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渡辺美里 『Serendipity』インタビュー
デビュー25周年記念BOX『Wonderful Moments 25th』リリースタイミング以来、1年2ヶ月ぶりのインタビューを敢行。実りの多いアニバーサリーイヤーを経ての2011年、ここに詳しく書くまでもなく“激動”であった26年目、どのように心を揺さぶられながら、高めながら、今日まで歩いてきたのか。また、大江千里、鈴木雅之(キーワードは“鳥久”)、佐橋佳幸、Dr.kyOnとの“セレンディピティー”な共演についても語ってもらった。
放心状態だった3.11直後。大江千里とのNYライブ。
--2011年、26年目はどんなモードで始まったんでしょうか?
渡辺美里:久々のニューアルバムを発表しようと思っていて。ずっと作ってはいたんですけど、この機を逃すと「もうちょっとじっくり作っても良いんじゃない?」っていう気持ちになっちゃいそうだったので(笑)いつでも出せる状態にする為のラストスパートをかけるところから始まりました。で、どんなアルバムにしたいのか考えたときに“Serendipity(セレンディピティー)”っていう言葉を思い出して。偶然を幸せに変えていく力という意味だけじゃなく、自分自身が「良い」と思うことを選んでいく能力や、自分が「心地良い」と思うものに向かっていく力を持つ。そういう意味も込めて『Serendipity』というタイトルのアルバムにしようと思ったんです。
--そのアルバムの制作中だったと思うのですが、4月5日にはニューヨークで大江千里さんと東北地方太平洋沖地震のチャリティーライブを開催。どのような経緯があって実現に至ったのでしょうか?
渡辺美里:あの頃は正にアルバムを完成させる時期だったので、その後に自分自身のメンテナンスをする為にボイストレーニングを海外でやりたいと思っていたんですね。25周年は物凄く忙しくて全くそういうことができる状態ではなかったですし、オーケストラとのコンサートも控えていたので、改めて自分の声を見つめ直す時間を4月に取ろうと前々から計画していて。そしたら3月11日に震災が起きて「自分自身の時間の為に海外へ出てもいいんだろうか」とか考えたんですけど、私自身がいつどういう状況であってもベストな状態で歌えるようにしようと思って。
--なるほど。
渡辺美里:千里さんは数年前からニューヨークでジャズを勉強されているんですけど、その頃、チャリティーライブに向けて動き出していたんです。で、忘れもしない3月31日。九州でやっていたラジオ番組の最終回の帰り、4年ぶりぐらいに千里さんから電話がかかってきて「場所押さえたから」って言われて。老舗のライブハウスを押さえたからそこで2人でライブをしようと。それで「いいよ」って言って東京に戻ったら、もう「緊急ライブ決定」っていうお知らせがホームページとかに出ていて「早い!」って思ったんですけど、本当に緊急だったし、アメリカでのライブだったので、そこまで大勢の人は来ないと想像していたんですね。でもツイッターを使ったり、千里さんが地元の本屋さんとかラーメン屋さんにポスターを貼りに行ってくれて、当日は100人ぐらいしか入れない会場に300人ぐらい集まったんですよ。
--どんなお客さんが多かったんですか?
渡辺美里:私とか千里さんの曲を日本にいるとき聴いていてくれて、今はちょうど働き盛りでニューヨークやその近郊で頑張っている人たちが「なんで美里と千里のライブがニューヨークであるの!?」って驚きながら来てくれたんです。震災を受けてのチャリティーライブということで最低10ドルは持ってきてもらって。あと、私は4月4日に現地入りして、カフェで千里さんと曲順考えたりしたんですけど、その後に「せっかくのニューヨークデビューだし、記念になるものをみんなに持って帰ってもらいたいな」と思って、スタンプとかシールとかで名刺サイズのチケットを作ったんですよ。ベッドの上に並べて、言わば内職ですよね(笑)。
--実際にチャリティーライブをしてみてどんなことを感じましたか?
渡辺美里:千里さんと一緒に音楽をやるのも4年ぶりぐらいだったんですけど、それぞれがしっかり自分のやるべきことをやってきたからこそ、ぶっつけ本番でもそれぞれの役割を担いながら、想いの結集したライブが出来たなって。互いに互いの生き方をきちっと確認し合ったような感覚。あと、すぐに帰国できずに“想いをどこにぶつければいいのか”困っている人たちが集まっていたから、ニューヨークでありながら日本を見つめ直す時間にもなりました。だから物凄く貴重な体験をさせてもらったと思いますね。
--そのチャリティーライブの開催前、3.11直後の美里さんはどんな精神状態にあったんでしょう?
渡辺美里:しばらくは……本当に放心状態でしたね。地震があった日には「歌の旅人」というBS番組のナレーション録りをしていたんです。そこで取り上げていた楽曲が『北国の春』で。岩手県の“陸前高田”の映像を見ながらナレーションしていたんですけど、震災後に悲しい映像と共に何度も何度も耳にすることになってしまったんです。そんなこともあって放心状態になっちゃって。とあるインタビューに「震災を受けてすぐにピアノへ向かって曲を作りました」って答えているアーティストがいたんだけど「嘘でしょ?」と思ったの。私にはそれが出来なかったから。あと、必要なのは食べ物であり、暖を取る物であり、安全な空間だから、今すぐに音楽は必要にはならないだろうなと思っていて。ただ、物質的に満たされていったら、今度は心を満たすものとして音楽が必要になるだろうと。そのときまでにまず自分で納得できる歌がうたえる状況を作っておくべきだなって。それが良いのか悪いのかは分からなかったけど。
Interviewer:平賀哲雄
鈴木雅之とのコラボ。そのきっかけは“鳥久”だった。
--あれから半年以上の月日が流れましたけど、これからどう生きていくべきだと美里さんは思っていますか?
渡辺美里:直接震災を受けた人たちに比べたら私たちは恵まれた状況にいるとは思うけれども、今まであたりまえに聞こえていた言葉だったり、あたりまえだと思っていた感情が全部の人に当てはまるものじゃなくなるぐらい、大きな出来事だったと思うんですよ。だからと言っていつまでも俯いてはいられないし、誤解を怖れずに言えば、楽観的な前向きさが必要になってくる。少し乱暴なぐらいに、楽観的過ぎるぐらいに自分自身を根こそぎ前に向かわせるものが必要。だから“Serendipity”っていう言葉を選んだし、あっけらかんとなれる力を持ちたいなって思っています。
--そうして生きていく中で、これからの日本はどんな風になっていけばいいなと思いますか?
渡辺美里:ニュースで取り上げられる部分を見ていると、子供たちの明るさが年輩の方たちも元気にさせているみたいですけど、40代になった大人の私でも物凄くいろんなことを感じる訳だから、感受性の強い若い人たちはもっといろんなことを強烈に感じていると思うんです。でも辛い想いをした分、素敵な大人になっていってくれるのではないかと思うし、ほんの少しだけ先を歩いてきた世代の人たちはそうなってもらう為にも、自分たちの役割を果たしていかなくちゃいけない。だから夢も希望も持ちたいなって思いますね。
--その中で音楽にはどういう存在であってほしいですか?
渡辺美里:「頑張れ」とか「一生懸命」とか聞き過ぎると、胸がいっぱいになっちゃって「もう頑張れないよ」ってなる。だからそういうことばかり歌うんじゃなくて、ありきたりと思えるような日常が「なんて素晴らしいんだ」って思えるような歌から、本当に心が元気になれるような歌まで、幅広く歌いたいなって個人的には思います。
--美里さんは3.11以前からそうしたスタイルで音楽を発信していましたよね。故に渡辺美里は渡辺美里らしくあれば、これからも歌で人に力を与えられるんだろうなと感じました。自分ではどう思われますか?
渡辺美里:たしかに『あしたの空』とか『ニューワールド ~新しい世界へと~』は、去年、一昨年前に作ったものだけど、今の状況に当てはまる曲になっていますからね。あと『始まりの詩、あなたへ』も千里さんが4年ぐらい前、ニューヨークへ行く前に置き土産のように提供してくれた曲だったんですけど、こういう状況になったときに「この曲を歌え」って言われているみたいな感覚があって。今、歌う為に存在していたのかと思うぐらい。
--それらの楽曲が収録されたアルバム『Serendipity』、リリースからしばらく経ってどんなアルバムに仕上がったなと感じていますか?
渡辺美里:アクセルをグッと踏み込める材料になるというか、私自身も聴いていて力が湧いてくるアルバムになったなって。出来たときは興奮状態にあったからそこまで客観的に見られなかったけど、今年の【美里祭り2011】歌ったら自分の描いていた以上の盛り上がりを見せたりしていましたから、最初にテーマに掲げていた“生きていく力が溢れてくる”アルバムになったんだなって実感できましたね。
--その【美里祭り2011】で、再びファンの前で歌えるのはどんな気分でした?
渡辺美里:コンサートのテーマはそのときの自分の状況や心持ちによって変わってくるんですけど、昨年は“アニバーサリー”ということで25曲メドレーをやったりして。今年は“生きていく力を持つ”ということをテーマに3公演とも『いつかきっと』のインストから始まって『Long Night』とか『ラヴ・イズ・ヒア』とか『始まりの詩、あなたへ』とか、すべてがストーリーなっているような選曲にしたんですね。だから歌詞をしっかり受け止めてくれている人たちは「なるほどね。美里はこういうことが言いたかったんだね」って汲み取ってもらえたんじゃないかなって。自分の歌でそういうストーリーが作れるのも26年目だからこそ、アルバムをたくさん出してきたからこそだと思いますし、意味深い3日間になりましたね。
--河口湖ステラシアターでは鈴木雅之さんとの競演もありました。改めて2人で歌うことに至った経緯を教えてもらってもいいですか?
渡辺美里:ちょっと長くなりますけど?
--問題ありません。
渡辺美里:今年の1月、友達の家でご飯を食べようってことになって、各自でいろいろ持ち寄ったんです。私はアップルパイを作って行ったんですけど、友達の中のひとりは大田区大森の鳥久でおかずを買ってきたんですよ。大田区大森の鳥久と言えば、マーチン(鈴木雅之)さんのお姉さんが「好きだ」って言ってたなって思い出して。
--(笑)。
渡辺美里:みんなと女子会トークをしながら「マーチンさん、ゲストっていいなぁ~」ってぼんやり思っていたわけ。その後、家に帰ってからテレビを付けたら、偶然にもラッツ&スター30周年のライブの模様をオンエアしていたの。ホーンセクションにウチのバンドのメンバーもいっぱい参加してるから「あ、バンマスのスパムくんだ」とか思いながら観ていたんだけど、マーチンさんがソロボーカリストとしては2011年で25周年になるって言っていたから「あ、マーチンさん、ソロとしては後輩じゃん!」とか思って(笑)。でね、私はそんな風にマーチンさんのことを考えるきっかけなんて普段はないんだけど、その日は1日に2回もマーチンさんのことを想ったわけですよ! これはもう「ご一緒しなさい」って言われている気がすると思って、エピックのスタッフに「25周年って聞いたんですけど、一緒にライブやってもらえないかなって。出てもらいたいんですけど」って伝えて、周りから固めていって(笑)。
Interviewer:平賀哲雄
激動の2011年を経て、2012年の渡辺美里はどうなる?
--なるほど。
渡辺美里:それからしばらくしてアルバムのマスタリングをする為にロサンゼルスへ行ったんですけど、それを終えて日本に帰る前日、スタッフと食事へ出かける途中で「レコーディング終わりました」って実家に電話したんですね。そしたら「ロスだったら大きめのTシャツ売ってるでしょ? だから寝巻きになるようなTシャツ買ってきてくれないかな」って頼まれて。仕方ないからスタッフに待ってもらってダーッと走ってTシャツを買いまして。そこから戻ろうと思ったら、マーチンさんとバッタリ会ったんですよ。
--ミラクル。
渡辺美里:「なんでいるんですかぁ!?」ってなって。で、マーチンさんが「おぉ、美里! 夏、よろしくな」って言ってくれて「あ、話は伝わってるんだな」と思ったんですよね。それからスタッフのところへ戻って「今、誰に会ったと思う?マーチンさん」って言ったら「持ってますね!美里さん」って言われて。
--お告げ感はありますよね。
渡辺美里:怖すぎる(笑)。それで、マーチンさんのバンドもやっているウチのバンマス、スパムくんにそのことを電話で伝えたら「えー!それってセレンディピティーじゃないですか!」って言ってくれて。「そうそうそう!そういうことがセレンディピティーなんだよ!」みたいな。だから初めての共演だったのに、ストーリーは完璧に出来上がっている訳ですよ。この舞台で共演するべくして共演している感じがありましたね。
--でも一番最初のきっかけが“鳥久”っていうのも凄いですよね。
渡辺美里:その話をね、マーチンさんに言うべきかどうか悩んだんですよ(笑)。でもライブ本番で急にその話をしちゃったんです。そしたらまさか“鳥久”の話が出てくるとは思わないから、マーチンさんは動揺されていましたけど! まぁ悪い話ではないし、多分その日のファンの人たちの検索ランキング1位は“鳥久”でしたよ。
--でしょうね(笑)。
渡辺美里:その後日、マーチンさんからメールが来たんです。テレビ番組に出るから楽屋にいたみたいなんですけど「美里、今日はこれからテレビに出るんだけど、なんと楽屋弁当が“鳥久”でした。取り急ぎ、報告までに。」って写真と一緒に送られてきて。
--“鳥久”によって一気に親しくなりましたね。また、佐橋佳幸、Dr.kyOn、渡辺美里によるスーパー新人ユニット 三ツ星団の登場もあったみたいですが。
渡辺美里:佐橋さんはしばらく一緒にライブをしていなかったんですけど、デビュー当時から十数年、最も長く一緒にいたミュージシャンで。あの人はお母さんみたいなところがあって、去年「美里、25周年だろ。なんかやろうよ。俺は【美里祭り】に出る!」とか言ってて。「いや、呼んでないから。今年はソルト(塩谷哲)とチェンミンさんだから」って答えて。
--(笑)。
渡辺美里:「じゃあ、俺は俺で美里となんかやる。あ、ツアーやりたい。Dr.kyOnさんも誘って、3人で出来る面白いことをやろうよ」って言ってくれて。やれば出来るんですね。成せば成るで、全国10ヶ所ぐらいのツアーを組めることになって。函館、小樽から岡山とか四国とか、本当にあちこち行ったんですけど「3人でこんなことが出来るんだ」って思えるような音楽を奏でたんですね。すごく楽しかったの。その中でユニット名を決めることになって、バンマスの佐橋さんが「三ツ星団にしよう」と。で、三ツ星団が結成されたんですけど、年内に即解散しちゃって(笑)。でもちょこちょこ会っておかないと不仲説が流れるかなと思って、今年の【美里祭り】で再結成したんです。
--ライブと言えば、12月にライブDVD『うたの木オーケストラ2011』のリリースを予定しているそうですが、こちらはどんな内容になっているんでしょうか?
渡辺美里:これは不定期ではあるんですけど、恒例になってきている【うたの木】シリーズの最新ライブを収めたもので。私には【美里祭り】があって、ニューアルバムを中心としたツアーがあって、もうひとつ別の音楽畑を耕したくてスタートしたのが【うたの木】で。オーケストラから始まって、アコースティックバージョンであるとか、クインテットとか、音楽でいろんな挑戦をしているんですけど、今年はまたオーケストラと一緒にやらせて頂いて。オーケストラとは1999年と2005年と【うたの木】をやっているんですけど、今回はもうオーケストラがバンド化してきたというか、もうよく分かっている人たちだから、より良い感じになりました。それをこの冬、映像化してリリースしようと思っています。
--また、2012年1月1日に渋谷公会堂、14日にNHK大阪ホールにてコンサートを開催します。こちらはどんな内容にしたいと思っていますか?
渡辺美里:新春ですから賑々しく、派手にしたいです。みんな、元旦ぐらいお家で過ごしたいんじゃないかと思っていたんですけどね、鼻息荒いんですよ(笑)。やっぱり良い形で、楽しく新年をスタートしたい人が多いみたいで、このところ恒例になりつつあるんですよね~。
--たしかに元旦から渡辺美里のコンサートを観るって……
渡辺美里:めでたい感じ?
--はい(笑)。元気に1年を始められそうな感じはしますよね。
渡辺美里:だから「おめでとうございます!」っていう風にスタートしたいと思っています。
--そこから始まる2012年はどんな1年にしたいですか?
渡辺美里:2012年は元旦からコンサートですし、アルバム『Serendipity』の全国ツアーもやろうと思っていますので、かなり攻めの姿勢で行こうかなと思っています。
Interviewer:平賀哲雄
Serendipity
2011/08/03 RELEASE
ESCL-3706 ¥ 3,204(税込)
Disc01
- 01.セレンディピティー
- 02.ロマンティック・ボヘミアン
- 03.ニューワールド ~新しい世界へと~
- 04.あしたの空
- 05.いつも笑って ちょっぴり泣いて。
- 06.春の日 夏の陽 日曜日
- 07.しなやかに跳べ! ~Life goes on~
- 08.始まりの詩、あなたへ
- 09.恋心
- 10.新月
- 11.人生はステージだ!
- 12.世界中にKissの嵐を
- 13.ぼくらのアーチ
- 14.光る風
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