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<わたしたちと音楽 Vol.6>Chara 未来のために、言葉にして伝えていきたいこと
米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。
今回は、Charaが登場。2022年秋にはドラマ『すべて忘れてしまうから』で26年ぶりに演技を披露、最近では俳優、ミュージシャンとしてそれぞれ活躍する2人の子供との共演の機会も増えた。デビュー30年を超えてなお、音楽やファッションから発せられる独特の世界観は、より色を濃くしているようだ。アーティストとして、母として、彼女に大切にしているものを聞いてみると、出てきたキーワードは「言葉」。繊細な恋心を歌ってきた彼女が信じている“言葉の力”とは。
(Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING])
バンドを率いる小坂明子の姿に憧れてた
――Charaさんは、幼い頃どんな女性に憧れていましたか。
Chara:物心ついた頃に身近にいた大人の女性というと幼稚園の先生くらいで、ピアノが弾ける先生に憧れていました。だからピアノが欲しかったのだけど、そのときは親が買ってくれなかったのね。それからティーンエイジャーになって、小坂明子さんが楽団を率いて、「あなた」という曲をグランドピアノを弾きながら歌っているのを見て「かっこいいな」と思ったのを覚えています。若い女性が、大勢を率いているのが印象に残っています。
――それからCharaさん自身もシンガーとしてバンドを率いるようになるわけですが、それまでにはどんな道を歩んでこられたのでしょう。
Chara:私は学校の勉強はあんまり上手ではなかったけど、他の遊びから色々なことを吸収してきて、心の筋肉運動をしてきました。今“宅録女子”なんて言葉もあるけれど、その走りみたいなもので、遊びで楽器をやっているうちにバンドの仲間と出会って、音楽を作るようになって……今みたいに気軽に買えるような音楽ソフトもないから、全部アナログで、ローンで機材を買ったりしてね。ピアノも習い始めたけれど、途中で飽きちゃいました。練習曲を繰り返しやるのも面白いと思えなくて、“速く弾けるようになる”というテクニックの面にもあまり興味が持てなかったんですね。音楽は好きだったけど、「音楽大学に行ったらずっとこういう練習をやらないといけない面もあるんだな」と思うと進学する気にならなくて、ピアノを辞めた代わりにシンセサイザーを手に入れて、遊び感覚で音楽を続けていました。
――ユニークなスタイルは、その当時から片鱗を見せていたのでしょうか。
Chara:小学6年生くらいから、ちょっと周りの子とは違っていたのかも。「自分は親のものじゃない」という感覚がその頃からあった気がしますね。その当時は留学という道があることも知らなかったし、狭い世界を飛び出す方法がわからなくて、たどり着いた先がローラーディスコでした。ちょうどディスコが流行っていた高校時代。チアリーディングもやっていた私は、ローラースケートを履きながら、踊れて音楽がかかっているローラーディスコが気に入ってね。そうやって遊んでいた場所で出会った人たちからの影響は受けているでしょうね。
子供が産まれて知った、“普通の言葉”のおもしろさ
――それではあまり、ひとつの“理想像”のようなものはなかったのですか。
Chara:憧れている人はたくさんいましたよ。シンディ・ローパーは、ビジュアルにも音楽にも惹かれました。私の学生時代は今のようにファッションも自由じゃなくて、彼女みたいに髪の毛を半分刈り上げたり立てたりしている女性は珍しかったし。私なんて、教習所におへそを出したファッションで、大きいフープのピアスをつけていっただけで「その格好はなんだ」って怒られていました。それでも頑張って工夫していたけどね。
――Charaさんが憧れる女性には、何か共通点はあるのでしょうか。
Chara:“機嫌良く見える”ってことかな。誰にでも機嫌が悪いときも体調が悪いときもあると思うんだけど、諦めちゃうんじゃなくて、周囲に“機嫌良く見える”パワーを与えられるような人。
――今のCharaさんそのもののようですね。
Chara:若い時からそうできていたわけではないの。今も全然完璧じゃないしね。若い時は「生意気」って言われてしまうから素直に発言もできなかったし、周りを困らせてしまうこともたくさんありました。でも、子供が産まれてからは特に、「自分の言葉に責任を持たなきゃ」と考えるようになったかな。言葉って出したら引っ込められないし、怖いじゃないですか。これまで色々と失敗を経験したけれど、子供ができてからはその言葉の怖さとおもしろさをより感じるようになりました。子供って周りをよく見ているでしょう。色々聞いてくるし、聞かれたことに言葉で返さないといけないし。でもそのおかげで、“普通の言葉”もおもしろいんだなと思えるようになりましたね。若い時はもっとトガっていて、みんなと同じ“普通の言葉”を使いたくなかったんです。意地でも、誰もしていない表現を探したかった。でも素敵な言葉はそこらへんにだって落ちているんだと、子供と会話するなかで気が付くことができました。だって、子供ってすごくシンプルな言葉から話し始めるからね。
――デビュー当時のご自身を振り返ってみて、何かアドバイスをするとしたらなんと声をかけますか。
Chara:デビューしたばかりの頃は、業界のルールも何もわからなくて遠慮もしていたし、様子を見ているようなところがありましたね。「自分は何もわからないから、プロに任せよう」と思っていたんだけど、仕上がってきたものにどうしても納得いかなかったことがあって……私が想像していたのと全く違っていて驚いて泣いちゃった。でもそんな気持ちも、当時はきちんと周りに伝えられていなかったのかもしれない。今では「自分でやってみれば良いのに!」と思うけれど、そう思えるようになったのも失敗して勉強したからですね。
でもひとつ言えるのは、ちゃんと言葉にして伝えるのは大切だということ。あと、伝わっているかを確認してみないとね。何かの出来事が良い方向に向かうために、「こう思っているよ」と確認していいのだと今は思います。それでお互いの気持ちが合わなかったら、それは仕方ない。自分が合わないなと思ったら、大抵相手も同じように思っているからね。
未来のために、男の子に伝えたいこと
――女性がもっと活躍しやすい世界になるには、何が必要だと思いますか。
Chara:“大統領が女性になる”くらいのことが起きないと、この世界は変わらないのかもしれないなとは思いますね。私がデビューした頃は、「女は黙ってろ」というようなことを直接言ってくる男性も普通にいて、そういう状況からは少しは良くなったかもしれないけれどね。今、私たちができるのは、今より良い未来がやってくるように男の子を育てることかな。子供は、家庭の中での母親と父親の関係性についてもきっとよく見て感じているはずだから、まずは親同士がフラットな関係性を築くとかですかね。
――Charaさん自身も男の子の子育てを経験していらっしゃいますが、何か気をつけていたことや大切にしていたことはありますか。
Chara:色々あったと思うけど、けっこう忘れちゃったな(笑)。でも『はなのすきなうし』という絵本が好きで、それはよく読み聞かせしていました。主人公は闘牛場に連れてこられたフェルジナンドという牛。彼は花が好きな優しい性格なのね。お母さんは、フェルジナンドはそのままで良いと思っていて、「“闘牛は闘牛らしく”という生き方じゃなくても良いんだよ」と認めてあげるの。私も“男の子は男の子らしく”なんて思っていなかったし、そういう気持ちや考えは、息子も感じてくれていたんじゃないかな。
プロフィール
アーティスト
1991年デビュー。1992年の2ndアルバム『SOUL KISS』では、【日本レコード大賞】のポップ、ロック部門のアルバム、ニューアーティスト賞を受賞。1996年には岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』に出演し、劇中のバンドYEN TOWN BANDのボーカルを務めた。 2019年、ファン待望のChara とYUKIによるコラボレーション・ユニット =Chara+YUKIが20年ぶりに再始動。2021年にはデビュー30周年を迎え、記念ライブとして【Chara's Time Machine : 30th Anniversary Live】を大阪・NHK大阪ホール、東京・LINE CUBE SHIBUYAで開催。2022年11月、シングル『A・O・U』をリリースした。
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