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<インタビュー>陰陽座、有りのままを形にした快作『龍凰童子』に迫る
“妖怪ヘヴィメタル”こと陰陽座が、約4年半ぶりとなる15作目のオリジナルアルバム『龍凰童子』(りゅうおうどうじ)を2023年1月18日にリリースする。ボーカル・黒猫の体調不良というバンド最大の危機を乗り越えて完成させた今作は、全15曲収録70分超の過去最大ボリュームとなった。その楽曲たちは重厚でありつつも、主に妖怪をモチーフとした世界観にどっぷりと没入することで、最高の爽快感を得ることができる。アルバム制作の背景から、楽曲の詳細、音作りへのこだわりまで、リーダーの瞬火(またたび/Ba.&Vo.)に話を訊いた。今作をより楽しんで聴くための書物の1つとして読んでいただければ幸いだ。(Interview & Text: 岡本貴之)
20年経ってもまだ存在する陰陽座をそのままの形で
―――陰陽座は2019年に結成20周年を迎えていますが、『龍凰童子』は本来そのタイミングで出るはずのアルバムだったのでしょうか?
瞬火:2019年に結成20周年を迎えたタイミングでそれを記念した全国ツアーを始めて2020年2月まで回っていたんですけど、本来はそのツアーを完遂した後でほどなく制作に取り掛かるつもりだった作品です。ツアーはボーカルの黒猫の体調不良によって残り僅かなところで中断した状態になっているんですが、そこから発生障害なども併発しまして、一度はまったく声が出ない状態になっていたんです。そこから声帯が回復していく一方で、歌おうとする意識と身体のズレを修正する鍛錬を本人が一生懸命やっていました。それがレコーディングであればできそうだとなった段階で、一度どれぐらい回復しているのか、実際の歌声を僕が確認したんですけど、その時点で問題ないどころか強力になっているのでは? という状態だったんです。レコーディングも始まってみればまったく今までと同じペース、同じ気持ちで終わらせることができました。
――『龍凰童子』は全15曲収録・70分超と陰陽座史上最大のボリュームとなっていますね。集大成的な作品を意識していたのでしょうか?
瞬火:集大成というよりは、20年経ってもまだ存在する陰陽座をそのままの形で作品にするということを当初から考えていました。着想のときとタイトルも意図も変えることなく作ったアルバムです。毎回必ず最初にアルバムのタイトルを考えるので、前作、前々作を作っている段階でこのタイトルも決めていて、ここまで歩んできて今ここに立っている陰陽座をそのまま形にするつもりでした。童子というのは強力な鬼に付けられる名前でもあるので、『龍凰童子』と言うタイトルは龍と鳳凰の力を纏った鬼という、陰陽座そのものを言い換えたセルフタイトルのようなものだと思っています。
――『龍凰童子』が陰陽座そのものを指しているとしたら、「龍葬」「鳳凰の柩」と続く冒頭の曲は、これまでの陰陽座を葬って新たに生まれ変わるということなんですか?
瞬火:「葬」とか「柩」という漢字だけを見ると死を連想させますし、普通に捉えるとそうなると思うんですけど、逆にこの曲たちは極めて前向きなことを歌っているんです。まず「鳳凰の柩」で言うと、鳳凰というのは人間からすると信じられないぐらい長生きする霊獣なので、人間の意識レベルで鳳凰が入るための柩をもし用意するとしたら、それはいったいいつ使うことになるのか。つまり「鳳凰の柩」というのは“そんなものは必要ない”という意味のタイトルです。「龍葬」について言うと、火葬とか土葬とか鳥葬とか色んな葬られ方がありますけど、仮に「龍葬にしてくれ」と言ってもできないですよね。つまり死なない、「死ぬ気がない」ということです。これはまあ、ちょっとへ理屈がすぎる論法ですけど(笑)。要するに、陰陽座は今回「本当にダメかもしれない」というところまで行きましたけど、敢えてショッキングな言葉を用いることで、“そんなことはない”ということを言っています。
――アルバムリリース前に「茨木童子」が先行配信されましたが、これは妖怪の名前なんですよね?
瞬火:妖怪の本にも載っているので、広義には妖怪に間違いないですが、所謂「鬼」です。恐らく酒吞童子が日本で一番有名な鬼だと思いますけど、その一味の子分の鬼なんです。
「茨木童子」ミュージックビデオ
――「赤舌」という曲は歌詞を読み取ろうと思って見ると、情報社会を描いているのかなと思いました。
瞬火:そう思いました? でも情報社会を語ったり叫んだりできるほど情報に強くないので(笑)。「赤舌」というのは妖怪の名前で、人の間で何かしらの諍いが起こっているときに現れて、ほんの些細なことをするだけの妖怪なんですが、そうやって歌詞を熱心に読んでいただければ決して楽しいことを歌ってはいないなというのはわかっていただけるとは思うんですけど、どういう視点でとか誰と誰がとかじゃなく、何かしらの諍い、解決しない意見の相違というようなことを歌っています。特定の何かを叩くような内容というわけではなく、「人間というのは諍うものですね」という曲です。
――この曲もそうですが、モチーフにする妖怪はどうやってチョイスするんですか。
瞬火:僕らは“妖怪ヘヴィメタル”ということでやらせていただいているので、すべてではないですけど、妖怪をモチーフにすることが多いんです。例えば「茨木童子」という強力な鬼だったら一般の人も知っているぐらい伝承にも事欠かないですし、その伝承のあるシーンを切り取ったりそれを自分なりに再構築して歌詞を書くことになるんですけど、「赤舌」とかだとたいした伝承があるわけじゃなくて、現れて何をするかもわからないので、逆に「こういうことをしたんじゃないか」って想像し放題というか。そういう名前だけ見てイメージが湧くような妖怪はそこに空想を交えて面白くなりそうだったら曲にする感じです。
――アルバムの中で僕は「猪笹王」が一番好きなんですけど、モチーフとサウンドとの結びつきというのはどう考えて作っているんでしょう?
瞬火:これは背中に笹が生えている岩みたいな巨大なイノシシの妖怪なんですけど、ちゃんと伝承が残っていて、その話がとても面白いんです。面白いけどどこか滑稽で可愛らしさもあるし、妖怪好きとしてはとても魅力的なんですよ。曲としては、イノシシが突進するような疾走感もありつつ、ちょっと憐れで悲しいことを訴えているというイメージです。
―――なるほど、突進するところをバスドラの連打などで表現しているんですね。
瞬火:そういうことです。僕はアルバムタイトルと同じで、曲も一番最初にタイトルを付けるんです。普通は曲があって後からタイトルを付けると思うんですけど、僕は全部最初に名前から付けるので。たぶん変わった順番だと思いますけど、最初に決めたテーマと曲名に合わせて、こういうリフ、テンポ、メロディ、歌詞という順番で作って行くんです。
――「滑瓢」(ぬらりひょん)はすごく有名な妖怪ですね。
瞬火:滑瓢が有名な理由って、「ゲゲゲの鬼太郎」でラスボスに設定されていたことが大きいと思いますが、あるときから「妖怪の総大将」っていう肩書が付けられたんですけど、もともとの滑瓢はあるとき家の中をフッと見たら知らないおっさんがお茶を飲んでいて、「えっ誰?」って訊いたら「滑瓢」って答える妖怪なんですよ。だから、「誰やねん!?」っていう、要するにただの不審者ですよ。
―――ははははは(笑)。
瞬火:それが、どこかで何故か「妖怪の総大将」ということになってるということをミックスして曲にしています。ここで想定してるのは、たぶんどんな業界でも5年~10年いれば目にすることがあると思うんですけど、何かの集まりとか打ち上げ的なことで集まっていると、一番奥の上座で見覚えのないおじさんがいて、誰よりも偉そうに振る舞っていると。「あれ、誰?」って誰に訊いてもわからなくて、「いや、よくわからないけど見た感じすごく偉い人っぽいよね」という返事しか返ってこない。それでそのおじさんの話を聞いていると、「まあまあ俺に任せとけ」みたいなことを言ってるけど、結局帰ってからも誰も何者なのかわからないっていう(笑)。どの業界にもいる“謎の人”。そういうものについて歌っています。<界隈で 我を 知らぬ者は 居らぬ>と言ってるけど、誰も知らないっていう。
――こういうお話を聞くことで、アルバムを聴く楽しさが広がると思います。「白峯」は11分23秒の大作ですが、この曲への想いを訊かせてください。
瞬火:「雨月物語」という、江戸時代に書かれた短編小説集のような書物があるんですが、その中の一遍に「白峯」という話があるんです。これは日本でもっとも強力な怨霊とされている崇徳院(崇徳天皇)の怨霊が、西行法師というお坊さんのところに出てきて、恨み言を言ったり怒りを爆発させたりするんですけど、西行法師がそれを諫めるというお話なんです。崇徳院は怨霊として色んな絵が描かれたり物語が作られたりして、完全に怨霊としてのイメージが固まっているんですけど、実際の崇徳院は、割と穏やかな晩年を過ごしたという記録も残されているんです。怨霊になったというのは、「怨霊になるほど恨めしかっただろうな」と想像した人々が作ったことではあるんですけど、「白峯」という小説の中で綴られる物語が、崇徳院という人物とイメージ化された怨霊の部分をとてもよく表現していると思っていて。なので「白峯」という原典を忠実に音楽にしてみようと思って、そのストーリーをそのまま頭から終わりまで描いた結果11分23秒になった、という感じです。
- 流れや曲間の秒数までこだわりを持って
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流れや曲間の秒数までこだわりを持って
――—アルバムの終盤、「迦楼羅」「覚悟」と続くあたりは音数が少なくて前半とはだいぶ違った印象でした。とくに「迦楼羅」は抑え気味ながらもダンサブルでちょっと異色にも聴こえます。
瞬火:あまりヘヴィメタルを聴かない人には特に、「ヘヴィメタルとはこんなもの」というイメージがあると思うんです。でも実際のヘヴィメタルは、それが生まれた70年代から今日に至るまで、他の音楽ジャンルでは到底不可能な振幅の音楽性を内包してきた音楽なんですね。本当はもっともっと音楽性が広いものなのに、単調な音楽と思われていることが嫌なので、「ヘヴィメタルといったら逆に何をやっても良いんだ」ということを、結成当初から心掛けているんです。今回も、20年を経た陰陽座はこうであるということを示すアルバムなので、「相変わらず陰陽座はこんなこともやる」という証明の1つでもあります。
――—それがアルバムの流れの中で、後半に置かれたということですね。
瞬火:「白峰」がピアノバラード的に始まって激しく展開して11分以上の尺がある曲なので、そのドラマ性に没頭して聴いていただいた場合、それなりの体力を使うぐらい聴き応えがあると思うので、長尺の「白峰」の後にこの「迦楼羅」を聴くことで、終盤に向けて聴いていく元気が回復するんじゃないかなって(笑)。曲順を考えたときにすんなりハマったので、こうなりました。
――—それはやはり全15曲収録というボリュームが関係していますよね。
瞬火:そうですね。10曲で作るときも当然考えて並べるんですけど、15曲あるということで展開はだいぶ入念に考えたところではあります。そのへんも、最近の音楽の聴かれ方だとアルバム単位で1曲目から最後まで通して聴くというのはスタンダードな聴き方じゃないと思うんですけど、陰陽座の音楽を待ってくれている方は、そうやって聴く気満々で待ってくださってますから、そこはこだわって作りました。今がどんな時代だとしても、アルバムという単位で出すからには、流れや曲間の秒数までこだわって作っておくべきじゃないかと思います。
――—最後の「心悸」(ときめき)はイントロから明るくポップで、かわいらしさすら感じました。これは完成したときに最後の曲にしようってすぐ決まりましたか。
瞬火:「龍葬」はメロディが浮かんだ瞬間に最初の曲にしようと確信していたんですけど、「心悸」も作っているときからこの曲でアルバムを終わろうと決めていました。陰陽座にはいかつい曲があったり悲しい曲があったり色々あるけれど、最後に気持ち良く楽しく終わりたいというか。ライブもそういう感じでやっているので、アルバムも「良いアルバムを聴いて楽しかったな」という気持ちで終わってもらうためにこういう曲を入れるのが伝統のスタイルというか、こだわりになっているので。この曲で終わりたいというのは直感で思いました。
――—アルバムを何度も通してヘッドホンで聴いていて思ったことなんですけど、ラウドな曲であっても耳が痛くなるようなことがなくて、非常に聴きやすさを感じました。そのあたりの音作りへのこだわりを教えてください。
瞬火:まさに今言っていただいた、「耳が痛くならない、聴き疲れしない」ギリギリのところを常に狙う気持ちでいます。高域は耳に届きやすいので、そこが強すぎるとすぐ耳が痛くなりますし、低域もあまり出過ぎているとボディーブローのように耳を疲れさせます。とはいえヘヴィメタルですから、ある程度「ギャン」ときて「ドン」としたい。だけど次をもっと聴きたくなるような、料理で言う味付けの塩気ですよね。ひと口食べて「もういらねえや」っていうぐらいパンチがあると後は食べてもらえないですけど、「パンチもあるんだけど完食しちゃった」っていう味付けにするという。最近はBluetoothのイヤホンで聴かれる場合も多いので、色んなイヤホンやヘッドホン、たくさんのスピーカーをとっかえひっかえして、それぞれ全部違う出音を聴き比べて、「ここだな」という音を探しながら最終的な音像を決めています。だから聴き疲れなく最後まで聴けたというのは、“料理人”としては最高の誉め言葉ですね。
――—本当に、絶妙な味付けでした(笑)。
瞬火:ありがとうございます(笑)。
――—2023年の陰陽座は、このアルバムを携えてどういう方向へ向かっていきますか。
瞬火:少なくともこのアルバムを完成させることはできたので、後は言うまでもなくライブ活動の再開を目指すということになります。バンドもそれを熱望していますし、ファンのみなさんもそれを待ってくださっているでしょうから。とにかく2023年は、「ライブが再開できる年にしたい」ということに尽きますね。
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