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<コラム>伝説のファンク・バンド、ザップ――彼らが及ぼした影響を振り返る
Text:Yoshiaki Takahashi / Photo:Yuma Totsuka,Yuma Sakata
1980年代初頭に登場し、ブラック・ミュージック界を席巻した、伝説のファンク・バンド、ザップが2023年9月に約4年ぶりの 来日公演をビルボードライブで開催。今もなお、世界中をツアーしながら熱いサウンドを更新し続けている彼らのキャリアを振り返る。
故ロジャー・トラウトマンが駆使するトークボックスを軸にして独創的なファンク・サウンドを確立、「Dance Floor」(1982年)や「Computer Love」(1986年)などのヒットを放って1980年代のブラック・ミュージック・シーンを席巻したザップ。現在もロジャーの遺志を継承しつつ精力的なライヴ活動を続ける彼らが2019年12月のカウントダウン公演以来、約4年ぶりにビルボードライブのステージに立つ。
ビルボードライブとファンクのレジェンドといえば、5月にPファンクの総帥ジョージ・クリントンがパーラメント/ファンカデリックを率いてひさびさの来日を果たしたばかりだが、実はザップのデビューにはジョージが大きく関与している。1978年にロジャーを含むトラウトマン兄弟によってオハイオ州デイトンで結成されたザップは、以前から親交があったパーラメント/ファンカデリックのベース奏者ブーツィー・コリンズのサポートを得てデモテープを制作するが(レコーディングはPファンク軍団の拠点だったデトロイトのユナイテッド・サウンド・スタジオで行われている)、そのデモをブラッシュアップするにあたってザップに有益なアドバイスを与え、彼らとワーナー・ブラザースとの契約のパイプ役になったのが他でもないジョージであった。
そして、ジョージを魅了した件のデモテープに収録されていたのが1980年リリースのデビュー・アルバム『Zapp』からの第一弾シングルにしてエレクトロファンクの金字塔「More Bounce to the Ounce」だ。
この翌年、1981年にヒットしたトム・トム・クラブのニューウェイヴ名作にしてヒップホップの定番ネタ「Genius of Love」は「More Bounce to the Ounce」にインスパイアされて作られたことで知られているが、トーキング・ヘッズの一員でもあったメンバーのクリス・フランツは当時の衝撃を次のように語っている。「『More Bounce to the Ounce』はあのころの多くのダンストラックよりもはるかにスローでファンキーだった。生々しくてハードなエッジを保ちながらも、とてもリラックスしていてセクシーだったんだ」
「More Bounce to the Ounce」の登場は、のちにギャングスタラップのパイオニアとしてセンセーションを巻き起こすN.W.Aの主力ラッパー、アイス・キューブがヒップホップに開眼するきっかけにもなっている。当時小学6年生だった彼は、初のラップのヒット曲であるシュガーヒル・ギャング「Rapper's Delight」(1979年)よりも先に「More Bounce to the Ounce」に合わせて踊るダンサーたちを通じてヒップホップ・カルチャーに触れたそうだが、このあとザップのスタイルがGファンクに代表される西海岸ヒップホップ・サウンドの構築に絶大な影響を及ぼすことを考えると、カリフォルニア生まれのキューブの証言は非常に興味深いものがある。
「More Bounce to the Ounce」は2010年代に入ってからもブギー/モダンファンクのリバイバルの中でマーク・ロンソン「Uptown Funk」(2014年)やブルーノ・マーズ「24K Magic」(2016年)のモチーフになっているが、こうして振り返ってみるとザップはジェームス・ブラウンやジョージ・クリントンらと共に常にヒップホップの重要な音楽的インスピレーションとして君臨し続けてきたことがよくわかる。なにせザップ/ロジャーの楽曲をサンプリングした作品は、EPMD「You Gots to Chill」(1988年)や2パック「California Love」(1996年)等、ヒップホップを中心に実に900曲以上に及ぶのだ。
こうした背景を踏まえるとヒップホップ誕生50周年の今年、そのルーツについて考えるにあたりジョージに続いてザップのパフォーマンスを体感することはとても大きな意義があるのではないだろうか。
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