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<コラム>HANCE、「大人世代」への共感を誘う2ndアルバム『BLACK WINE』全曲解説

インタビューバナー

Text:黒田隆憲

 2020年に40代でデビューしたシンガーソングライターHANCEが、前作『between the night』からおよそ2年ぶりとなる通算2枚目のアルバム『BLACK WINE』をリリースした。ジム・ジャームッシュやヴィンセント・ギャロらの映像作品から大きな影響を受けたと公言する彼が、「大人の、大人による、大人のためのシネマティック・ミュージック」をテーマに作り上げた本作は、ジャズやR&B、エレクトロニカなど様々な音楽ジャンルを横断し、まるで架空の映画に没入するような気分を味わわせてくれる。また歌詞は40代という、酸いも甘いも噛み分けた「大人」ならではの哀愁や郷愁が全編わたって漂っており、彼と同世代はきっと共感する部分も多いだろう。そこで本コラムではアルバム全曲について、本人の言葉を交えながら解説していきたい。

 前作に引き続き、本作のプロデュースを務めるのは石垣健太郎。野宮真貴のツアーサポートをはじめ、中島美嘉や青木カレンらのレコーディング参加で知られる人物だ。制作のプロセスも、前作『between the night』と同様。まずはHANCEがストックしていたモチーフを石垣に聴かせ、彼の声質に合うキーを決めたりコード進行をブラッシュアップしたりしながら楽曲の輪郭を形作っていく。一旦それをHANCEが持ち帰り、メロディや歌詞を考えた上で楽器編成や演奏スタイルなどアレンジの具体的な方向性を2人で話し合っていったという。


 アルバムのオープニングを飾る「BLACK WORLD」は、ビッグバンドスタイルのジャズミュージックを基調としたインストゥルメンタルナンバー。ワイルドでダイナミックなブラスセクションのアンサンブルは、コロナ禍以降あらゆる場所で「分断」が生じているこの理不尽な世界(=BLACK WORLD)を表しているようだ。

 続くアルバムのリード曲「モノクロスカイ」は、リズミックかつソリッドなエレキギターのカッティングに導かれ、漆黒の闇で孤独に生きる主人公の切迫した焦燥感をスリリングかつ疾走感たっぷりに表現。<死ぬまで続くのか 白と黒の世界 白と黒の世界><後戻りは出来ない 白と黒の世界 白と黒の世界>と歌われる歌詞の世界は、アルバムのテーマである「表と裏」「生と死」「分断と連帯」など二律背反した現代社会の袋小路感を端的に表している。


「モノクロスカイ」ミュージック・ビデオ


 「Dancing in the moonlight」は、HANCEが初めてエレクトロスウィングに挑戦したアッパーなダンスチューン。バズ・ラーマン監督による映画『ムーラン・ルージュ』(2001年)の世界を音像化したような、華やかでケレン味のあるサウンドプロダクションが印象的だ。この曲のミュージックビデオは、シルクハットを被り、ステッキを振り回しながらステップを踏むメイク姿のHANCEが主人公。筆者はそこに、スタンリー・キューブリック監督作『時計じかけのオレンジ』(1971年)に登場する不良少年グループ「ドルーグ」を連想したが、おそらくこれは短編映画『つみきのいえ』(2008年)でアカデミー短編アニメーションを受賞したアニメ作家、加藤久仁生の初期作『或る旅人の日記』(2003年)に登場する主人公に扮しているのだろう。

 「本作を作っているときは常にこの映像(『或る旅人の日記』)がどこか頭の中に流れていました。すごくファンタジックで温かみのある、でもどこか孤独を感じさせるイラストなんですよね。今回、特にチューリッヒで映像を撮ってきた2曲は、旅をしている主人公の映像作品を作ったような形になっている。割とそこは映像としても、強く影響が表れているかと思います」
(Billboard JAPANインタビューより)


「Dancing in the moonlight」ミュージック・ビデオ


 <めくるめくる夜を越えて 不確かな愛に寄り添った 今だけはそばにいさせて><ひらりひらりと舞い上がった 私の目の中で眠るの あなたから終わりにしてね>と、報われない「大人」の恋を歌った「螺旋」は、軽やかなビートとポップでキャッチーなメロディが特徴。そこにR&Bやラテン、ジャズなどの要素を散りばめることで、エキゾティックなムードを醸し出す。古今東西、様々な映画からインスピレーションを得ているHANCEらしいアレンジだ。ミュージックビデオはスイスのチューリッヒで撮影され、その美しい街並みを眺めているとコロナ禍で失われつつあった旅情をかき立てる。


「螺旋」ミュージック・ビデオ


 続く「シャレード」はいうまでもなく、オードリー・ヘップバーン主演の同名映画(1963年公開)からのオマージュ。王道のR&Bをバックに、<苦しくて肩を寄せ合う 答えを知っているわけじゃない 言葉を選んでいるのなら 僕があなたを受け止めよう><寂しくて肌を寄せ合う 答えを待っているわけじゃない 言葉を選んでいるのなら 僕があなたを抱きしめよう>と歌う官能的な歌詞は、成熟した大人だからこそ描ける世界だ。


「シャレード」ミュージック・ビデオ


 さらに「或る人」では、映画『007』シリーズを彷彿とさせるハードボイルドな世界を、スウィングジャズと歌謡曲の融合によって表現。しかもそのストーリーを、<「淡い色の橋の向こうで きっとあなたは私を待っているの><優しさの痛みを知って 今も姿が瞼に映って忘れられない>とヒロイン目線で綴っているのが映画的でもある。

 <ふとした瞬間に 貴方のことを想い出した 曇る横顔見ていたのに 何も出来なかった><あれからどのくらい 季節が通り過ぎただろう わかっているよ もう二度と重なる事はないと>と、もう二度と取り戻すことの出来ない「失われた日々」に想いを馳せるのは、メロウなミディアムナンバー「left」。この曲のテーマである「郷愁」もまた、「大人のための音楽」をテーマに掲げるHANCEにとって重要な要素の一つ。まるで瞼の奥にある「残像」を、8ミリフィルムに焼き付けたようなノスタルジックなミュージックビデオは、おそらく彼の母方の祖父からの影響下にあるものだ。


「left」ミュージック・ビデオ


 「幼少の頃、広島にあった祖父母の家へ行くと、僕ら孫たちが公園などで遊んでいる様子を祖父が8ミリフィルムのカメラでよく撮影していたんです。それを上映会のような形で披露してくれていたのですが、いつも映像と一緒にクラシックの曲を流してくれたんですよ。(中略)映像と曲が混じり合い、そこで生まれるケミストリーみたいなものに魅了されたというか。そして、それは今もHANCEとしての音楽活動や作品づくり、叶えたい目標に大きな影響を与えていると感じるんです」
(Billboard JAPANインタビューより)

 ディストーションギターやストリングス、重厚なコーラスがドラマティックに絡み合う「炎心」を経て「十字星」では、人は生まれながらにして罪を背負っているというキリスト教的な「原罪」をテーマに選んでいる。さらに「シャーロックの月」の静謐なサウンドに続く「snow sonnet」も、<罪深いこの両手を 空に映して眺めた 優しい歌 想い出した>とやはり「原罪」がテーマ。これは、敬虔なクリスチャンである母親に連れられ、幼少期から教会に通っていたHANCEの原風景をモチーフにしていることは間違いないだろう。


「炎心」ミュージック・ビデオ



「十字星」ミュージック・ビデオ



「snow sonnet」ミュージック・ビデオ


 「『原罪』の概念に関しては、やはり幼少の頃からずっと感じ続けていたし、それに対する葛藤……ともすれば自己否定につながりかねないことへの複雑な気持ちが、自分の中に強くあると思っています」
(Billboard JAPANインタビューより)

 ちなみに「snow sonnet」は、HANCEの音楽性に大きな影響を与えたシンガーソングライター、エリオット・スミスからの影響を色濃く感じる。ドイツはベルリンで撮影されたミュージックビデオは、朝靄の森を歩く幻想的な仕上がりだ。

 アルバムのラストを飾るのは「眠りの花」。そもそもこの曲のモチーフは、今から20年以上前にすでに存在していたという。<迷路の出口なんて探さない 混ざりきって姿を隠せばいい>と歌われる歌詞は、対立と分断が深まるこの世界から「逃げ出す」のではなく、「混じり合いながら生きていこう」という強い覚悟が感じられる。


「眠りの花」ミュージック・ビデオ


 「歌詞はほとんど当時のままなんですよ。20年前に書いていたことが、今自分が直面している世界を捉えたときに体感として差がなかったことは、感慨深いものがありました」
(Billboard JAPANインタビューより)

 自身の活動のトップにあるのは「映像作品を作る」ということ。先日のインタビューでそう語ったHANCE。映像と音楽が混じり合い、わずか数分の間で展開される「ミュージック・ビデオ」というフォーマットを用いながら、本作『BLACK WINE』では自身の心象風景や世界の混沌を描き「大人世代」への共感を誘った彼が、今後どんな作品を作るのか。今から楽しみでならない。


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