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<わたしたちと音楽 Vol.14>春ねむり 自分の曲を歌うのは、痛みを持って生を実感する行為

インタビューバナー

 米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。


 今回のゲストは、シンガーソングライターとして世界で活躍し国外から高い評価を受けている春ねむり。怒りや憤りをシャウトする彼女が曲を作っているのは、「死なないようにするため」だと過去のインタビューでも度々語っている。フェミニストとして曲に乗せてメッセージを発信する彼女に、どんな思いで歌い、発信しているのか尋ねてみた。 (Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING] l Photo: Miu Kurashima)

“女性”シンガーソングライターとラベリングされる違和感

――影響を受けた女性アーティストはいますか。

春ねむり:この質問に対しての回答を考えてみたのですが、あまり思いつかなくて……親がジブリ好きで幼少期から作品を観ていて、『もののけ姫』が好きだったことは記憶しています。「殺してやる」という気持ちに素直なところが気に入っていましたね。


――“理想の女性像”のようなものは持っていたのでしょうか。

春ねむり:あまり理想や「こうあるべき」というビジョンはもたないようにしています。唯一の理想と言えば、“女性像”や“男性像”といった記号化されているモチーフは持たないようにする、ということでしょうか。


――“女性像”、“男性像”といったジェンダーバイアスが記号化されていると感じるようになったのはいつからなのでしょうか。

春ねむり:明確に言えば、デビューをしてからだと思います。それまでは、自分は自我の芽生えが遅かったし、中学・高校と女子校に通っていたので周りも女性ばかりで、あまり自分自身が女性であることを意識させられる経験がなかったんですね。デビューして、“女子大生シンガーソングライター”という肩書きで語られるようになって、自分が“女性”、“女性アーティスト”、“女子大生”といったラベリングをされることを意識するようになりました。大学生の男性のアーティストについて“男子大生アーティスト”と呼ぶことはほぼないけれど、女性に関しては“女子大生アーティスト”という肩書きは好んで使われますよね。


自我としての性別は、固定されずに揺らいでいるものだと思う

――確かに、おっしゃる通りですね。どのような肩書きでも、わざわざ“女子大生”とラベリングすることは多く、それ自体がバリューとされて値踏みされるのも居心地が悪いと思います。春ねむりさん自身は、女性であることがご自身の活動に影響している面はあると思いますか。

春ねむり:あんまりないかもしれないですね。自分自身は、そのジェンダーという意味での性別を聞かれたら、「シス女性です」と答えますが、「今の気分は何%女性ですか」と聞かれれば、日によって異なる回答になる。ある日は、めっちゃ少年かもしれないし、またある日はそもそも人間の気分じゃないかもしれない。どんな人でも自我としての性別は、固定されているわけではなく、常に揺らいでいるものなんじゃないかと思うんです。ただ可視化することは大切だと思っていて、例えば「女性アーティストとして、どう思っていますか」と問われて回答するときには、シスジェンダー女性というマジョリティとしての責任が伴うとは思っていますし、それが自分のやるべき仕事だからやっているという面はありますね。


――そう振る舞うことが、ご自身の“やるべき仕事”だと考えるようになったのはいつからですか。

春ねむり:3、4年前から、でしょうか。私にとって“春ねむり”は、14歳くらいのときに「こういう人が存在してほしかった」と思っていた人物像なんです。だからその人が放棄していたら嫌な責任は何か……それを逆説的に考えて春ねむりの役割を見出し、自分自身がその仕事を全うするようにしています。


――“シス女性”というマジョリティとして責任を感じながらメッセージを発信する時に、大切にしていることはありますか。

春ねむり:自分の発言によって、当事者の声が聞こえなくならないようにすること。あとは、自分が感じている怒りが、本当に私が発信すべきことなのかは毎回考えるようにしています。例えば、女性差別的な構造が原因で生まれた被害があったとして、私がそのことに対して怒りを感じた場合は、自分も発言すべきだと思うんですけれど、トランスジェンダー差別が原因で起きた被害に対しては、私は当事者にはなり得ないから代弁することはできない。怒りの構造は似ていると思うんですけれど、当事者ではない場合は、当然全てを理解することはできない。だからこそ、当事者の声を聞くのが大切だと思っています。


自分自身が当事者性を持つことで主語を大きくしない

――ただマイノリティだけが当事者として闘うのではなく、マジョリティも連帯しないと物事が変わらないという側面もありますよね。

春ねむり:そうですね。連帯しなくてはいけないタイミングは絶対にあるけれど、主語を大きくすることにもつながってしまう。だからこそ、一人ひとりの言葉を聞いていかないといけない。そうやってみんなの声を聞いていくとき、自分自身の声が大きくなると均衡が崩れてしまうじゃないですか。でも私はミュージシャンとして人より目立つ活動をしているのだから、その恐れも引き受けないといけないと思っています。自分自身がそれを引き受けることで、主語が大きくなっていくのを避けられるのではないかと考えているんです。


――なるほど、だから当事者性を大切にしているのですね。春さん自身が、“シス女性”の当事者として差別されているのを感じたり、生きづらさを感じることはありますか。

春ねむり:“そこはかとなく舐められる”ということでしょうか。私、曲も全て自分で作っているのですが、最近はライブの時にマネージャーにパソコンの前に立ってもらって、再生/停止ボタンを押す役割を担ってもらっているんです。そうすると、ライブが終わったあととかに「曲がすごく良いですね」と、マネージャーが声をかけられるんです。私の後ろでパソコンを操作しているし、こちらはマイク1本で歌っているから「そう見えても仕方ないかな」と思う面もありますが、はなから曲を作っていないと思われるのには“女性だから”ということも関係しているのではないかと思います。あと、そう言ってくる人は、マネージャーに対しては敬語でも私に対してはタメ口だったりします。


――その光景の想像がつきます……春さんはアメリカでも活動し、現地で取材などもたくさん受けていらっしゃいますが、日本とアメリカでは女性アーティストに対しての扱いに差はありますか。

春ねむり:私がリベラルであること、フェミニストであることを前面に出しているので、逆の立場の人はなかなか近寄ってこないからあまりあてにできるデータではないのですが、やはりエンパワーメントやリスペクトの気持ちを持って接してくださる機会が多かったですね。フェミニストであるという発言に対しても引かれないし、むしろその文脈で話を聞かれることも多いです。



――過去のインタビューを見ていると、「フェミニストであることが、日本では受け止められない」という発言もありました。その点に関しては、最近も変わりないですか。

春ねむり:最近は少しずつ、何かで読んだり自分自身で学んで話を聞いてくれる人も増えてきたかもしれないですね。特に2ndアルバム『春火燎原』ではすごくわかりやすく表現したつもりなので、それを読み取ってくれた人は増えたと思います。


自分の感情を言語化して自覚するために歌詞を書く

――ご自身のメッセージを歌詞に込められていますが、春さんにとって、歌詞を書く行為はどんな役割を持っていますか。

春ねむり:先ほど「自我が芽生えたのが遅かった」と話しましたが、18歳くらいまで、自我というものにかなり無自覚で過ごしてきたんですよ。18歳から21歳くらいまでの間に自分のやりたくないことに気が付いて、就職したくないと思って家出しました。それくらいの頃から歌詞を書くようになったのですが、そのときに歌詞を書いていたのは自分がどう感じているのか、何が悲しいのかを言語化して自覚し、把握するためだったと思いますね。


――自分自身が抱えている悲しみや怒りを言語化するようになって、何か変化はありましたか。

春ねむり:最初は言語化できてすごく嬉しくて、自由になった気がしたのですが、それを続けていくと、「その悲しみや怒りの原因は、私が死ぬまでにはどうにもならないな」と突きつけられることも多くて、「この行為に意味はないけど、それでもやるしかない」という感じになってきています。ただ、大学で哲学を専攻して、人の考えと行為は切り離していいのだと考えるようになり、互いに影響し合うことを知ったので、続けられているのだと思います。


――春さんの楽曲からエンパワーメントされている人はたくさんいると思いますが、ご自身では歌うことや歌にメッセージを込めることに、誰かに対してエンパワーメントする役割を持たせているのでしょうか。

春ねむり:それが、私はあまりそのつもりはないんです。あくまで私自身が生きていけるように、必死で曲を作っている。必死になってやっていることにはエネルギーがあるからこそ、引っ張られてしまう人もいるかもしれないし、曲を作って発表するのは殴りかかっているような暴力的な行為だとも思っています。「こんなこと知らない方が良いかもしれないのに」という思いを同居させながら、私自身も痛い思いをしながら、曲を作り歌詞を書いているんです。痛みを持って、生を実感しているということに近いです。


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