性が登場しますし、自主プロジェクトの「うふふプロジェクト」※でも女性たちの声をたくさん集めています。そんな中で、「これは自分が歌っていきたい」と見つけたテーマはあるのでしょうか。
ヒグチアイ:私は、普段自分にスポットライトが当たるなんて思ってもいないような子たちにスポットライトを当てて、思いを曲にしたいんです。「曲にもなる人生だ」ということを知ってほしいなってずっと思っているんですよね。普通に生きて普通に働いている人たちが諦めてしまったら、変わっていくべきことも変わらないんじゃないかな。例えば、私の母親に話を聞いたことがあるのですが、母は子供を産んだのをきっかけに仕事を辞めてしまったそうです。でも「当時はそれが当たり前だったから、(自分が仕事を辞めることを)疑問にも思わなかった」と言っていて。その人自身が自分の人生に起きたことを「取るに足らない」と思ってしまったら、それ以上の変化は起きないんじゃないかなって思うんです。
――インタビューで受け取ったことが曲に昇華されて、それを聴いた人の心境や行動に変化が起きることを考えたら、すごく素敵な循環を起こしていらっしゃるんだなと思いました。「うふふプロジェクト」を始める時点で、そこまでの狙いがあったのですか。
ヒグチアイ:ありました。30歳になるときに「うふふプロジェクト」をまとめた雑誌を作ったのですが、そのときは自分自身の寂しさに向き合っていました。妊娠・出産を経験する友達や同業者が増えていく中で、自分はシンガーソングライターとして結婚もせずに子供も産まずに1人で生きていくかもしれない。そう考えたときに、自分の中にある寂しさに自分が揺さぶられてしまうように感じました。道を示してくれる人もいなかったので、色々な人の話を聞いてみたかったんです。
――色々な人の話を聞いて、寂しさは消化されたのでしょうか。
ヒグチアイ:そこから4年経って、寂しさを感じることはどんどん減ってきている気がしています。おかげさまで自分の仕事も続けられていて、自分は仕事に依存する人間だったんだというのもわかってきて……寂しさは減っていっても、次は虚しさを考えるようになるかもしれないですけれど(笑)。
先頭を切るリーダーにはなれないけれど、
後ろからゆっくり進む人と並走していきたい
――曲作りには困らないですね。
ヒグチアイ:いや、虚しさは曲にならないんですよ。人はエネルギーがあるものに寄っていくと思うので、あまりに生命力がないとどうでも良いと思われてしまいそう。虚しさの中から、生命力を抽出しないといけないですね。
――先ほどヒグチさん自身がおっしゃったように、強い言葉を前に「しんどい」と思う人や、「スポットライトが自分に当たるわけがない」と諦めている人も少なくないと思うんです。そういう人からすると、寂しさや虚しさが表現されたものに救われるような人もいる気もしますが。ヒグチさんにとって曲を作ることや歌うことは、誰かをエンパワーメントしている意識はあるのでしょうか。
ヒグチアイ:うーん、そもそも曲を作る時に色々なものを排除している感覚があるんですよ。例えば、「あなたと手を繋いで歩きたい」と歌うのは、腕がない人のことを排除していますよね。「あの子と僕」のあの子が明らかに女性だったら、同性愛の恋愛の話ではないし、そもそも恋愛をしない人の話でもない。色々なものを切り捨てて、多数に向けて歌を作っている怖さは常にあります。だからエンパワーメントというよりも、ネガティブなほうが強いのだけど、その気持ちと折り合いをつけていくしかない。私は私の気持ちを描いているから、全ての人に伝わるようなものは作れない。自分が性自認と肉体が女性で異性愛者だというマジョリティである以上は、マイノリティを切り捨てて自分の気持ちを描くことになる。
――その視線は、いつ頃から持つようになったんでしょう。
ヒグチアイ:それは、ここ何年かでしょうね。世の中にマイノリティの権利にちゃんと注目する活動が増えてきたことで、私も気がついて、考えるようになったんだと思います。最初に、「私は強い言葉や怒っている人のことが得意じゃない」とお話ししましたけれど、強い言葉を持っている人や怒る人がいるから変わってきたものもたくさんあるはずなので、怒ってくれた誰かに「ありがとう」とも思いますね。ただ自分が元気なときにはそういうものにも耳を傾けて勇気をもらうこともあるんだけれど、自分に元気がないときには「怖い」と感じてしまうんです。
――ヒグチさんにとっては、はっきり強い言葉を持つ人は諸刃の剣で、自分に勇気を与えてくれるものでもあるし、受け止めるのが少ししんどい時もあるような存在なんですね。
ヒグチアイ:「そんな強い気持ちになれないから困ってるんだけど」って思ってしまったり……困っているというか、「そんなふうにはなれない」というか。だから、私は階段の最初の一歩から3段くらいまでを担当している気持ちです。そのあとから100段くらいまで、上のほうは誰かお願いします。言い換えれば、リーダーは誰かに任せて私は後ろから歩いていくので、「ゆっくりな人も一緒に登って、いつか頂上を目指しましょう」って気分です。
プロフィール
平成元年生まれ。香川県で生まれ、長野県で育ち、大学進学をきっかけに上京。2歳からクラシックピアノを習い、その後、バイオリン・合唱・声楽・ドラム・ギターなどを経験、様々な音楽に触れる。18歳で鍵盤弾き語りをメインとして活動を開始。2016年、1stアルバム『百六十度』でメジャーデビュー。これまでに培った演奏力と、音楽性の高さが高い評価を受け、【FUJI ROCK FESTIVAL】【RISING SUN ROCK FESTIVAL】など大型フェスへの出演も果たす。2022年1月、テレビアニメ『進撃の巨人 The Final Season Part2』のエンディング曲「悪魔の子」を書き下ろした。
動画メッセージ
関連リンク
ビルボード・ジャパン・ウィメン・イン・ミュージック イベント情報
【Billboard JAPAN Women In Music vol.2】
2024年2月8日(木) 東京・TOKYO DOME CITY HALL
18:00開場/19:00開演
出演:家入レオ、加藤ミリヤ(※五十音順)
指揮:齋藤友香理
管楽器:東京フィル・ビルボードクラシックスオーケストラ
チケット:S席10,500円、A席9,000円(ともに税込)
ビルボード・ジャパン・ウィメン・イン・ミュージック 関連リンク
関連商品