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<特集>映画の登場シーンとともに振り返るホイットニー・ヒューストンの輝かしいキャリア



コラム

 伸びやかな歌声と唯一無二の存在感で、世界中のリスナーを魅了してきたホイットニー・ヒューストン。“歌姫”というキャッチコピーを定着させ、今も生き続ける彼女の人生が、『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家により作品化された映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』でスクリーンに蘇る。名曲の数々はもちろん、彼女の心情や当時の苦悩も垣間見られるドラマティックな展開に惹きこまれることだろう。彼女の輝かしいキャリアを、映画にも登場する重要な出来事と一緒に紹介する。(Text: 本家一成、Mariko Ikitake)

“歌うために生まれてきた”ザ・ヴォイス

 ホイットニー・ヒューストンは、1963年8月に米ニュージャージー州ニューアークで生まれた。母のシシー・ヒューストンは、スイート・インスピレーションズという女性ボーカル・グループのリード・ボーカルとして活躍し、身内にも「愛のめぐり逢い」(1974年)などのヒットで知られるディオンヌ・ワーウィック、ゴスペル畑の名歌手ディー・ディー・ワーウィック姉妹がいるため、まさに“歌うために生まれてきた”生粋のボーカリストといえよう。

 母親直伝の歌声はたちまち周囲を魅了し、幼少期は教会の聖歌隊で、11歳の時には聖歌隊のソリストとしてパフォーマンスするなど、既にスターとしての基盤を確立。その後、ニューヨークのナイトクラブでプロデューサーのクライヴ・デイヴィスにスカウトされ、1983年に弱冠19歳で<アリスタ・レコード>と契約したホイットニーは、翌84年に故テディ・ペンダーグラスとのデュエット「ホールド・ミー」で正式なデビューを果たし、1985年2月に同曲を収録したデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』を発表した。

 『そよ風の贈りもの』からは、タイトル曲が米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100”で3位に初のトップ10入りを果たすと、4曲目にシングルカットしたマリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニアのカバー「すべてをあなたに」で初の首位を獲得。以降、煌びやかなダンスポップ「恋は手さぐり」、ジョージ・ベンソン作の名バラード「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」の3曲が連続で1位に輝き、『そよ風の贈りもの』も米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で通算14週のNo.1をマーク。翌86年の年間アルバム・チャートで1位を獲得するモンスター・ヒットとなった。


 その勢いに乗って1987年5月に発表したシングル「すてきなSomebody」で4曲目の1位を獲得し、翌6月には2枚目のスタジオ・アルバム『ホイットニーII〜すてきなSomebody』を発表。本作からは「恋のアドバイス」、「やさしくエモーション」、「ブロークン・ハート」の4曲が首位に輝き、「すべてをあなたに」から7曲連続で1位を獲得するという大偉業を達成した。この記録は、ザ・ビートルズの6曲連続を超える新記録で、2022年現在も破られていない。また、アルバム『ホイットニーII』も女性シンガーとして史上初の“初登場1位”を獲得し、アメリカ・レコード協会(RIAA)からデビュー作に続き2作連続でダイヤモンド・アルバム(1,000万枚)を認定される大ヒットを記録した。


今もなお語り継がれる国歌斉唱


『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』より

 1990年11月に発表した3枚目のスタジオ・アルバム『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』からは、タイトル曲と「オール・ザ・マン・アイ・ニード」の2曲が1位を獲得し、キャリアわずか5年で首位獲得数を9曲に更新。アルバムも最高位は3位ながら全米だけで400万枚、全世界で1,000万枚を超えるヒットとなった。

 そして、1991年1月27日開催の【第25回スーパーボウル】ではアメリカ国歌「星条旗(スター・スパングルド・バナー)」をパフォーマンス。今や世界が注目するこのスポーツと音楽の祭典だが、その10日前にアメリカを中心とする多国籍軍がイラクへ攻撃を開始した湾岸戦争中だったこともあり、アメリカのみならず、世界各国が緊張と悲しみに覆われていた。

 すでに全米No.1ヒットをいくつも出していたホイットニーが国歌を任されることに異論はなかっただろう。しかし、世界情勢が揺れている真っ最中に、何をするか・どう受け止められるかによって、当時27歳の若きシンガーの今後を左右するイベントだったに違いない。実際、NFL協会内でも戦時中の開催の是非を問う声は多かったようだ。

 そんな中、ドレスやジュエリーで着飾った歌姫ではなく、一国民としての“等身大の姿”を選んだホイットニーは、世界が注目する大舞台になんとジャージ姿で登場。母親から歌詞の意味を理解することを幼少期に叩きこまれた彼女は、1812年の米英戦争をもとに作られたとされるアメリカ国歌「星条旗」を、テレビの前、そしてスタジアムにいるアメリカ国民と同じ目線で、しかし類まれなる歌声で歌い上げた。ブラウン管を通して世界中に届けられた本パフォーマンスは、様々な人種の人々を勇気づけ、現在もスーパーボウル史上最高と語り継がれている。本曲は、2001年に9・11米国同時多発テロのチャリティソングとして発表したリカット版がHot 100で6位に、アメリカ国歌として史上初のトップ10入りとプラチナ認定を受けている。

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