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<わたしたちと音楽 Vol.9>Maasa Ishihara ブレなかったからこそ身につけられた、“違うこと”の強さ

インタビューバナー

 米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。


 今回のゲストは、アメリカを拠点にダンサーとして活躍しているMaasa Ishihara。今となってはジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデなど錚々たるアーティストとステージを共にする彼女だが、一度はダンサーへの道を諦めかけたこともあったという。21歳で単身渡米して再スタートを切り、厳しいエンターテイメントの世界で生きてきた。彼女が身につけた、“芯の強さ”の秘訣を探る。(Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING])

安室奈美恵さんと母親を通して、強い女性に憧れた

――世界で活躍するMaasa Ishiharaさん(以下、Maasaさん)ですが、どんな幼少期を過ごしていたのでしょう。当時はどんな女性に憧れていたのか、お聞かせください。

Maasa Ishihara:私の出身は、岡山県岡山市。小学校低学年の頃、テレビで見た安室奈美恵さんに夢中になって、「あんな風になりたい」と思うようになりました。近所にダンススクールもなかったので、見よう見真似で歌ったり踊ったりしていたのが全ての始まりですね。バックダンサーを引き連れてステージに立つ女性アーティストも当時は珍しく、初めて彼女を見た時の衝撃は忘れられません。それまで自分の周りにはいなかった“芯の強い女性”が現れたことが衝撃的だったのだとずっと思ってきたのですが、最近は、自分の母親もずっと芯の強い女性だったなと改めて思うようになりました。母はあまり口数が多いタイプではないけれど、いつでも静かに私を見守り支えてきてくれたんです。私が安室さんに憧れてここまで来たのも、母親を通じて“女性の芯の強さ“を幼少期から身近に感じていたからかもしれません。


――身近な女性からテレビで見ていたスターまで、芯の強い女性に憧れてきたのですね。その気持ちは、昔も今も一貫しているのでしょうか。

Maasa Ishihara:基本的には、そうですね。世界中から夢を持った人が集まってくるアメリカで、さらに1、2年でガラっと状況も変わるエンターテイメントのシーンに身を置いて生きてきましたから、ブレない自分でいることが本当に大切でした。それでも20代の頃は、自分のことがよくわからないまま、自分に無いものに憧れてもがいた時期もありましたが、魅力や強さって、結局はそもそも備わっているもので、それを探って磨いていくしかない。30代を迎えて、そういう原点に改めて立ち返り、やはり自分の母親や安室奈美恵さんのような女性をかっこいいと思っています。


精神面も肉体面も、“Stay Ready”でいるために

――単身で渡米されてエンターテイメントの世界でステージを勝ち取って……というシチュエーションを想像すると、どのように自分がブレないようにしてきたのかが気になります。何か、コツのようなものはあるのでしょうか。

Maasa Ishihara:私も自分なりのやり方を見つけるまでは、色々なことを取り入れてみましたよ。それこそ、「朝に飲むのは白湯? それともコーヒー?」なんて細かいところから始めて……そうして見つけた方法が、メディテーション(=瞑想)です。やっぱり、1日のコンディションを整えるためにも朝のルーティンがとても大切だと思うんです。私は目が覚めたら、スマートフォンを手に取る前に、まずはベッドの中でじっと目を閉じて、何も考えないようにしているんですね。何も考えないって、難しいんですよ。でもその時間を10分作るように意識しています。そうしてリセットできると、「昨日起きたことは、昨日までのこと。今日はどんな1日になるかわからないけれど、100%の力で臨もう」と思えるようになります。

あとは、セラピーも重要ですね。日本ではメンタルケアといってもあまり馴染みがないかもしれないけれど、アメリカではメンタルのカウンセリングを受けている人は多いんです。みんな、体を鍛えるためにジムに行ったり、ヘアスタイルを整えるために美容院に行くでしょう?それと同じ感覚で、メンタルをトリートメントするためにセラピーに行く。心も、ケアしてあげることが大切です。

――なるほど。メディテーションやセラピーを通じて、ご自分のメンタルをコントロールする術を身につけてきたのですね。

Maasa Ishihara:そうですね。人生はアップもあればダウンもあって、どうしても人は良くない方に目を向けてしまいます。でも起きてしまったことは変えられないですよね。だから、いったんスルーすることも有効だと思うんです。困難の渦中にいると感じる時にも、「いったん問題は置いておいて、未来のために何ができるか」を考えてみる。そうして、“Get Ready(=準備をする)”ではなく、“Stay Ready(=準備万端)”の状態でいられるようにする。すると困難の波が過ぎ去った時に、すぐに次のチャンスを掴みにいける。精神面でも肉体面でも、“Stay Ready”でいることを、私は大切にしています。



違いをなくそうとするのではなく、受け入れる

――自らチャンスを掴み取ってきたMaasaさんの言葉は、説得力がありますね。“女性であること”が、キャリアに何か影響している点はあると思いますか。

Maasa Ishihara:そうですね、女性だし、さらにアメリカでは“外国人”ですから、さまざまな壁を感じることがありました。やはり女性が1人のアーティストとして生きていくのは過酷な業界です。望まないシーンで望まない相手に性の対象として見られたり、“女のくせに”と舐められたり軽んじられたり……いくらこちらが“Stay Ready”でいても、スタート地点に立たせてもらえないこともありましたね。あとは、人種差別も根強く残っています。例えば、私がどんなに英語を頑張ってもネイティブではなく、拙い発音なんですよね。で、それで幼く見られてしまう。いくら真剣に話しても、同じ熱量で受け取ってもらえなくて悔しい思いをしたのは一度や二度ではありません。この状態は、これまで長い間続いてきてしまったもの。それが#MeToo運動などもあり、近年やっと人々が意識をして、マイノリティが声を上げるシーンが増えてきたのだと思います。


――エンターテイメントのシーンに、それらの影響を感じることはありますか。

Maasa Ishihara:パフォーマンスからは、“女性らしく”や“フェミニンに”、また同じように“男性らしく”といったジェンダーの固定概念を覆していこうとするパワーが表れているように感じるのではないでしょうか。昔から感じられた部分はありますが、近年ではより自由な表現を追求しているのを感じます。



――日本でも、ジェンダーの枠に囚われないアーティストは徐々に増えてきているように感じます。同じように声をあげる女性やそれを支援する人も増えてきましたが、それでもまだ抵抗や妨害も多い側面があります。

Maasa Ishihara:21歳で渡米した私にとって、日本で暮らしていたときからの一番の変化は様々な人種やバックグラウンド、信仰やジェンダーを持った人たちと日々接するようになったこと。日本で生まれ、自分の周りの人の大半が自分と同じ日本人という環境で育った私には、様々な”違い”を受け入れ、理解して共存していくに至るまでは少し時間もかかりました。今まで自分が生きてきて当たり前と思っていたことが、世界ではある一つの思想・価値観に過ぎないと気づくと同時に、自分の当たり前を一度完全にリセットする必要があると感じたのです。自分と違うものを理解し、学び、認める。所謂”みんな違ってみんな良い”と思考を転換することで視野が広がり、違いを認めるだけではなく、自分と見つめ合う時間を持つようになって、自分のアイデンティティーや日本の素晴らしさにも改めて気が付くきっかけとなりました。

誰にとっても自分と違う人やもの、自分の経験のない未知のものを受け入れるのは恐怖でもあり、容易なことではないですよね。ただその一歩を踏み出して、”見える景色が180度変わる”経験ができたのは、人生においてとても価値のあることだったと思います。世界中の人々が互いの違いを認め、尊重しあえれば、世界の平和にも繋がっていくような気がします。


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