Special
<わたしたちと音楽 Vol.5>中島美嘉 周りの才能を輝かせられることが、私の考えるかっこよさ
米ビルボードが2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。
今回のゲストは、中島美嘉。鮮烈なデビューから20年以上もの間、独自の世界観を保ちながら、2022年にはセルフプロデュースアルバムを発表するなど今も挑戦を続ける。「周りの支えのおかげで“中島美嘉”ができあがっているんです」と語る彼女は、その言葉の通り、周囲の意見に耳を傾けしなやかに、自分自身を更新してきたようだ。
(Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING] l Photo:Miu Kurashima)
幼少期から「かっこいい」と思える女性が身近にいた
――幼少期、中島さんがロールモデルとしていた女性はいますか。
中島美嘉:幼い頃は誰でもそうかもしれないけれど、身近な「かっこいい女性」といえば母や姉でした。それでも社会に出るまでは“普通の親”だと思っていましたが、自分がアルバイトを始めたり、周囲に大人が増えていくにつれて、「うちの親ってすごかったんだな」と素敵なところに気が付くようになりましたね。母親から言われたことは今でもずっと覚えていて、当時「あの人みたいになりたい」と憧れていたから、言うことを聞いてきたのだと思います。
――素敵なお母様なんですね。お母様から受け取った言葉で、大切にしているのは?
中島美嘉:たくさんあるなかでも、よく言われていた「借りたものは、借りた時よりも綺麗にして返しなさい」というのは、今でも思い返す自分の礎になっているような言葉です。言葉の通り、“何か物を借りたら丁寧に扱って綺麗にして返す”のも大切ですし、最近の私の解釈は、“自分の体も借り物でちゃんと綺麗にして神様に返さないといけない”ということ。ちょっとスピリチュアルになっちゃいますけど(笑)。でもその母の言葉があったから、なにごとも綺麗に返すために準備が必要だと考えるようになりました。大人になった今にも繋がっている、ヒントのような言葉を幼少期から投げかけてくれた母に感謝しています。
――理想の女性像は、年齢や経験を重ねて変化していますか。
中島美嘉:大きくは変わっていないですね。私、“かっこいい女性”に憧れていて、昔からそうありたいと思ってきました。でも若い頃はもっと表層の、見た目のかっこよさを求めていたような気がしますが、今は内側から出てくるものだから表層だけ取り繕うことはできないとわかっている。かっこよさが生き方の問題だと思うようになったのは、年齢や経験を重ねて起きた変化です。
周りの才能を引き出してまとめる力が”かっこよさ”だと思う
――中島さんが考える“かっこいい女性”とは、どんな女性を指すのでしょうか。
中島美嘉:周りの意見を聞いて、まとめる能力のある人。私が音楽業界で生きているからかもしれないけれど、自分の意見だけを突き詰めていくほうが安易で、周囲の人々の意見を取り入れていくほうが重要で難しいということを感じます。ありがたいことに私は才能に溢れた人々に囲まれて、「どうしたらみんなが楽しく、力を発揮できるか」を苦心するのが自分の役割だと思っています。
――素敵なお考えです。いつからそのように思うようになったのですか?
中島美嘉:デビュー当時からで、この考えは長らく変わりませんね。私は18歳の頃に全く無知な状態で仕事を始めたので、周りの人に助けてもらわなかったら何もできませんでした。手取り足取り教わって1日1日を過ごして、ずっと“たまたま自分は前に出て歌う役割だった”と思ってきました。
――逆に、変化したのはどんな部分でしょうか。
中島美嘉:歌詞に関しては、経験値が少ない昔と今とでは自分自身の解釈が違う部分があります。「昔の歌を歌ってほしい」と言われると、「今も良い曲あるのに」と感じるアーティストの意見も耳にしますが、私は“今の私だからこそ歌える楽曲の新しい側面”を表現する貴重な機会だと思っています。過去の自分は強い女性を描いた歌詞の楽曲を歌うことで、自分をそのイメージに近づけていたような気もします。
――その通り、強くてクールなイメージを持つファンも多くいると思いますが、素顔の中島さんは、パブリック・イメージとギャップがあるのでしょうか。
中島美嘉:クールで強い印象を持ってもらえるのは嬉しいのですが、みなさんのそのイメージと実際の私は全く違うものかもしれません。でも、狙って作り上げた中島美嘉像ではないんですよ。単純に、歌番組に出演させていただいたときも緊張していたり人見知りをしていてうまく喋れなかっただけだったり、顔立ちが冷たく見えたり……といったことの積み重ねがイメージを作っているんですね。実際の私はみんなを巻き込んで賑やかですし、楽屋でもうるさい。人と会っておしゃべりをしていたほうが、ストレス解消になるんです。
――世間のイメージと実際の自分にギャップがあることは、ストレスになりませんでしたか。
中島美嘉:むしろ異なるイメージを持ってもらえることはありがたかったです。近寄りがたいのか、あまり外で話しかけられることもなくて、人見知りの自分としては助かりました。全然声をかけていただいても大丈夫なんですけれどね。
今“自分の一番好きなアーティスト”は自分自身
――2022年5月に発売したセルフプロデュースアルバム『I』では、全曲の作詞・作曲を手掛けられました。作詞作業は、中島さんにとってどんな作用があるのでしょうか。
中島美嘉:作詞をするときには、自分自身にアップダウンがあって良かったと思います。そういう自分が嫌になったこともあるけれど、喜怒哀楽があるから曲ができる。歌詞を考えるときには自分の感情と向き合うことになるので、ストレス発散にもなるし自分にかけてあげたい言葉が見つかったりする。あとは、「こういうことを言える人になりたいな」と理想を掲げることもあります。
――“女性であること”は、作詞を始め、音楽活動に何か影響を与えているのでしょうか。
中島美嘉:インタビューを受けるにあたって改めて考えてみたのですが、私自身、あまり影響を感じたことがないんです。衣装もスカートでもパンツでも良いし、歌詞の一人称を「僕」にしても良い。ひとつだけ思ったのは、女性のほうが“無難が好まれやすい”ということでしょうか……例えば、私はタトゥーを入れているのですが、タトゥーが見えるファッションで撮った写真をSNSにアップしただけでそのことがインターネットで記事になったりします。私自身はたまたま恵まれてそのような経験はありませんでしたが、“出る杭は打たれる”という風潮によって表現にブレーキをかけているアーティストがいたら悲しいですね。
――中島さん自身がエンパワーメントされる女性アーティスト、または楽曲はありますか。
中島美嘉:恥ずかしがらずに正直に言うと、アーティストとしては今自分が一番好きです。「聴きたい」と思うのも自分の曲。そう思えているのは、きっと20年以上積み重ねてきたものの結果。昔は自信なんて全くなくて、「申し訳ないな」と思いながらステージに立ってきました。失敗も数えきれないほどあるし、耳の調子が悪くて落ち込んだ時期もありました。それでも今は自分が素晴らしいと思える作品が作れている。支えてきてくれた人々に恩返しをするまでは、この仕事を辞められないですね。
プロフィール
アーティスト
2001年にTVドラマ『傷だらけのラブソング』で主演デビュー。その美しく個性的なビジュアルと歌声で一躍人気を博す。以降「雪の華」、「GLAMOROUS SKY」など数多くの大ヒット曲を発表し、これまでに9度の『NHK 紅白歌合戦』出場や数々の賞を受賞。唯一無二の存在感と影響力で国内外の映画・ドラマ・ファッションなど広い分野で活躍している。近年は野外フェスへの出演に加え、アコースティック編成やロック・バンド編成など、様々なアプローチで精力的にライブ活動を展開。また、アジア各国での単独公演を成功に収めるなど海外にも活躍の場を広げている。
関連リンク
関連商品