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<コラム>LPリイシューが大反響、90年代の憧れの的“フェイ・ウォン”の魅力とは
1994年の主演映画『恋する惑星』、そして『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌「Eyes On Me」など、日本でも名高い“広東語のアルバム累計売上”世界一のアジアの歌姫・フェイ・ウォンのアナログ盤リイシュー4作品がリリースされた。
90年代にリリースされ、2021年2月に限定生産国内盤LPとして発売された3作品はどれもが即完売と、今でも多くのファンを持つ彼女。歌声や飾らないキャラクターなど、その存在全てが愛されたカリスマの魅力について、中華圏ミュージックの音楽評論家である関谷元子に語ってもらった。(Text: 関谷元子)
中華圏のスーパースター、フェイ・ウォンの過去のアルバムのアナログ盤が日本でリリースされたのが2021年。その時は、デビューから96年までの曲から選ばれた『ザ・ベスト・オブ・ベスト』、94年リリースの『夢遊』、そして、同じく94年の『天空』だった。どれもフェイの代表曲が収録されており、日本でのセールスも良かったと聞く。そして、今回9月27日に新たに4作品がLPとしてリリースされた。
フェイ・ウォン(王菲)、1969年北京生まれ、小さい頃から歌が上手でステージで歌う機会も多く、北京でもアルバムを何枚か出し、結構売れたという。
フェイは1987年にアメリカ留学を目指しいったん香港へ移り住むが、香港には海外に行く人は1年間香港にいないといけないという決まりがあり、フェイも香港に滞在することになる。そこでフェイはヴォーカル・レッスンを受け、その先生の推薦でレコード会社のオーディションに臨み合格、デビューすることになった。
1989年にシャーリー・ウォン(王靖雯)名義でデビュー・アルバムをリリース。キャッチフレーズは「北京から来た女の子」。一定の知名度を得ることはできたが、ブレイクという感じではなかった。というのも、この時期は香港の人たちにとって中国返還はまだ先の話であり、中華圏エンタメの中心地として多くのスターを生み出していた香港では、北京から来た女性の存在は刺さらなかったからだ。
しかし、この類まれなる美しい声を持つフェイは、ついに92年、中島みゆきがちあきなおみに書いた曲「ルージュ」のカヴァー「傷つきやすい女(容易受傷的女人)」を大ヒットさせる。そして、94年の『十万回のなぜ?(十萬個為什麼)』でフェイは自身の個性を打ち出し、ヴィジュアルでも積極的にかかわり、結果、中華圏で最もお洒落でクールなシンガーになったのだった。このアルバム・ジャケットの写真を見れば一目瞭然。いかにもスターといった感じは全然なく、自然体でカジュアルなルックス、これが新鮮だった。
そして、日本でもヒットした、スタイリッシュな作品を作り続けていたウォン・カーワイ(王家衛)監督の1994年の映画『恋する惑星』に主演し、彼女の自由・奔放なキャラクターとマッチし大成功する。この映画の主題歌「夢中人」は、クランベリーズの「ドリームス」のカヴァーであり、この曲もフェイにぴったり。ちなみに、フェイは、この主演で、【ストックホルム国際映画祭】の<最優秀主演女優賞>を受賞している。
この映画で日本でも知名度がぐんと上がったフェイは、日本武道館でのライブ、ドラマの主演、CM出演と日本での活動も活発化させ、中でも1999年のPlayStation(R)ゲームソフト『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌「Eyes On Me」は50万枚を売る大ヒットになった。
そんなフェイ・ウォンの今回リリースされる4作は、中華圏でフェイが大成功し、確固たる地位を築いた直後の作品と言っていい。つまり、フェイ自身が最もしたいことができた時期の作品。ポップでキッチュでお洒落な香港制作と骨太で泥臭い北京制作の両方を楽しむことができる。
まずは『背影』。原題は『討好自己』で1994年12月にリリースされた。広東語作だが、うち1曲は中国語曲。この1曲は元・旦那様であるドウウェイ(竇唯/北京ロック・シーンの重要人物)がフェイの作詞・作曲による曲を編曲しているし、中国プロデューサーの第一人者のチャン・ヤートン(張亞東/フェイの武道館ライブのバンドマスター)もギターと編曲を担当しており、フェイの今後の方向性を示唆する重要なアルバムとなっている。
ちなみにこの時期の香港スターは、広東語と中国で普通話といわれる中国語の両言語でリリースするということが普通に行われていた。
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続いては『マイ・フェイヴァリット』。1995年7月リリースされた中国語作品だ。全曲テレサ・テン(鄧麗君)のカヴァーである。テレサは特に中国で絶大な人気があったが、フェイもテレサのファンであることを公言していた。
このアルバムの原題は『菲靡靡之音』。以前、あまりに中国でのテレサの人気に当時の政府はテレサを「退廃・みだら(靡靡)」だとし、禁止したことがある。そんな背景があり、フェイは「菲」と「非」をかけ、テレサへのリスペクトをタイトルにしたのだ。
そして、そのレコーディング終了直後にテレサの訃報が届いたという。
このアルバムはテレサのヒット曲が選ばれているわけではない。フェイならではの選曲とテレサとは違うクールなヴォーカルが聴ける素晴らしいアルバムになっている。
『DI-DAR』。1995年12月にリリースされた広東語のアルバムで、1曲中国語があり、北京のミュージシャン、ドウウェイとチャン・ヤートンが再び登場する。
『背影』より一層北京カラーは増し、ヤートンは2曲を編曲、作曲も1曲している。北京ロックらしいダークな空気感が魅力のバンド・サウンドが魅力だ。今聞いてもかなりロックでかっこいいアルバムに仕上がっている。香港でも良く売れた。
フェイのすごいところは、香港でも北京でも素晴らしい制作陣をそろえていることだ。『十万回のなぜ?』はじめ、メジャー・アーティストに常に新しさを吹き込んできた香港最高の作曲家C.Y.コンの名前が見えるし、歌詞は第一人者の林夕(アルバート・レオン)だ。フェイのアルバムはどれも中華圏の一番クリエイティヴなスタッフがクレジットされている。
『ANXIETY』(原題は『浮躁』)は、1996年の6月リリースの中国語作。とうとうチャン・ヤートンがプロデューサーとしてクレジットされ、作詞・作曲・編曲、ドウウェイも3曲を担当するというかなり北京に寄ったアルバムだ。そして、中華圏でもとても人気だった、コクトー・ツインズが2曲を作曲し話題になったが、後のすべてを作曲したのはフェイ自身。
当時このアルバムは、「フェイはすでに売れることを放棄し、音楽性を追求したアルバム」と言われ、このアルバムを支持することができるのは本当のファン……みたいな書き方をされていたが、いやいや、古臭さなどは微塵もなく、もはやアジアを超え開かれたアルバムになっている。フェイの自由でありながら見事なヴォーカル・コントロールも聴き逃せない。
なんといってもフェイのノーメイクの自然体のジャケ写が象徴的だ。といってもこれすらお洒落。
では最後に、私がフェイに会った印象を一つ書いて終えたい。
可愛いフェイのエピソード。元・旦那様のドウウェイが福岡の音楽祭に参加したときのことだ。東京から駆け付けた私に、彼は「僕の楽屋で休んでいて」と誘ってくれた。そしてそこにはフェイ・ウォンがいた。ドウウェイに甘え、信頼し、ほんと愛しているんだなぁ、と感じたのも微笑ましかったが、楽屋の廊下を歩いていたらフェイがドリンクの自動販売機の前にいるではないか。どうやって買っていいのかわからないらしい。首を傾げたり、しゃがんで飲み物が出てくるところをのぞいたり、まさに『恋する惑星』のフェイ(笑)。買い方を教えてあげたら、本当に小さな声で「ありがと」とちょっとぶっきらぼうに言って歩いて行った。フェイ・ウォンのあの可愛らしさ、ちょっと不思議な感じは決して作られたものではないのだ。
飾らずシャイだけどキュートでクール、本物の音を見抜く力、そして何より圧倒的なヴォーカルの力。フェイ・ウォンは、中華圏が生んだ、最も魅力的で最高のシンガーなのである。
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